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児童虐待の歌を有線で流さない問題と俺が飯食ってる時に志村どうぶつ園見たくない問題について

「ごめんね、ママ」児童虐待テーマ曲が有線放送見送り? 「これは流すべき」「どこがいけないの」と反発相次ぐ

http://www.j-cast.com/2013/10/04185446.html

読みましたー。有線見送り反発派が本当にいるのかどこにいるのかよくわかりませんけど何か思ったので書きます。まぁ、内容としては要約すると掲題のとおりです。

とりあえずまぁなんかそういう歌があって、一応聴いてもみたんですけど、その歌がどのような価値をもつのか意味のあるものなのか良いか悪いかはこれからする話ではどうでもいいので置いておきますけれども、何はともあれ「児童虐待について何かしらのメッセージを込めた歌があり、それを有線で流すのはやめとこうという判断になり、その判断はどうなんだと思ってる人がいる」というところだけについて考えていきたいと思います。

まぁ結局これって「お前は好きにしたらええけど人に強要はするなよ」っていう話なんだと思うんです。たとえば健康サンダルは足つぼ刺激されて本当まじで寝起きとか全然違うから四六時中履けよと言われたところでアザラシの飼育員をしてる僕としては長靴を履きたいし仮に健康サンダルを履いたところで手の生臭さは別に取れないよねみたいな、家で飯食いながらテレビ見てたらなんか戦争の結構エグい話とかしてて飯まずくなるからチャンネル替えよっかなって感じになりますけどそれに文句をつけるとしてそこで飛び出すべきフレーズは「戦争から目を逸らすな」なのか「食事中にテレビを見るな」なのか考えるとわけがわからなくなってくるという話で、なんかそう言われるとすげぇ全体的に馬鹿っぽいんですけど、こんなに豊かで情報溢れる現代だからこそ誰しもが「ながら」で色んなものに触れているんだという想像力をもっとみんな持ち合わせた方がいいよねという話を俺はしたがっている予感がします。

テレビ大好き一家の嫡男なのでテレビっ子なんですけど、飯食ってる時大体テレビ見てるんですけど志村どうぶつ園とかあんま見たくないですよね。動物とかって汚いじゃないですか。志村どうぶつ園じゃなくても油断してると唐突に虫が出てくる番組とか結構ゴールデンタイムとかにやってて、で、そうなるとチャンネル替えるわけですけど。あと帰れま10とかも食べたくもないもん必死に食ってる人見ながら飯食うのヤダなぁみたいな感じでチャンネル替えますけど。チャンネル替えれば済む話なんですけど、想像するに世の中にはそこでぷっつんやらかす人とかもいるんだろうなとかも思うわけです。苦情の電話入れるアホとかおるんかなぁ、みたいな。「19時20時の食事時に犬の排泄シーンを流すとは何事だ」みたいなの、ないことは無さそうだよなぁ。それで苦情対応係のテレビの人も「そもそもテレビ見ながら飯食ってんじゃねぇよ馬鹿」とかは流石に言えなさそうですけど、どれくらいテレビってそういうの配慮してるんだろうなぁ。わかんねぇけど。

