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野田地図18回公演『MIWA』を観てきました

いや、常日頃このブログに足をお運び頂く皆様でこれ観てる人どうせ一人もいないだろうのわかってて書いてますけどね。ネタバレすらないですけど。

野田秀樹という戯曲作家・演出家がいます。現代における日本の演劇の第一人者みたいな人ですたぶん。兎にも角にも何かしらの才能も皆無で人から影響を受けて上澄みだけ拝借できるだけして自己主張の糧にしようとあーだこーだ五月蝿い立ち乗りフリーライダーこと俺ことズイショさんこと僕にとって彼はやり方パクりたくてもなかなかパクれないのっぴきならない人物であります。言葉と、その言葉を発する人間とが目の前にいて、そいつらがせいいっぱい手足をバタバタさせながら唾を飛ばしながら何かしらを叫ぶだけで、それに対して人間の脳が一定の敬意を払うだけで、我々は各々が生きる人生をすっ飛ばしてこんな遠いところまで見物にいくところができるのかと10代の終わりを迎えた僕が大変な感銘を受けたことを僕は今でもハッキリと覚えています。戯曲はあるだけ読んだし映像も手に入る限りに観るだけ観てて、この度初めて生で観劇しました。そんな感想です。

今回観に行った『MIWA』の題材はあの髪が黄色い変な人、美輪明宏。俺あの人のすごさあんま知らない。ただ、意味わからないくらいすごいのは知っている。それくらいはちょっと見りゃわかる。とりあえず一番こいつやばいわって思ったYoutube貼っときますね。これ見ると去年の紅白の『ヨイトマケの唄』のチョイスは次の人やりやすいようにっていう控えめな選択だったんじゃねぇのかよとすら思う。これとかやられた後に誰が歌ったところでどっちらけ間違いなしだよ。化物かよ。


美輪明宏 老女優は去りゆく - YouTube

さて、結論から言うと『MIWA』大変ポップでした。そう簡単に割り切れるものではないけど、ハレかケでいうと大変ハレな舞台であった。野田さんって特に近年は社会情勢の様々な必然のように見える人殺し(戦争とか)にフォーカスしたような物語が多かったんですけど今回はまぁそりゃ美輪明宏さんがテーマということでそういう反省して反芻するほかない人類みんなの自問自答みたいなところはかなり陰を潜めていた。もちろんクリティカルな人類にとって未だ未解決の頭痛が痛い問題も各種あった。例えば今回は美輪明宏と言えば「愛」というところで、現代社会において許されない「愛」、同性愛だとか近親相姦だとかそういうところから始まって、大切な隣人がいつも死んでいくということ、こうあるべきだという思想を持つことと生きることそのものとの乖離、盛りだくさんではあるのですが観ている最中には正直エッセンス程度にしか感じ取れなかった。美輪明宏の人生を捏造してお芝居に仕立て上げるという暴挙かつお祭りが目の前ですべてあり、そこに盛り込まれている雑多な問題はまぁ暇つぶしというか閑話休題というか、ひとつひとつの盛り込み方は野田秀樹のお家芸そのものだったので僕はてっきりその程度のものだろうと割り切ってぶっちゃけ物足りなく感じていた。

しかし観終えて家に帰ってパンフレットを読み進めるにつれて、なんだかなるほど俺は大変いいものを観たんじゃないかと言う気分にややに変容してったわけです。

僕や貴方が抱える神が与えたもうたシンプルな悩みとして答えの無さの徹底ぶりがまず一つこれあります。答え合わせの場は常に次の試験会場であり、本当の意味での比較対象実験なんてただの一度も行うことなく死んでいくのが私たち人間であり、そういうものを一つの物語と捉えた時に僕らはきっとそれを「人生」と呼ぶのでしょう。僕は刹那主義です。いや、どうかなわからん。あまり未来のこととかに思いを馳せない。過去も振り返らない。言いすぎかなとも思うけどそういう気分でここ数年ずっといる。仮に僕が未来へ思いを馳せるとしてもそれはあくまで、未来へのベクトルを伸ばす今の僕だし、過去に思いを馳せても同様にそこにあるのは今の僕から過去へと伸びる矢印だけだ。これはライフハックも兼ねているんだろうけど、俺はとりあえずそうするのが一番だと思ってそういう風に思っている節がある。なのでただぼんやりと面白がって芝居を観ている間は「なんだかピンとこないな、面白いけど面白い止まりだな」という思いが正直あった。だけれども実際のところ俺が生きているということはそういうことではないということも別に知っている。生まれたところから死ぬまでが俺の人生になるのだということに対して別に知らぬ存ぜぬを突き通すほどの顔の皮の厚さをアピールする気は毛頭ない。そんなことしちゃあいけないということを、あの芝居を思い返すたびに突きつけられるような気分だ。

戯曲は事前に読んではいたので印象としては「美輪明宏を題材に野田秀樹が得意技を使ってうまく厚みを持たせてんな」程度で、実際に観劇してる最中も大体そういうような気分で「うまいことやってるなぁ」が多かった気はするんだけど、パンフレットで野田さんが言ってた言葉を見かけてやっぱなんかひっくり返ったところがあるのかなぁ。「人生」とか「愛」を本当は気恥ずかしいから書かないんだけど美輪さんを題材にしたら書かないわけにはいかないでしょ、みたいな、なんかそれに類似したような言い回しを見かけた気がする。そういうの読んでるともっかい観たいような気がしてきたんだよなぁ。

やっぱ出来上がってる物語って結論がありますし、結論じゃなくとも明確に立ち向かうべき問題くらいは提示してくれるし、そういうのが気持ちいいもんだと思うんですけど昨日見たあれはそういうの本当になかった。ラストに向かう最後の30分とかぶっちゃけタルくてなんだかなぁとかも思いながら観てたんだけど、まぁそういうもんなんだろうなぁと今考えると思える。いつだって僕は息継ぎをしたいし息を吸うたびうに水面に頭を持ち上げて青い空を見上げたい。だけどそういうことでもないしねぇ。俺は俺をやめれないし、貴方は貴方をやめれないし、そうやって俺も貴方も歩けるところまで歩くしかないんでしょう、それを妨げる障害壁は、もし力を合わせられるのならば合わせて倒したいよね、利害の一致だよね、みたいな。意味わかんないでしょ?俺も意味わかるように書くの結構前でやめててね、いや良いもん見たなぁ。そんな感じです。最後に戯曲収録してるやつ貼っておきますね。以上です。

 

新潮 2013年 11月号 [雑誌]

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