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園子温の『ヒミズ』観ました

最後まで書いて戻ってきたんですけど、ストーリーには触れないにしても致命的なネタバレを含まない書き方ができませんでしたー。あと普通に後半、高次のレイヤーを足して思考深めてくのが追いつかなかって歯切れが悪い。今後この映画を観ようかなと思う予定がある方でかつネタバレを好まない方は既に観た方になるまでは読まない方がいいかもしれません。上記に該当しない方のみどうぞ。カタカタカタカタうるせぇな!!!!!!あと、一箇所「ほう」って読むカタ混ざってんな!!!!

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掲題の通り観ましたのでなんか書きますー。とりあえずこれ、単体で、普通の一本の映画として捉えるとそんなおもしろくないな、と思ったんですけど。間違っても俺が日常の隙間時間でこの映画の名前を出すことはない。ほら、日常会話って言及した時点でオススメのニュアンスが発生するじゃない。そういうレベルのオススメでもするには値しないな、と俺は思った。

もちろん園子温という映画監督をあーだこーだ言って暇を潰す、という意味ではなんぼか喋ることはある。というか、そういうこっちで工夫して面白がるのアリならこの世に喋れないものなんぞない。

で、観た感想なんですけど、とりあえず第一印象思ったんは「あーこれはブラックハッカーが試しにホワイトハッカーに転向してみたんすねー」って感じ。無理が通れば道理が引っ込む、なんて言葉があるわけですけれども園子温という監督さんがこれまでやってきたことってまさにこれなんですね(つっても『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』『恋の罪』しか見てないんだけど。それについて書いた記事はこちら。読むのは別にこの記事読み終わった後でだいじょぶだよ。だいじょーぶい!)。ここでいう道理とは何かっていう話になるとたぶん常識とか一般道徳とか倫理観とかだと思うんですけど、そういう道理がいかに無理によって引っ込んでいくかというのを、無理を通すテクニックを駆使しながら見せていくっていうのがこの人の基本のやり口なんですね。ほんで更にタチが悪いのは、ここ少なくとも僕にはそう見えた、ってだけの話なんですけど、何がタチ悪いってこの人は別にそんな本気で無理を通したい!ってわけではないんですよ。今ある道理を心から否定して無理を通して無理が当たり前な世界になればいいなとかそういう信念があるわけでは別になくて、単純に「引っ込んだ!みてみてすごいね!こういう風にやったら道理が引っ込んだよ!うひょー!道理引っ込んだ!」っていうのを面白がってるだけなんですね。別にこれが悪いかというと別にそういうわけでもなくて、というか僕自身も割りとそういうの好きなタイプなので、「なんかイケたね!今イケてるよね!なんだか世界が開けた感じ今してない?すごいね!メアカだね!でもこれ気のせいだから。明日朝起きたらたぶん普通に何でだよってなるけどね。でもいいんだ!今イケてない?イケてるっしょ?では、今夜は飲み明かそうぞ~~~~!!!!かんぱ~~~~~~~い!!!!!!」みたいな、後半ずっと横でホラ貝吹いてくれてる相方がいてるんですけど。相方は天狗なんですけども。そういうの楽しいし大事だと思うんですよ。でもそういうものはあくまでそういうものであって、それ以上でも以下でもない。そこは謙虚に真摯に自覚しなくてはならない。で、そこらへんも当人は自覚してんだろうなと俺は勝手に決め付けてて、インタビューなんかでは「この映画のテーマは~」とか「こういう想いがありまして~」みたいなこと言ってるとは思うんですけどそういうのも「いや~やっぱ現代社会における流し台ってカップやきそばのお湯捨てたら結構ベコン!って言うと思うんですよね~。そのベコン!が結構気持ちいい音しやがるんで最近ずっとカップやきそば食ってるんですけど」くらいの感じだと俺は思ってるんです。

