長年馴染みの書店員さんとの新年会で、何とも卑劣で何とも勇敢な話を聞く。 女性店員しかいない時間帯を狙って万引きをしにやってくる常習犯に何度も煮え湯を飲まされていたとのこと。 何という卑劣! 万引き犯に呪いあれ!
— 有川浩 (@arikawahiro0609) 2016, 1月 6
昨日、ツイッターを眺めてたら誰だかの公式RTでこれだけが飛んできて「何言ってんのこいつ?」となった。この万引き犯が卑劣だってのはなるほど納得するけれども、勇敢な話はどこ行ったんだ。確かにまるっきりの小心者はなかなか常習的な犯罪行為なんかやってられないだろうけどそれを「勇敢」と形容するのはどうなんだと一瞬思ったんだけど、この人のTLを見物に行ったところ全くそんなわけわからん話ではなかった。その後にはこのようなツイートが続いとりました。
しかし、その万引き犯を女性店員が5人がかりで取り押さえて現行犯逮捕。 ちょ、誰かこの勇敢な女性たちに警視総監賞とか早く! 有川特等図書監賞でよければ差し上げる!(←以前ファンの方が図書隊の生みの親ということで有川特監と呼んでくれたことがある)
— 有川浩 (@arikawahiro0609) 2016, 1月 6
万引き犯は数十万円相当の商品を持ち去ろうとしていたところだったそうです。 呪いあれ、呪いあれ(>_<#) ばれてないと思ってるかもしれないけど、どこの店舗でも監視カメラのプリントアウトがバックヤードに赤丸付きで貼られてっからな!
— 有川浩 (@arikawahiro0609) 2016, 1月 6
で、まぁ、このエピソードの内容自体は本題じゃないんで「万引きダメ絶対!あとマリファナと殺人もダメ!他にもたくさんあるからお前ら刑法読めwww罪に問われること一覧www」とだけコメントしておくとして、結論から言えば「僕が連ツイの一部だけを目にして誤読しかけた」って話なんですけどまぁよくある話ですよね。この前にも国会議員の育休の話題で蓮舫が連ツイしてそのうちの1ツイートだけがバババーッと出回りまして「何言ってんだこいつ」となりまして前後のツイートを見れば言ってることもわからんではないけれどそんなの関係ねえそんなの関係ねえハイオッパッピーつってボコボコにされてたじゃないですか。蓮舫の言ってたことの是非もここでは本題じゃないので「憲法も読めwww日本国の基本理念www」とコメントするに留めますけれども、育休の話が憲法の話なのか全然わからんで言ってますけども、まぁ「ツイートの一部を切り取って拡散される」っていうのは日々ツイッターをやってると見かけるありふれた光景なわけです。
で、とりあえず連ツイの是非なんですけど「そういうリスクはあるもののまあそれ込みでやりたい奴は好きにすれば?」ってところではあります。俺は危ないからあんまやりたくない。ていうか、それならブログ書くしな。件のツイートだって、万引きじゃなくてもっと発火点の低い話題だとけっこう危ないよなぁとは思う。「卑劣で勇敢な話です。約二年に渡り毎朝の通勤中の電車内で同じ女性を執拗に痴漢し続けた会社役員がいたとのこと。何という卑劣!痴漢に呪いあれ!」とかだったらその後のツイートでその痴漢がひっ捕らえられる話が続いたとしても、結構な糞リプが飛んできそうな話ではある。もちろんそれで軽く燃えたところで「誤読する馬鹿がたくさんいて大変だなぁ」みたいな話に大勢は落ち着くとは思うんですけれども、それでも「迂闊だったな」みたいな見解は残るだろうし一部の馬鹿のせいで疲弊しちゃうよねって実害も出ることでしょう。
