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主観的善は急げ

僕は自分に甘く他人にも甘い人間なので大抵のコミュニケーションエラーについては「二人の失敗」と考えるようにしていて、つまり「俺が全面的に悪かった」と謝ることがごくごく稀な傲慢な人間だ。そして、年齢が増すにつれ「俺が全面的に悪かった」と感じるケースは減る一方なのでこれは自分が成長しているのかおっさんに近づいてますます頑固に傲慢になっているのか主観的には区別がつかず目隠ししながらあんよが上手、あんよが上手、ってしているような状態で、これ豆知識なんだけど口に咥えこむボールギャグの中にサクマドロップを2個3個入れておくと良い香り。ボールギャグまでしてんだ。それ俺が知ってるあんよが上手、あんよが上手じゃなかったわ、目隠ししてるのも布だと思ってたけどボールギャグしてんだったら絶対に革じゃん。ほんで、サクマドロップのついでに先っぽを型結びにした毛糸もひとつボールギャグの中に入れといて、ボールギャグの穴の一つからテレテレーって毛糸が地面まで垂れてて、背中を鞭でバンバン叩かれてたらサクマドロップの糖を含んだ唾液が毛糸をツツツーっと伝って染み込んでいって、やがて蟻が寄ってくるのね。で、蟻が口の中に入ってきてモゴーッ!モゴーッ!って叫んでたら、その嬌声にテンション上がっちゃった女王様がより一層力強く鞭をバチーンって打ち込んできて「蟻を集めてそんなに興奮してるのかい?とんだアブラムシ野郎だね!このド変態が!」バチーン!!なんつってね、その女王様はテントウムシのコスプレしてるんですけどね。基本はあのオーソドックスな赤いナナツボシテントウムシを基調にしてるんですけど、ストッキングだけ橙色に黒の水玉のニジュウボシテントウムシなのがこれまた堪らないんですけども。この話、農作物育てるうえでお馴染みの害虫・アブラムシは糖を含む液を体内で生成してアリを集めてアリに自分の身を守ってもらう習性があるんだけどテントウムシが天敵、っていうトリビアが下敷きになってるんですけどみんなついてこれてる? ついてこれてなくて全然いいよ。別に具体的にどう失敗したかは全然触れないくせにやっぱ失敗した話とか恥ずかしいからこんだけ読む人をひでぇので振るいにかけたところでやっと本題を始める僕なんですけれども、先日まぁ失敗をやらかしまして、久しぶりにこれは何の弁解のしようもなく俺が悪かったなというやらかしをかましまして、「嫁を怒らせてしまった」というコミュニケーションエラーの話だったんですけれども、ただ唯一救いだったのは僕はそのやらかしをとっても良かれと思ってやっていたんですね、結果的にはそうではなかったんですけれども何の策略も他意もなく良かれと思ってやっていたので、割と嫁に対する報告が早かったんですよ。報告聞いた嫁が怒った時点で「あ、俺間違えた」ってすぐ気付いたんですけれども、何せ報告が早かったので「こういう方向でいこうと考えてるんだ」程度の段階だったので、こっちとしても意固地にならずに嫁のリアクションを見た段階で「あ、俺間違えた」って素直に思えてリカバリーを早々に決めて尾を引くことなく軌道修正することができたんですね。ただこれ、もっと遅いタイミングで発覚してたらこっちも素直に謝りにくくなっちゃって結構めんどくさかったもなー、ラッキーみたいな、そして出てくるのが掲題です。

モノゴトの本質をズバッとパキッと端的に言い表す金言というものは枚挙に暇がなさすぎてそれもう金言じゃねえだろってことが往々にしてありますけれども、何でそうなってしまうのかというとどれも適用範囲をどう設定したもんかが難しい、という問題もあると思いますので各自自己責任で持って帰ってくれればと思うんですけれども、例えば僕が嫌いな金言というのはそれこそ枚挙に暇はないですよね、一番嫌いな金言は「初志貫徹」なんですけれども初志が正しいと思い込めるその楽観的思考が俺にはわからんと思うんですけど、「善は急げ」も嫌いですね。なぜそれが善だと言い切れるのか、馬鹿がこの言葉使ってるの見かけると本当にイライラしますね、それはお前にとっては善なのかもしれないけれども傍から見たらそんなもの善でも何でもない、「善は急げ」と相性の良い言葉として「やってみなけりゃわからない」とかあると思うんですけど、「これは善なのだからとりあえずやってみよう」となるわけですけれども、やってみるまでもないことをこれは善なのだからと言ってやろうとするのはダメだろと思うんです。けれども、結局愚行の本質って「その時は何の疑いもなくそれが正しいと思っていて愚行だなどとは夢にも思わなかった」だとも思うんですね、愚行を善だと思った瞬間、他者の介在なしにそれを愚行だと認識される瞬間というものは永遠にやってこないわけです。ここでもう一つ出てくる話として、傷つくなら傷つくなりに傷は浅いに越したことはないわけですけれども、ミスの発覚は早ければ早いほど対処しやすいという性質があります。爆弾は抱え込めば抱え込むほど危うくなります。この二つの話を総合しますと、従来的な「善は急げ」とは全く別の意味合いで「善は急げ」は正しいんじゃないかという解釈に辿り付けそうな予感がしてきました。つまり、「なにかを誤って善と認識してしまった瞬間、自力でそれが善ではないということに気付くのは難しい」かつ「それが善であるという誤認を改めるなら早ければ早いほど傷が浅い」とした場合、「善は急げ(なぜならば急げば急ぐほどそれが実は善でないことが早々に露呈されるから)」となるわけです。つまり、主観的善は急げ。掲題の通りです。まぁ、人間はモノゴトの善悪についての正しい判断を理性的で知性的に振舞う努力をすることで間違いなく決断することができる、って思想の人には無用の長物だろうとは思いますが、持って帰りたい人は勝手に持って帰ってください。僕は後生ボールギャグの中にひとかけら仕込んでおこうかな、と思いました。以上です。