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【再掲】痔と共に過ごした8年間と痔の手術の辛さを大いに語る

痔の辛さを延々語るブログを読んだので僕も痔と痔の手術の経験者なので思うところあってなんか書きました。糞長いです。

下記が本記事を書くきっかけとなったブログへのリンクになりますが僕の本文も痔の話になるので立て続けに二人の人間が痔について延々記述してる文章を読むというのは結構大変なことだと思うので読まなくてもいいかもしれません。そもそもこまけぇこたぁ抜きにして純粋に他人の痔の話とか読まなくていいかもしれません。

私の肛門について詳述します http://d.hatena.ne.jp/nc4000/20130310/1362945696

なんか、痔の話って前に書いたことあるような気がするんですけど、とりあえず自分のtwilogで検索してみたんですけど見つからなかって、ただなんか文字に起こしたような記憶が曖昧に残っているのでもしかしたら昔にANAの機内誌とかに寄稿したのかもしれません。「私とおしり」っていうタイトルで、最初の6行くらいは普通にニュージーランドかなんかの景観について書いてるんだけどしかし海外のトイレはウォッシュレットついてないよなみたいな話になってからはもうずっと痔の話みたいな二万字くらいあるやつ。

で、痔の話なんですけど僕の痔の起源は中学生の頃に遡ります。中学では無勉でそこそこの成績を修めていた僕ですが、無勉でそこそこの成績を修めている奴特有のアレで家で机に向かって勉強するという習慣が皆無だったため高校受験が近づいてくると僕はビビって塾に通うようになりました。そこの塾の椅子が糞固くてですね。そこの塾の椅子が糞固かったのが僕が痔になったすべての原因だと僕は今も信じて疑いません。実際にそこの塾の椅子が痔を育てるタイプの椅子だったのかどうかというものは統計とってみないことには何ともなんですけど、そんなんないですけど塾の同窓会とかあったらマジでみんなに聞いて回りたいくらい椅子がめちゃめちゃ固かった思い出として俺の脳に深くメモリーされています。そういえば今考えるとお尻が痛いからっていう理由でザブトンとか持参してる学友とか結構いたような気もするし。ただ、僕その時ジャンプの読みすぎで「男はちょっと鈍感くらいがかっこいい」みたいな思想があったので「そう?俺は全然平気だけど?」とか言ってました。あの時ザブトンを持ち込んでたやつらは今もストレスのないうんこ生活を満喫しているのかと考えると心穏やかじゃないんですけど、憎しみが憎しみしか呼ばないということくらい僕もいいかげんわかっていますので、なんか野球選手がスタジアムの年間シートを自腹で購入してファンの子供とかを招待するみたいなノリで将来お金持ちになったら僕がかつて通ってた塾にふっかふかのクッションを送りつけてノートとるのめっちゃキレイだけど点数取れない馬鹿とかに座ってもらってほしいです。

で、高校生になった頃には僕はすでに立派なイボ痔を患っておりまして、ただ痛みはまだこのころは全然ないんですね。うんちする時にぷりんって飛び出るので、お尻拭いた後に押し戻すとぷりんって帰ってく程度です。かわいいもんです。なのでまぁ放置していたんですが、今思えばこの段階で深刻に塗り薬とかで対応しておけば全然違ったんかなとか考えるとやりきれないんですけど、人間一度生活の水準を上げてしまうとお金がなくなった時に元の水準に戻すのがなかなかできないなんて話があったりしますけど、ぷりんちゃん(ぷりんちゃん)も同じで一度狭いお尻の世界を飛び出して外の世界を目にしてしまうとまた外の世界に行ってみたくなるわけで、すぐぷりんって飛び出るようになるんですね。やっぱ最初は体育とかしてる時とかに油断するとぷりんって出ます。当時は汗が潤滑油的な役割を果たしてんのかなとか思ってましたがお尻の内側のぷりんちゃんが汗をかくのかどうかよくわからないですし糞どうでもいいです。で、これが出ちゃうと人前でパンツに手を突っ込んで指で戻すわけにもいかないし、かといってそのまま放っておくとパンツとかと擦れて若干痛かったりするんですね。なので僕は手を使わないでお尻の筋肉をうまくコントロールすることでぷりんちゃんを尻の中に押し戻すという技を身に着けるに至りました。パンツに割り箸はさんで折るやつを剛の技とした時それに対する柔の技がコレです。

