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産む前に子供の障害について調べられる医療を使った感想文

今、家には4ヶ月の息子がいて、彼は少なくとも我々両親にとってはとてもコンテンツ力があるので彼について話し始めると長くなるのですが、今回はそんな彼が産まれるよりも以前の話です。

結婚してからオリンピックが何回かあったなというタイミングでの懐妊で、その時の私達は結婚した当時より思ったより歳を取っていた。気づけば、カルビよりサガリが美味しい身体になっていた。だから、なんかお腹に命がいるらしいですよとなった時、掲題の通り、そのお腹のなかの命について調べてみるという選択肢を考えることはとても自然なことだった。センター試験を受けておいて自己採点をしないのは考えられないように、私達にとってそれは自然なことだった。自己採点をしないやつはダメだ、という話ではなく、少なくとも私達にとってそれは自然なことだった。

不安は漠然的であるほどタチが悪い。だから、不安の形を立体化させるためにもそれは自然なことだった。我々にとっては必要なことだった。その結果がどうだったらどうする?なんて話はしないまま、調べてみること考えなくちゃね、って調子だった。どうする?なんて話はまだ二人で話し合う段ではなくって、互いには考えつつも、それをお互いにまだ口にすることはなく、調べてみること考えなくちゃね、という雰囲気に二人でしていた。

調べる、にあたってどういう選択肢があるのか、調査するのはその一切を僕の役割とすることを僕ら夫婦は決めた。すでに腹に命を抱えた彼女が、検討に検討を重ねるための多くの情報と向き合うのはそれだけで大変な負荷になると考えたためだ。僕が身軽な身体でリサーチします。どのような方法で、どの病院で、どんな先生のどんな思想に触れながら、彼女の腹の中の命と向き合うか。結果はわからない。が、過程は選べる。我々夫婦ともう一個の命の物語がどうなるのかはどうにもてんで分からないが、その物語に登場させて後悔がないのは、どんな方法でどんな先生なのか。それは僕が考えることにした。

一口に「産まれる前に障害の有無を調べる方法」と言っても色々あるんだなーということを調べていくなかでたくさん学んだのだが、それらをここで偉そうに書くには結構前の話なので結構もう忘れた。シンプルに忘れたわ。なので、なんか参考になるサイト知ってたら教えて。この文章の最後でリンク貼るわ。俺も当時めちゃくちゃ調べたんだけどだいたいもう忘れたから。

それで、なんやかんや考えて僕が出した結論は、大阪のとある胎児ドッグをやってるお医者さんに見てもらおう、だった。

正直、はした金とわずかの血液さえ出しゃお手軽に数字だけ確率だけ紙切れ一枚で教えてくれるサービスがこんなにも世の中に溢れてるとは、知らなかった。医療はイオンモールに勝るとも劣らないスピードで進化している。でもそんなのちょっと怖いなと思った。物語がないのは怖いよ。ただ、数字だけがポンと置かれてしまっては、そんじょそこらの凡人はただその数字を信じて当てにしてしまうもの。だから僕はそれが怖いと思って、もっと穏やかな結果だけじゃない過程を伴う方法がないかとあくせくしていたら、胎児ドッグというものの存在を知ったのだった。胎児ドッグとは、と、今タイピングしたものの胎児ドッグについてもここで嘘のない説明をすらすら書くにはちょっと色々忘れてきてるので各自ググってください。読者に課す宿題多いなこの文章!

まぁなんかざっくり言うと最新のエコーで赤ちゃんの様子を我々は見物しつつ、先生はなんか首の骨の厚み?いや全然自信ないわ、なんかとりあえずエコーから目視で確認できて障害との相関があるなにかしらの数値を測定してくれて、そこから障害を持って生まれてくる確率を算出してくれる、みたいなやつです。

で、また胎児ドッグをやっている病院というのもいくつか選択肢があったのでまたその中で吟味し、ネットで実際に利用した人の声を探し、一番我々の物語に優しく寄り添ってくれそうな病院を最終的には勘で選びました。

それで、この病院でこんなことをやってくれるのでまずはそれを受けてみよう、という話を彼女にして僕たち二人はその病院に行ったのでした。

完全予約制でゆったりたっぷり1時間だかの時間を確保してもらえていたのだが、実際にエコーが始まるのは30分ほど経過したあたりからで、最初の30分は私達夫婦がなぜこの病院に来ることにしたのか、どんな不安を抱えているかのヒアリングから始まって私達が漠然と不安視している「障害」とは何なのかを懇切丁寧に先生なりに説明してくれた。胎児ドッグは、生まれてくる子供をより良い状態で受け入れられるために事前に赤ちゃんのことを知ることなのだ、とも。なるほど、事前に調べていたので知っていたが(もっと言えば説明してくれた内容もだいたい知ってた)この病院のこの先生は明らかに、命の選別により失われる命を一つでも減らすために、こんなところでこんな病院をやっているのだな、と彼の語り口を聞いて改めて確信した。そして、実のところ、私が病院を選ぶうえでの一番の基準はそこのところだった。

