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20131109

このエントリは約いちまんじ、ゆるい感じでとりとめもなく推敲ゼロの仕上がりで続きますので時間がある時にゆっくりくつろぎながら、飲み物でも片手に暖かい恰好で読み始めてくださいね。もう11月ですね。

範馬刃牙という筋骨隆々の男の人がたくさん出てきてお互いに傷つけあうことでより良い筋肉の高みを目指す筋肉青春コメディ漫画があってその中のワンシーンで大変印象に残っているものがあるんですけど、さぁこれから喧嘩するぞっていう空気の時におもむろに相手に拳銃を差し出すやつがいるんですね。相手にですよ敵にですよ自分が不利になるだけじゃないですか何だってそんなことをするんだてめぇまさか俺がビビって撃たないとでも思ってやがるのか撃ってやる撃ってやるぞてめぇとか考えてるうちにぶん殴られて拳銃持ったそいつはダウンしちゃうわけなんですけどこの決着を評するにあたってこんなセリフが出てくるんですね。

「引き金を引くしか自由がないなんて可哀そうなやつだ」

別にこのシーンをキッカケに成程と思い至ったわけではないのですけれども僕が日ごろボンヤリ考えていたこととしっくりマッチした都合上今でもこんな風に引き合いに持ち出しちゃう程度には僕の脳みそに栞が鋭角で突き刺さっているのでしょう。何が言いたいかというと一つの物事に固執しすぎるとそこに捕まって不自由になってしまうんだなということで、そして不自由な人の在り様というのは見ていて美しくないというかつまらないというか、もちろん雁字搦めの人の業なんてものも世の中には腐るほどありましてそれをそれで面白がるのは大得意であり大好物でもあるんですけれどもそればっかりだとあんまり窮屈なんで自由な面白みというものも嗜んでいきたいなぁというのが僕が日々大事にしたい大切なことのひとつです。

この後も何度か自由自由と連呼する可能性があるのでそんな僕の言ってる自由ってやつは堅苦しい意識高いやつじゃあないですよ身構えなくていいですよということを先に言っておいた方がいいかもしれませんが、まぁちゃらんぽらんでいたいよね、ってだけの話です。今はもう亡くなられている立川談志さんという口の悪い喋るのが得意なおじいちゃんが昔言っているのを見かけたんですけれども「酒は人間の本来の在り様を教えてくれる」という言葉がありまして、まぁ酔っ払いの言ってることって支離滅裂でよくわからないじゃないですか。思いついたところから思いついたままに順序も脈絡もないまま延々と続いていく。人間っていうのは本来そういうのが一番自然な状態のはずで、それなのにこう文明開化とかしょっちゅうするじゃないですか人間は。その結果の現代なんですけど。常識だルールだ秩序だなんだと何をかはよくわからないけれども何かしらを最適化するために僕らは生まれたままの状態からどんどんどんどん遠ざかって不自然な状態に成長して今をこうして過ごしているのでしょう。だからアナーキーにいきましょうと針を振り切ったえいえいおーを呼びかけるのは容易いですがアナーキーにすりゃいいってもんでもないですし、そもそも今僕らを縛る全てから尻尾を巻いて逃げだすなんて全然無理、だってそれは今まさに書かれてるこの日本語のルールからも逃げ切らなくちゃならないわけでそんなん無理でしょ今更捨てられるわけがない。まるごと捨ててやるのは難しいかもしれないけれども言語だの論理にやられっぱなしというのも癪なので僕はたまに傍から見てて「ん?」となるような、気づいたらこいつ今一瞬生まれたままの顔してたよみたいなところを貴方に見せたくて綺麗な顔してるじゃんと思って欲しくて、どこへでも行けるどこにも行けないような話が出来たらいいなと毎日夢見心地です。

