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ちょうどいい生活音の感覚が自分と異なる人と暮らすのは大変

それがふつうと言ってしまうと語弊があるが僕は十八歳まで実家で暮らしてそれから一人暮らしを始めて二十六歳の時に結婚して、それから結婚した人と一緒に住むようになった。相手の女性ももちろん僕と同じように結婚するまで実家に住んだり一人暮らしを経験したりしている。そしてこれまた当たり前の話だが僕の「実家で暮らす」と彼女の「実家で暮らす」の実家は別の実家なわけでつまり別のルールに基づいて動く、それぞれ別の環境である。そんな二人が一緒に暮らそうか何故なら一緒に暮らそうと決めたからと一緒に暮らし始めると、それまでふつうだと思っていたことがどうやらふつうじゃないらしいことが進研ゼミの問題がテストにも出るくらいの勢いで頻出する。

そこで我々は都度都度どちらのふつうが真のふつうであるか雌雄を決する。

わけではなく、これからの二人にとっての新しいふつうを考え作っていく。

そんな調子でぼちぼち三年以上の歳月を重ねていると好い加減僕らの生活は二人で作った新しいふつうで埋め尽くされるようになり、新しいふつうについて考えなくてはならないという機会はもちろんゼロにはならないが相対的に減っていく。

そんな中で結婚当初から問題になっているもののなかなか新しいふつうの落としどころが見つからないのが掲題のとおり生活音問題である。

僕は自他共に認める耳が馬鹿になっている人である。音はでかけりゃでかいほど気持ち良い。小さい音だと物足りない。iPodとかは音漏れなど配慮しなくていいのであればいつも爆音で聴いていたい。作業をしている時だって爆音が鳴っていて支障がないどころかむしろその方が好ましい。時には音楽が邪魔になる気分の時もあるがそういう時でも無音は嫌だ。なので僕は用事がなくてもテレビをつけているのが好きだ。なんつーか、何らかの音声情報が常に流れててそれに何%か脳のメモリを使っている状況の方が僕の脳はよく動くのだ。なんかそんな感じ。

対する彼女は、大きな音を嫌う。テレビは見るなら見る、見ないなら消すを徹底している。音楽は好んで聴くが俺から言わせると「蚊の鳴くような」音量で十分だと言う。対比表現としては自分の感覚について記述した部分と同程度のボリュームを記述するのが筋なのかもしれないが自分の感覚の話じゃないのでこれ以上書くことがない。

そんな二人が一つの家に一緒にいるというのだからなかなか大変だ。

基本的にはもちろん僕が譲るべきなのだろう。彼女が家にいない時は僕は好き勝手自由にして自分の満足できる音量でテレビなり音楽なりを流しているが、彼女がいる時はできる限り彼女が不快にならない範囲でやりすごすのが好ましいしそうしたい。

しかしこの不快にならない範囲というのが簡単なようでなかなか難しい。

先日あったのは、彼女はキッチンで料理か何かをしていて、僕はそのキッチンからリビングを挟んでもう一つ離れた部屋で作業をしていたので、特に料理と言えば換気扇の音もうるさいしこっちの音なんてそんなに聴こえないだろうと思い、俺だったらこれくらい気にならないかなという範囲でテレビをつけて音楽を流していたのだけど(俺はテレビをつけながら音楽も流すとか、テレビとラジオを同時で流すとかも平気でやる。もちろん彼女はそれを「気持ち悪い」というので彼女がいる時にはやらない)しばらくしてから彼女のクレームが入った。

「うるさいんだけど」

これはいけません。僕はまあもともとが短気で面倒なやつなんですが恐らく世の中のめんどくさい短気ランキングのTOP3には入るであろう機嫌を悪くするなと怒って機嫌を悪くする短気です。めっちゃ不機嫌に「機嫌良くしろ!」と怒るタイプです。矛盾を抱えたギルティな存在こと俺こと僕です。堕天使です。「うるさいんだけど」の「だけど」が僕には気に入らない。この「だけど」には明らかに「言われないでもそれくらいわかれよ」というニュアンスが含まれています。と俺は判断します。なのでカッチーンとくるわけです。二人が心地良いと感じる生活音に差があるのはこれまで一緒にいて既にわかりきっていることです。なので、そこについて僕には譲歩する準備がある。ただし俺にとっては音があるのはふつうなことなので、どこからが良くてどこからがダメなのかがよくわからない。しかしながら全くの無音にしてしまっては逆に僕がつらぽよしょげしょげボーイになってしまうので、そこは都度そっちのふつうの範疇から明らかはみ出した時に都度都度言っておくれ。言ってくれれば僕は受け入れる心づもりはできているので、そこで不機嫌そうに僕を攻撃するように言うのはおかしいじゃないか。

