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今のうちにエボラの話しとく

以下エボラの話をするんですけど、不安を煽られると増幅して平静を乱されるタイプだという自覚がある人は読まなくてもいいかもしれないやつです。

 

磯野家が海外のエボラニュースにビビる回とか超観たい。電車の中でノリスケの吐瀉物を浴びたマスオが実はこっそり持ち歩いてたステテコとタンクトップに着替えてゴミ袋にスーツ詰め込んで帰ってきたりとかするんだよね。で、そのスーツを埋める穴をカツオが掘ってる間にマスオがカツオの宿題をねじりハチマキでこなすみたいな。結論から先に言っちゃうと結局ノリスケさんは昼に食ったカキフライに当たってただけだったんだけど、タイコさんもビビっちゃってノリスケさんの看病は全部トングで対応するようになってるから。両手にトング持って器用にタオルをギュッと絞ってノリスケさんの頭の上に乗せたりとかしてね。全快して出社するノリスケさんのネクタイをトングで結んであげるのがその回のオチなんですけど。その回のイクラは全編通してタイコさんなりの衛生的配慮から全身粗塩を塗りたくったパンツ一丁の姿で登場するんですけど、後に食玩のフィギュアになるっていう。サザエさんパイみたいなお菓子なんですけど。サザエさんの顔の源氏パイ

とか、何の話するにしてもややふざけつつじゃないと喋れないタイプの人だから俺は、本当にヤバくなる前にやっとこうかなみたいな。いやもう外国ではバンバン死んでるわけなので現段階でふざけるのダメっちゃダメなんだけど。今回これ割りとマジでビビってて。みんなどれくらいビビってるのかが全然わからないのがすげえ気持ち悪いんですよ。「う~わ死にたくね~」っていう実感をここ一週間くらいですごく実感を伴って得ている。俺死にたくね~わ~ってことを再認識している。この俺の死にたくない感じがどれくらい大袈裟なのかも全然わからない感じなわけじゃないですか。俺だけがこの感じを持っててもじゃあ引きこもるのかっていう極端な話にしかならないわけで、それもな~と思うんだけど、他の人がどう思ってるのか分からないから。それじゃ困るんだよみたいな、修学旅行の夜に語らった「ひみつ」の定義が曖昧すぎるみたいな、お前何俺の淡い恋心をフックに女子と喋ってんだよみたいな裏切りがあるわけじゃないですか。俺が俺だけがこの死にたくない気持ちを抱きしめても他のやつがそうじゃなけりゃ意味ないんだよなっていう、まぁ「俺と同じことをみんなが考えてるわけではない」っていう普遍のやつなんですけど、伝染病って結構それがダイレクトに来るな、キツいな。みたいなことを最近は頭の片隅で考えるわけです。

例えば、ここ数週間で俺に起こった変化としては、電車に乗った時に席に座らなくなったんですよね。別にそれはそのぶん爺さん婆さん座ってくれとかいう優しいやつじゃなくて、全然関係ないけど何回もこのブログで話してるような気がするけど、席譲るのはいいんだけどホームで並んでる時に横入りしてるジジイババアがたまにいるんだけどアレって文句言ったらダメなの?いや、譲るよ。席とか全然譲るけどさ、並んでるところに横入りするのは全然違う話じゃないの。例えば1000円分のクオカードを持ってコンビニに入るじゃん、それがお年寄りの特権だよ、1000円分のクオカードをお年寄りは一律に配られるわけだけれども、だからって冷蔵コーナーからおもむろに発泡酒を取り出してその場でプルタブ開けてグビリとやるのは許されるかっていうと許されないでしょ。まずレジを通せよって話になると思うんですけど、同様に席を譲るか譲らないかは別問題として当たり前みたいな顔で横入りする老人を見るとイラッとするんですけどめちゃめちゃ横道に逸れました。最近、電車で座りたくないなぁと思うようになったのはこれは単純にエボラのことを考えると、体調も把握できない赤の他人の口が俺の頭より高いところにあるのが落ち着かないからなんですよね。幸か不幸かエボラってのは空気感染はしないとのことですから、血と吐瀉物と便に気をつければ自分が喰らうことはないんですって。そういうわけなので、億億万が一目の前の他人がゲロ吐いてそれを俺が目や鼻や口などウイルスを取り込みそうなところから浴びて、さよならだけが人生さとなってしまっては目が当てられないので、それだけの理由で先週くらいから電車で座るのはヤメにしました。ここらへんの感じが心配性すぎるのかどうなのかがよくわからない。俺の中ではそんな大したことじゃなくて、電車で立っておくのなんてそんな大したことじゃないから、じゃあ億億万が一のリスクを考えれば座るリターンを放棄した方がよっぽどいいだろうみたいなそれくらいの感じなんですけど。

エボラがすっげヤダなぁって思うところの理由の一つとして、この感染の仕方の個人の対応次第でとりあえずしばらくのあいだ俺だけは何とかなりそうな感じがあるよなぁとは思いますね。それこそ空気感染とかだったらもう仕方ねえなってなると思うんですよ。人で溢れ返る都市部に住んでて、空気感染となったらもうどうしようもねえやって開き直って、頼りになるんかならんのかわからんマスクでもして普通に街に出ると思うんですけど。血だの吐瀉物だの便だの、そういう明らかなやつでしか伝染しないとなると、俄然努力次第で何とかなるような気がしてきますよね。これがなんかむしろ厄介だな~と思ってて、マクロの視点ではなんとなくバタバタ死ぬって感じなんでしょうけど、ミクロで考えると感染する人ってみんな「あー!あん時のアレやー!」って心当たりが全然思い当たるような感染経路しかエボラにはないわけですよ。そうなると、もう俺は絶対、エボラで死にたくないなと思って。死んでも死にきれないとはまさにこのことだろうと思うわけですよ。「あの時ああしていれば死ななくて済んだんじゃないか」みたいなことを割りと鮮明に考えられるよな、エボラ、とか思うわけですよ。それは御免だなと思って。なので今後どうなるか分からんにしても思いつく限りの過剰じゃない警戒はしときたいなと思っちゃってまして、それはたぶん死なないための警戒じゃなくて万が一死ぬことになった時に「仕方なかったかな」と思いたいみたいなんが強いんかなと思います。そういう意味では感染しちゃった医療従事者でも何でもない人を馬鹿めがとかは全く思いませんけど、俺はなんか合ってるんか知らんけど聞きかじってる範囲で、対策できる部分にはしておこうみたいなんが今の時点ですげえある。それが良いことなのかは全然わからないけどね。だからまーとりあえず、人の吐瀉物を不意に浴びないように、とりわけ顔は粘膜的なものが大変豊富だから、他人の口より高いところに顔があるように心がけたいよね。牛乳飲もう牛乳飲もう。

みたいなここまでの一連の話が大袈裟な話なのは現状間違いないんだろうけど、それくらいでいいんじゃねえかなーと思ってて、でもこれ絶対大袈裟な馬鹿話にしからないじゃん現状。いざ日本にやってきたらみんな気持ち悪いくらいビビるんだろとか思ってそれもむかつくんですけど。先駆けて、過不足なくビビれよ、とむかつくんでしょうけど。マラソン大会の時も一緒に過不足なくビビろうねって言ったじゃんみたいな。そういう対岸の火事のノリのところにマジでエボラ来られたら結構ひとたまりもねえぞってのは本気で思ってて、13歳の時に味わったノストラダムスより俺はよっぽど怖いなーと思ってるんだけれども。まぁ何もないと良いんですけど、どうなるんですかね。以上です。