たとえばこれは今日なかった話なんですけど、なかったんでつまり思考実験?みたいなやつになると思うんですけど、たとえば僕がよくわからんボロいラーメン屋に行くとするじゃないですか。味噌ラーメン頼んで出来上がるまで暇だなー思ったらこう、天井すぐ下、神棚の高さくらいにテレビあるじゃんこの店って気づいて、志村どうぶつ園がやってるとするじゃないですか。で、まぁぼやーっと見てたら味噌ラーメンが届いてさぁ食うかと思ったらパン君が巻き糞をひり始めたとするじゃないですか。あまりに見事な巻き糞なのでノーカットでご覧くださいとかナレーションの人が言ってるとするじゃないですか。ここで俺が「おいこらなんやこの店」って言うのは分が悪いですよね。そこまで店には非がないですもん。テレビ欄全部チェックして食事中にふさわしくない場面がないように配慮しろっていうのは流石に横暴ですよ。そこで怒っても仕方ない。だからってパン君の排泄見ながらラーメン食っても仕方ないので僕はおやっさんに言いますよね、「すいませんチャンネル替えていいですか?」つって。で、野球とか見てりゃいいと思うんですけど、ここに状況をもっと一つ足してみましょうか。巨人戦にチャンネルを変えようとした僕、その僕に一人のババアがメガネをクイッとしながら言ってくるわけです。「すいません、うちの子供志村どうぶつ園見てるんですけど」つって。このとき俺はどうすればいいのかって話ですよね。志村どうぶつ園は俺の中では飯時で見る代物ではないわけですよ。何せノーカットでパン君うんこしてるんで、「嫌なら見るな」みたいな話はありますけどノーカットとか結構間が持たないんでパン君の菊門をどんだけアップで映しても先端が覗くまではしばらく時間がかかるので実況みたいなナレーションもバンバン入ってくるじゃん見なくても聴こえてくるんだよ。なんでパン君の肛門の皺を数える声を聴きながら味噌ラーメン食わなくちゃならねぇんだよ幾ら間が持たないからって数えてんじゃねぇよこの糞放送作家がみたいな。なのでチャンネル替えたいですって言ってるのにババアがそれに対して「うちの子供はパン君の排泄見たがってるんです。人糞舞い散るスカトロAVが流れてるわけでもなしいちいち大げさにガタガタ騒ぐなんて貴方はどれだけケツの穴小さいんですか?」みたいなことを言ってくる。もうどうすりゃいいんだって話ですよ。平行線甚だしいですよ。そうなってくると21世紀現在の人間にできることなんて限られてくるわけで、もう多数決くらいしかないわけですよね。僕とババア一家以外にも客はまばらに店内におわしますので僕はそいつらを信じて声高らかに問いかけるわけです。「すいません、みなさん聞いてたと思いますがこのババアこのチンパンジーの排泄シーンが流れる環境下でラーメンをすすれと申しております。どうなんですか、こいつ。それでいいんですかね、どうですかみなさん?」とか言ってね。まー他の客の総意としては「どうでもいいからゆっくりラーメンを食わせろ」ですよね。大体俺だってそんなんどうでもいいからラーメンもうぼちぼち伸びちゃうからさっさとラーメン食いたいしね。なので結局俺は仕方なくパン君の脱糞を尻目にとぼとぼとラーメンを食べると思うんですけど。

まーなんか上記は俺が書いててなんかケツの穴が面白くなってきちゃって妙に極端ですけど、これの相似形の話ってこの現代すごい多いし児童虐待の歌を有線が流さないのに反発する人がいるみたいなのもそうだよね、みたいなことを思ったんですね。

情報が溢れかえって誰でも片手間に色々な問題を垣間見れるようになりましたけど、それって生活の一部にそういうものを差し込む余裕が出てきましたよねっていう話であって、それは結局生活ありきで考えられる話であって生活の途中の「ながら」でやってるに過ぎないわけですよね。飯食いながらとか、仕事の合間に休憩しながらとか、有線の話でいえば居酒屋で酒飲みながらとかシマムラで買い物しながらとか、そこで並行して他の情報の摂取もしやすい時代になりましたねくらいの話だと思うんです。その「ながら」の方で何かしらを強要しちゃダメだろみたいなのはとっても思うわけで、そうなるとやっぱ児童虐待をテーマにした歌が公衆の面前歩いてて突然流れるのはそんなんしんどいわって話で、そこで「流すべき」って言う人がほんまにいるんならちょっと勘弁してくださいよ、みたいなそういう話です。

いやほんとこの相似形の話多いよなーって感じは日々あって、インターネットは自分の知りたい情報だけ知れる危険なメディアだみたいな言説なんかを当てにしてしまいがちですけど、そんなん関係なく遥か昔から顕在していた問題なんだろうなぁと思いつつ、ちょっとこっちが気分良くランニングしてたらシオマネキみたいな右腕だけ異常に発達した男が並走してきて「おまえランニングなんかしなくていいから片腕懸垂だけをしよう」って言ってくるあの感じ、もう本当知らんがなとしか言いようないんですけどその知らんがなを圧倒する熱量をもって働きかけてくる人というものが世の中にはいるもので、それはもう俺の本心丸出し掛け値なしの知らんがなをいいタイミングで伏せていいタイミングでトラップカード発動させて知らんがなというほかないんですけど、難儀なもんだなと感じます。

恋愛コラムにしても恋愛って生活のごく一部だし、働き方コラムにしても働き方って生活のごく一部だし、南半球の貧困も世界の一部の話で俺の生活との距離感ってすげぇ遠いし、何を話すにしても「みんなそれぞれの生活をしながら考えなくちゃならない問題」っていう考えるにしてもその時間をどう工面するかから考えないと仕方ない話のはずなのに、時間の矢はたった一本で俺の口はたった一つでたった一つの口は一秒間にたった一つのテーマについてしか語れないわけで、そういう恐らく生活との両立に即さない局地戦がすんげー繰り広げられてるなーっていうのはインターネット関係なく何でもそうなんだろうと思うばかりです。自分の興味があるジャンルに関しては誰しもがシオマネキみたいにマッチョな時代なのかもしれませんな。以上です。

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