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他人の不快を忖度するのはとてもめんどくさい

そういやブログ最近書いてないなと思ってとりあえずエディタ開いたんですけど、アレですね。冬将軍が来ましたね。俺はあたたかいので家の中でも靴下とか履いといた方がいい、ということを知りました。この冬。あと掛け布団の上に毛布掛けたほうがあたたかいっていうライフハックが意外と我が家で定着しました。


このまま別にお前に言われなくても知ってるよ、犯人は美樹本なんだろレベルのつまんない冬を過ごす知恵を披露し続けても別にいいんですけど、そういえばこの前全然本文と関係ないところで俺の名前が出てたアレの話しようと思って今もっかい見に行ったらその下りガッツリ削られてて別にいいんだけどなんか今すごい恥ずかしい。クラスの女子に立ち漕ぎ見られたみたいな感じになってる。

で、何せ師走で選挙もあってそれじゃなくても生き馬の目を抜くスピードで馬鹿がはしゃぎまくって僕らを楽しませてくれる昨今なのですっかり旬を過ぎた話題なんですけど、この数年の間にジャポニカ学習帳から昆虫の表紙が使われなくなったんですよーって話題がありまして。一応あらましを書きますと、ただ俺がこれからする話って起こったことに対してどーのこーのじゃなくて色んなたらればにどーのこーのどーのこーの言うだけなんで俺が見た範囲のすごい好い加減なあらましなので信用しないで興味ある人はちゃんと自分で調べてねくらいの感じなんですけど、ジャポニカ学習帳といえば俺が子供の頃からある学習ノートで表紙が珍しい昆虫とか珍しい植物とかの写真になってるわけですよ。結構なロングセラー商品だったわけですけどここ何年だか親とか教師から「昆虫の表紙気持ち悪いよ」みたいな声があったらしくて、それを受けてジャポニカ学習帳を作ってる株式会社ジャポニカは昆虫の表紙を止めにして今は植物が表紙のものしか出回ってないって話らしいです。あれ、ジャポニカって前株だっけな、後株だっけな、と思ってググったらショウワノート株式会社でした。大変失礼しました。これも何かの縁なので株式会社ジャポニカのホームページもついでに紹介しておきますね。

毛皮リフォーム、毛皮リメイク、高級婦人服アパレルメーカー株式会社ジャポニカ

エレガンス。

で、ジャポニカ学習帳の話に戻るんですけど、たぶん「株式会社ジャポニカのみんなで話し合った結果、まぁ昆虫で買わない層困る層はいても、植物なら絶対に買わないぞって層はいないだろ」っていう結論になったと思うんですよ、イカつい毛皮をばほっと羽織ってシャム猫抱いた経営陣が膝突き詰めてそういう結論を出したっていうそれだけの話だとは思うんですね。だけれども見え方としては「一部の人間が不快だからって理由で追い込みかけて昆虫表紙を排除しやがった」みたいな話になってそれってどうなのよみたいな声が上がって盛り上がったみたいなそんな話だと思うんですけど。表現の自由が脅かされてうんたらみたいな話があるんで、こういう話題は割とみんなセンシティブでカッてなりやすいところはあるよね。でもまぁ商売なんてトータルで見て得する方に動くんだからそれはちょっと違う話だろみたいなことはよくあるよね。以前にどこだかのコンビニがフォアグラ弁当を出してみたら一部の人がすげえ抗議して、お前フォアグラって石田徹也を地で行く感じでアヒル育てるんだぞつって、あの牛丼屋の店員がサラリーマンの口にノズル突っ込んでガソリン注ぐあの感じを本当にやっちゃっててすげえ残酷なんだぞつって声を上げたら販売中止になっちゃって、今度は販売中止になったことに対して「一部の声がフォアグラを排除した!」みたいな感じで怒る人が出てきちゃってみたいなやつあったじゃないですか。あれをちょっと思い出した。販売中止に怒った人の中でフォアグラ弁当食ったやつどれだけいるんだよって思ったんですけど、あんまいなさそうだから販売中止になったんじゃねえの、と思って。ラブホテルが「そういう需要もあるかも!」って思いついて「SM部屋あります!」って看板をでかでかと出してみたら「SMとか不潔!気持ち悪い!」って騒ぐ奴がいたり「なんかここに入ったらSM癖があるカップルと思われるかも」って足が遠のく人がいたりしたけど肝心のSMルーム使ってくれるお客さんが思ったよりいなかったって話になったら、たぶんラブホテルもSM部屋アピールする看板外すと思うんで、フォアグラ弁当もジャポニカ学習帳も大体それと同じような話なんじゃねえのかなと思っている。

