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「◯◯は嫌いだけど」は言わなくていい、それ自体は真

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ただそれって「判官贔屓も織り交ぜた方が物事はスムーズに進む」と同じ程度の真で、そりゃそうだろとしか言えないし、あなたがそうするのは勝手だが同じことを他人に正義の美旗のもとに求めることではない。

判官贔屓を使って円滑に解決できるのは個別の事案であって全体ではない。全体から見ると整合性を伴わないのが判官贔屓だからだ。

件のクリエイター?との人との関係性において、彼女はたしかに弱者で被害者である。弱者で被害者の肩を持て。まあ言ってることはわかる。が、別のレイヤーで見たときもいつも彼女が弱者で被害者なのかというと、どうもそうではない。「◯◯は嫌いだけど」と言うのはそういうエクスキューズなのだと思うが、それすら許容しないという態度はまさに全体ではなく個別の事案にしか興味がないことの表明だ。判官贔屓は使いようであり頭から否定する気も無いが、それを使わない人間を正義の振りをして断罪できるような性質のものではない。

誰かに何とかして欲しい問題に声を挙げてくれた人が、抱き合わせで当人らにとって都合が良いだけのとても許容できない傲慢な論理や価値観を抱き合わせで提示して「これを受け入れないならばお前も正義を行使しない悪だ」と迫ってくることが余りに多く、実際のところ声を挙げる人を求めて切羽詰まっている我々の足元を見られているようで非常に嫌な気持ちになる。以上です。