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『HEY!HEY!HEY!20周年』観てテンション上がったのでなんか書く

これを見かけて以降、河村隆一が歌ってるの見かけると面白すぎて膝から崩れ落ちてしまう。河村隆一は悪くない。

HEY!HEY!HEY!20周年』みたいな特番を今日やっていて観てたんですけど、いやー俺も好い加減歳とったな、と思って大変でした。当方28歳のアラサー、言ってしまえばオッサンです。『HEY!HEY!HEY!』という番組は最早オッサンホイホイとしか形容しようのない化石みたいなものであり、石油というほどではないにしても牛乳パックに注ぎ込まれたゲル状の油に似た代物であり、それにホイホイされて獲物の肉を食いちぎるワニの如くはしゃぎながら回転する俺はもう紛れもないオッサンなんだなと痛感させられて非常に痛快だった。すげえんだよ、華原朋美とかMAXが生で歌ったりするんだけど、それこそ俺が小学生の時に見た山本リンダがあの名曲をスタジオで大熱唱みたいなオーラを既にちょっと纏ってきてるんだよ。あ、あの時、俺がテレビ観て「おもしろいおばさんが出てるな」って思った時、親父やお袋はこんな感じでテレビ観てたんだなって思うしゲラゲラポーが聴こえなくてポカンとしてる少年少女が確かにこの瞬間日本中にたくさんいるんだなって感じがすごいのよ。

すごく個人的なあるあるとして、歌のうまい野球部は必ず持ち歌がGLAYLUNA SEAっていうのが俺の中であって、たぶん毎日練習してるからカウントダウンTVまで起きてられなかったんじゃないかと思うんだよね。情報源がHEY!HEY!HEY!かMステしかないから結果としてそっちに寄っていったんじゃないかって仮説が俺の中にあるんだけど。例えば坊主頭で『glass』を熱唱するのは今になって考えるともうそれだけでギャグとして全然成立してるんだけど、だってアレ歌詞だけ見たらただのロミオメールなわけじゃないですか、けれども当時の俺たちにはそんなことで笑わせやしないぞ、俺たちは青春の真っ只中なんだぞっていうそういう気概があったように思う。俺たちにとっては箱の中が世界のすべてだったし、箱が小さければ小さいほどちょっとやそっと暴れただけで箱は揺れたし、つまり俺たちは世界を揺らしたような気分を簡単に満喫できている、そんな良い時代だったんだなと思う。ちなみに今日見かけた河村隆一は思い出の頃の河村隆一に比べてすっかり肥え太っていてシルエット米良美一みたいだなと思って余計面白かった。

そういえば『HEY!HEY!HEY!』にはKiroroがよく出ていて今日も出てたんだけれども花*花とよくごっちゃになったよねという話を嫁としていて、まぁ普通にいけば「全然似てねぇよ知ったような口を利くな」という話になるのは別に正しいとは思うんだけど、それにしてもそういう同系統が多い時代だったよなっていう気もしていて、確かにアーティストそれぞれは違う人生を生きて違う志を持ってそれぞれの歌を歌っていたわけなのだからそこを「同じように見える」と言ってしまうのは失礼な話なのだろうとは思うんだけど、それにしてもあの頃そういうのすっげ多かったよな、っていう気がしないでもない。思うにあの頃ってもうテレビが一番偉い黄金時代だったわけで、今以上に二匹目のドジョウを狙いにいくのに躊躇いの無い時代だったんじゃないかって気も今になって思えば感じるんすよね。フクロウカフェとか最近東京で流行ってるらしいやないか、なんやお前もやりたいんか、じゃあワシが金出したるからやったらええやないか、つって冨樫の近影みたいなエロい犬顔の社長さんがキャバ嬢に出資してミナミに店舗ができるみたいな、俺の中でのフクロウカフェってそういうイメージなんですけど、実際のフクロウカフェがそんなんなのかどうかは全然知らないですけど俺の中ではそういうイメージなんですけど、たぶんそれに似たテンションが当時は今以上に盛んだったんじゃねえかなと思って、Kiroroが売れたらKiroroに似た奴探してきて、宇多田が売れたら宇多田に似た奴探してきて、椎名林檎が売れたら椎名林檎に探してきて、みたいな、もちろんこれはアーティストに対してパクリだなんだという話ではなくたぶんそういう運動法則が働いていたんだなぁみたいなことを考えたりするわけです。ちなみに今日の放送はsurface出てきませんでした。

あと全体的に「懐かしかったよね」って話をしてたところなので全然関係ないけどSMAPの新曲が中田ヤスタカっていうのを見かけて初めて聴いたんだけど、めっちゃ簡単な歌いやすいメロディだけどコード進行?だけ山口一郎みたいでなんかおもしろかった。全然関係ないうえに、違ったらごめんレベルなんですけど。

そして何につけても最後がキャスト全員による『WOW WAR TONIGHT』だったんですけど、当時と同じように浜ちゃんと小室が肩組んで歌ってるんだけどこれまでの間に色々ありすぎて当時と意味合い全然変わってきすぎちゃってる感がすごくて面白かった。だって小室さんちょっとゴーストライターの新垣さんみたいな表情に見える瞬間あったもん、色々あったけどこうやって演れててよかったねって思ったけど、いや~20周年か、20年って長げぇわって思って。『HEY!HEY!HEY!』でお馴染みのメンバーがいっぱい出てたわけだけど当たり前ながらみんな本当老けたな~って思って、これは呼ばれたらすぐバラエティとかにも出てきちゃうセクシャルバイオレットNo1をありがたがって聴いてた親父のように俺はそう遠くない未来に還暦迎えた河村隆一のglassとか聴いちゃうのかな、と思って。その頃テレビ生きてるのか知らないけどそんなことを思ったわけです。

そういうわけで「嗚呼おれは若い頃に聴いた曲を若い頃に聴いた曲として墓場に持っていくのか」とか思う一方で、俺よりもっと若い世代もそうして若い頃に聴いた曲を墓場に持っていくの?とか思って、たぶん俺の世代の人って死ぬまでポルノグラフィティとかTRFとか歌ってそうなんだけど、今の若い世代は50代になってもSEKAI NO OWARIとか初音ミクの消失とか歌うの?とか思って、それちょっと想像つかねえわと思って。たぶん結論としては歌うんだろうけどね、そこがちょっと想像しにくいあたりやっぱ俺はおっさんになってるんだろうなーなどと思った。大人になったとか時間が経ったとか普段生きててあんまり実感ないわけですけど、昔聴いてた歌手がおっさんおばさんになってるの見かけると、ガキの頃50年前にあったと言われた戦争がすっかり70年前の出来事になってるのもそりゃ当然だよなみたいな実感とかリアルとかがぐぐぐっとやってくるんだよな。

あと、当時はそんな言葉なかったけど、サークラタイプの女はみんな好んでaiko歌ってた気がする。そしてその策は機能してた気がする。以上です。