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妊活の頃の話

 僕と松山ケンイチが同い年で、嫁が深田恭子と同い年なので、『隣の家族は青く見える』が二倍面白い。

 僕はもともと結婚願望も子供を持ちたい願望もまるでないどころか、自分がそういう人生を歩むことについては否定的というか要らねえやと思っていたタイプで、血がつながっていようがいなかろうが他人は他人だと思っていたし、にも関わらず親は親で兄弟は兄弟でそんなに簡単に無関係になることもできず、うまくやるより仕方がないので何とか俺を産んで育ててくれた家族とはうまくやってはみているものの、考え方の違う人間と折り合いをつけて生きていくだなんてこんなしちめんどくさいことをもう一度他人とまた0からやるだなんて馬鹿馬鹿しすぎると思っていたので、結婚なんかめんどくさいし子供なんてなおさらだと思っていたのが二十かそこらまでの一貫したスタンスであったが、一人で生きるのもまた同じように難しく険しい時もあり、誰かの何かがドバドバと流れ込んできてほしい隙間はいつだって生きていると僕の心のそこかしらにあった。それで僕はいつだかかに後の嫁さんである人と出会い、僕というバッキバキの破れ鍋にうってつけの綴じ蓋である彼女をバッキバキなりに大事にしたいと思いつつバッキバキ相応に傷つけながら、愛してる愛してると嘯いては彼女と幾数年を過ごしていくのであった。

 彼女は結婚願望があって子供を持ちたい願望もあって、僕はやはり、彼女との年月を重ねるにつけ、それにずいぶん弱った。シンプルに僕にはそういう願望がなかったからだ。そしてもう一つ、僕は自分の人生をせめて自分なりには面白おかしくやりたかったし、パートナーを持つこと、家庭を持つことが、その障害になることを恐れた。というよりもむしろ、将来的に言い訳にしてしまうかもしれない自分の弱さを恐れた。もしも自分が自分の生き方を面白く思えなかった時に「あの時結婚さえしていなければ」と思う自分が簡単に想像できて、結婚するのが怖かったときがあった。これは正直に言えば今だってゼロとは言い切れない感情なのだが、まぁ詮無きことで、何より彼女は結婚を望んでいたし、僕は彼女を必要としていた。背に腹はかえられぬとはよく言ったもので、もはや彼女は僕にとっての背か腹で、かけがえがなかったものだから、僕はいつだかに彼女と結婚することを決め、腹の方を自分で括ったということは彼女はきっと僕の背骨だ。

 彼女は結婚と子供を望んでいたので、結婚する腹を括ったということは子供を持つ腹も括ってはいたが、少しは二人の新婚の時間も楽しみたいよねというところもお互いの中にあったので、子供が来るのを待つような生活を始めたのは結婚してから1年だか1年半だかが経った頃からだった。そしてここから実際に子供を授かり家族3人での生活への準備を始められるようになるまでは足掛け3年近い歳月を要することとなる。

 実際のところ「簡単に授かれるものだと思っていた」ということも自分のなかではあんまりなくって、出来る時は出来るし出来ない時は出来ないし、もともとそういうもんだと聞いている。自分がこういう風に考えられるのは結局、自分が子供をもともと望んでいなかったというかある程度の年齢になれば子を儲け父になるのが俺の人生だなんてビジョンはまるで持っていなかったものだから、子供を持ちたい人を妻にして子供を持つ方向にコミットしたところで、結局どうしてもどうしても子供が欲しいと思っているわけではなかったから、なんだか変に冷静だったのかなーとは思う。ここの感覚は、自分のなかでは明確なんだが人に伝えようとするとなかなかに難しい部分で「できないならできないで俺は別に困りゃしない」ってほど投げやりでもないんだが、どうしても子供が欲しいと願いそれで頭がいっぱいの彼女を見ていると「別にできないならできないで二人で楽しくやってこうよ」と思うのも本当だった。子供がやってこない日々は半年が経ち一年が経ち、なかなか難しい気持ちはなかなか難しい気持ちのまま、月日が流れるにつれてなんだか漠然とした深刻さだけは私たち夫婦のなかで増していった。

