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めんどくさいので観光した話と映画の感想を同時進行でします

なんか金土日パソコン全然触らなかった。そしたら今朝の夢にジョブズが出てきて「俺が頑張って育てたテクノロジーをちゃんと享受しろ!この馬鹿!」と身長1mくらいのウッディ人形でしばかれた。ぽかぽかぽかってしばかれたので「おいおいやめろって!」って払いのけたらウッディ人形がジョブズの顔に当たってメガネ取れたらジョブズがかわいい女の子になった。それ見て俺とウッディ(CV:唐沢寿明)はヒュ~って口笛を鳴らして囃した。windowsユーザーです。

なのでとりあえずぶらりとパソコン触らなかった間の雑記みたいなの書こうかなと思ったんですけどどうせ雑記書くならすごく雑な雑記の方がいいかなと思ったので掲題の通りです。京都大原三千院行った話と日曜日にぶっ続けで3本も映画見た話をします。「南極料理人」と「クワイエットルームへようこそ」と「劇場版ハンターハンター緋色の幻影」を見ました。

あのー京都行ってました。京都大原三千院っていうメロディ以外そもそも地名なのか寺なのかもよくわからんところに行きました。ハンターハンターの映画版はとりあえず良くも悪くも結論から言うと糞で最近だとストロングワールドとかフィルムZとかがあってアニメの映画版ナメるなよ感ありましたけど本来そもそもナメるべきものだった。主題歌ゆずで糞笑った。嫁の趣味が神社仏閣めぐりということで今までも色んなところにお供してたんですけど何だか今回の京都大原三千院を以て京都のメジャーな年寄りがやたら有難がるスポットは大体一通り制覇した感じらしいです。具体的にどこ行ったかは覚えてないんで分かりません。名称を覚えるのが糞苦手なんですよね。なんか何年前の冬にこんな風景のところに行って何を食ったとか通り過ぎる瞬間にこんなこと言ってたおっさんがおもろかったとかそういうのは覚えてるんですけどそれが何という寺だったのかは一切覚えてない。世界史のテスト問題で人名を問われた時に「教科書でいうカノッサの屈辱の糞面白い挿絵があるページの下から三行目に書いてたってことは間違いなく覚えてるんだけどその名前が何なのかは一生思い出しませんけど?」みたいな感じに似てる。大体大ボスがヒソカの前の4番っていうのはまぁ許せないでもないところではあるんですけど一作目にして敵の能力が相手の記憶を引きずり出して過去の敵を再現するとかいうどうしようもない奴で幻影旅団の人形と闘ったりするのね。まだ本編でろくに倒せてもいないキャラ使って出来の悪いワイリーステージみたいなことやってどうすんだよ。そういうわけで具体的にどこに行ったかは分かりかねるのですがどうやら京都の主要観光名所はコンプしたらしいので次からは二周目に入るので雑魚敵を撃破するために自機狙いの撃ち返し弾が飛んでくると思われますが頑張って全部避けますね。