ブログを書くとは「自分を切り出す」こと。感情に合わせて変える手書き、事後修正のタイプ。。

http://nogutyo.hatenablog.com/entry/2013/11/08/064654

例えばこんな記事を読みました。これ読んでとりあえず僕が最初に思ったのは「ビル・ゲイツありがとう」でしたね。これ書いてる人は何とブログを書き始める前にはまず手書きでざっくり書きたいこと吐きだしてからキーボードに向かい始めるとのことですげぇなー俺にはできねーなと思ってとりあえず羨ましい。いいか俺は時代の気分に真向から対立して人の羨ましいところはどんどん羨んでいくからな。幸あれよ。

僕ほんと手書きで字を書くのが大嫌いなんですよ。まず何と言っても字が汚い。どれくらい汚いかというと僕は長男坊なんですけど続く妹と弟は習字に通わされてたくらい「参ったなこいつ取り返しつかないからこいつはもう仕方ないから忘れてとりあえず妹弟については同じ過ちを繰り返さないよう気をつけよう」レベルで字が汚いです。今はいい時代になったもんでパソコンの前にいるかポメラ持ってるかしてるんでちょっとしたメモなんかも全部タイプで取るんで本当に助かった時代が俺にギリギリ追いついたなと思いますけど手書きだと5分前に自分で書いた電話番号がちゃんと読めるかどうか怪しいレベルですよ。生活に支障を来す病気レベルで字が汚い。自分で読めないレベルになってくるとそんなもんね、書いてて楽しいわけがないんですよ。だって読めないんだから書き記す意味ないじゃんって話になりますしじゃあ丁寧に書けよ馬鹿がって話になってくるのは当然かと思うんですけどこうなってくると別の問題が発生してきますよね。書きたい思考に対する一定時間に書ける文字数が圧倒的に足りなくなってくるんですよ。一秒間に一文字しか認識しないワードエディタがあったらお前ら文章書かねぇだろって話です。例えば何でもいいですけど僕が頭の中で「僕はでかい動物全般が好きですがその中でもとりわけサイはでかい上に固そうなので超かっこいい」と思ってそれを文章にして書き記そうとするじゃないですか。これ手書きだと「僕はでかい動」くらいまで書いた時点で僕は頭の中でもうサイのかっこよさについて思いを大体馳せ終えてますよね。何だったらもう飽きてきてるわけですよ。もうわかったからサイのかっこよさ分かったはいはい固い固い、すごいね、わかったからもういいやいいっつってんだろうがサイのこととかもうしばらく考えたくもないわみたいなテンションになってるわけですよ。にも関わらず紙の上に出来上がってるのは「僕はでかい動」だけですから。もうサイとか絶滅してもいいよくらい飽きてるのに残りの「物全般が好きですがその中でもとりわけサイはでかい上に固そうなので超かっこいい」を書ききらなくては僕がサイへ情熱を傾けたあの数秒は記録に残らず時と共に風化してしまいいずれ無かったことにされてしまうわけですよ。こんな理不尽がありますか?僕は確かにあの時サイが好きだったんだ本当なんだ今はもう全然そんな好きじゃないけど本当なんだ!ただそれだけのことを証明したいだけなのに何で書きたくもない「物全般が好きですがその中でもとりわけサイはでかい上に固そうなので超かっこいい」を書ききらなくてはならんのだ。そんな苦行やってられるか、と。

なので見ての通り僕は壊れかけのレディオのごとく放っとかれる限りに何かしら言ってることが可能なお喋り糞野郎ではあるんですけど文章を書くことに関しては子供の頃から大嫌いでした。

