いや、まじで朝ドラ観るのが久しぶりで、マナカナが将棋の駒を握って上級生ぶん殴ってたやつ以来くらいなんですけども。いや、マナカナはふたりっこでそんなことしてなかったけどね。これはキッズ・ウォーの井上真央とゴッチャになってますわ。いや、井上真央もそんな戦況をガラッと変えるようなイカつい暴力振るってなかったですけれども。とにかく僕は朝ドラ見慣れてないなか『花子とアン』を観てたわけですけど、まー普通に面白かったんじゃないのかなぁとか思ってますけどね。もちろん時代考証がむちゃくちゃとか、史実と全然ちゃうやんけみたいな話があるのはわかるんですけど、あと脳がちぢれて頭皮から突き出てる奇形の大根が終盤すごかったとか色々あるんですけど、そういう色々を差っ引けば、僕は割りと意味わかるドラマだったなーとか思ってるんですよね。合ってるんか知りませんけどね。
『花子とアン』に一貫して流れてたなーと思うテーマとしては「話し合えば現場ベースではなんとかなる」みたいな話だったんだと思うんですよね。例えば花子の実家でもみんなバラバラなわけですよ、兄ちゃんは勉強もせんとノリで軍人になって、花子は女学校に行って、その下の妹たちは百姓の娘なりの道を進んでいって、その中で喧嘩したり互いに不満を持ったりしながら各々が自分の想像できる範囲で忖度し合うみたいな、そういう物語内ルールがなんだかんだ徹底してたよなっていうのはとても良いことだと思うんですよね。それは蓮子さん周辺でもそうで、蓮子さんが教養あるからと言って高度に理知的で正しい判断ができるのかというと別に全くもってそんなことなくて、基本的に馬鹿丸出しなわけですよ。そういう学があるかないか優劣がどうのみたいな話ではまったくなくて、ただ各々が同じ大地に生きて違う地平線を見ている、どうも違う地平線を見ている他者との折り合いをどうつけていくのかっていう一つの命題を激動の時代とともに延々繰り返す、それだけしかやってないそれだけでそこそこ面白いドラマだったんじゃないかなーってのが僕の感想です。特に、花子のすぐ下の妹のカヨちゃんが戦時中は割りと花子さんとも対立してて国のスタンスに迎合していて英語なんて庇ってんじゃねえよってスタンスだったにも関わらず戦争が終わった直後はホットケーキが焼けたみたいな顔で花子の蔵書が残ってたのに良かったねっていうシーンは真っこと分かりやすくて最高でした。みんなそんなところあるよね。前の日怒ってて次の日許してるみたいな。それを「どういうキャラなんだ、こいつの信念はなんだ」と怒る人もいるんだろうなとは思うんですけど、まぁ往々にしてそういうもんじゃねえの、ってのが僕の感想で、そりゃあ文句がないことはないけれども僕には自然な話運びに思えました。僕がこの朝ドラのノリをあんま分かってないのもあるんでしょうけれども、こういう学力にしても文化の差にしてもテンでバラバラなのが当たり前の一億総中流時代でもないこの時代においては、こういう個人個人が脳から汗流して作る合意形成で自分の目に見える世界を良くしてやろうってノリがあったんだろうねみたいな、そういうノリは絶対良いもんだよなぁ~とかは思ってしまうんですよね。花子とエイジさんの結婚式で、キリスト教の結婚式の形式的な問いかけに思い思いの理由で反対してなんだかんだみんな賛成になる流れとか、あれって馬鹿馬鹿しかろうと良かったシーンだとなーと思うんです。茂木は頭をまるめろ。
で、10年来ぶりに見た朝ドラ『花子とアン』が面白かったけれどももういいだろと思ってたら、次のやつも面白そうだと嫁の食指が動きまして(そもそも『花子とアン』も世界名作劇場好きの嫁が観たいと言い出して観出してた)、引き続き『マッサン』も観始めております。
まぁまだ始まったばっかなんでよく分かんないんですけど、観ててすごい良いなと思うのは、この主役の夫婦、別に接点というか運命みたいなものが全くないんですよね。なんつーか、「ウマが合う」というその一点で惹かれ合って、その一点を理由に何もかもを乗り越えるバイタリティを発揮するみたいなそういう話に思える。だって、なぜ愛し合うに至ったかのそれらしい描写がねえんだもん。実際のモデルの人らに何があったのかは知らないけれども全くないんだもん。別にそれが悪いことはなくてね、「ウマが合う」という大変些末な理由でどこでまでもこの夫婦が週6で前進するのであれば、そんな面白いことはないだろうみたいな。あー朝ドラはそういう作り方してるんだなーみたいな。なんかそういう面白さは見出しながら録り溜めしています。いや、悪口は言おうと思えば全然言えるんだけど寛大に観てますみたいな。あの、本来の白人であれば絶対ぶっちゅーってキスするやろみたいなところでハグしかしない感じ、あれはめちゃめちゃ気持ち悪いな、イーッ!!ってなりながら観てますけどね。以上です。