アパートに住んでるんですけど、隣がたぶんアラフォーくらいの中年夫婦なのかな、こいつらがふたりともなかなかにヒステリックな性格の人みたいで結構な喧嘩しよるんですよ。旦那さんも奥さんもこれがアニメだったら家全体を引きで撮って家が揺れる演出入るだろくらいの声量で揉めよるんですね。内容はそんなはっきりわからんけど、二人が交互に喋るテンポとテンションの上がってくペースだけ聞いててももう教科書どおりの売り言葉に買い言葉だなって感じで、日々うるせえなと思ってるんですけど。一回すげえ笑ったのが、俺その時はベランダに出て洗濯物干してたから喋ってる内容がはっきり聞こえたんですけどね、いつものようにフリースタイルダンジョンばりに交互に旦那さんがわめいて奥さんが喚いてってやってるんですけど、「交互に」の形容にフリースタイルダンジョンばりも何もないだろって話なんですけど、奥さんの方がね、「あんた、あたしのこと幸せにしてくれるって言うたやないの!!」って叫んだんですよ。そしたら旦那さんがね「言うてへんわそんなもん!!」って怒鳴り返して。僕は、いや、それは言うたんちゃうかなと思って。言うてるところ僕が見たわけじゃないですけどね、奥さんがそう言うってことは恐らくだけど旦那さんあんたたぶん言うたか言うてないかでいうとたぶん「幸せにしてやるよ」みたいなこと言ったんだよきっと。たぶん言ってるから「そんな昔の約束は無効じゃ!」とかならわかるけど「言うてへんわ!」は違うんじゃねえかなと思って俺なんかすげえ笑ったんですけど。
さて、この「幸せにしてやるよ」というセリフから、隣の夫婦が恋愛結婚かお見合い結婚かを判断することはできるでしょうか? 俺はたぶんできないんじゃないかなと思います。人によっては「そんな甘い言葉を言ったってことは恋愛結婚なんじゃないの?」と思うかもしれませんが別にそうとも限りません。旧来的なお見合い結婚というのは大抵の場合「男が女を幸せにしてやるもん」という価値観の上に成り立っていたわけですから、別にお見合い結婚だって男の側が女に対してまたは女側の親族に対してそういうことを言うのは全然自然なわけですから、やっぱりそんなセリフを言ったからと言って恋愛結婚かお見合い結婚かを断定することなんざできないわけです(そもそも旦那さんは言ってないと主張している)。
それで、「恋愛はめんどくさいので恋愛は経ないで結婚したい」みたいな主張が最近見かけられますねって話がなんか話題になってまして、色々見物してたんですけど、いまいちよくわかんねーなーって俺は思っちゃってて。俺はすげえ普通に「え、でもどっちみちお互いのことを知り合って理解するのは結婚した後でもしなくちゃならないんだから、じゃあ前哨戦がてらに恋愛やっておいた方が効率よくない?」って思うんですけど、たぶんこれに対して飛んでくる反論は「理解し合うのは恋愛じゃなくてもできる」とかだと思うんですね。で、そこで僕は僕がイメージしている「恋愛」って言葉と、恋愛をめんどくさがって何なら恋愛を憎んですらいるような人たちのイメージしている「恋愛」って言葉に、すごい乖離があるんだろうなってことに気づくわけです。たぶん向こうの言うそっちの「恋愛」ならね、僕だってしたことないですよ。なんかわかんねえけど、相手の女性の誕生日の夜18時に待ち合わせして、待ち合わせ場所に男が車で迎えに行って、そのまま女を助手席なんかに乗せちゃってカーステレオで流行りのJ-POP流して、曲がるたんびにウインカー上げながらホテルに行って、コースのディナーなんか食べちゃってそのまま宿泊して夜景見ながらセックスするみたいなやつでしょ?そんなんは俺だってやったことないですよ。今、揶揄っぽい言い回しでやってましたけど一部ちょっと全然皮肉言うところじゃないの混ざってましたけどね。タクシーじゃねえんだから助手席に乗せるのはいいし、曲がるたびにウインカー上げるのも普通だろ。