で、そこで出てきたのがパソコンのタイピングですよね。と言っても初めてパソコンに触れた時は少なくとも文章を書くということに関してそんなうおー革命だぜというほどではなかった。そもそもその頃は文章書くの大嫌いだったんで、今でこそそこそこ思考にぶっちぎりで引き離されない程度のスピードでタイピングできるようになってますけど当時はもちろん一文字一文字ぺちぺち打ち進めるようなレベルなわけですから、よしじゃあパソコンでばりばり文章書くぞって話にはならないわけですね。書いたから読んでよなんてことも気恥ずかしくてそんなことしようなんて思いもしなかった。じゃあ今に至るにあたってでかかったのなんだって考えるとチャット文化だったような気がします。糞我流のめちゃめちゃなまったくホームポジション覚えてない打ち方なんですけどもそれでも僕がそこそこの速度出せるのは全てチャット文化のお蔭です。何せ相手がリアルタイムでモニターの向こうにいて会話をしているわけですから、相手が何か言ったことに面白い切り替えしボケをするのであればこれはもう早ければ早いほどいい。コンマ一秒遅れるだけでウケる可能性がすごい勢いで下がっていくわけです。こうなるともう必死ですよ。もし本当だったらウケてたのにタイピングが遅いごときの理由で滑ったと見なされてはたまらない。僕はもう意地になって当時はまだwwwとか草もない時代でしたから一つでも多くの(核爆)を集めるためだけにタイピング能力を鍛え上げていったのです。

で、えーとだいぶ脱線してたんですけれどもそういうわけで手書きができないので羨ましいって話でしたっけ。手書きに呼応する脳の感覚ってのはわかるんですよ。僕も過去そういう力を借りないとどうにもなんねぇなと思って仕方なく手書きで考えてることのマッピングとかすることはあったけどもうアレ自体がすげぇ難産になるからやっぱ全然やりたくねぇです。いつかまたやらなくてはならない時は来るのかもしれないですけど基本的には絶対イヤで、そうなるともうビル・ゲイツありがとうですよ。ほんまキーボード文化がなかったら僕は絶対こんなに文章を書く人にはなってなかった。ありがとう。今度会った時メガネ奢ったるわ。JINSでええやろ?

興味深かったのは筆圧とか文字の大小とか、そういうのが出るから手書きはいいけどいきなり活字みたいにバーンと出ちゃうのは気恥ずかしいよねみたいな話で。その感覚わかるっちゃわかるけどあんまピンとこない。手書きの文字列がそういうの出るよねって感覚はまぁわからんでもないけど俺は少なくともそういうのあんまねぇです。そもそもそういう機微が出現しないレベルで字が汚い。なので手書きの方が真心ありますよ的なところはとりあえず俺についてはないです。字が汚いっていうノイズが混じるだけで手書きでいいことなんて一つもないですよってところなんですけれども、それに伴ってかどうかはわからないまでも活字というかこうやってフォントで表記される文字列がカッチリしているという感覚も僕まるでないんですよね。ここらへんの話は他の人がどういう風に感じてるのかすげぇ興味ある。なんかコメントとかくれて全然喜ぶ話。僕個人の経験との紐付けで言えばお芝居の台本とか書いてたりとかしてるんで、そこらへんの影響でフォント文字なんてカッチリでもなんでもないよって感覚があるかもしれないってのは思う。やがてこの先誰かの口から発せられるのが前提となればフォント文字なんてカッチリでも完成形でも何でもないですから。これを拡大解釈するとブログなんかで言うとまさに今読んでる貴方、貴方が読むことによって初めて「どうですかね?」という話が出てくるレベルで僕が書いている今・この時にはまるで未完成なのです。フォント文字ってそんな感じ。本になってるとかだとまた全然変わってくるけど。手書きの方がよっぽどそこらへんの匙加減というか見え方の印象も自分で決めなくちゃならないから大変なんじゃねぇのかなと思いますけど。先日縦書きブログを別に立ち上げまして、まぁうまいこと使い分けていこうかなとは考えていますけれども、その使い分けになれてきたら次は手書きブログですよね。今まさになすびさんがセツヤクエストでやってるみたいな、手書きで書いたやつをそのままpngでアップしてみたいな。誰がやるかよ。ブスが美人コンテスト出たくないのと同じ理由で絶対やらねぇよ。

