かくして今夫(いまお)は戻ってきた。未来子(みくこ)が死ぬる以前の時間に。いや、かくしても何もあるか、今夫は気付けばただ無軌道に何の脈絡もなく戻っていたのだ。あの地獄の出現する手前の時間に。未来子に思いの丈を告げた時間のあの手前に。
今夫が正門前から見上げた校舎の中央に掛けられた時計の針が指し示す時間は午後2時55分、未来子が死ぬまであと5分。あの、あの二度と見たくもない、あの理不尽な、あの余りな結末まであと5分、今夫はそれを見上げるや否や事態を半分察知して半分夢見心地のまま、全力で走る。全力で喉の奥からこの娑婆世界に飛び出んとする吐瀉物一揆をすんでのところで堪えながら手をパーにして正面玄関へと走る。未来子が待つ正面玄関へと走る。厳密には未来子は今夫を待ってなどいない、そこで待っているのは二人を引き裂くどころか世界を木端に砕く運命でしかないのだが、今夫は下校するところの未来子を目指して走るほかないのだ。
息を切らして未来子に相対した今夫は叫ぶ。時間もなければ順番も準備もない。頭に浮かんだままに叫ぶ。
「好きだってさっきも言ったんだ、困ってた。未来子それを聞いたおまえは困ってた。俺はそれでもいいと思った、だって俺が勝手に突然にお前にいきなりそんなこと伝えて、困るのだって当たり前じゃないか。だからそれでもいいと思った。けど、甘かったんだ、違うお前が悪いわけじゃない俺が甘かった?甘かったのかな?そういうわけでもないんだけど、少なくとも俺は待ってる場合じゃなかったのかもしれない。」
当然こんな今夫の告白はまるで違う毎日を今を瞬間を生きるほかの生徒からすると面白ゴシップ以外のナニモノでもないわけなので気付けば周りは大賑わい、同学年は勿論のこと二年生も三年生まで集まって、今夫と未来子を囲んでガヤガヤと円を作っていた。こうなることを予想していたのかしていないかったのか、今夫は一息つくとキッと周囲を睨みつけるとグルリと半身を背後に向けていつの間にか右手に握っていた砂利を力任せにぶちまけた。仕切り戸のガラスが何枚か割れて、その音が消えた後には、ギャラリーから今夫への視線が集まるばかりであった。ここで例えば今夫が何かドスの聞いた台詞の一つでも吐いていれば、またギャラリーは混乱とともに騒がしくなったのだろうが、今夫は極めて落ち着いた調子で、再び未来子に語りかけるのだった。
「俺はさっきお前にフラれた。間違いない。今のお前の顔の感じを見てなお一層間違いない。さっきはもう少しマシだったけどそれももういい。お前には分からないだろうけど俺はさっきお前にフラれた。勇気を出して告白して、そしてフラれた。今は、一回フラれるのも二回フラれるのも大して変わらないと思うから、さっきより少しラクだ。けれどお前の顔を見ると辛い。当然だと思う。わけがわからないと思う、気持ち悪いと思う。ありがとう。説明する。お前が理解してくれても理解してくれなくてもいいから、俺は説明できることを説明する。隕石が来る。告白じゃないな、告白じゃなくてごめんな、告白じゃなくていいのか、謝らなくていいのか、色々ごめん。隕石が来るんだ。相当に大きいやつが。こうして、俺が告白して、ごめんなさいを言われて、やがて影がやってきて、真っ暗になって、大きな音がして、もっと真っ暗になって、ぜんぶなくなった。ぜんぶなくなったその景色が嫌になって、もういいやと目を瞑ったら、次の瞬間俺は校門の前に立っていた。」
そこまで喋って今夫は裏返ろうとする臓物を押さえつけるように嗚咽を漏らしながら膝をついた。拍子に、二人を取り囲むギャラリーがざわつき始めた。今夫はうつろな瞳で未来子を見た。そして未来子も今夫を見た。目が合った。それを確認すると、今夫はさっきよりも少し小さな声で続きを語り始めた。続きを、と言ってもまたそこから思いついたままに話すだけなのだけれど。そもそも今夫がその言葉を伝えたいのは未来子に対してであって、ガラスを割ってギャラリーを黙らせたのも、未来子に声が届かぬほどに周りが騒がしいのがうっとうしいだけだった。