その後も人生のしばらくの期間を柔の技で凌ぎながら僕は生きていくわけですが、まぁこんなの応急処置でも何でもないただの気功の応用みたいなもんなので気功の応用みたいなもんですらないんですけど全然根本的な治療にはなってないしむしろどんどん悪化していってるわけです。ぷりんちゃんが外の世界に出てる時間はどんどん長くなっていって、太陽の光を浴びる時間が増えれば増えるほどサイズもどんどん大きくなっていく。それでもぷりんは頑張って今日も飛び出る明日も飛び出るみたいな期間がしばらく続いてたんですけど二十三歳の時に限界がやって来ました。もう無理、みたいな。出てない時でも痛い、すぐ出る、出たらもう風が吹くだけで痛いパンツに擦れたらもっと痛いみたいな状態です。高校の時からなんで足掛け八年くらい育てた痔なので、そりゃあもうトータルでどんだけの時間パンツに擦られてたんだよと考えると遅かれ早かれこうなるのは仕方なかったんだろうと思います。

例えば、お母さんを探す旅に出ていた女の子と犬がいるんですけど、なんかお腹が空いたとか大したことない理由で女の子と犬は大ゲンカしちゃって女の子は「もう知らない!私は一人でお母さんを探すからもうペロはついてこないで!」とか言って。犬はなんかしょぼーんってして尻尾もくるーんとして耳もしゅーんってして、ちょっと遠目から女の子を追おうとするんだけど女の子にキッと睨まれて余計しょぼーんみたいな。「ペロなんか勝手に一人でおうちに帰ってればいいのよ、ふん!」とか言いながら女の子は峠に入っていくんですけど、それを遠目で見やってた農夫のじいちゃんが「女の子?まさかなぁ、野犬と熊が出るこの峠を女の子が一人でなんて、あるわけないよなぁ」なんつってさ。で、峠を越えるまでの間に何泊かしながら女の子は危なげなくもう一息でお母ちゃんのいる村だーとか言ってたらマタギのおっさんが向こうから歩いてきて。「どうしたんだいお嬢ちゃん、村の子かい?峠に近づいちゃぁ危ないぜ。」「違うの、わたしはこの峠を越えてきたところなの。今から村に行くのよ。」て返したら「そ、そんな馬鹿な!?」とか言われちゃってこの峠は今は野犬の群れと熊がすごくて一昨日だって3人食い殺されてるんだ峠を越すなら何泊もしなくちゃならないその間ずっと君が無事だなんてそんなことあるわけないじゃないかーとか言われたと思ったら薮の方から熊がガオーつって勢いよく出てきて女の子に襲い掛かるんだけどそこで反対側の薮からワオーンつって出てくるのがこれペロだよね。で、熊に痛いなこの野郎って感じで樹木に叩きつけられてキャインキャインとかやってるうちにマタギのおっちゃんが猟銃で熊を撃ち殺してまぁまぁ何とか事なきを得たんですけど女の子がペロに駆け寄って「大丈夫、ペロ?ありがとう、ペロ。」とか言うんですけどもうぐったりしててペロは息を引き取る寸前なわけ。よくよくペロの体を見てみると明らかに今の熊との戦闘じゃない傷がそこかしこにあって、女の子は気づくわけです。「ペロ、もしかしてお前、毎晩毎晩野犬から私のことを守ってくれていたのね!」ああ、なんて優しいペロ、女の子を守り抜いて死んでいくペロ、ごめんねペロ私こんな馬鹿なのに守ってくれてありがとうペロ、ごめんねペロ、ありがとう本当にありがとう、大好きだよペロ、このペロくらい僕のイボ痔は既にボロボロで限界の状態になってたわけです。