 気分を大事にしたいよね、っていう感覚がある。僕はあるものはある、ないものはない、というスタンスでいたい。それがどんなに不要であろうと非効率であろうとあるものをないとは決して言いたくはない。そういう意味で僕にとって気分というやつはかわいい弟であり時によっては頼りがいのある兄貴で詰まるところとっても大事だ。最近の世間の気分はとってもせっかちで結論を早々に求めたいし理路整然であることが何より重要だし、それが悪いことかというとそうでもなくて今までそうしてうまくやってきたんだという自負は人類みんなの宝でしょう。それじゃあその末端の僕らはそのようなニーズに適応できているのかというと、俺に限っていえばとりあえずそんな適応はできてないです。合理性よりも気分のほうが大事というか俺のハンドルを握ってる部分が強いよね。僕はもうなんかそういう気分の影響すごい受けやすいですからね。こう、気分が落ち込んでるでしょう、それに持ちこたえようとするでしょ、そこで何かもう一手俺の気分を落ち込ます何かがあったらすぐ泣きますから。もうだいぶ前の学生時代の頃ですけど超面白かったのが、まぁ不運やなんやが重なって俺超落ち込んでて、もうボロボロの午前3時ですよ。色々あって超疲労困憊でもう正直泣きたいけどね、男の子だから。せっかく産んだ男の子がそんな簡単に泣いたら頑張って産んでくれたおかあちゃんに申し訳が立たないからグッと堪えてとりあえず腹減ったから松屋に入るでしょ。それで豚丼頼んで食べるでしょ。たまねぎ超辛いの。タイミングとかもあるだろうね、深夜だしさぁ早朝に向けて仕込みなおしだみたいなそういう事情もあったと思うんだけど、タマネギの辛さを察知した俺の顔ね。「そうか、お前まで裏切るのか、今日こんなさんざな目にあった俺をタマネギまで裏切るのか、ああこれはもう神様が俺に死ねって言ってるんだなもうだめだ」ってなるじゃないですか。もう号泣ですよ。松屋で号泣。気分ってそういうことだと思うんですね。神様が僕らの処遇を常に決定してるなんてガキ向けの御伽噺ですし、タマネギが辛いのも必然なわけは無く偶然、あるいは偶然ではなくその日のタマネギが辛かっただけなんですけれども気分はそんなことお構いなしです。そして俺の両の目から甘い甘い雫を落とすかどうかを決めるのはこれ問答無用で気分の一存なわけです。気分なんてものさえなければ確かに僕は無意味に涙を流す必要はなかったかもしれませんし、色々なものが合理的に進んでいくのかもしれません。しかしそれが望ましいからって気分がないということにするのは幾らなんでも無理筋になりますし、何より、例えば夫婦の間に子供が生まれてしまえば子供が生活の中心になるんだという言葉があるように、気分がある限りに僕や貴方の生活は気分を中心にせざるをえない。気分は厄介なやつですが掛け替えのないやつなのです。

感想を、ブログでほしいです。

http://inujin.hatenablog.com/entry/2013/11/08/114354

いぬじんさんという人がなんか書いておりました。なんだかんだたびたび言及しておりますが感想をブログで書いてもらえると肛門から苦い液が分泌されて何かしらの出し入れがスムーズになるグループというものがありまして、一期生だよなぁという自覚が僕は強くあるんですけれども客観的に見るとそうでもない可能性はある。少なくともそのようなグループができる以前から僕といぬじんさんの交流とも言えないような言えなくもないようなゆるいやりとりっていうのはチラホラあったんですけど、思えば遠くに来たもんだと言えなくもないようなサードブロガー云々、相互ブクマ云々の話題が各所で見受けられ、僕はまぁ捨て置きにとりあえず何か書くかなとしている毎日です。それでもこうやってたまにいっちょ噛みしてやろうかみたいな気概が下腹部のもっと下から湧き上がるのは何故なにどうしてかと考えるとやっぱいぬじんさんと気が合うからなんですね。こうお互いブログ読んでても思うんですけど、実際会ってみたりしたところでそんなメチャメチャに気が合って肩組んで写真撮って終電で帰るような感じになる気は全くしないんですけど、かんがえかたはそりゃぁ全然違うし違うからこその今なんでしょうけど、たぶん「気分」というやつを大事にしているという点では同類なんだろうなみたいなそういう親近感があるのみです。当人は感想欲しいですとか言ってますけど、それに対しての言及がこのたっぷり空気を含んだふんわりこのザマですけどまぁいぬじんさんにはそれでいいか。