むしろ上げなきゃダメなんだよ。まぁこんなのは言い過ぎにしてもね、なんか「恋愛めんどくさい」って言ってる人の中には妙に凝り固まったすごく狭い意味合いでの「恋愛」があってそれを忌避したいばっかりに全部をめんどくさがってるように僕には見えて。まぁわかるけどね、酢豚にパイナップルが入っててパイナップルだけ避けて食える人もいれば、パイナップルの味が他の具材にも移っちゃっててダメなんだつって酢豚自体に手をつけない人もいるし、だから「恋愛めんどくせえ」って言う人の感じは別にわかるんだけどね。それでもやっぱ僕も分類でいうと明らかに恋愛結婚なわけだからさ、恋愛結婚なんですけど、恋愛めんどくさい派の人に「よくパイナップルなんか好き好んで食うね」みたいに言われるとイラッとするわけですよ。いや、俺がいつパイナップル好きって言ったかね? 俺はパイナップル避けて食いたいところだけ食っただけだっつーのみたいなんは思いますけどね。
いわゆる社会とかが同調圧力的に押し付けてくる、恋愛できて一人前っていう空気だとか、恋愛とはこういうもののことを言うんだみたいな固定観念とか、なんかそういうの全部ひっくるめた曇天みたいに空を覆い尽くす「恋愛」と呼ばれている何かが鬱陶しいって話は全然よくわかる。そういうのがかったりい感覚、従わなくてはならないのではないかという感覚は僕の中にもすごくたくさんあったし(今でも多少あるだろうし)それには随分苦しめられたというのも事実だ。無意識に内面化されていてしんどいみたいな部分はもちろんあったけれども、それでもごめんなさいね僕の場合は、人は人、オイラは俺様、犬は犬って感覚がけっこう強い人間だったから、みんなそうすればいいと思ってるし、お前もそう思うよな、犬!!
犬「わん!!!!!!」
よ~しよしよしわしゃわしゃわしゃわしゃ!!!!
だから、まぁ、いわゆるなんかめんどくさいと言われてる世間一般の「恋愛」を僕が経たとは全く思わないけど、人に説明するなら一応は「恋愛結婚です」と言うことになるのだろう。いや、間違いなくそうだろう。しかし、そういう俺がやったやつまで恋愛と呼んでいいのなら、実際に恋愛結婚している人たちの大半ってそんな感じじゃねえのとも思ってしまう。そりゃあなんだか押し付けられているような気がするいわゆる「恋愛」というフォーマットを一応の参考にはしてるんだろうけど、みんなそれをそのまんまやってるわけないじゃねえかと思っていて、大なり小なりそのロールモデルを実践して使い勝手が悪いところは修正してやがてお互いにとって心地が良いオンリーワンな関係性とか距離感を探っていくみたいな守破離を経て、それぞれのカップルなりのパートナーシップを構築していってるんだろうと思うわけなんですけど。実際に恋愛結婚をした人たちが言う「恋愛ってなんだかんだいいもんだよ」って言ってる時の恋愛ってたぶんどっちかっていうと後半の「破離」を指して「恋愛」と呼んでると思うんですよね。で、ここでの「守」にあたる「恋愛」ってやつは事実として人によっちゃけったくそ悪りぃものであるというのは間違いないわけで、そこにうまく馴染めなくて「なんでこんなことしなくちゃなんねえんだめんどくせえ」って思う人がいるのは全然普通のことだと思う。ただそれで恋愛なんかよくやるねって言われると、その人は「守」の部分を指して「恋愛」と呼んでるんろうけど、こっちとしてはそこはどうでもよくてその後の「破離」が面白いって話なんだけどな、みたいな、そういう乖離がそこにはあるんだろうなーと思ったわけです。