あー、で、大原三千院の感想が続くんですけど言っときますけど僕はこと京都に関しては口悪いんでご了承ください。気分を害する可能性がある人は帰ってください。雰囲気映画大好き人間も帰ってください。南極料理人は悪くはないんだけれどもものすごく中身のない雰囲気映画でした。一応のストーリーの流れはあるんですがすごい淡々と日常を描くみたいな感じで、演じてる方はむっちゃ楽しそうなんですけどそれを見せられてもなぁいや見れるけど。役者陣がすごく良かったので鼻につくっていうほどではなかったけれども内容がすげぇつまらないけどロケ現場すげぇキャッキャしてるんだろうなって雰囲気が伝わってくる邦画ってあるよね。田舎者コンプレックスを大事に大事に育てて大阪にやってきた僕なんですけど今でこそ普通に街をテクテク歩けるものの当時は俺よりダサくないものは総じていけ好かねぇというどうせ酸っぱいんだからこのブドウ畑を焼き払ってコインパーキングにしようみたいな考え方だったので傍から見て糞みたいな人格だったんだろうなと高い高い秋空を見上げると当時を思い出しますけどそういう田舎コンプオシャレコンプ丸出しの俺にとって京都って本当に最悪な街ですからね。なんか全体的に飯屋も観光地もお高く止まってて調子こいてますし、学生はなんかシャレオツ気取って調子こいてますし大体みんな同じようなシャツに同じようなシザーバック引っかけて同じようなハンチング被って同じようなメガネかけてるでしょ?サブカル適度に嗜みつつリア充ですけど何か?みたいな雰囲気でよっぽどヤフオクに無断で出品してやりたくなるような自転車乗り回してるでしょ?見てるだけで辛いんですよこっちは。親近感持てそうなダサいやつもたまにいるけどどうせそれは全部京大でしょ?今度は学歴コンプを刺激するんですか。そうですか。楽しかろうなそうやって人を見下して。とかそういうことを思いながらてくてく歩いてるとそういう負の感情は自分に報いとして返ってくるという収まり方が世の常なので大体行くたびに行動が空回りして煮え湯を飲まされて落ち込んで余計京都が嫌いになるという悪循環ですよね。悪循環なのは理解してるんですけれど俺は今後も京都なんて嫌いだと言い続けますけどね。犬コロだって蹴飛ばされた恨みは忘れないんです。何故俺の態度が招いた結果だからと言って俺が京都を許さなくちゃならないんですか。

例に漏れず半沢直樹堺雅人という役者を大変好きになってリーガル・ハイも見てるし映画もちょくちょく借りて見ていってて南極料理人で見たの3つ目かな「鍵泥棒のメソッド」と「大奥」も見ました。大奥、まぁ題材的に俺全然好みじゃないのでまーこんなもんかーって感じだったけど嫁はなんかすごい面白がってた。何か俺には感知できないセンサーに反応する良さがあの映画にはあったんだろうなという気はする。ただそこそこ最後まで見れたので良さ分からないのに見れたんだから何かしらの良い出来だったんだろうよくわかんねぇけど。マツケンと小雪しかサンプルがないから全然ダメなんだけど「ビッグカップルの交際のキッカケになった映画は糞説」という全然ダメなジンクスがあるのでだいぶ警戒してハードルめっちゃ低かったとかもあるかもしれない。そりゃカムイ伝来るかもと身構えながら見たら大体大抵の映画面白いだろ。バス乗って大原三千院行くんですけど、そりゃあもう大変な混み具合で何とか二人掛けのシートの片方に嫁さんを座らせることができたので御の字だったんですけど30分くらいかかるんで俺だって座りたいし。で、嫁の隣に座ってるのが大学生っぽい男の子だったんですけど鞄も持たずに手ぶらで恰好もなんか全然気合入ってなかったんでこいつは観光関係ないな、大原行かないな、つまりどこか街を離れる手前のタイミングで降りると思われるのでそうなると俺も座れるな、やったぜ!と思ってたんですけどそいつ結局終点大原までずっと乗ってた。お前が噂に聞く「今日は特に用事もないし天気もいいからフラッと一人でお寺にでも行こうかな」ってなる京都の大学生か。本当にそんな奴おるんかいな。そんな寺行きたいかね。本心から行きたいかね。京都が多く排出してるオシャレ小説家のエッセイかなんかの影響を受けて行きたくもない神社仏閣に一人でぷらっと向かっている可能性はゼロと言い切れるのか?しゃらくせぇ。あと座りたいし。とかそんなことをいちいち思う俺に京都の側が優しく微笑むわけがないんですけど。大奥で思い出したけどクドカンの演技ってみんなどうなの?ってのある。大奥は堺雅人とか菅野美穂とか西田敏行とか超人レベルのやつがたくさん出てたので露骨に下手に見えたしクワイエットルームでもまぁまぁシーンごとのムラがひどかった。役者の上手さには色々あるんだろうなと思う中で堺雅人の上手さについて思いを馳せると喋り始めた時には喋り終わっているというか、常に弾は銃倉には込め終わっているというか一言目を喋り始めるということは撃鉄がカチ上がるということでそうすればもう喋り終わりまでは自動化されているというか、「立て板に水」という比喩を用いると流暢すぎてアジがない台詞回しだみたいな揶揄に聞こえなくもないけどそんなことは全然なくて安定感というか、演じあがり方のイメージというものが本当に出来上がった状態まで持ってって演技に臨んでるんだろうな感がすごい。でもそれってあるていど上手かったら誰でも同じか。そんな気もする。それに対してクドカンみたいな演技の仕方は外部からの刺激を受けてアクションを始める感じがいかにも弾倉に弾を込めるところもねちっこく隠さず見せるというかそれはやっぱ松尾スズキの好きなやり方で冗長で無意味な台詞の演じ方なので人それぞれなのかなと思うけど阿部サダヲ松尾スズキの台本を相手にしても堺雅人みたいな喋り始めた時には喋り終わってる感じに大体なってるような気もするのでやっぱり上手さとはそういうことなのだろうかよくわからん。

