読みましたー。ので、それ読んで思った全然関係ない話をします。
当方アラサー男子、小学生の時に床屋に置いてあったジャンプで『ワンピース』のプロトタイプにあたる読み切り『ロマンスドーン』をたまたま読んで「こいつぁすげえのが出てきた!こいつは将来のジャンプを背負って立つ男やで!」と感動して以来、ずっとワンピースが大好きです。その後、無事、刈り上げにされました。
それで、先に引いたエントりにも出てきてるようにたまに話題になってるのを見かけるワンピースひいては尾田栄一郎のジェンダー観なんですけど、まず前提としてこれについてワンピースファンとして一番正しいリアクションは「申し開きございません。うちの尾田がどうもすいません」しかないと思うんですよ基本的には。あんまり平身低頭にしてると面白がっていつまでも殴ってくる奴もいますのでまぁそういう時はカウンターで顎の先をジャッと擦る感じで拳を合わせて脳揺らしたったらいいと思うんですけど、一般論としてそこを問題にされると初手は「どうもすいません」にしかならないですよ。だってどうしようもないですもん。このジェンダー的なフラットさを目指す現代において尾田っちという男は真っ向から逆らって獅子奮迅の働きを見せる保守的ジェンダー観の再生産にかけては右に出る者のいない真っこと見上げた九州男児ですよ。ダメかダメじゃないかというと全然ダメですよ。もちろん少年漫画なんだから堅いこと言ってんじゃないよファンタジーファンタジーって言いたくなる気持ちもわかるけど、漫画なればこそそれを不快に感じるのも各人の自由ですよね。不快に感じるまでならですけど。
子供がみんな読んでるからなー、子供が真に受けちゃうからさー、みたいな何か不穏さをほのめかす言い方はわからんでもない。わからんでもないけど、ここで思い出したいのは松本人志が若い時に言っていた「子供に悪影響だからテレビに映すなみたいな苦情がくるが、お前ら親が真似するなと言えばいい。たかだか数分のテレビの影響力に、あなたたち親の影響力は劣っているのか」みたいな言葉です。もちろん別にこの言葉自体、いつもウエストポーチに大事に持って歩いていざって時に印籠みたいに掲げてたらいつも自分に有利に機能するような、そんな優秀な言葉ではありません。「だからその影響を上書きする余計な手間をかけさせんじゃねえよ」と言いたくなる局面はどんな話題においても存在します。それでもやっぱり漫画は漫画、ファンタジーはファンタジーって教える役割を担うべきは漫画そのものではないと思うし、現実世界における正しさを一から十まで教え込む役割を漫画に求めるのももちろん全然おかしな話だし、みたいなことを考えた時に思ったのは、もちろん僕も日々自分のフォームを確認して本当に履いてるかどうか本当に安心していいものか確認しなくてはならない身分であることは承知してますがジェンダーに纏わる様々な問題について子供になにか教えなくちゃならないとなった時にその子供がワンピースを知っているか知っていないかだとワンピース知ってた方が色々教えやすいというか一緒に考えやすいような気はしますよね。「間違ってない!問題ない!」なんてとてもとても言えませんが、男しか出なかったり女しか出なかったりしてる漫画よりかはよっぽど「どこが間違ってるのかな」「じゃあどうあるのが本来的に良いのかな」と考える間違い探しの教材としては優秀だと思うんですけど。
大体世の中にある創作物なんてものはそういう風に「考えるキッカケ」になるのがせいぜいであって、まるっと正しい必要ってもともとそんなにないんじゃねえのとは思うし、例えば昔の漫画や小説やが現代のポリティカルコレクトネス的に正しくなくっても当時はそれが許されてたって現実も含めてそのまま表記してますんでそれ踏まえて読んで感じてくださいねってノリで通用してるのと同様にそもそも創作物と現実との関係とか距離感というのはそういうものですよって共通認識がもっと育てばいいだけの話じゃねえのって気もします。ただ一方で松本人志の言ってた「親の影響力」はまず間違いなく相対的に弱くなってきてます。親に限らず、生身の人間がコンテンツに対抗して他者に与えられる影響力っていうのはみんなスマホを覗きこむ現代においては昔以上に弱くなっているとは思います。見たいものだけ見て、見たくないものを拒絶するのに都合の良い環境への最適化は留まるところを知らず今一層なお進行中で、歴史上最高潮に隣人がアンコントローラブルな現在です。そういった流れに対する漠然とした危機感みたいなものが過剰な表現規制を求めたりとかポリティカルコレクトネス的に正しい物語が求められたりみたいな現象を生んでるんだろうなとかは思いますよね。
しかし、じゃあ、隣人がコントローラブルだった昔の方が良かったかと言えたぶんそんなことないだろうし、その時にはその時の現実の息苦しさがあっただろうし何よりその息苦しさと最前線で闘ってたのが漫画とか創作だったんだろうし、じゃあまあ今だってあの頃となんも変わらずそうやって綱引きしてるだけで健全なのさって思ってしまえばそんな気もしてくるし、そりゃあ旗色は昔とはずいぶん様変わりしたかもしれないけれどだからってこれまでさんざ綱引きしながらノロノロと歩みを進めてきたのに今更その綱をぶった切ろうなんて話だけは双方勘弁してくださいねってだけで、それ以外の部分ではこれまでどおり赤勝て白勝てと騒ぎ立てるのがよろしいような気がします。
だからまー、「大人気漫画なんだから影響考えて配慮しろよ」も「どこがおかしいの?全然問題ないと思うけど」も極端だと思うんで、ちゃんと綱引きして、10年後20年後に「この漫画まだ70巻くらいまでしか出てなかった頃、結構揉めたらしいよ」「あーまーその時代だったら過渡期だしそういう話題も出るのかー」とか言ってられるようになるといいですね、みたいな。そんな感じです。
実際のワンピースの作中の表現については、とりあえず「オカマ<でも>良い奴<だから>許す」みたいな演出はアレ一番糞だからやめとけよ性格悪いオカマはどうすんだよってのと、ワンピースは島ごとに文化が異なる「異文化交流」の話でもあるわけだけどその観点からカマバッカ王国を考えるにLGBTは個性であって異文化と捉えるのは完全に間違ってるけれども「オネエ」は文化と言えないこともないのかなぁどうかなぁ、とかそのオカマの番長みたいな奴が革命軍の幹部であるあたり色々わざとやってることは間違いないわけで、今後奇形でもなく奇抜な恰好もしていない普通の同性愛者が出てきてそれに対して奇抜な奇形のオカマが「あなたはそのままでいい」みたいなことを言って闘う可能性が0.2%くらい無いかなぁと妄想したり、それはまだ妄想できるけど男女観についてはまぁ1ミリも期待してないです、どうもうちの尾田が本当にすいませんなど色々思うところあるのですが、今からその話始めるとめちゃ長くなって散らかるんでそれはまた今度気が向いた時にします。以上です。