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コロナ禍日記いち

テレビっ子なので普段から録画している番組がたくさんあってそれはすべて試聴する義務を自分に課してるわけではなく興味があれば見るみたいな感じなのでどれが見たいか見ないで録画消去するかみたいな選別タイムが時たまに必要になる。それで昨日だかにチェックしていたのだけど特にドキュメンタリーや対談番組や思考深掘り系の番組なんかは特にだが、「新型コロナ以前」の今の我々の文脈を持たないものはなんとなく物足りなく感じてしまいすべて見ないで消去してしまった。NHKの欲望の時代の哲学2020とか絶対面白いのはわかってるんだけど、今の時代を踏まえて自分の中に落とし込むこともできるのだろうけど。番組自体が新型コロナを踏まえていないことにちょっと寂しくなってしまいそうなので消去してしまった。番組はきっと面白いし何も悪くない。ただ、新型コロナ以前、新型コロナ以後というあちら側とこちら側がただ僕たちの眼前に明らかにあり、それを僕は両の目で睨みつけているということだ。ねほりんぱほりんの「震災で家族が行方不明になった人」回はまだ見てないけど消してない。

新型コロナ以前以後の話でいうと、「現代」を舞台にした物語をどう描いていくべきかみたいな問題も今時点で多くの人が向き合っているのだろうなと思う。携帯電話が当たり前になった世界では作劇が難しくなったなんて話もそういえば当時はあった。人と人とが群れて顔を合わせて当たり前の虚構の世界を描き続けるか、現実に即したソーシャルディスタンスの中での群像劇を模索するのか、まあ悩ましいっちゃ悩ましい。とは言ってはみたものの、サザエさんの家にはエアコンがないしきっと来週もサブちゃんは来る。それでいいじゃないかと思っている。どうせフィクションなんだしみんな好きにすればいいじゃん、と思う。コロナを踏まえた情勢下の設定で面白い物語をやりたいやつはそうすればいいし、少し前みたいに人と人とが顔を突き合わせるのが当たり前の世界を舞台にしたいやつはそうすればいい。そしてどさくさに紛れて相手に何か気にくわないことがあればお互いフランクに相手の頭を石で破り、そしたらそこからむくむくと大樹が生えて、そいつの感情の数だけ実が成って、実の中からある特定の感情だけを宿したそいつがぽこぽこと生まれて、みんなで話し合って食べあって仲直りするような世界観も当たり前に存在するようになってしまえばいい。

せっかく当たり前がガラガラと崩れてしまったのだから、もう新しい当たり前なんかいらない。右も左もはちゃめちゃでありえないままでも、隣人が隣人のままでいるならばそれでいい。

リモートワークはそれなりに支障がないが、思考が「家でもちゃんと仕事するぞ!」になっていて、いかにデスクワークをこなすかに偏ってしまい少し疲れてしまっている自分に気付いて考え中だ。よく考えたら出社してる時もマネジメントとか音頭取りとかがメインでそんなデスクワークとかしてなかった。もっとおちゃらけたリモートワークのあり方を模索する必要がある。

ZOOM飲みは楽しいが、寝る直前までやれてしまうのが問題だ。「酒」という言葉と「自制心」という言葉とは対消滅するので対策が難しい。予め指定している時間になったら俺に痺れ矢を撃ち込んでくれるエルフを募集したい。

この前はインターネットで交友関係がある人らと酒を飲んで話した。前に一度東京で酒を飲み交わした人らだ。またそのうちに飲みたいなと思いつつ、東京に出向くことは少なくなかったものの、生憎に僕の体が一つなので会えずにいた人がたくさんいる。もちろん東京以外にもたくさんいる。そういう人たちとお手軽に会えるようになってしまった。以前の世界であれば、ZOOM飲みのお誘いなど寂しがり屋も甚だしくとても主催なんかできなかったろうが世界は変わってしまった。直に会わなくてもオンラインで顔を突き合わせるハードルがめちゃめちゃに下がってしまったことで、感染症の流行が終わった後も「わざわざ会う」ことの意味はきっとまた変わってくるのだろう。アフターコロナの世界には、アフターコロナ以前の価値観はきっと厳密には全く残らないのだろう。

日記を書くことにした。1週間とかに一度くらい。タイトルはコロナ禍日記で、きっとコロナの話題はどんどん減っていく。きっと内容はアフターコロナの世界のまま。