ここまでのこの感じを例にあげるまでもなく僕はドンパチドンパチにあんま積極的に近寄ることもなくテキトーにやっててこのザマではあるんですけど、まぁ単純に僕は他人に興味を持ってしまうと批判的になりがちなところがある人間なのでノラリクラリ風の体を装うのが一番ラクかなというところで遠ざけているところはあるんですけれども。今回はせっかくいちまんじという煙幕を撃ってるので本音もちょっと喋ろうかなとか思うんですけど、いやそのためにこの話題をちょっと交えるためだけにいちいちいちまんじを高らかに宣言したわけじゃないからね。今思いついただけで。そんな気まぐれに煙幕か狼煙かであげられるほどいちまんじ甘くないから。今でやっと7000字くらいだから。まーとりあえず他人のブログ読んでて気に食わないところで言うと「俺は俺のためにやってますから」ってのがたぶん一番見ていて鼻につくなぁとかは思っています。「人それぞれ」という魔法の言葉をどこだったかなぁ四国かな四国の甲子園常連校が校歌に取り入れてたので、考えを改めろよとか言う気はサラサラないんですけど、なんだか僕はそういうフレーズを目の当たりにすると俺というか貴方自身というか、そういうものを甘く見過ぎだろとか思ってしまうんですね。

僕らには気分というものが備わっていてそれによってうれしい気分になったり悲しい気分になったり、それはもう目まぐるしく○○の天候のようにという比喩を挟んでやろうかと思ったんですけどあんまパッと四季折々すぎる地名が浮かばなかったのでそのまま○○と表記したんですけど、気分というものを大事にしたい僕にとって「俺は俺のためにやってますから」という人のスタンスというやつは気分への冒涜に見えてしまうんですよね。気分というやつの繊細さは僕らにコントロールできるような代物ではなく、場合によっては僕らの生活そのものを支配しかねないような凶暴なやつで、そういう奴だからこそどうしましょっかねという話になるわけで。「知ったことか」と言ってしまうことは自分の気分の繊細さをナメてるだろと思っちゃうんですけど、それは実はこれでも控えめな言い方で、実のところ「お前は必死でなんだか自由じゃないな」という印象を抱いてしまうところが俺にはある。

文章を書くことが好きになったきっかけのこと

http://fahrenheitize.hateblo.jp/entry/20131108/1383850981

もう随分昔の事のように感じられるがなんかちょっと前に自分がいかに文章を書くことが嫌いであるかについて喋っていたような気もするけどこういうのを読むととても良いぜという気持ちになったりもする。この人の好きなところで言うと見られること受け取られることに異常に肯定的なことだ。あのー自由というキーワードを序盤で説明してどっかいって久しいんですけれども、人の目があるということ、好きに読まれるということに対して非常にフランクなこの方、この人もまたたぶん恐らく「気分」を大事にしてる人なんだろうなと思ってこっちの気分も良くなるわけです。

ブログというサービスでこうダダダダーッと文字列を平気してるわけですけど、直前で紹介したブログでちょちょっと言ってるとおり、ラジオみたいなノリっていうのは実は僕もすごく共感できるところがあって。ここまで読み進めてこの文字列まで辿り着いた人にとっては「まさにお前はそれ以外の何物でもないだろ」と思われても何の言い訳もできないわけなんですけど。今まさに書いている僕の視界にある時計の針の指す時刻が2:48の刻も刻、書き始めたのがいつだったかなぁ日付変わってたとは思うんですけどよくわからないんですけど、貴方がこれをどういう風に読んでいるのかは僕には分かりえないわけですよね。そういうの込み込みで僕は好きに書く。そしてこれがいつか誰かの目に触れる。その繰り返しって大変素晴らしいものだよねとか僕は思うわけです。何せ今こうして書き散らしている僕は今の僕で、それを読んでいる貴方は恐らくよっぽどのことがない限り今の貴方なのでしょう。貴方がこれを読んでいる今、私は寝ているかもしれないしブログと関係ないことをしているかもしれないし、それでも今・書いている私と今・読んでいる貴方が出会ったことは必然で、もしこれを読んだ貴方が何らかのリアクションを示したとするならば今・書いている僕とは一切関係のない気まぐれな僕こそが貴方にお礼を返しにいくのでしょう。その時差とリアルタイム感と、どちらもが楽しくてブログはいいよねぇと思うわけなんですけど、広げるレトリックはまだまだ残っていたはずなんですけど結構忘れてきました。今もう超眠いです。

