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ズイショ版「走れメロス」2013

メロスは激怒しなかった。なぜならここにはかの邪智暴虐の王がいない。セリヌンティウスもいない。結婚式を目前に控えた妹もいない。誰もいない。誰もいないどころか何もない。そこにはメロス以外本当にまるで何もなく、単に天と地を二分する同色の白がただ彼方まで続くばかりの空間に一人放り投げだされたところからメロスの物語は唐突に始まった。もはやこの男がメロスという名前である確証もどこにもなく、ただタイトルが「走れメロス」であるというその一点に縋り彼をメロスと呼ぼう。伏線一切なし。するべきこと一切なし。描写すべきこと一切なし。メロスは困った。困れメロス。

メロスはとりあえず走ってみることにした。彼の男がこの文章のタイトルを知る由もなく、ただ何もしないのもアレなので何かしなければという気持ちになるのはとても自然なことだったのであろう。メロスも僕らと同じ人間だ。メロスには肥満がわからぬ。メロス結構いい身体してるのだ。ならばなおさら走る理由がない。ただほんと何もないからさ、据わりが悪いと人間ってやつはとりあえず何かしなくちゃって思うんだよ。だからメロス走った。頑張れメロス。走れメロス。

うそうそ。何かしなくちゃって思ったのは別にメロスだけじゃないからさ、とりあえず言ってみただけ。そんな無理して走らなくていいよ。ほんとほんと。だってほんとに走らなくていいんだから。そんなことしなくちゃならない理由どこにもないよ、ひとつだけあるとするのならばそう、お前がメロスであるということと同様にタイトルがそう言ってるからっていうのはそりゃああるかもしれないあるかもしれないけれど、お前はそんなところに変な気を使わなくてもいいんだよ、お前は好きにすればいい。この何もない光源もあやふやなただ真っ白な空間で好きにすればいいんだよ。走りたければ走りたけりゃいいけど、それはお前の意思で勝手にやってねメロス。

もちろんこの言葉がメロスに届くはずもなくメロスはいかにも使命感を背負い込んだ手の振り方で走る走る走るんだ。俺が今すべきことはこれなんだって顔をこれ見よがしに左斜め下の角度から見せつけて走ってるんだけど、言っておくけど嘘って自分が思ってるより簡単に駄々漏れにバレちゃうもんだからね。これはメロス見てて自分も気をつけなくちゃなってすごい素直に思えた。自分自身本当に納得して走れないうちは格好良く走ることなんて誰にも出来やしないんだってことを教えてくれる男メロスがちんたらちんたら走ってやがる。当人はまじなんだと思うよ。ほんと偽り無く。でもなぁ。ほんとパッと見でわかるんだよ、人間が走るうえでの最も美しいフォーム最も速く走れるフォーム、そんなもん勉強したこともないし分かるわけないよ素人目に見ての話ではあるんだけれどもこのメロスの足の運び、つま先と踵が地面につくタイミング、絶対正解じゃない。これだけは言える。絶対に正解じゃない。それでも当のメロスは本気で走ってるつもりなんだから恐れ入る。そもそもなんでそんなメロスはマジに走ってるのか全然わからないし半端するくらいならもう走らなくていいよ。もういいよメロス。

この言葉も言わずもがなメロスの耳には入っておらず、メロスはその後しばらく走り続けるんだけれども案の定やがて吐き出す息があの熱い感じ本当に全力で走った時の肺で煮えたようなあの熱い息がこぼれるようなあの段階になるはるか手前でわき腹を押さえて失速した。ほらね。だから言ったじゃん。走らなくていいよってさっき言ったじゃん。それからのメロスは走ったり歩いたりの繰り返しだ。一回あたりの走ってる時間と歩いてる時間の差はどんどん縮まっていって歩いてる時間の方が長くなるまでにはそんなに時間はかからなかった。一度歩く時間と走る時間が逆転してしまうとそのあとはまぁそれはひどいもんで気付いたらほとんどずっとちんたら歩いてるだけ。たまに前傾姿勢でタタタッと駆ける時があるけれどもう本当にすぐ徒歩に戻る。試合を目前に控えた選手のミット打ちくらいのすごいゆるいタタタッ。それでもメロス本人はまだまだ苦しいけど走れてますよみたいな顔してる。そういう顔してる。もうわかった。人間がどんだけ自分に甘い生き物なのかよくわかった。なんかもう見ててイライラした。じゃあもう大人しくずっと歩いてろよ。ていうかもうどうでもいいわメロス。

その言葉が届いたのだろうか、やがてメロスは仰向けになると両腕で枕を作った。そして瞼を閉じた。正直ふざけんなと思った。お前は歩くのをやめられるだろうけどこっちはやめようと思ったところでやめられねぇんだよ。ふざけんなメロス。

メロスは寝た。こいつ結構すぐ走るのやめて歩きを交え始めてたからそんな死んだようにってほどじゃなく普通にメロス寝た。それからメロスが起きるまでは当たり前だけど特に何もなかった。写真を見てるみたいだった。そういえばメロスは何回か寝返りをうっていた。数えてないけど。書くことねえよメロス。