さて、いわゆる臭っせえ「恋愛」がやりたくない、という言い分はわかったんですけど、じゃあ僕がそこで「恋愛はめんどくさいので恋愛は経ないで結婚したい」と言う人たちに一つ確認しときたいのは、「守」の部分の恋愛は、そうだね、無理にする必要はないと思う。ただ、それを恋愛と呼ぶ必要はないにしてもパートナーを得て共に生きていくっていうことは「破離」の部分の努力はどうしたってしなくちゃならないわけだけど、お前らそこのところもめんどくせえと思ってないか?って部分です。そこもサボるつもりでいるのなら、それが恋愛結婚であろうと契約結婚だろうとどうせうまくいかねえぞってのをすげえ思うんですよね。「守」の部分は「恋愛」じゃなくてもいいんですよ、それこそ契約結婚なら「契約によってルールを定義する」というロールモデルを「守」とするわけですけど、そこからの「破離」はどのみち頑張らなきゃダメだからね、もしかしたら恋愛だからこそ守破離が必要になってるわけで、契約結婚はそもそも「守破離」が不要で「守」の部分だけきっちり互いに尊重し合うことができればうまくやれるんだって考えなのかもしれないけどそういう主張だとしてもそれはそれで結構怪しいもんで「会社員として業務をこなせてるんだからフリーランスでもできるだろ」と簡単に言う人が、フリーランスは受注した業務だけでなくて営業や経理や雑務やなんやらを一人で全部こなさなくてはならず且つ誰の監視の目もない中で自身の生活を律して計画的に行動する自制心が必要であることを忘れているのに似てる気がする。フリーランスをバリバリにできる人がいるように本当に契約だけを大事にして契約結婚できる人もいるのだろうが、フリーランスより会社員の方が向いている人間も多くいるように、たとえ契約結婚であろうともお互いの信頼関係を維持するための細やかで情緒的で属人的なコミュニケーションを必要とする人は少なくないだろう。それはそのままの意味で恋愛ではなくとも極めて恋愛的なしちめんどくさいものであると思うのだけど、そこをめんどくさがらない心の準備はあるのだろうか、というのがすげえ疑問なのだったんだ。
だから、なんでしょうね、まぁ「恋愛できなきゃダメだ」みたいなマウントを取りたいわけでもなくて、みんな好きにすればって思うし、むしろ既存の恋愛結婚とは全然一線を画す面白い結婚があるならそれは俺も見てみたいから頑張ってくれって感じなんだけど、とりあえず「恋愛」と呼んでみたそれから逃げ果せたとしても誰かとパートナーシップを結ぼうとする限りそれはセックスがあろうとなかろうときっとめんどくせえぞ、だって人間は人間で私は私であなたはあなたで、私はあなたじゃなくてあなたは私じゃねえことには間違いねえんだから、それの名前が恋愛だろうと契約だろうとどうしたってめんどくせえに決まってるけど、めんどくさい恋愛から逃げたい人たちは他のめんどくささには耐えられるの?ってことは考えたうえでやらねえとうまくいかなさそうだから、書いた。
あと余談なんだけど、契約結婚うんたらの話題の盛り上がりにがっつり一役買ってる『逃げ恥』だけどあれも要するに「守」としての恋愛に苦手意識を持っている二人の男女が、「雇用関係」というもっと自分たちの性格に合った別のロールモデルを「守」に設定して関係をスタートさせて、「破離」の部分の恋愛を頑張ってるっていう構図なんだよね。7話のひらまささんがセックスを拒否してこじれる感じっていうのも、みくりちゃんが二人の「守」である雇用関係のロールモデルから逸脱してかつて多少は馴染みがあった「恋愛」のロールモデルを引用してしまったことが原因なわけで、あの話って「契約結婚とか言って結局恋愛してるんじゃねえかよ」ってがっかりする人もいるとは思うんですけど、社会的な要請としての「恋愛」という呪縛から解放された二人がやっとちゃんと恋できてるって話だと思うので、やっぱそれは素晴らしい話だなと思うし、もし最終回の二人が普通にラブラブのカップルになってたとしてもそれはやはり臭っせえ「恋愛」を出発点にしなかったからこそ辿り着けた二人の関係なわけで、そういう最終回だったとしてもそれは「やっぱ恋愛最高!!」ってメッセージとして受け取るものではないんじゃないかなって気がする。以上です。