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家事はできる範囲で手伝います

このエントリで言いたいのはたった一つだけで、三十代半ば未婚、生まれてこの方ずっと実家暮らし、何故かどや顔で「やったことないから洗濯機の回し方とかわかれへん」とか抜かす癖に「アイロンかかってないハンカチとか俺よう使わんわ~」って言い放ってたあいつまじ今後もその調子でどんどん綺麗好き清潔感アピールしてアピールしたらアピールしただけ「うわそれアイロンかけるん絶対私やんけ」って女に思われて順調に婚期遅れろっていうそれだけで、以下は余談になります。

なんだかんだ嫁と一緒に生活し始めて結構経つらしいんだけど、結論から言うと思いのほか俺は家事をする男だったね。つっても洗濯物と皿洗いと掃除機くらいしかしてないけどね。それも習慣として身に付くまではそれなりに時間がかかったし、気分が乗らなくてサボっちゃうことだって今でもそりゃないとは言わないけど、たぶん最初の想定が全くもって役に立たないレベルだったために「思ったよりするね」って評価になっててラッキーです。もともと綺麗好きで几帳面な性格の友人なんかは結婚しても「こいつ綺麗好きなんだから掃除して当たり前」と嫁さんに思われちゃうみたいで、別にやるんだけど褒めてほしいからやるわけじゃないから掃除するんだけど何か割に合わないんだよななんて愚痴をこぼしていた。サラダ作ってもらえて当たり前だと思うなよ、と青じそドレッシングを鼻に流し込んでやったら何故か「腰が痺れる。青じそドレッシングを鼻に喰らうとなぜか腰が痺れる」とあなたが言ったから7月6日はサラダ記念日、なんて言葉もあるわけで、そいつの不満もわかるし、嫁さんの、そういうノリもまぁ分かる。結局夫婦生活ってそういう共通認識の摺合せを死ぬまで繰り返すだけなんだろうねなんて普通のアドバイスしかできないんだけれども。この記事だって、最近家事の分担の話をはてなブログでちょいちょい散見したから俺も書こーって感じで書き始めてるわけですけど、夫婦生活論?みたいな話題とかって結局その夫婦二人の間で合意が取れてたらそれで晴れ渡る青空のように十分すぎるわけでおにぎりが美味いわけで、そこの美味さを確保するのってどう公平なレギュレーションを引くかよりもなんか雰囲気的に双方不満がなければそれで良くて、万人が納得するような論理って取り立てて必要ないんだろうなと思う。おにぎりにはやっぱタコさんウィンナーかな~とか思うけど、俺が豚の腸だったらタコさんにされるのはちょっとな~(せめて腸じゃなくて豚そのものの気持ちになれや)。例えば、ウンコとしてこの世に生を受けて勝手にカレーにされて、「うわ~ウンコ味のカレーか~」とか言われても俺普通にウンコとして一生終えるつもりやったのに、勝手に調理しといて何なのみたいな。えーと、夫婦関係もそういうのが大事だと思うんですよね。ありのままに素材そのままの相手と向き合うってことですよね(0点かよ)。

話は戻って、そんな「やってもらって当たり前」という水道水みたいな評価を下されてる友人に比べると、俺はだいぶラクなスタートを切ったよね。二人で住む新居に越すまでの間は大学の近くに借りた汚いワンルームに六年間住んでて、半分ゴミ屋敷で洗濯物も畳むなんて概念がなくて部屋干ししてたのをそのまま着るのがデフォルト、皿洗いするのがめんどくさいから自炊するのがめんどくさい、よってカップ麺やらコンビニ弁当ばかり食べることになる。そしてそのゴミもそこらへんに放置。これだけ聞くと家事をする可能性が皆無じゃないですか。むしろよく結婚できたな。俺が気付いてないだけであのゴミの山の中に金塊とかあったんちゃうやろな。いや、もし本当にそうやったとしても金塊持って逃げろやって話ですけど。「こいつのゴミにはたまに金塊が紛れるから一生食いっぱぐれないぞ!」ってなるかよ。ゲーム脳か。

もうマジで一人暮らししてる時は、家事しなかったね。掃除もしなかったし洗濯も皿洗いもマジで極限までサボってた。けど、越したら思いのほか掃除も洗濯も皿洗いも苦じゃなかったね。これは自分でもビックリした。で、これなんでだろって考えて出てきたのが鳩小屋理論なわけですよ今作ったけど。鳩小屋とかね、なんぼ洗ったところで所詮鳩小屋なわけですよ。いくら武士らしく生きたところで百姓は百姓、っていうこれは俺が完全にこの前まで三谷幸喜新撰組見てたから出た喩えボケですけど、そういう超えられない壁みたいなものが世の中には、いや、各々の心の中にはあるわけですよ。それで言うと、俺がかつて住んでたワンルームは完全に鳩小屋みたいなもんで、ちょっと綺麗にしよっかなって頑張ったところで所詮鳩小屋じゃんみたいな。たぶんそういう理由で頑なに環境を改善する気がなかったんだろうな、とか今となっては思う。だから逆に言うと、ワンルームに一人で住んでてそこをこうオシャレにコーディネートして俺は鳩なんかじゃねぇ!人間なんだ!って頑張ってる人見かけるとすげぇ意識高いなすごいなとか思うもんね。絶対そこ「意識高い」ってフレーズ間違ってるだろとか分かってて言ってるけど、俺にとってはそういうことだから。こう、出身が田舎で土地は余ってて実家の部屋数は多かったから、そういう導線が意識できる家においては鳩小屋じゃねぇんだからちゃんとせなあかんよねみたいなんが俺の中に意外とあったのかもしれないよね。そういうわけで、今では洗濯と皿洗いと掃除機かけるくらいはしてる。ほかなんもしてないですけど。風呂掃除とトイレ掃除は頑なにしないのは嫁にはちょっと申し訳ないなと思いつつも、そこは鳩小屋理論が発動してるような気がします。水場なんだからちょっと汚れてて当たり前だろ、みたいなそういうのあるんで。俺より先に「これもう好い加減汚いだろ」ってアンテナがバリバリに逆立つ嫁が掃除してくれてるんだと思いますけど。

えーと、何の話してたのか忘れかけてたんですけど、そう家事の分担の話ですね。最近なんかよく見かけたので、「うちはこんな感じです」だけとりあえず書いたんでした。ルーチン臭い雑でいいやつはどうせ暇やし僕やるけど、がっつり掃除!みたいなんは僕できないんで嫁がやるみたいな感じなのかな。まぁ、みんな納得ずくを各々目指せばってだけの話だと思うんですけど。うちも現状ベストかは知らないしね。それでもまぁ、結婚してみてたとえ鳩小屋暮らしでも自分が家事しなきゃ生活が立ち行かない環境を一回やってる、ってのは良かったのかなくらいはちょっと思ってるかな。洗濯機回せない癖にハンカチ持ち歩きたいとかは、ほんっま、アレなぁ。アレだよなぁ。あ、僕は共働きで子供がいない夫婦の夫のほうをやっています。最後に言うんだ。最初に言えよ。忘れてたんだもん。以上、余談でした。