普通に生活していたら出会うことも会話することもなかったような人たちと楽しくピーチクパーチクできる時間と空間をフッ飛ばす素晴らしいツールイズインターネットの使い方が大変難しいなんてことはみんな肌で感じるところだろうけど俺が一番ヤバいなと思ってて一応気を付けてみてはいるものの常に気を付けて気を付けすぎることはないと思うのは本来言葉っていうのは誰に対してどのような場で喋るかによって自ずから変化していくものだと思うのだけれども自ずからというのは実は嘘でナーン無意識的に空気読んで発話者が変化させていってるだけなもんでナーン言葉が勝手に変化するってことはそりゃないわけなんだけど空気ってと言い方悪いかもしれない空気読んで喋るの嫌いな人ってのもいるのかもしれないけれど誰でも誤解を招くことなく安全に使うことができるなんて嘘はとてもとても申し上げられない使いこなす難易度高すぎツール言葉というものの糞っぷりを考えると俺は空気ってもんがあってよかったよと普通に思うんだよね。空気読めないから全然ありがたかねえよって人もいるかもしれねぇけど空気の概念が無かったら今なんか非じゃないくらいの勢いで言葉はカスみたいなカオスを量産してたよねとも思うんだ。馬鹿とハサミは使いようと言うけれども、意思伝達ツールが言葉しかないこの現状ってこの世の一切の刃物はハサミしかないみたいな状態だと思うんだよね。そりゃあチョキチョキと紙でも切るように今日はいい天気ですねそうですねなんてやりとりをする分には言葉で十分対応できるかもしれないけれどもそれ以上のことも全部言葉でやるんでしょ?世界の真理を掴むためだとかお金をぶん回して経済を発展させるためとかそういうの全部が言葉を軸に進められるわけじゃん。すごいよねそれって。ハサミでトンネル掘削するみたいなもんだよ。でもこの世には結局言葉のポジションを代替するようなナイスなツールが現状ございませんから、ございませんってことはないけれどもやっぱし何をするにしても細々したところは言葉で話を進めるほかないわけですよ。マグロ捌くにも大木ぶっ倒すにも切り株引っこ抜くにも薪を割るにも斬首を執行するにもぜーんぶハサミでやらなくちゃならないみたいなもん、言葉でコミュニケーションをするってそういうことだよなぁとたまにボンヤリ思うんだナーン。僕らがやってることはそれくらいむちゃくちゃなんだと考えたらそれはもう工夫するしかないと思うんだ。空気読んで言葉を選ぶっていうのもたぶんその一貫だよね。で、話逸れたけど何に気をつけなあかんのよってなるとね、インターネットで空間と時間を超えて広い第三者に見えている状態での言葉の紡ぎ方に慣れてしまうと、空気を読むために普段俺に気付かれることもなく黙々と頑張っている無意識くんが馬鹿になってしまうことがままある、ということですね。つまり広い第三者に向けての喋り方以外をその他の場合でもやってしまうようになる恐れがあるということですね、貴方がインターネットで発するその言葉というのは貴方そのものである貴方こそが発する言葉ではなく、あくまでインターネッツで喋る時用の喋り方に過ぎないのですよっていう警鐘及び警笛を鳴らしたい俺は白線の内側までお下がりください。これ普段無意識にやってることなので、なかなかその症状が進行しても当人はなかなか気づきにくい可能性がある。それで誰に喋るでもなく自分の中で咀嚼するために脳で考えるだけの言葉なんかもインターネッツのノリを踏襲した文法になってたらもう最悪ね。やばいよねって話ナーン。なんでそんなにインターネッツの文法がやばいの?やばくないでしょ?って話になってくるかもしれないけど、そこには炎上お作法とか承認欲求満たしハックなど、そこらへんの要素が絡んでくるのかなと思うんだけど、そこらへんは今あんまうまく言える気がしないから割愛するので何となく察しブルな範囲でお察しください。言いたいのはね、タンチョウヅルだってメスが複数羽いる時に踊る求愛ダンスと、一匹しかメスがいない時に踊る求愛ダンスじゃあ全然違うダンスを舞うわけですよ。鶴だってやってるんですよそれくらいの意識の切り替えは。人間だって出来るはずなんです。目の前にいる誰かと喋る、仲良い人に喋る、仲良くない人に喋る、ある一定のグループに喋る、ある一定のグループに上から喋る、下から喋る、全部言葉の選び方は異なるわけです、それはすべて一対一対応のはずで、そしてここらへんの匙加減というのは繊細なので大は小を兼ねるなんてことは当たり前ながらできないわけです。不特定多数の第三者への喋り方のベストを模索するのはもちろん悪いことではありませんけど、そこで磨いた言葉の使い方を個々人とのコミュニケーションの範疇においてもそのまま流用しようとするのはそれただの横着ですよ、ということを不特定多数の第三者へ向けて俺は白線の内側にお下がりください。ちなみにこういう横着を無意識に行ってしまうリスクを軽減する方法として最もお手軽で僕が実践しているのは、人との会話にはどう見ても流用できない喋り方をすることです。この記事みたいな喋り方を実際にする奴がいたとしたらそいつたぶん間違いなく馬鹿でしょ。あとタンチョウヅルの求愛ダンスに関するトリビアは完全に今僕がこの流れで言ったらそれっぽいなと思ってでっちあげた嘘なので気をつけてください。ナーン。