 自分のなかでも決して短くはなかった妊活生活のなかで何が一番つらかっただろうかと考えると、やはり月に1度、今月も子供を授かれなかったという現実が突きつけられ、そのときは否が応にもどうしたって家庭に暗い陰が落ちることだったんじゃないかなと思う。子供を強く望む彼女はやっぱり毎月落ち込んだ。自分はというと、結婚だとか子供だとかのせいで自分が自分の人生を面白く思えなくなったらどうしようと思い悩んでいた僕の至った一つの結論は「結婚ごときで俺の人生の満足度が左右されて堪るか」「まだそこにいないガキのいるいないで俺の人生の幸不幸が左右されて堪るか」であった。俺は子供ができたところでそのせいでつまらなくなったりしないぞ、父親という役目を全うするごときで俺の人生の俺らしさが損なわれて堪るかという腹の括り方をしていた俺は同時に、彼女とのあいだに子供を持とうと決めたにも関わらずその子供が結局持てなかったとしても俺の人生の充実度はやはり何も変わらないんだとも考えているのだった。それだけに落ち込む彼女の気持ちもわかるので寄り添おうとする一方、落ち込まれることに落ち込んでしまう僕もいた。

 それ以外の瞬間をずっと仲睦まじく楽しい時間をいつまでだって二人で過ごせるとても幸せな夫婦として生きていたとしても月に一度僕たちは必ず「望んだ家庭の形を手に入れることができない苦しい気持ちを抱えた夫婦」にならなくてはならなかった。この気持ちを共に抱え込むところまで含めて子供を持とうとするということだとは頭ではわかっているのだが、環境や運命やに俺の幸不幸を左右されて堪るか、嘆いたり悲しんだりなんか誰がしてやるもんかと考える自分にとって、また子供が授かれなかった彼女の気持ちに寄り添おうとして自分も悲しんだり嘆いたりするのは、彼女の痛みを知るために自傷しているようで辛かった。当たり前のように子を望み、彼女と同じように勝手に血が流れる自分だったら良かったのにとかも考えた。そのうえ今の自分じゃなきゃ良かったのにと自分に思うのも僕は嫌だったので、頭の中がぐちゃぐちゃになる月に1度やってくるその日はそれなりに堪えるものがあった。

 当然、病院の世話にもなっていた。わりと早い段階から。それぞれの身体になにか原因がないか手軽に調べられるところから調べていく。精液検査の結果を聞くまではそれなりに心中蠢く感情もあったが、中年の男性医師から告げられ「ありがとうございます」とまんざらでもない顔をしたところはたぶん面白い顔をしていたので写真を撮っておけばよかった。というか精液検査、あれ中学校でみんな絶対受けるようにしたら日本の性教育10年分くらい一気に進むと思う。パッと思いつく諸問題はとりあえず置いておいて進むか進まないかで言えば進むと思う。

 自然妊娠に特別なこだわりがあったわけではないが、ステップアップには慎重だった。別に医療の手を借りた妊娠が悪いものだとは思わないが、あんなもん平たく言えば神様を相手取った課金ガチャだ。気持ちが追いついてきていなかろうと心が浮足立っていようといざとなりゃカネなんざどうとでもなるのがカネのおっかねえところで、カネさえ積めば手段が手に入ってしまう医療の進歩は本当におっかねえと思う。ガチャを回すのは簡単だがいつ回して何度まで回して回すという行為にどういう意味を持たせて回すのかについては夫婦で丁寧に話し合ったうえで回さなくてはならんと思っていたし、何より現実問題として我々夫婦の不妊は受精まではするんだけどそのあとなかなかうまく育たないというところがで困っていたので、ステップアップが私達の悩みを解決してくれるとも考えにくかったという部分も大きくはあったのだが。それでも数ヶ月通えばステップアップを勧めてくる病院がほとんどで、それに何の意味があるのかどういうつもりで勧めているのか腹が立たんでもなかったが、逆に考えればやれることは一通りやらせて気が済むまでやらせてみるのが不妊治療、不妊に悩んでいる心の治療って考え方もできるのかなとも思った。こちとらそんなんで気が済むほどわかりやすい性格はしていなかったが。

 結局私たち夫婦は彼女が自分の身体を大事にしようとあれこれを試しながらタイミング法に頼る形で妊活期間の大半を過ごし、疲れたり悲しんだり思い悩んだりするのにもほとほと飽いてきて、ある頃から冗談半分に言っていた「いついつまでに子供ができなかったら、二人で仕事をやめて世界一周でもしようか」という話を「本当にそれでもいいかもな」と考えられるようになってきた頃、なんだか子宝に恵まれるに至った。妊活期間中、彼女は職場を二度ほど変えたが、最後の職場が一番いきいきと働けていたように思うので案外そういうものなのかもしれない。

