もしもカツオがワカメのスクール水着をこっそり着ていたとしたら。
表題「カツオのフェティシズム」
まず最初にそれを見つけたサザエが発狂します。
サザエ「カツオあんた何考えてるのよこの変態!」
何の躊躇いもなく全力で発狂するので事の次第は家族全員の知るところとなります。
フネは多少の戸惑いを覚えながらもショックを受けたワカメの傍にいることを第一優先にします。
タラオ「カツオ兄ちゃん、泳ぎに行くですかー?」うっさいタラオ黙れ。
波平「ばっかもーーーーーーん!!!!」
久方ぶりに物置に閉じ込められたカツオ、ところで昔はカツオが物置によく閉じ込められていた気がするのですが最近は見かけません。僕の記憶違いか、いや虐待っしょってことで最近はやらなくなったのか誰か教えてください。
物置に閉じ込められてグスグスと泣くカツオのところにやってくるマスオさん。
「いや~、コッテリ絞られたみたいだねぇ、カツオくん。スク水とは、カツオくんもなかなかやるじゃないか。でも、ワカメちゃんの水着を拝借するのは頂けないな~」
サザエには内緒にしてくれよと言いながら自身の昔の体験をカツオに話してやるマスオ。
一方その頃、女性陣。
フネに抱きつきエンエンと泣くワカメ。
サザエ「ゆっるせないわー。カツオのやつ、まったく汚らわしい~」
フネ「まぁ、男の子は色々あるからねぇ。お父さんとマスオさんに任せましょう」
サザエ「他にもきっと何かあるはずよ~、私ちょっと見てくる!」
タラオ「僕も海行きたいです~」うっさいタラオ黙れ。
ここからサザエがカツオの部屋を物色してもっとエグい展開にすることも可能ですが、それもめんどくさいのでティッシュの塊だと思ったらタマだったみたいな微笑ましいギャグで物色のシーンは終わりにしましょう。
マスオのお陰で反省はしながらも自己嫌悪が行き過ぎずに済んだカツオ。
この後、安易にカツオがワカメに謝るシーンを挟むと、波平やフネが「ワカメ、カツオもちゃんと謝ったんだから許してあげなさい」オーラを発して、ワカメ視点でエグい感じになる気もするので注意が必要です。
サザエさんは首尾一貫して怒っていてくれるので、それがワカメにとってせめてもの救いになればいいのだけれど。
その後もカツオは「オナニー?まぁ週に1回くらいかな」という中島の大嘘を真に受けて再び悩んだりもしますが、それも波平と一緒に入ったお風呂の会話で解決します。
波平「うおっほん、まぁ、減るものでもないから構わんが、あくまでホドホドにな。勉強もしっかりするように。」
カツオ「ほんとー?ありがとう父さん!」
波平「まぁ、床オナだけはあまりしないように。あれは、ある意味では本当に減るからな」
こうして、なんやかんやカツオは自分の性的欲求と向き合い始めたのでした。
オチは、道を歩いていたら打ち水を浴びせられてシャツが透け、ブラジャーをしてるのがバレるノリスケです。
とまぁ、こうしてこの回は終わりを迎えるわけですが、別に一概に現代の基本となっている少数編成の核家族はもうダメだ、ということを言いたいわけではなく。
何か問題が発生して、傷つけた人、傷つけられた人、許せる人、許せない人が入り乱れている時、それを乗り越えるには「物語」が必要だということです。そして、多人数編成のほうが「物語」になりやすいというのは、それは確かにそうなのかもしれません。
核家族で登場人物が少なかろうと何だろうと、それを乗り越えるための「物語」を紡がなくてはなりません。
少数でそれを紡ぐためには他の物語に触れてみるだとか、外部から新しい登場人物を調達してくるだとか工夫と努力を怠ってはいけないのはもちろんですが、登場人物に唐突な役割変更を求めるのはなかなかに酷で、歪な気がします。変わるとするならば、物語の中で自ずから変わっていくのが望ましい。
というか僕らはいつだってそうして変わってきたし、そうして変わるほかになかったはずじゃありませんか。
だから、僕は、別に冒頭の3つの記事のどれが正しくてどれが間違ってるとかそういうことじゃなくて、そういう論点で話すしかないからそうしているだけの言わばプロレスで、そういう色々をひっくるめて眺めて摂取することで何かしら自ずから変われていくような、そういうのが望ましいなぁと考えます。
あと、これは全くの余談なんですけどサザエはカツオとワカメの年齢がある程度上がってきたら割りとなんの躊躇もなくマスオさんとの夜の生活の話とかを言ってきたりするのでカツオとワカメの方がそういう話題を全力で避けそう。以上です。