自分一人で調べ調べしていくのと並行して月日は流れ、彼女のお腹の命の週数は過ぎていくわけだが、途中で僕はさっさと「こんなの無理に決まってるじゃん」と腹に据えていたからだ。命の選別なんて判断はしない方がいいに決まってる。正直、この時はまだ妊娠10週を過ぎた前後、俺にはまだまるっきりそこに新しい命のある実感がなかった。しかし命を我が身に宿した彼女からしたら全然そんなことない。加えて、僕はもともと子供がいる人生だろうがいない人生だろうがどっちだって構いやしないという考えでいたが、彼女は子供を強く望む人だった。日々、待ち望んだ新たな命を実感しながら生きる彼女と、実感なんざまるでない僕。ここで我々が命の選別なんて道を選んだ日には、僕たち二人の今後の日々が立ち行かないのではないかと僕は思っていたのだ。生まれた命がなんであれ、その命のせいで二人でする苦労ならいくらでも二人でやっていけるような気がする。しかし、もう一方の道を選んだ時に現状大した実感がない自分が彼女の深い苦しみ悲しみ罪悪感に寄り添えるだろうかそれはとても大変でうまくやれるイメージがなかなかに湧きにくかった。そのような経緯考えがあったので、僕はどんな結果が出ようと親になることを引き受ける腹積もりでいたし、しかし最終的に判断を下すべきは実際に出産をする彼女だとも思っていたので、彼女が産むことに不安を感じるような結果が出た時には、その不安を解消できるは言い過ぎにしても少しでも不安に寄り添えるような物語を我々は選ばなくてはならないという思いを強く持っていたのだ。

これは胎児ドッグを終えた後も実際に我が手で子を抱くその日まで繰り返しまだ見ぬ我が子に願っていたことだ。生まれてさえくれれば、あとは俺も彼女も頑張ってなんとか三人でやっていく。ただ、その前にいなくなられてしまっては彼女と俺の悲しみのギャップが大きすぎて二人でやっていけるか俺にはめっぽう自信がない。なのでお前には無事に生まれてきてもらわんとこれからもずっと彼女と一緒にいたい俺が困る。自分がそんな理屈で我が子の誕生を待っていたものなので、命の選別が親のエゴなら、子供を産み落とすのだってどのみち親のエゴなんだよなと僕は強く強く思っている。

ところで実際に病院に行った話がいつの間にかどっか行きましたが結論から言うとなんか大丈夫そうですよ、という結論でした。それは本当に最終的な結論で途中あれ?ちょっと一安心とはいかない数字ですねみたいなターンもあったんですが、最終的には結論、なんか大丈夫そうですよというところに落ち着きました。ただわざわざこの話を書こうと思ったのは、大丈夫でしたー、よかったですー、って言いたくて書くわけでは全然ないのであんまそこはどうでも良かったりする。

結果がどうあれ産む方向で考えてました、なんて言葉には何の意味もないし、何事もなく健康に生まれてきた我が子を嬉しく思わないのも変だし、そうじゃない人に後ろめたく思う必要もない。胎児ドッグを受けたことをなかったことにはできないしする必要もないし、受けたことを我が子に申し訳なく思う必要もない。そこには十人十色に色々な思いがあるし、あった方がいいし、どんな判断になるにせよそこにはなるだけ豊かな物語があった方が自分の選択への後悔が少なく済む、あるいは後悔と向き合ううえでの糧になるだろうということについては僕は強く信じている。胎児ドッグという物語の醸成に一役買ってくれる選択肢を選ぶことができたのも我々が住んでる土地に恵まれていたからに過ぎないし、無機質な紙切れ一枚で判断を求められ苛まれる人が世の中にたくさんいるだろうことも考える。自身の環境への感謝があればこそ、当時の私たちと同じ境遇にある誰かの物語の一助になれればと思いつつなんて綺麗事はまあ言えなくもないが、要はこれだって僕が僕のために書いてるだけなんだけどさ。自分のためで何が悪いなんてまるっきり100%の力ではなかなか誰だって臆面もなくは言えないもんだからさ、だから出生前診断なり何なりを受けることも、そこからどんな選択をするにせよ、選択した当人を頭から否定なんてできないんだと思う、それが当人のエゴであったとしてもさ。

妊娠初期のある時、妻が今まで感じたことのない種類のお腹の痛みに苦しみ目を覚まし、腹の命を気にかけ不安に苛まれた夜があった。僕は「大丈夫、大丈夫」と声をかけながら背中をさすってやった。嫌いな言葉だった。大丈夫かどうか本当のところなんてわからない。不安がったところでいくら気にかけたところで結果は変わらないなら不安がるのは時間の無駄だ。なるようにしかならない。大丈夫かはわからないけど、気丈に結果を待つしかないんだよ。本当はそういう性分なんだが、その時ばかりは大丈夫大丈夫と声をかけ続けた。言いながら、これからは信条に反する大丈夫を言う機会が増えるんだろうなと思った。それが親になることだ、とは思わないが、どうも俺の今後はそうなりそうだ、と。