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恋愛工学のメソッドは成功率の向上より失敗時のダメージコントロールを優先してる

このブログエントリを読んで何か書こうとテキストエディタを開いたのですがタイトルでほとんど全て言い果せてしまった。

別に女性相手に限りませんが、自分が好ましく思う相手にその好意を伝えてその好意が自分に返ってくるのって楽しいですよね。それが楽しくて僕はたまにバナナが降ってくるボタンを連打する猿のようなおしゃべり糞野郎に育ってしまい、とりあえずもうしばらくは親のせいにしておしゃべりに徹しようと思うのですが何せバナナボタンと違っておしゃべりは相手があってのことですから、単純に確率的な話ではなくて、もし好意を相互に結ぶことができたのならそこにはそれなりの理由がありますし、もし逆に好意を上手に返してもらうことができなかった場合にもそれなりの理由があるはずで、だからこそ自分の好意が袖にされた時は悲しいし悔しい。それってとっても普通のことでなおかつ大事なことだと思うんです。ただがむしゃらにボタンを連打するのではなく、バナナが降ってきそうなボタンの押し方を都度都度研究してバナナ降ってきた時にただ喜ぶんじゃなくて、バナナが降ってこなかった時は自分になにか良くないところがあったのだとしっかり悲しむことこそがバナナ王になるために必要な過程だと思うんですよね。

それで恋愛工学徒なんですが、彼らはその悲しみや痛みに鈍感になることでボタンを躊躇無く連打してバナナにありつこうと考える人々であるように僕には見えます。先に引いたエントリで筆者は彼らのやり方をそんなやたらめったらに使ったって成功率なんて上がらないと思うけどなぁ、馬鹿なのかなぁ、と評しているのですがそもそも彼らの目的は成功率を高めることではなく失敗しても傷つかないようなボタン連打法を身につけて実践することにあるので、的外れと言うか、いや成功率を高める方法として筆者の言ってることは至極真っ当なので的外れと言うのもおかしいのですがやっぱり言い方を探せば的外れと言うことになるのでしょう。そんな指摘をしても意味がないし彼ら恋愛工学徒には届かない。彼らがメソッドに求めるのは「好意を持ったピンポイントの誰かと好意を相互に結ぶ方法」ではなく、「もし袖にされても傷つかずに済むアプローチ方法」だからです。

要するにメソッドメソッドであることそのものに価値があり、それはどういうことかというとメソッド通りに実践してメソッド通りの結果が得られなかった場合にそれを「例外」として処理できることが彼らがメソッドに頼ることで得られる最大のメリットなのです。成功率は高くなくても良い、メソッド通りにアプローチをかけてさえいればそれでうまくいかなくたって「メソッドがうまくハマらなかったね」と処理することができる。つまり、自分が向けた好意が報われなかった現実を「本来的な在り様ではない」と誤認することができる。傍から見てると彼らは馬鹿みたいな間抜けな方法でボタン連打して袖にされまくってたまに弱ってる女の子にたまたま当たってバナナ降ってきて喜んでいる愚鈍にしか見えないんですけど当人の意識としては、実際にバナナにありつけた時以外のことはなかったことにされている。ゴールまで30マスある双六を「6が出た時以外はやり直し」というルールの下に最短5ターンでクリアして喜んでるみたいなもんです。いや、その間にお前何回サイコロ振り直してんだよとこっちとしては思うわけですけど当人の中では6が出た時以外はやり直しでサイコロ振った回数にカウントしてませんので5ターン最短クリアで俺最強だと言い張って聞かない。埒が明かないですね。

そういう風に彼らは自分らの失敗を失敗として受け容れずに自身が傷つかずにバナナにだけはどうにかありつく方法として恋愛工学を採用しているわけですが、エネルギー保存の法則のようなものは面白いもので人間同士のコミュニケーションにおいても似たようにできているようで、そこにコミュニケーションの失敗があったならダメージはどこかにいくはずで全体で見た時に決してゼロにはならないわけで、じゃあ恋愛工学徒が本来喰らうはずだったダメージの皺寄せはどこにいってるんだっていう風に考えると、口説かれた女性の方にいってんじゃないのという仮説のとても分かりやすい例が件のエントリで書かれているあたりなわけですね。「要は勇気がないんでしょ」という有名な言葉がはてなにあるそうですが、自分で動いて自分で傷つく勇気もないなら一丁前にバナナ欲しがってんじゃないよってことだと思います。以上です。