でまぁ、そこらへん実際何がどうでどうなったのかっていう事実に基づく経緯っていうのは実はあんまりどうでもいいんです。なぜなら俺が今からするのはシャドーボクシングだからです。たらればの話をしたいんですけど、「ジャポニカ学習帳の表紙が昆虫であるのは不快なので排除すべきだ」という声が仮にあったとして、それをふざけんなこの野郎ってあんま強く言うのもなーっていう。というのも、ことジャポニカ学習帳に関しては義務教育の場でも登場するような代物なわけで、否が応でも目に入るものなわけで、そういう性質のものであるならば「一部の声」を「一部の声」と割り切って切り捨てるのもどうなのって話で。特に快・不快に関しては自分のことじゃないので分からないじゃないですか、自分にはわからない他人の感覚を自分の尺度で軽んじるっていうのは良くないですよね。例えばこれジャポニカの表紙が斜め上45度から撮ったかっちょいいカブトムシじゃなくて、ガラスの上にいるカブトムシを裏から撮った腹の写真だったらどうなるんでしょうか。たぶん「不快なのでやめてくれ」って思う人の数は増えると思うんですよね、だからジャポニカも裏から撮った写真は表紙に使わなかったんだと思います。でもあくまで株式会社ジャポニカは「なるだけ多くの人に受け容れられる方向に舵を取ってる」だけで、それがいわゆる社会的に?道徳的に?正しい方向なのか正しくない方向なのかとは全然関係ないところの話であることを忘れてはいけません。だって、そこをゴッチャにしてしまって「昆虫の裏はみんな不快に決まってるから当然ダメだけど、表だったら大抵の人は大丈夫だからダメじゃないだろむしろダメって言うやつがダメだ」ってしてしまうと要するに「多数決でごく少数派になった奴は不快を我慢しろ」っていう明らかにヤバい話になってくるじゃないですか。もしかしたら不快な人にとっては昆虫の表も我々にとっての裏と同じくらい不快なのかもしれないじゃないですか。学校が昆虫の表紙のノートを指定してくるケースだってあるでしょうし、指定されないにしてもノート売り場に行ったら問答無用で昆虫の表紙が平積みされてるし、教室に行けばクラスメイトが無遠慮に机の上に置いてるのかもしれない、それってキツい人にとっては結構キツいんじゃないかなとは思うんですよね。昆虫の裏が表紙でこの状況だったら結構みんなイヤじゃない? 昆虫じゃなくてもいいし、たとえば僕はカエルが兎に角大嫌いで、今こうやって文字で打つだけで心拍数が跳ね上がるくらい嫌いなんですけど、カエルが表紙だったらかなりキツいな、と思います。ノート売り場も近づきません。お母さんに買ってきてもらいますわ。小学生にとっての学習ノートとなると自分は使わないにしたって「嫌でも目に入ってくる」ラインになってくるじゃないですか。どうせ見ないからYoutubeで勝手にやってくれてる分には全然構わなかったんですけど、地下鉄にポスター貼られたりGoogleAdsenseで表示されるようになってくると俄然HIKAKINとマックス村井勘弁してくれよってなるじゃないですか、文句の一つも言わせてくれよってなるわけじゃないですか。親や教師の声が、って書かれ方だったとしてもそういう風にジャポニカ勘弁してくれよって子供はたぶんいないことはないんだろうなと思うわけです。それに「これくらいのことでガタガタ言うな、大多数の人は平気なんだ」って声高に言っちゃうのは違うんじゃねえかなっていう。もちろん「そんなんじゃ将来一人暮らしでゴキブリ出た時どうするんだ甘えんな」みたいなのも一理あるとは思うんですけど、そこ克服する訓練を学校で半ば強制的にやらせるのはやっぱり筋違いでしょ、牛乳飲むまで昼休みねーからと同じノリじゃないですかそれは。芋虫食う派がマジョリティになったら給食で出てくるけどいいのか、俺はやだぞ、みたいな。「なのでジャポニカ学習帳から昆虫が消えるのは妥当」とか言いたいわけではなく、あんまそこを歯切れよく「昆虫が消えるのは不当!」と言ってしまうのは結構危なっかしいんじゃねえかなぁと思いました。

もちろんスズコさんが言ってるように、「なんか俺の不快なものが文句言ったらなくなった」って経験自体が危ういってのはあるよね「色々考えた結果妥当だから」の部分をすっ飛ばして「不快なものは文句言えばなくなる」という部分だけ覚えられちゃうと非常に面倒だし、そこで味を占めた輩にここまで書いてきたような忖度をいちいちしていては付け上がるだけでキリがないし、都度都度判断していくしかないわけですけど、都度都度判断するのってめんどくさいよなーって思いました。あと「ジャポニカの表紙が○○だったら」みたいなひどいシモネタ挟むのを当初予定してたんですけど、機を逸したまま最後まで来てしまいました。よかったです。以上です。