「二回目の告白になるんだ、君にはわからないのだろうけど。さっきずいぶん迷惑そうな顔をされたから気が重いんだけど。当たり前だよね、こんな人目がつくところで。僕が悪かった。僕は僕の思いを伝えたいばっかりで君のことなんか何一つ考えてなくて、この言い方もなんか気持ち悪いよね、ごめんね。さっき言ってた内容で言うと、僕が君と付き合えたら何をしたいかって話を僕はしたんだけれど、例えば観に行く映画をどういう風に選ぶとか、僕は君のご両親のことだって何一つ知らないわけだからもしできれば・出来ればでいいんだけど卒業までに一回くらい二人で旅行に行ったりとかはできないかななんて、僕は、君のことなんか考えもせずに告白するために拵えた勇気をそのまま陽気にしてそんな身勝手な馬鹿なことをのたまって、そうして君に苦い顔をされて、ごめんなさいって言われて、目の前が真っ暗になったけど俺にしてはよくやった方だ俺がこれで終わったんなら上等だと思ったら俺の終わりに限らなかったみたいで、みんな終わってしまった。そして気付いたらその前に戻ってきている。このままじゃあ、またアレの繰り返しなんだ。」
目に涙を溜めた今夫であったが、みんなこれを静寂の中、耳を立てて聞いていたでもなし、失笑2割、ややウケ2割、そもそも最早彼の言動を捨て置いた6割の有様で、円は疎らに解散するムードとなっていた。そうした周囲の閑散としたムードはさておくとして、だって一番大事な人が目の前にいる今夫は、自分にとって目の前にいるその人こそが一番大事だと改めて噛み締めてこう言った。
「未来子は、またこれが一回目なんだよな、じゃあ難しいと思う。なおさらだよな。俺だって積み重ねてないし、君にそんな熱心に話しかけたことだってないんだし、いきなりだよな。わかるよ、俺は2回目だけど、さっきは1回目だったし。その時は俺もずいぶん緊張したけど、君を相手に、俺は想像できる限りのことをしたつもりだったんだ。もし僕の告白をOKしてくれるなら、これからの高校生活で何をしたいか、君に伝えたつもりだったんだけど。俺は、フラれて、君は、すごく申し訳なさそうに、ごめんなさいと言って、頭を下げて、そうして真っ暗になって、大きな音がして、もっと真っ暗になって、ぜんぶなくなった。」
全身を震わせながら、未来子も膝をついた。
「みんなダメになって、次の瞬間、俺はまた校門の前に戻っていた。それが3分前?4分前かな?もう少しできっとまた来るよ。たったそれだけの差なんだ。だから、俺にそんなに期待しないでくれ。さっき僕たちは何も知らず死んだ。隕石がやってきた。今はそうじゃない、僕だけが少し知っている。5分前に知っただけだから、決して期待しないで欲しい。僕には何もできない。」
そしてまた、今夫は未来子の目を見た。向こうが自分の目を逸らさないのが不思議でならなかった。
今は、今はもっと想像ができるよ。さっきは、覚えてないなら意味ないかな、さっきは全然ダメだった。だけど今ならもっと想像ができるよ。高校時代の思い出作りなんかじゃなくって、もっとその先の、具体的なところまで、誰かが想像してくれるのであればいくらでもその想像どおりの便利なやつになってやろうじゃねえか、その想像ができないんだよだって先のことはわからないじゃないか、そういうもんじゃない漠然とでもいいから指針が、愛してください愛していいのですか、わからないけれど、何をするつもりだったのだろう、何でもするつもりだった、だって、フラれれば。
フラれれば隕石がくるのだから。
だから僕は、何としてもフラれないためにも邁進するほかないのだから、何周でもやってやるつもりだよというこの瞬間、次の周がある保証なんてどこにもなくてこのまま死ぬほかない可能性も十分にありうる、失敗した時にまた時間が逆戻る必然もない、以上、俺はなんとしてもそうするほかなかったんだ。
今夫が正門前から見上げた校舎の中央に掛けられた時計の針が指し示す時間は午後2時55分、未来子が死ぬまであと5分。あの、あの二度と見たくもない、あの理不尽な、あの余りな結末まであと5分、今夫はそれを見上げるや否や事態を半分察知して半分夢見心地のまま、全力で走る。この後の展開は理解している。次があるのかもわからぬ。死ねばそのまま死ぬかもしれない以上、もう一度、彼女に会うため、そうして走るほかなかったのかそうして走るほかなかったのだ。
「今は、今はもっと想像ができるよ。さっきは、覚えてないなら意味ないかな、さっきは全然ダメだった。だけど今ならもっと想像ができるよ。高校時代の思い出作りなんかじゃなくって、もっとその先の、具体的なところまで。ごめん、嘘かも。子供は欲しいかな?そうでもないかな? ……じゃあ僕としてはね、本当にどっちでもいいんだ。どっちでも楽しくできるかなと思ってて。とても漠然としている。ただ、君の答えが変われば、君の答えさえ変われば、そういう話ももっとできるのかななんて。本当にどっちでもよくて、ただ君の答えを知ることなくは。」
と、そこまで盛り上がったところで、未来子さんがどうしたのかは僕は知らない。僕はだって、今夫さんばっかり見ていたのだから。口が開く限り、人に口で喋るほかないわけだけども。