それで思った素朴な疑問が、1ツイートで完結しない前後のツイート全部読まないと意味の取り違えが生じることが容易に予想できる連ツイをフランクにかます勢の人たちがいるじゃないですか。あと番号振って連ツイする人たちとか。ああいう人たちってツイッターの字数上限が140字から1万字になった時、どうするんかなぁっていうコレほんと素朴な疑問なんですけど。件のツイートも関連するツイート全部がひとまとまりになっていたら誤読の余地がないですよね、それで読み違えたら読み違えた方が「何言ってんだお前ばーかばーか」って言われるのは明白だし、実は俺が引用してないこれに続く4ツイート目の『図書館戦争』の話だけ端折られたりすることもないわけですよ。「これはいいや」つって端折ったんですけど。そこにはまぁ「ブログでやれよ」と言いたい人もあるでしょうが使い方は個人の自由ですから、そうすればまぁ誤読されるリスクを軽減することはできると思うんですよ。一見すると良いこと尽くめですよね。
となった時に次に思ったのが、かと言って連ツイ勢のみんながみんな一連の流れを一まとめにしたすごい文字数のツイートをするようになるとはどうにも思えんのですよね。いわゆるツイッター断固140字勢はどうすりゃいいんだって話なんですよ。TLでも見かけたんですが「たとえ上限が1万字になろうともあなたが1ツイートを140字以内に抑えてつぶやく権利が奪われるわけではない」みたいな考え方もあるみたいなんですね。これを選択的夫婦別姓に絡めて「他人の自由が増えるだけで、あなたのこれまで通りのやり方が奪われるわけではない。容認しろ」みたいな話の持ってき方をしてるのも見かけたんですけど、昨日の夜自分でこのツイートを誤読しかけて、「いやそれはやっぱ全然違うわ」って思い直したわけです。単純にツイッター1万字になると常識自体が変わっちゃって、140字以上つぶやかざるをえない状況ってのが出てくるんじゃねえかなと思った。
単純な言い方でいくと、上限1万字の状況下において140字の連ツイをしてその一部を切り取られて誤読されて批判の槍玉にされた人がいたとして、その人に対して「お前は1万字という範囲で読み手に内容が正しく伝わるように努力する自由が与えられていたにも関わらず、それを怠った。だから前後のツイートがどうであろうと、誤解を招くような1ツイートを発信したお前には相応の責任があるのだ」みたいなことって言って言えないこともなくなくないですか? もしこういう言い方が理に適ってるって話になっちゃうと、もうそれは実質的に「あなたはあなたで勝手に140字でツイッターやればいいじゃない」って話でもなくなってきますよね。だってそれで言葉足らずだったら咎められるわけなんだから。 連ツイに限らずいつだって「字数制限なんてケチ臭いこと言わずに言葉の限りを尽くして意図どおりに伝える権利」が保証されてしまうわけで、そうなると「まあ言い方はうまくなかったかもしれんが言いたいことはわからんでもない」と受け取る側が思える範疇っていうのも小さくなってしまう。
そうなってくると、まー簡潔に言ってめちゃめちゃ窮屈だよなぁ。140字でブツ切れになっちゃうからどうもうまく伝わりにくいっていうのはデメリットと見ることも勿論可能なのだけれども、制限はないんだからちゃんとやれば伝わるはずで伝わらないなら書き方が悪いっていうマッチョな世界もまた世知辛い。「人は自由の刑に処されてる」なんて言葉があるけれども、人は(責任の所在を自分以外に見出すことができる)不自由だからこそ気軽に能動的に自分の意思で動ける側面もあるわけで、お互い不自由であることを承知しているから不完全な部分を許し合えるみたいな側面もあるわけで、その不自由を取っ払ってしまうと自己責任の領域があまりに大きくなりすぎておちおち気軽に呟いていられなくなっちゃうんじゃないか。
まー実際やってみねえとどんな感じになるのかわかんねえですけど、なんかそんなことを考えてました。あと、「上限1万字もあるんだからもっと謝れるはずだ。140字足らずで謝ったつもりになられては困る。何が悪かったと思うのかちゃんと言ってみろ。誠意が足りない」みたいな話も出てくると思うので、そういうのも見守りたい。以上です。