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「殺すという言葉を使ってはいけません」「はいはい、じゃあ黙って殺しますよ」

これを書くキッカケになったブログ記事はいくつかあるのですが、メモ帳を開いた今この瞬間の俺の頭の中で既に全く元記事に触れずただただ持論を撒き散らすだけになる算段がつきにつきまくってるのでここで元記事紹介するのもあまりに我田引水マイスターだなと思ったので控えます。

「殺すという言葉を使ってはいけません」

という言葉がありますが、僕はこれはある意味ではその通りだけれどもある意味では糞の役にも立たない言葉だなと思っています。

まずは前者の方から。

人間は言葉を使役していますが言葉もまた人間を使役します。性格悪いことばっか言ってるとそれに引っ張られてどんどん性格悪くなるよ。冗談のつもりでも軽々しく殺す殺す言ってるといつの間にか本当に命を軽んじる人間になってしまうよ。まぁ、そういうことってあると思います。言霊っていうやつです。なので「殺すという言葉を使ってはいけません」、これはある意味では正しいことだと思います。

じゃあ糞の役にも立たない場合。

例えば貴方の大事な誰かがちょっと心をこじらせてしまって実は内心既に殺すゲージはビンビンで言霊の力なんて要らないくらいに右肩上がりで殺意が膨張している真っ最中だとします。「殺してやりたい殺してやりたい」と繰り返す彼に「殺すという言葉を使ってはいけません」と言ってみましょう。これはたぶん意味ないどころか悪手です。いつか掲題の通りになることでしょう。そういう意味でこの言葉は糞の役にも立たないこともある、と僕は考えています。

後者のような用法でネガティブな感情をとりあえず封じ込めようとする考え方が、僕はすごく苦手です。これは別に心が弱い人間は大目に見て優しくしてやろうとか博愛みたいな気持ちから来るものではなくて、シンプルにこのやり方をやってるうちは人が人を殺しちゃうかもしれない確率が今よりはもう下がらないからです。「人を殺す奴は馬鹿です!殺しちゃ駄目です!」といくら喚いたところで人間殺すしかねぇと思った時は殺しちゃいますし、殺してもいいやと思った時も殺しちゃいますし、その時「殺しちゃ駄目ってずっと言ってたのにー!!」と騒いだところで殺された人は帰ってきません。覆水盆に返らず。これは恐ろしい事実です。恐ろしいからこそみんな「そんなこと言っちゃ駄目!駄目だかんね!わかった!?よし、んじゃテレビでも観ようか」みたいな感じでスッとやりすごしたい気持ちもわかるんですけど。それって結局臭いものに蓋をして無策に平穏無事を祈ってるだけなんすよね。

このパターンってネガティブな話題何にでも当てはまる気がするんすけど、「死ぬなんて言っちゃ駄目」「はいはい、じゃあ黙って自殺しますよ」とか「人をいじめちゃ駄目」「じゃあバレないようにこっそりいじめますよ」とか。ちょっと言われる側の気持ちになってみればそりゃあまぁそうなるよなぁってのは想像がつきそうなもんなんですが、ネガティブなイベントが自分のところにだけはやってきて欲しくない勘弁してくれと願うあまりに言葉のうえでだけ禁止して解決した気になってしまうのでしょう。

人がネガティブな気持ちを持って過ちを犯してしまうのってぶっちゃけめんどくさいし厄介だしはた迷惑なんでそんなもの無ければいいのになぁという気持ちはわかるんですけど、実際には人のネガティブな気持ちは現役バリバリでそこかしこに存在していることなんてちょっとテレビ観りゃわかるじゃないですか普通に生活しててもわかるじゃないですか。なのでもうネガティブな気持ちを忌み嫌って無いことにするんじゃなくてとりあえず在るものとして受け入れて、それをいかにうまく飼い馴らせばいいのか、そういうやり方を考えていくしかないんじゃねぇかなと思うんです。

そりゃもう世の中どうしようもない根っからの悪人もいるんでしょうけど。僕らが普段見かける不幸な事件の中には、飼えないから捨ててきなさいって言われた誰かがこっそり隠れて大事に育てた悪意とか絶望とか、そういうもんが引き金になってるようなケースってたくさんあるように思うんだよなー。だからせめて俺は家族とか友人とかがそういうのコッソリ飼ってるようだったら一緒に上手な飼い方考えたいし、捨てて来いなんて無茶は絶対言いたくないなーとか考えています。難しいんだけども。以上です。