そうして僕は遂に手術を決意しました。もう日常生活に支障が出るレベルに達していたからです。初めての肛門科にいってお医者様におしりをぺろーんと見せたところ「ああ確かにこりゃ切ってもいいかもね」となりまして、その翌週には手術することが決定。びっくりしたんですけど日帰りで自転車とかバイクには乗らないできてねー、とかめちゃめちゃ軽い感じでした。で、まぁお医者さんがそういうすごいぬるいナメた感じでいるので僕も当然その空気を敏感に察してこっちもナメた感じで臨むわけで当日は自転車に乗って行きました。だって遠いし電車より自転車が一番早かったし寝坊して遅刻しそうだったし。

さっそく手術がスタートします。僕はうつ伏せに寝っ転がって部分麻酔を打たれます。で、しばらく放置されます。しばらくするとお医者さんに「あー麻酔効いてきたねー出てきた出てきた」とか言われて。なんか外に出よう出ようとするぷりんちゃんは俺の無意識が制御していたらしいです。俺のお尻は無意識に筋肉に力入れてぷりんちゃんとこの8年間ずっと闘ってたわけです。で、今は麻酔でその無意識の力みもゼロの状態になってるのでぷりんちゃんがもう出られるだけ外に出きった状態になってて首輪から伸びる鎖をビンビンにして地面を掻いてる馬鹿犬くらいぷりんちゃんは全力でお尻から飛び出てるとのことでした。見えないけど。そこで医者が取り出すのが電気メス。これも見えないのでよくわからないんですけど、出てる部分をこの電気メスでバリバリと焼き切るという手術なわけです。で、部分麻酔なんで意識はハッキリしてて焼き切ってるのがすごいわかるわけですよ。焦げ臭い匂いが漂ってきます。人間の肉が焼ける匂いって当然未体験ゾーンだったので、僕はまじかよと思いながら脳の中をひっくり返して一番類似した匂いを探しましてお医者さんに声をかけます。「この匂いは、あれですか毛が燃えてる匂いですか?」「いえ、患部が焼けてる匂いです。」え、まじで?人間の焼いた匂いってこんな匂いなの?むしろそんなまじで焼いてんの?「本当ですか先生、毛じゃないんですか?」「毛じゃないですね」みたいな。なんか僕が肛門は好きにしてくれて構わない構わないだが!ケツ毛だけは勘弁してくれ!みたいな奴になってますけどそんなこんなで手術はあっさりと終了。麻酔が効いているので足元も覚束ないまま僕は別室に案内されて点滴を打たれて1時間ほど仮眠をとります。麻酔が切れたらもう終わりなのでそのまま帰っていいとのことでした。

そして1時間後激痛で目を覚ますわけです。むちゃくちゃ痛いんです。そりゃそうだ。切ってるわけですから。それまで8年間をイボ痔と過ごしてきた僕ですが、この時が一番ぶっちぎりでハイレベルな切れ痔を患ってるわけです。これがもう、めちゃくちゃ痛いんです。この痛さを伝えるためにはもうお前を殺しちゃうかもしれないね、ってくらい痛い。女子がセックスについて寄せるコメントの中で「内臓かき回されるわけなんだから優しくしてよね」みたいなやつがあると思うんですけど、痛みにのたうち周りながら僕はあのセリフをちょっと思い出したりとかしてた。別にこれは、痛みを伝えるために引用したいフレーズではないんです。ただ23のええ大人がケツが痛いとのたうち回りながら「内臓かき回されるんだから優しくしてよね」っていうフレーズを想起してる、その事態の尋常じゃない感じを察して欲しい。痛みは十数秒に一度襲ってきます。前述しましたが人間は実は無意識のうちに肛門に力を入れながら僕も貴方もあの子もみんな肛門を力ませながら生きています。これは無意識なので基本的に自分の力でコントロールすることはできません。どんな激痛を伴うことになろうがなんだろうが肛門はそんなん知ったこっちゃなく十数秒に一度筋肉を収縮させるのです。僕はこれを「お尻のまばたき」と名づけました(知らんがな)。そういうわけで十数秒に一度起こるお尻のまばたきの度に傷口の肉が擦りあわされて激痛が走るのです。もうねーこれがまー本当に痛いんすよ。お尻がまばたきする度にウイスキーぶっかけて鉛弾をほじくり出される人みたいな呻き声をあげてました。これ痔の手術経験した人だけが集まった忘年会とかではかなり諸手をあげて歓迎される言い回しなんじゃないかと思う。かくして僕はもちろん自転車に乗ることなんて出来るはずもなく、十数秒に一回鉛弾をほじくり返されながら自転車を押して家に帰るという拷問を受けたのです。

