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20150402

先日エントリにも書いた月9『デート』を観終わって二人で話していたのだけれども嫁は割りにスピリチュアルなところがあって、「運命の相手」なんてものも案外マジメに信じているようだ。それに対して僕はそういうものまるで信じていなくて、特にそのなんだ人生の伴侶とかそういう範疇の話で言えばかなり極端にやってやれないこともないと思っていて10人中9人とは生涯を共にしようとしてできないこともないだろうと本気で思っている。まぁ、僕の方がそう思っているだけで向こうの都合は10人いれば10人にそれぞれ都度都度聞いていくほかないので「僕は惚れっぽくて愛想を尽かされるまではなかなか愛想を尽かしませんよ」ってだけの話とも言えるのだけど、まぁそんな風に考えて憚らないので彼女はやっぱり良い気がしないようだ。私じゃなくても良かったのねみたいな口を利かれるわけだ。そうだね、きっと君じゃなくてもよかったのだろうけど。お母さんの股からオギャーっと出てきたその瞬間、僕は世界中の誰とだって愛し合える可能性を孕んでいた。しかしやがて君と出会い、君と一緒にいるために僕はそういう形の僕になった。人は誰もどう控えめに言ったって10人中9人とはうまくやれるほどの可能性を秘めているというのに、誰かと出会い、恋をして、その人をもっと愛するためにその人を愛するための形を探して自分の可能性を狭めていって、すっかりあなた以外考えられない僕になる。「運命の相手」なんかより僕はそっちの方がよっぽどロマンチックだと思うんだけど。話してみてもリアクションはあまり芳しくない。

最近、なんだか誰かと誰かが一緒になるだとかなんだとかの話が多くて、みんなそれぞれにピッタリ愛し合う形が見つかるといいね、と思っている。以上です。