ということを向こうよりもっと不機嫌そうに言う僕ことギルティなわけですが話を聞いてみると彼女には言い分があるようで「別に気にならないかなと思ったらダメだった」みたいなのがあるようです。音が鳴ってるなぁとは思うけど、まぁそれほどでもないかなと思っていたものの、それが30分とか続くと頭が痛くなってくる。頭が痛いので不機嫌にもなる。ということらしい。

ふむう。

要約すると彼女は不快・不機嫌というアラートがなるまでその音が自分にとって良いものか悪いものか分からんということだ。この生活音問題の何がこれまで厄介だったかというと僕は言ってくれればわかることにいちいち悪感情を付与してぶつけられることに強い抵抗感がありそこで倍返しでこっちも不機嫌になるという翼の折れたエンジェルなので一度生活音問題でお互いの感覚に乖離が出ると決まってやや険悪なムードになるというパティーンが四コマ目のつるせこレベルで安定しているという要素がでかかったわけですが、ようやくここでなぜそうなるのかが分かったわけです。俺、偏頭痛とは無縁の男なのでわからんかったですわ。これは大きな収穫だったので、今後この問題は大きな改善を見せるのではないかと予感しています。というか頑張ります。

それで折角なので互いの「音」に対する感覚についてもう少し話してみると、そもそも俺はなぜそんなにでかい音をかけたがるのかという話になりました。部屋に音をつけとくことは僕にとってふつうなことだったのでそんなこと考えたこともなかった。それでよくよく考えたんですが、ここまで読んだ感じみなさんも僕が糞鈍感の大馬鹿野郎だと思いながら読んでたと思うんですけど、なんとここで僕もそれなりに繊細なところは繊細だったということが発覚します。僕、規則的な騒音がすごい嫌いっぽいんです。

先に書いた僕がこれくらいまぁいっかなと音をつけてヘマをこいたシーンなんですが、実はこの時、洗濯機が回っていました。僕、洗濯機の音嫌いです。もっと言えば、嫁のいるキッチンの方から聴こえる換気扇の音も嫌だった。僕そういう機械やら何やらが間断なく発する音がどうもすごく気に障るんです。何か目的を以て発せられる音、人の声や音楽なんかは別に全然苦じゃないんですが意味のない音がすごい苦手なんですね。人がシャワーに入ってる音とか皿洗いの時の水を流す音なんかは平気です。たぶんお母さんの羊水の中で育って海を母として信仰する村で少年時代を過ごしたからだと思います。けど、それ以外の無機質な音はねー、俺ダメなんだ。料理は苦手なんだけど置いとくとして、他の家事で一番嫌いなの掃除機かけ。うるせえから。

つまり、うるさいのが好きな俺とうるさいのが苦手な彼女という構図に思われたこの問題は、僕は僕でうるさいのが苦手でそれをかき消すために自分にとってうるさくない音をかけたがるという寸法だったわけですね。しかも話してみると、彼女はそういうのは一切気にならないタイプらしいんですね。「洗濯機がうるさい」って考えたこともなかったって言ってた。マジかよ。ありえねえ。彼女は人間の意思が介在した意味のある音の情報が何よりうるさくって、意思のないただの音はそこまで気にならないらしい。言われてみれば、そういえば我が家は風が強い時に近所のどっかの家で何かが煽られて揺れてカンカン金属音が鳴ってるのが聴こえて僕はそれが嫌で嫌で仕方ないんですけど彼女は一向に気にする様子がなかったり、一時期休みの日の日中誰もいないであろう近所の家の目覚ましがスヌーズで鳴り続けてた時も僕はほとんどトゲのついた肩パッドを着こみかける勢いで怒り狂ってたんだけど彼女は「え、なんか鳴ってる?全然気にならない」って調子だったり、本当に彼女は僕にとって不快な音が気にならないようです。

お互いのふつうはようよう確認して潰してきていたはずですが、まさかこんな基本的なところで擦り合わせができていなかったとは。食べ物の味はどんな味か確認しあうし、家具の配置や家の使い方も目に見えて確認しあうことができるけど、「生活にあって当たり前の音」というやつはあって当たり前なので無いも同然ということでなかなか確認しようもないわけです。ところで僕はホルスタインなんですけど、これはさすがに盲点でした。ホルスタインだけに。モーモー。

妥協点探しには僕そこそこ自信があるつもりでいたんですけど、これにはちょっと一杯喰わされた気持ちがあったので、なんか実はここんところで躓いてむくれちゃってる二人か三人かないしかたくさんが他にもいるんじゃねえかと思いましたのでシェアさせて頂きます。参考になる方の参考になりましたら幸いです。

好きな人には僕の横で機嫌良くしていてもらいたいし僕も機嫌良く横にいたいし、しかしそれがなかなかあたまを使わないと難しくて大変だけども頑張るぞ。雁だけに。実は僕、本当はホルスタインじゃなくて雁なんですよ。だから飛べる。飛べるんだ。以上です。

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