 妊活がテーマのドラマがやっているのを見ていたので、なんとなく書き始めてはみたが、あんまりヤダなと思うのは、これを結局「結局最終的には子供に恵まれたから書けた話」だとは思われたくない。たぶん俺はどう転んだって絶対書いてただろうと思うし、もし子供がいなかったら書けていなかっただろうと思われるのは、本当に俺はどっちでも良かったもう片っぽの俺の人生を軽んじられているようでよっぽど気に食わない。どうしたって俺の人生は楽しいしそれを誰にも否定なんかさせない。子供のいるいないで幸か不幸かが決められて堪るかよ。だって妊活の果てに結局子供に恵まれなかった思いをとうとうと綴り、綴ったら綴ったで気が済んだので海外を旅しながらYouTuberやってる俺だって絶対楽しそうでしょ。とりあえず新しい国に入ったら「この国にはだいたい相撲みたいなルールの伝統スポーツはありますか?どうせあるでしょありますか?」って聞いて回る俺のYouTubeみんな見たいでしょ。俺は見たい。人生は楽しいと思ってやればどうしたって楽しい。子供ができようができるまいがそんなの俺が笑わない理由になんか一つだってならないのだ。それはそれとして、願い事がなかなか叶わず辛く苦しいときがあったってそれはそれでいい。それでいいんだ、誰だってそうだ俺だってそうだと思って、それだけ言いたくてそういえば書き始めたんだった。

 もう一つ、妊活のことで辛かったというか窮屈に感じたのは、自分の抱える問題をフランクに話す場がなかったことと自分と同じ状況にいる人と出会う機会がなかったことだ。もしかすると本当は多くの同じ状況の人と多くすれ違いながら生きてきたのかもしれないがそれに気付いてすれ違った方を振り向くことはついぞなかった。これはその後に続く妊娠出産育児の話題でも言えることだと思うのだが、これらの営みはすべて男女で力を合わせてやっていくものだ、決して女だけの問題ではないという風潮の陰で、これら男女二人の問題を表立ってつまびらかに語っていいのは女性だけの特権で、男性がこれらの問題について話すことはパートナーである女性のプライベートな問題まで勝手にべらべら喋ってしまう好ましくない行為だという雰囲気を自分は感じることがある。たとえば僕が「我が家は最初は完全母乳育児を目指していましたが、結局は混合育児に落ち着いています」とふつうの調子で話していればそう遠くないどこかで僕は誰かに「奥さんの身体のことを勝手に話すデリカシーに欠ける男だ」と思われることでしょう。こんな調子で、女任せではダメだから男も問題にコミットしろと言われる一方で、女の領域について男が表立って言及してはいけないという空気がここらへんの話題周辺には立ち込めているように思えて、マジメに悩んでいる男ほどここのダブルバインドに口を噤み吐き出せず、何も考えずにパートナー女性を悩ませる脳天気な男ばかりが発見報告されているのが今なのかなと思ったりもする。なので、あまり男がここらへんの話を書いてるのも見かけないので、書いてもいいんじゃないですかねと思って書いている部分もある。

 息子が生まれて育って今日も何考えてるかようわからんなりに生きてるが、本当にどっちでもよかったので子供ができてよかったなぁとは特段今でも思わない。月に1度の「かわいそうな夫婦」にならなくてはならない日が無くなったのはよかったと思うが、子供ができなくたっていつかその日がもはやそういう日ではなくなる時はどのみちやってきたんだろうと思う。私が生涯をともに過ごし共に幸せに生きたいと願った女性がいつも隣にいて、共に楽しく人生をやっていくのは既定路線で、どう転んだってそこに変更はない。何にもそれは邪魔させない。今回の人生はたまたま二人よりもう少し家族が増えるルートに入っただけのことだ。そして僕は貧乏性なのでせっかくなら子供のいる人生を楽しませてもらう。授かったからには元をとる。ただそれだけの話だ。

 最後は努力の甲斐あって二人の祈りが神様に通じて子供を授かることができました、めでたしめでたしだなんて馬鹿な話はなく、生まれてから死ぬまで俺の人生は俺なりに続いていくだけで、子供を授かった日から向こう今日までだってまだまだ書きたいことがいっぱいあるぞ。これからもいっぱいいっぱいあるでしょう。僕はそれを書いてくし、書いちゃダメなことなんかねえだろうがとやっていく。人生はどう転んだって続いてくし、どう転んだってダメな人生になんかならねえのとだいたい同じ理屈です。

 というわけで次回は妊娠期間編、「妊婦はマジで動けないから家事はお前がものすごく頑張れ!ズイショ、種馬から馬車馬へ!!」お楽しみに!!

 以上です。