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今はもう執着なんかなくてもお手軽に言及できる時代のはずなのだけど

読みましたー。

雑な要約をすると、このエントリの筆者は女性差別うんぬんの話題について言及するエントリをたびたび書いているのだけれどそれを「女性差別の問題に強い関心を持つそういう類の人の言うことにゃ」という風に読まれるのは本意ではなく「ふうん、ふつうに生きてるふつうの女性はこんなことを考えていたりもするのだなぁ」という風に読まれたいのだけれども、いつもその方面の話をしているとどうしても前者のような姿勢で読まれてしまうのでなかなか難しいよね、というような話を5000字ほどかけて書いている*1

それで思い出したのは、僕はテレビゲームがまあまあ得意なのだけれども、学生の頃みんなで集まってゲームをやって対人戦などでみんなをボコボコにしているとしばしば僕がものすごくゲームが好きでゲームにとんでもない時間を割いて修練を重ねていてゲームに並々ならぬプライドを持っている人格だと見做されるということがあった。それはなんだか僕には不本意であった。そりゃあ、世の中にはゲームのコントローラーをろくすっぽ握ったことがない人も少なくないそうなのでそういう人らに比べりゃ人生の中でゲームに費やした時間は多い方なのかもしれないが、別にそんな大したもんでもないだろうと自分では思っている。

例えば体育の時間にやたら活躍する帰宅部みたいな奴らが世の中にはいるわけだが、彼らが球技大会のサッカーでどれだけたくさんの得点に絡んだところで「彼は運動神経に並々ならぬプライドを持ち、スポーツにとんでもない情熱を注いでいる」とは見做されない。が、それとさして変わらない程度のことをやっているだけで違うジャンルでは「あいつの執着は只事ではない」と思われることがあったりする。この差っていったいなんなんだろう。

件のエントリの人の悩み事(?)も同じ類のことだよなぁと僕は読んでいて思い、難しい顔を作った。具体的には眉間に皺を寄せ、口を尖らせた。誰に見られているでもないのに。

そりゃあ別にこれだけ多様な娯楽に溢れて各自好きなように何をしたっていい状況下で、また誰しもが一日24時間の有限な時間をどうリソース分配するかの選択を否応なしに迫られているという中で、わざわざキーボードをペチペチ叩くのがある種の変わり者であることには違いがないのかもしれない。ただ、それが苦ではない人にとっては本当に普通のことなのだ。今、貴方が読んでいるこの文章だって、「さて家事も終わって風呂にも入って後は寝るだけだけどどうしよっかな、DVDレンタルしてきた映画でも観よっかな、でも今日は疲れたので2時間起きてられるか怪しいし、じゃあ軽くブログでも書こっかな」のテンションで書かれている。また、前回エントリでは20年前に観たのが最後のアンパンマンについて3800字ほどの言及を「なんか今書けそうだから」という理由で行っている。その程度の、茶を沸かすテンションで文章を書く人も世の中にはいるのだ。内容が有益が無益かは知らん。しかし、まぁとりあえず書くだけならそんな風に別にさしたる執着が無くとも普通にテレビを観るようにゲームをするようにスポッチャでリフレッシュするように書く人っていうのはいるのだ。

少なくとも僕はそうで、件のエントリの人もそうなのかなと僕は勝手に思っている。すごく頑張って書いていたのならごめんなさい。

それで、まあ自分はそういう風にどうでもいいことだとか大変なことだとかに都度都度首を突っ込んでなんだかたくさん読みにくい文章を書く人と思われるに吝かではないので良いのだけれど、「ふつうの人のふつうの意見」を発信したい人にとっては、これはなかなか悩ましい問題なのではないかと思うのだ。

ここまで述べてきたとおり、別に文章を書くのって、きっと人によってはそんなに大変なことではない。それを言い出したらカナヅチの僕だけど、泳げる奴らが全員血の滲む努力をしているとは到底思えない。どうしても泳げなければならない執念があったのだとは思わない。俺はたぶんそれこそ切腹を迫られない限りバタフライを習得できないと思うけれども、バタフライできる奴らが切腹を迫られたのだなとは考えない。きっと彼らはふつうにバタフライしてるのだ。

昔だったら、HTMLを勉強したりとかプロバイダーの手続きがなんだとか、色々めんどくさいのかもしれないけれど、今はそんなこともないじゃないですか。テキトーにちゃちゃっと登録して、あとはババッと文字を打って、ワールドワイドウェブに公開するのなんてすごくお手軽なことなんですよ。文章を書くってことさえできるなら、そこには執着なんて不要でさらっと言及できる時代なはずなんですよ。そういう「ふつうの意見」が、「私には書けないくらいの文字数」で目の前に出現しただけで、「これは特別な執着を持ったふつうじゃない人の意見なのだ」と受け止められるのであれば、それは悲しいよなぁとか思うのです。

実際、この感じをどうにかする対処法は現状あんまり思いつかなくて、アンパンマンの話を3800字したりとか、そういう風に「全体として薄める」くらいしか方法は思いつかなくて、ただそういうある種の誤解を解くためにこっちが更に薄める労力を使わなきゃいけないのみたいなムカつきもありますけど、件のエントリも後半3000字は全然別の話するという趣向で実践してたんですけどそれもちょっとジェンダーに関わる話で、「そこはもうちょっと我慢して離れようよ(笑)」と笑いましたけれども、そういう風に【いっつもあの話をしてマジメに怒ってる人】から離れようとするしかないのかなぁ。ここらへんは僕自身まだまだ考え中です。とりあえず僕が言いたいのは、お前らが別にお腹空いてないけどじゃがりこあったら食べるように、別にふつうに文章書く人っているんだよということです。以上です。

 

 

あと、余談ですが、なんかこんな話、前にしてた気がするなと思って調べたらちょうど去年くらいに全く同じ話をしていた。

当時は「心配しすぎ」とか言われてましたが、僕ことズイショというアカウントが別にどう思われようと自己責任なのでいいんですが、今回取り上げたような話でいうと「執着がある人の話題なんだな」と受け取られる残念さみたいなのはやっぱり心配したりもったいながっていいんじゃないかなぁとか思うんですけどね。以上です。

*1:自分の書く志向性が狭まる話は今回ややこしいので置いておきますね