読みましたー。
言うて僕も気づいたら32歳とかなってて、プロフィールでいうと妻子持ち、一児の父なんですって。ずいぶん所帯じみたなぁとかは思いますけど。あ、あと今思い出した思ってたことですけど、イクメンって言葉は「所帯じみた」って自己認識するのが嫌な男を対象にしたアンチエイジング的な文脈から生まれた言葉だと思ってる。おっさんと思われたくないけど、育児を嫁に任せっきりとも思われたくない、みたいな。で、なんだっけ、ああ俺が所帯じみて一児の父でみたいな話か。知らねえよって思ってますけどね。俺がその気になればお前今すぐぶん殴れるからなってのは、結婚しても子供持っても変わんないですけどね。俺がそうすることで不幸になる人がいくら増えたって、俺がそれを実行する可能性は常に俺の横に遍在しているからなと思って生きてますけど。俺が拳をギュッと握って1mほど前に突き出せば誰かに痛い思いと屈辱を与えられるということが物理的に保証されていくという事実は常に大事にしていきたいなーと思っています。殴らないけどね。
中年の危機みたいな話でいうと、僕は32歳まだまだ若造で、まだ「【まだ】僕にはわからない難しい話ですけどー」みたいなことを言っておいた方がまぁ多分無難なんでしょう。それくらい分かるけど、そう言わなくちゃなんないのダルいなー、みたいなのはまぁ10代からずっと思ってるよねとかは思う。でもまぁなんか最近は会社のみんなで飲みに行こうみたいなって行っても、あんまり上を呼んでもつまんなくなるしってところでギリギリ呼ばれる一番上くらいに今はなってきてて、座敷の端っこの方に座って誰がどこに座ってるかを目だけでチェックして、話し相手いなくて手持ち無沙汰になっちゃうやついないかなーとか心配しつつ、いなかったら良かったねあとは楽しくやっといてよ金はまぁ少しは多めに出すからさみたいなそういう感じの飲み会参加になって、俺もおっさんになったなーと思ったりはするので、こういう感覚の延長上に中年の危機があるのかなーみたいなことはまぁ想像はつくつかないで言えばつく。
でもなんかじゃあ俺がこの先、中年の危機みたいなものに陥るのかって考えると「たぶんねーなー」と思ってて、なんかまぁ俺も色んなおっさんと話すことあるけども実際にそういう危機感を持ってるおっさんと無縁のおっさんと色々見かけててなんとなく見えてはいるんだけど、危機感持つおっさんって、なんつーかこう、「達成感」をモチベーションにやってる気がするんよな。何かを「作り上げた」とかさ「やり遂げた」とかさ、そういうものを生き甲斐にしてやってるとそりゃあどっかで「もう俺に作れるものやれること全部やったぞ」って絶望するでしょ、そりゃ、みたいなことは思う。僕は残念ながらそこらへんの才能に欠ける平凡な人間だったので「自分だけに成し遂げられるようなことはない」みたいな結論にはさんざ悩んで20代前半には終わらせてるんよな、それ以降は「俺は中長期的な計画を立てて自分の思想を体現するような何かを作るほどの才能はない、なので毎日俺らしく瞬間瞬間を生きればいいや。その積み重ねで何かがついてくるなら良し、ついてこないならそれはそれで別に俺は俺をやるだけなので良し」みたいな考えに妥協していったので、あんまりそういう絶望を、わからんとは言わんけど今更感は感じるのだった。
だってもう、金を多めに出すんだから俺の話を聴けみたいなおっさんってたくさんいるじゃないですか。俺あいつら死ねよと思ってるんですけど、俺はそういうおっさんにならずにすみっこで迷惑かけずに飲んでるぞ、みたいなことで俺は満足なんですよ。それは俺の人生に対する満足じゃなくて、今日の満足で、明日もこんな感じでダサくない俺でいられたらいいな~~みたいなそんな感じでやっている。俺は俺がダサいと思った年上みたいにはならないぞ、は僕の人生の一つのテーマなのでそれだけであんまり今後退屈をする予定はないんだよなぁ。
考えるに諸説あるなぁ、とは思う。40とか差し掛かったらちんこ弱くなるしね。みうらじゅんだったか、男はちんこに支配されてるから、勃たなくなって初めて支配から開放されるんだよとか言ってた気がするけど、それはえらい極端な話だけど、ちんこ勃たなくなって羅針盤ひとつ失うみたいな感覚は人に寄ってはあるのかもしれない。
あとなんかこの中年の危機って男の話じゃん、女性の更年期の話とかあるけど、明らかにそれとは別に語られてる感じじゃん、って考えるとジェンダーの話なのかなーって気もする。