クワイエットルームへようこそは結構俺と好きなもんの気が合いそうな人が良かった良かったと言っていたのでどれどれと思って楽しみに見たんですけど、なんか全体的に思ってたんと違った。前作「恋の門」みたいなのが松尾スズキが映画でやりたいもんなのかなと思って結構グルグルはっちゃけるような映画に今回もなってるのかなと思ったんだけど割と理路整然としていて別にそれが悪いってこったないんだけどとりあえず思ってたんと違った。大原三千院はものすごい人だかりで正直風情を楽しむどころの話ではなかった。大原は京都でもだいぶ北部の方に位置していて前述したとおりバスで30分とかいう辺鄙なところにあるので清水寺だなんだといったところよりかはだいぶ人も少ないのだろうという想像はつくんだけれどもそれでも人嫌いの俺には人多すぎて駄目だった。何だろうね、俺もその一部であるという自覚は忘れちゃならんのだけどそれぞれがそれぞれの意思のもとに漫然と集まった集団というのはそこはかとなく傲慢さが滲み出るよね。個人個人を一人一人膝突き合わせて喋ってみればたぶんそこまでイヤなやつなんてそうそういないはずなんだけれども集団の中で見ると誰しもの動作一つ一つが利己的に見えるというのは大変なストレスで、東京とか絶対住めないわ。その点タイの日本で言うお伊勢さん的ポジションな寺院も人がやっぱそれなりにごった返してたけどそんなに腹は立たなかったなぁ。タイのあの寺院の人の多さは信仰の厚さが可視化されたもののように思えて有難味があったけど日本だとそんな印象をどうにも受けられないのは俺のせいか、それとも何か要因があるんだろうか。結局精神病院という舞台設定をしてしまうとちょっとやそっとのことは「まぁそうだよね」に回収されちゃうような感じがしてもったいないというか何というか。メリハリの付け方はいちいちとっても大人計画でまぁやり口として見慣れてる部分もありつつ、やっぱ舞台だとイケるけど映像だと浮くというか強引な感は否めないよなぁみたいなことは見てて思った。結構笑いながら見てたけど。うまく言えないんだけど「思ったより理路整然としすぎだな」ってのが繰り返しになるけど思った一番のこと。これを言って「あー」と思われるのか「は?」と思われるのかどっちが多いのかはよくわからん。お芝居ではやりにくくてクワイエットルームではしっかりやれててよかったなーって思ったのは、どんなにはた迷惑で異常な自分の一部でもそれはしょせん自分の一部で全部じゃなくてそれとのお付き合いをする期間というのは非日常じゃなくて日常の中で飯を食うとか夜布団に入るとかそういうことと同時進行で長い長いお付き合いなんだよねということは終始言われてるような気がしたのでその感じはとても良かった。映画の主題にあがるような問題はそりゃあもう大事な問題なんだけれどもそればっかしには構ってられない、人間は馬鹿で注意力散漫なので本筋とは関係のない色んなところを考えながら進んでいくしかないしそんな調子なのでやっぱり全然うまくいきません的な感じは松尾スズキ舞台でお馴染みの冗長なギャグ台詞もまんまそのまんまの意味だとは思うんだけど、やり方によるけどやっぱ大人計画のお芝居だとそういう些末なことに各人が一時が万事の調子で絡みあっていって結局まるっと万事が一事でしたみたいな落とし方が多いので、松尾スズキが映画でこういう淡々とした見せ方をしていたというのは見て良かったなという気もする。