余談なんですけど今回のこのエントリに関しましてはもちろん俺が自主的に何となくいちまんじも書こうとするなんてなかなかあるはずもないわけで、あてつけみたいな対象もあるわけで。

はてブやめます。

http://lair-onett.hatenablog.com/entry/2013/11/08/044549

この記事元がいちまんじチャレンジがどうのとか言ってるのでこっちはそれ先駆けてやってやろうかなとかそういうこと考えてるわけですね。何のあてつけなんだと言われれば諸説あがりましょうが頑張れ頑張れもあればなんか鼻につくこと言ってるなという思いもありつつ、それを僕はうまく言えないのでじゃあいちまんじ書こうかなってことで今やっと9000字に辿り着かんとしているわけです。

でも意外と水増しみたいなのはしてないね。後半だいぶ雑になってきてる印象はあるけど無駄に迂回してみたいなセコい真似はしないでここまで来れてるような気もするな。もうちょいなんだけどあとどうしよっかな。実はあれだよね、このブログを書いている人の名前はズイショさんということでこれまでやってきていたんだけれどもそれが実は全部嘘でそもそもズイショさんなんてこの世にいなくてJavaScriptによる自動生成の文字列がここまでの9000字で、それを出力したコンピューターその名もじゅげむじゅげむごこうのすりきれ的な、的なそういう話で終わっても別にいいんだけど。

ここまで読んだ人がいるのかどうかも知りえないし、読んだところで何が腑に落ちたもどうもなかろうけれども、俺は異常にスッキリしているうえにあと700字ほど足りない。

僕の好きなアーティストに甲本ヒロトというかっこいいおっさんがいるんだけれども彼が歌の中でいうことには「幸せになるのには別に誰の許可もいらない」とのことで、僕はそれはそのとおりだなと思いながら許可をとらないのはとらないのでなかなか難しいなと思いながら今これを書いていた僕こと俺です。500字ほど足りず、いちまんじの夢は潰えてしまっている現状ではございますが、もしここまで辿り着いた方が降りましたら、どうも私の文字列ラジオにお付き合い頂き誠にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。

と、ここまで書き綴ったわけですけれども冒頭にありました一文を覚えておりますでしょうか、いちまんじありますよと宣言していたあの文章、あれはここまで書き上げた僕が戻って書きにいった文なのか、それとも一番最初に高らかに書き上げた文なのか、それは誰にも知りえないことなのです。何を読むにしてもそれは同じ事でして、貴方は頭から読んで最後まで読みきる以外の選択肢を持ち得ない。そこの誤差すらも含めてですよね、貴方との断絶的な距離を余裕で存在しまくっているものと認めたうえで、それこそファーレンさんが言ってたような深夜ラジオのノリでね、どうにかつながりたいなと思っている。そのための方法を私はまだ持ちえないけれども、何せ結論を急ぐこの世の中ですから、とりとめもないこんな文章を最後まで読み進めた貴方がいるのであれば、何かしらつながる方法はあるのだろうと思っています。それを包括的に試してミスってるのがこれです。まーみんな色々考えながらやってるんだろうけど、何も考えずにとりあえず書き散らせばいいんじゃないのと思って書いてたんですけど、今貴方がこれを読んでいるように、貴方が書いた文章を誰かが読んでればそれでいいんでしょう。ということを言おうとしたらこうなりました。

後半ぐちゃぐちゃだろうなと思うんですけど何せ推敲してないんで思うんですけど、それにつけても眠いんでそのまんまあげますけど。大変お疲れ様でした。以上です。