で、まー家帰ってからも立ってられないから寝るんですけどね、立ってようが寝てようがお尻のまばたきからは決して逃げられません。ずっと続きます。ずっと続きます。3日か4日は寝たきりでした。お尻よまばたきしないでくれと願うだけの時間が続きます。テレビは見れません。本は読めません。お尻は僕がお尻のことを忘れるとすぐにまばたきをするからです。僕にできるのはお尻がまばたきをしない身体をイメージすることだけです。自己の身体との対話です。小鳥が僕の体に止まって全然逃げない感じをイメージします。「お、今うまくいってる?」と思った瞬間お尻がまばたきをしてまた僕は唸り声をあげました。脳が寝ようとしてもお尻はまばたきをします。お尻はまばたきを決して忘れません。結局眠りにつけるのは明け方、もう激痛にリアクションするのもしんどいくらい疲れ果てた後です。それがずっと続きます。もうこの手術後を書き始めたあたりから完全に思いだし痛がりでペンが走ってない感じ、筆圧が下がっている感じを察してほしい。この段落が、すごく悲しい内容の絵本の最後の方がやたら短い短文が続く演出のあの感じになっていることも察してほしい。本当に辛かった。

そんなこんなで5日とか6日してようやくなんとかかんとか動けるようにもなってきて、それでも2週間くらいはドクロとったボンバーマンくらいの速度でしか動けません。あとは、これは一番初めにあげたブログの方でも言ってるけど、傷口にウンコが塗りこまれる感覚ね。精神的にも衛生的にも大きなダメージとなる。あれも辛かった。まーそうは言っても、その後は完治に向かうばかりなんでね、やがて未必の切れ痔が治ってからは快適このうえない生活を送ることができるようになりました。治ってからの話を書く段になったらテンションちょっと戻ってきて未必の切れ痔とかネーミングつけ始めるみたいな。まーまとめますけど、疲れてきたんで強引にまとめますけど、痔にもいろいろ種類があるとは思いますが、僕みたいに手術で完全に治すことができるのであれば、さんざん述べた通り術後しばらくは糞しんどいですけど、選択肢としては全然アリです。少なくとも僕は手術して良かったなぁと思っています。なかなか身近な人には相談しにくい話になるので、どこかで悩んでいる誰かにとって少しでも助けになればと思い今回は自分の経験を記事にしてみました。すべての肛門に幸あれ!

あーでも、ただ、イボ痔ってたぶんニキビみたいなもんなんで、一回治ってしまえばもうならないとかそういう性質のものじゃないですよね。もしかしてまたぴょろっと出てるんじゃないかみたいなハリウッド版ゴジラのラストみたいな状況がここ数年僕のお尻でも続いています。これが育つとまたいつか手術するのかみたいな話は、ちょっと今は考えたくない。いや、当時は23で若かったし未来もある。何糞みたいな気概もあったから良かったけど50とかなってアレとか普通に体力もつのかみたいな、家族とか子供とか守らなくてはならないものがあれば頑張れるかもしれんけど、普通に未婚で子どももいなかったらそのまま死んじゃってもいいかなってくらいきつかったような気がする。そう考えると結婚できて本当によかった。嫁さん、いっつもおいしいご飯をありがとう。以上です。