で、一番いい感じのベコン!を探して色んなカップやきそばを買って色んなステンレスにお湯を捨てて遊んでたのがこれまでの園子温だったんですけど、3・11がキッカケなのかは知らないんですけど無理を通して道理を引っ込ませるテクニックをもうちょっとちゃんと世の中にポジティブな影響を与える形で使えたりはできないもんかな?と考えた結果の『ヒミズ』なんだろうねってのは前情報ありきですけどやっぱ観てて思いましたね。あ、カップやきそばの比喩今後も混ぜてくとたぶんわけわからんなるんでここで捨てますけどね。カップやきそばの比喩を引き続き楽しみたい方はここで各駅停車にお乗換えください。

そういうわけで園子温の『ヒミズ』というのは、まぁ身も蓋もない言い方をすればマッチポンプですよね。たぶん当人も慣れてないことやってるわけで、慣れてない自覚があるからこその補助装置としての原作だとか震災だとかだと思うんですけど。そもそも僕は原作漫画もだいぶ好きなんですけど、あのノリは漫画だから成り立ってるところがあって、各キャラクターの外部への感情の表れ方がだいぶ格好つけてるところがあって、あのノリのまんま実写化してもあまりに厨二病のノリが炸裂してしまい全然リアリティがないなとは思ってたんですけど。そこは流石、小慣れたもんで、まぁ若干全登場人物頭おかしいなと思うところはあるにせよそれもいつものことですんで、あの漫画のストーリーを実写でやるとしたらたぶんみんなこういう言い方するんだろうこういう動き方をするんだろう、こういう動き方をする人間ならこの世にいるのかもしれない、と思わせられるラインを執拗に描写し続けます。リアリティがないストーリーに臨場感溢れる演出で無理矢理リアリティを与えて受け容れさせるのは毎度のことなんですけれども、更に今回は3・11の震災という現実の問題を綯い交ぜにすることで更に主人公を支配するネガティブな思考と僕らが日々の生活で抱えているネガティブな思考を接近させながらその説得力をより強固なものへと押し上げていきます。で、そうして出来上がった僕らの「もうだめだ」という道理を、いつもの無理を通してもっかい引っ込ます。たぶんそういうのをしたかったのかなぁと思いました。これまでやってた「無理が通れば道理が引っ込む」が「狂気を押し通せば理性が引っ込むというエンターテイメント」だとすると、ヒミズでやってた「無理が通れば道理が引っ込む」は「漫画フィクションレベルの非日常・震災によってネガティブな道理がまかり通る世の中なのであれば、それはポジティブなエンターテイメントによって引っ込ませたるぞ」みたいな感じなんじゃねぇかなと思うわけです。もちろんそれが出来てるのか出来てないのかは観た個々人が決定すればいいことだと思うんですけれども、まーでも僕個人はそういう今までとは違うことやってみてるもんで慣れてないなーって感が強かったんでアンヨが上手アンヨが上手みたいなノリで観守ってたんですけど。単純にあんまり刺さらなかった。でも、ただビックリさせるためだけに使ってた手品の種を、手品以上のものにできねーかなーって頑張ってるようにも見えたので、今後どうなるのかちょっと楽しみだとは思った。作品単体ではやっぱりそんな面白くねーなとも思うんだけど。でもそれはネガティブな道理を構築する過程で前に使ったような演出を多用しまくってたからってのもでかかった気がするので、園子温初見の人は意外とすげー向こうの意図するジェットコースターのレールに従ったままに割かし良い映画体験になるのかもしれない。そこは、俺にはわからない。というか演出の使いまわしもワザトかもしれないし。ワザトだとしたらOKとも別に思わないけど。一番最悪なのは、園子温という監督がヒミズという超ネガティブで親和性高い原作を取り上げといて、あえてああいう形でストーリーに手を加えることで結構ベコン!って言うんちゃうのん、みたいなそれだけの意味だったらきっついなとは思いますけど。まぁ、もし本当にそうであれば今後の作品が出来ていく中で「あれはやっぱそれだけのカップやきそば芸に過ぎなかったんだな」という見解が出来上がるはずだと思うのでいいんですけど。まぁ、手品で社会貢献するのは難しいけど、それが出来たらそんな素晴らしいことはないなーとは色んなことに対して常々思っています。以上です。