そういう意味ではとりあえずどんな時でも腹が減って飯を食うという南極料理人も同じような話だと言えなくもないわけで、なんかそういうのが大事だよねって話はまぁ分かる。三千院では要所で無料でお茶を配ってて上手かったので二パックほど買った。なんか三千院以外では買うことができない有難味あふれるお茶であるらしい。一パックは年末年始里帰りする時に持って行って家族と飲もうかなと思っているんだけれども、彼らが有難味を感じるかは飲ませてみないことにはよくわからん。俺は山奥まで出向いて坂道いっぱい歩いて金を投げ込んで手をあわせてそんな折にこれを飲みながら一服したような記憶があるので多少の有難味も感じやすいかもしれんが、そういうお寺で買ってきたええお茶なんやでという俺の胡散臭い解説によって他の人も有難味を感じるもんなのかどうか、まぁよくわからん。飯を食うのをめんどくさがるというどうしようもない悪癖があるんだけれども、たぶんそういうことが大事なんだろうなって感覚がこの年になってようやくわかってきた。頭で考えるのは大事だけど頭こそを信仰してもそれって結局自分自身を信仰することに過ぎないのでそれってひどい筋悪だよねという当たり前のことがまず一つあって、そのうえどう転んだって腹は減るし日に3回飯を食いたい。榎本俊二の「ムーたち」という漫画の中で、お父さんは今を記憶にしっかりと残したい時はこのポーズをとって脳に栞を挟むんだ、という下りがあって人生の名シーンで同じポーズをとってる若かりし頃のお父さんを描いたコマが畳み掛けるように続いて馬鹿馬鹿しくて笑えるんですけど、ポーズこそ取らないものの僕たちは同じようなことをして毎日を生きているのでしょう。人生の名シーンは日常の一コマに突然やってくる。それに気付けるか、そして覚えていられるか、何を得て何を次に活かせるか、たぶんそういうことの繰り返しを以て三歩進んで二歩下がるのだろう。あの時同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が今はもう通わない、なんて歌があったけれども生きていくのは大変なので花なんて見てられないし見たところで美しくも何とも思えないような瞬間というのが長い人生の中で少しはあるかもしれないしすごくあるかもしれないし、人間は臆病で自信がない生き物なのでそれっぽっちのことであの時二人が心を通わせた事実までまるで嘘みたいに思えちゃう間抜けさとどう闘っていこうかなという命題はもしかすると僕の目の前にずっとあったのかもしれません。その一つの取っ掛かりとして、どうもそんな時でも腹は減る、ということで花もいいですが飯や茶を大事にするのも忘れちゃいかんのかなとか今思いました。

まーそれにつけてもゲスト声優の藤木直人川島海荷は下手だった。そう、まさにこれなんだよ、ジャンプアニメ劇場版といえばこのゲスト声優の当たるも八卦当たらぬも八卦こそが醍醐味なんだよと思いつつ、やっぱ竹中直人とか使ってるワンピース頭おかしかった。ガチじゃん。あ、ゲスト主題歌のゆずっていう人は歌めっちゃうまかったです。以上です。