なんか女性ってさ、他者評価を指標にやってくのってすげえ大変じゃん。ルックス突っ込まれるし、女性としての規範は問われまくるし、他者評価をあてに自己を肯定していくのってめちゃんこ難しいじゃんとかは思いますよね。そうじゃない世の中にしていきまっしょいって思いますし。だから女性って自分と向き合うというか、他人とか関係あらへんでのテンションで自分を見つめるフローみたいなんがたぶん10代からずっと必要で、そこで向き合って答えを見つけた人はかっこいいし見つけられない人はむつかしいみたいなのが女性の10代以降だと思うんですけど、男ってそこらへんで言うと逃げ切れちゃうよね~とかは思うんですよね。自分が自分でどうありたいかみたいなことに結論出さずとも「俺は他人にこう思われてる、俺は社会にこう必要とされてる」だけで、結構40代くらいまでは引っ張れちゃうのかなーみたいなことは考えててさ。それ自体は悪いことじゃないんだけど、構造的にはそんな感じなのかなーとか思ってて。
phaさんなんか「ダルいです、世の中の常識とか知らないです、勝手にやります」って感じでやってるけれども、それで選んだ変で面白い道、女性だったらもっと叩かれてただろうし、男性だから「変な人だなー、くたばったら馬鹿にするからなー」くらいで済んでて「くたばってないじゃーん」くらいで済んでる今で、女性だったらもっと大変だったんだろうなーみたいなことはなんとなく想像できて。なんつーか、絶望する機会は男の方が少ないんだろうなーとかは思うんですよね。もちろん、絶望自体はみなさんやってるんでしょうけどね。
それでいうと、僕はブルーハーツから始まる一連の系譜がすげえ人生に必要に大好きになんですけと、そのなかで「うんざりなんてしてて当たり前、絶望なんてしてて当たり前」なんて歌詞があるんですけど俺はそれをそのまままるっきり真に受けていて、そのとおり人生そういうもんだと思ってやっているんですけど、この中年の危機の話題を見ていると、なんか「え、みんな意外とそんな絶望してないの!?」とショッキングですらある。ずっと絶望しながらやってきてたのに、みんなもそうだと思ってたのに「実は最近絶望しててさぁ」と言われたら、ちょっと思ってたんと違うぞってなるよ、みたいな。
それこそTOKIOの山口達也がやらかしてましたけど、なんか思ったのは、「かわいい女の子」を10代20代と定義して、そこらへんにモテるのが「モテる」「男の価値」みたいなに定義してしまうと、そりゃあ40代越えたところで詰むよね。だって父親と同じ年齢とかじゃん、っていう。例えばそういう状況に納得がいかない!!ってなるのであれば、それはなんかそいつが思想をアップデートしなかったことに問題があるよねーみたいなことを思って。
結局、アップデートしないで何とか逃げ切れるのが40代とかなんじゃねーの?って思うところがあって、それでいうと女は、40代まで全然逃げ切れないから、その遥か手前から頑張らないと苦しい。見目の悪い人は10代から苦しいし、20代までは逃げ切れても美人だろうとなんだろうと30代が見えてくると厳しい。他者評価はいつも自分をおちょくってくるし、自分で自分を愛せるようにならないときっと苦しい。たぶん女性の場合は40代半ばまでになんとか自分なりの答えを見つけて自由にならないと、その後一生を「女性らしく」を女性に強要することで自分らしさを保つしかない老害になってしまう感じがする。それに対して、男はやっぱり逃げ切れてしまう。40代くらいまでは。後進を育てなさいくらいの立場になるまでは、「俺が俺の人生の主役として生きて何が悪いんだ」って感じでえいやとやれてしまう。そうじゃなくなった時に、初めて本当の意味で自分と向き合わなくちゃならなくなってしんどい、みたいな。なんかそういう構造なのかなーと思っている。
最近家買おうかなーと思ってるんだけど「買ったらだいたい給料の使い方も全部計画出来上がってるから、それに従って70まで生きるだけだわ」とギャグで言うけど、これを本気で思う人もいて、せっかく夢のマイホームを買ったのに虚しくなってしまう人もいるんだろうなーと考える。子供ができたら虚無は先延ばしにできるのか、とか言ってるけど、それもやっぱ気の持ちようで「大学までやるのになんぼ金がいるなー」と思ったら、マイホーム買った虚しさと同じような感じになる人もいるんだろうなーと思う。
なんかおれはそこらへん本当に全然なくて、みんな勝手にやればと思っているし、そのみんなの中に俺も含まれていると思っているし、当の俺は、その日その日をなんか面白いこと言えて「あー俺は今日も面白いこと言えたなー」と思ったらそれで満足で、目標も見通しも全然ないから、ないこたないけど、それは「この感じで毎日やったらこうなるなー」って予測で目標ではないから、毎日楽しいし、40代なって楽しくなくなるみたいな感じがいまいち想像できないんだけど、まぁこの文章も40代楽しくやるための伏線だし、なんか、まぁいいや、最後に気の利いたこと言うのもめんどくさいし、推敲もめんどくさいんでとりあえずアップロードボタン押しますわ。
以上です。