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飼い犬の思い出だけ書いておきます

中学かなぁ、高校入ってからだっけな、座敷犬を2匹飼ってまして、犬めっちゃかわいいんですよ。母性求めるなら年上の女探すよりかよっぽど犬ですよ。彼らは愛情を注げば注いだ分だけ返してくれる。ちょっと俺には同じことをするのが難しいくらいにこっちを信頼してくれる。なんか、その俺が飼い始めた頃ってそれこそ俺が思春期じゃん? 親と仲とか悪いのね、俺と親の両方が概ねに馬鹿だからなんだけどすぐ喧嘩になるのね。そういう頃に犬が家におってよかったなってのは今も思うし感謝もしてるのね。あ、去年くらいに死んだのね、二匹とも。なーんか、親になんか小言なんかを言われてさ、むかつくのね、言い返したいんだけど言い返したら喧嘩になるから、で、喧嘩になったら「てめぇ誰の金で飯食ってんだ」みたいなのなるかもしれないじゃん、端的に分が悪いじゃん、それ言われちゃうとガキの側としてはもう何も言えないから、だから犬に言うのね。「俺はこういう風に考えてるんだけどな、そんなに間違ってるかなぁ、どうかなぁ、犬!」つって犬に言うのね。そしたらお母さんも犬に向かって「そんな考え甘いよね、ダメだよね、犬!」つって犬に言うのね。犬は「俺は今西日が今日イチで暖かいからそれを全力で向かい受ける感じでかなりポカポカと寝ていたいのにうるさいな」みたいな顔で相槌を打ってくれるんだけど、いや、相槌打ってるように見える顔をしてるだけなんだけど俺の主観なんだけど、そういう風に家族の仲を取り持ってくれてて。散歩なんか行った時は、その時は犬と俺だけだから、親がいればね親がいるけど親じゃなくて犬に言うていで俺が俺の思ったことを言うけど、犬と俺だけだから犬に俺の話をわざわざする必要ないんだ。「だいじょぶか、疲れてないか犬?」とか「そろそろうんち出るか犬?」とか「昨日よりちょっと寒いな、犬」、そんな声をかけてね、不思議なもんで犬と散歩してる時って思いのほかこっちも犬のことしか考えてないもんなんだ、親と一緒にいる時なんかよりもよっぽどね。だけど当の犬のほうは、家にいる時と違ってこっちはお前を気に掛けてやってるのに、俺はお前の話をしてやってるのに、散歩に一生懸命で全然リアクションがないんだよね。別にいいんだけど。なんか油断するとそこらへんの草とか食おうとするんだ。うんこも、こっちは袋一個しか持ってないのに小分けにするんだ。二度三度とうんこするんだ。一つのビニール袋で何度もウンコを掴むテクニックを叩き込まれたけど、その後あんま生きてて使う機会ないなぁ。あと、俺が走り始めると犬も走る。楽しそうに。俺は身体動かすの嫌いだから走るの好きじゃないんだけどね、俺が走ると犬が走って楽しそうだから、俺も走っちゃうんだ。でもなんか犬って人間より寿命が短いらしくてね、飼い始めの頃なんかはそれこそ俺が軽い気持ちで走り始めたらもう犬がその気になっちゃって、めっちゃ走って、俺が疲れて困ったんだけど、なんかそのうちそうでもなくなった。大学入って実家を離れてからは年に一回とか二回とか帰るくらいになっちゃうんだけど、そうなると久しぶりの散歩が楽しくて、俺はまだ全盛期だから。18と20だったら20の方がピークに近い人間の身体の感じは誰でもわかるじゃない、その感じで俺もより一層のピークを感じてたから、いや、別に走れる走りたいとかでもないけど、こっちにしたらすごい久しぶりの散歩だからさ、気合入っちゃって「結構遠くまで行っちゃうか?どうするよ犬!?」つってな、だいぶ遠出しちゃったら途中で犬がバテちゃって、結局抱えて帰ったりとかしたなぁ。アイコンの犬ではないんだよね。全然関係ない犬。まぁ、こっちの勝手で向こうからするとよっぽど勝手な話なんだけど、犬は、なんか良い顔をするんだよね。適宜そういう顔に見えるんだ。やっぱり家族と話してる時なんだけど、「まぁ人それぞれだよね」で終わらせたほうが平和な話をしている時は「まぁ人それぞれだよね」って顔をしてるんだ。それじゃあ終われない、マジメな話をしている時にはやっぱり人間の家族どもがそれなりにピリピリしているから「喧嘩じゃあないよな、だいじょぶか?」って顔をしてるように見えるんだ。そういえばなんかそんな話ばかりけど、犬はちゃんと犬もやっていて、誰かが家に帰ってきたら全力で喜んで顔を嘗めたくってきたりとかそういうのもちゃんとやっていたっけな。尻尾を振ればそれでお前の嬉しい気持ちは十分に伝えるに事足りるのにお尻ごと振るお茶目な奴だった。で、前述したとおり、自分でもここまで書いた経過見渡した時改行がなくてよくわかんないけど、たぶん前述したとおり、犬死んじゃったんですけどね。実家離れてるんで死に目にも逢えなくて、妹から連絡が来たんだったかな、妹がグズグズ言いながらさっき逝ったよって言うけど、温度差~みたいなのあるのね、本当に悲しいのよ。もう会えないことって完全無欠に悲しい。それでも温度差~みたいな、そういうのあって、急だから。それ自体悲しいことだけど、寝耳に水でめっちゃ死と向き合ってた妹からそういう報を受けると、ギバちゃんみたいな顔で「そっか」と言うほかなかったんだ。

それからまた季節が巡り、今ノリで季節が巡りって言ったけどまぁテキトーにしばらくして実家に帰って、やっと犬に線香あげて手を合わせることができたんだけど、実家の家族が犬の遺影なんかもキッチリ作ってやってくれててさ、花なんかも飾ってくれててさ、それなりに「ぽい」感じになってるわけ、「ぽい」感じになってるから、こっちも「ぽい」感じになるのね故人と向き合う感じになるの、やたらスローペースの口調でさ、「遅くなってごめんなぁ」「本当は最期に一緒にいてやりたかったんだぁ」「ありがとうなぁ」とか言ってるわけですけど、そこに親父がやってきて生前の全盛期の「僕どこまででも走れますよ」みたいな顔をしていた頃の犬に呼びかける「散歩行くぞ!」とまったく同じテンションで、「よかったな、犬! お兄ちゃん線香あげに来てくれたぞ! 俺も線香やるぞ!チュチュチュチュチュ!」つってて、僕は、そのノリ良くわからんけどきっと彼も僕と同様に、息子と喋る時に犬がいて助かってたのかなとか、犬は僕ら家族にとってみんなにとって大事な存在だったのかなとか、そんなことを考える。

妹がいつだかに撮っていた遺影の犬は、やっぱりこっちの心情次第でどうとでも解釈できるような表情をしていて、俺はそれを見て素直に、「かっこいいやつだ」と思った。