やっとメロスは目を覚ました。よほど熟睡していたのだろう、パチリと目を開くとまるで寝過ごしてしまったかのように突然がばっと起き上がった。いや、改めて確認させてもらうけれども、お前言っておくけど別に死刑の身代わりになった親友を待たせてたりとかは一切してないからね。誰もお前を待ってないから。お前にそういう大仰な役目とか一つもないから。もうそういうのいいから。そういうなんか変な責任感みたいな、誰にも期待されてないのに誰かに期待されてると思ってるお前の素振りすげぇむかつく。起きるのはいいよ。ずっと寝てるわけにもいかないんだから。ただ起きたところでお前にはどうせまた歩くくらいしかすることないから。別にそれも義務じゃなくて、まあ歩きたいなら歩けば?くらいのもんだからね。寝たきゃまた寝ていいし。良くも悪くもお前フリーダムだからメロス。だからそういうところをお前自身理解して欲しい。いくら言っても聞こえないのはわかってるんだけどそこらへんわかってくれないと今後結構きつい。ていうかもうお前めんどくせえよ、もう起きてくんなメロス。

しかし、そんなメロスのいらっとする行動もそれからのことを考えるとまだまだかわいいもんだった。歩いたり寝たりを繰り返すようになったメロスが睡眠を覚えた今、当然のように走ったり歩いたりの時と同じ感じで寝てる時間がどんどん多くなっていった。一日とかそういうのもないから何せ真っ白で日の出日の入りの概念もないので何とも言えないけど、ただ、体感的にはかなり寝てるな、と思えた。書いてないだけで寝てる時間はめっちゃ多い。それでもまだしばらくの間は寝て歩いてを繰り返してるだけまだよかった。そのうち起きてもまた眠くなるまでずっと寝っ転がったまんまでいることがあるようになった。ほんと頼むよメロス。

しかし頼んでみたところでこの言葉がメロスに届くはずもないし、別にやることはないんだから何しようとメロスの勝手だろうし、そう考えるとそもそも何を頼んでいるのかもよくわからない。ごくごくたまにメロスが歩こっかなって気分になって歩いてる時もあるけどその時に「ああ、やっぱ歩いてくれてる方がこっちとしてもテンションあがるな」って思えるわけでもなし、なんか真っ白なだけなのにも慣れてきたしもうなんでもいいや、って感じだ。ていうか大体この空間でメロスがやること大体全部わかってきた。終わらないけどもう終わったなって感覚になるのもそう遠くない気はする。メロスがそれに納得するかも糞もねぇよというほどもうメロスに飽き飽きしている。終わったなという感覚になったところで終わることがないことも知っている。この真っ白な空間にはメロス以外には何もない。物語がない。終わりもない。濁った目してんなメロス。もうなんでもいいよなメロス。

うつ伏せになっていたメロスがその尻をグイッと突き上げた。おれメロスのこういうところほんと嫌い。いつからのことかはもう思い出せないけれども時間の許す限り、メロスが本当の暇に耐えかねるまでの間、延々ゴロゴロゴロゴロ寝転がって浅い睡眠を繰り返した後メロス自身がさぁ少し動こうかとなった時、メロスはこういう起き上がり方をするようになった。お尻をグイッと突き上げる。そこから気だるそうに上体を起こしてやがて立ち上がるわけだけれどもだからそれでどうするんだということもない。たまたま歩こっかなって思ったメロスは白い空間の真ん中をプラプラプラプラ歩き始めた。ここまで読んでもらってわかるとおりメロスがそんな飛びぬけたやる気を奮発するわけがないし奮発する理由も無い。いつもどおりメロスがもういいかなと思ったところでメロスは歩くのに使っていたわずかばかりの余力をそのまま膝で丁寧に殺してクタッとうつぶせに倒れこんだ。そしてこれもまたいつの間にか習慣となっている別に特段ひんやり冷たくて気持ちいいわけでもない大理石でもなんでもないそもそも何なのかわからない真っ白な地面に顎をあてる作業をしようとしたその時である。突然メロスの目がカッと見開いた。メロスがそんな表情を見せたのは実に一行目以来であった。しばし目を見開いたままフリーズしていたメロスであったが、やがてその表情のままスタッと立ち上がると次の瞬間には全速力で駆け出していた。どうしたメロス。

メロスが視界の先に捉えたもの、それは轟々と吹き上がる黒い水であった。あれは石油なのか。傍目からはすごい勢いで噴出しているように見える。ただその立ち昇る燃える水がどれほどの高さなのかは判然としない。つまりはそこまでの距離もまるでわからない。しかし噴き出ている。何もわからないが燃やせば燃やしただけ燃え上がる黒い水が、メロスの瞳に焼きついた。メロスはその黒い柱を全力疾走で目指し始めた。駆けているうちにメロスの顔はみるみる生気を取り戻し、額を流れる汗は光源がどこにあるのかもよくわからない真っ白の空間の中で光り輝いていた。腕も脚も今までにないくらい振れている。恐らく今メロスの鼓膜には切り裂かれる風の音が聞こえているだろう。誰かが人間の肉体は神が作り出した芸術である、と言っていたが今のメロスを見ているとそれも何だかわかるような気がした。そして何より黒く輝く水柱を真っすぐに捉えたメロスの笑顔が眩しかった。

走れども走れども石油の噴水に近づいているようには思えない。しかしメロスは走り続ける。そもそも石油が見つかったくらいでそれがいったいなんなんだ。通貨ねぇしそもそもここまで飯食ってる描写もなかった。メロスお前あれいるか?あそこに辿り着いたからってメロスよお前の何がどうなるというものでもないだろう。いいや違うね、違うよなメロス。お前は何も間違っちゃいない、間違っていないから大丈夫だ、お前はただあの黒を目指して駆け続けりゃいいんだ。このただ真っ白なお前だけの世界でやってきたお前がアレを見て走りたくならないわけがないんだよ。わかるぞすげぇわかる。どうせこの言葉もお前には届かないんだろうけどさ、別にわざわざ誰に何を言われなくたってお前はどうせ走り続けるんだろうが、こっちも力の限り叫ばせてもらうぜ。走れメロス。