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音楽を楽しむ才能がないけど音楽ライブみたいなの行ってきた

今日は素晴らしい音楽と共にいつもの糞まどろっこしいどこにも行かない糞文章をお楽しみください。


tricolor「Bull&Bear Set」 - YouTube

高校時代の友人に現在音楽家をやってる奴がおりまして、なんか彼が大阪で演奏するということなのでこの前嫁と二人で行って来ました。僕の友人というのは上の動画のアコーディオンを弾いている男性のすぐ後ろの窓に2:55あたりで一瞬映りこむダッフンダの顔の人影がそれです。おわかり頂けただろうか……?

さて、僕、音楽ってよくわからんのですよねー。ギター弾けます性とかゼロですし、まぁもともと音楽的感性がないとかもあるんですけど、おまけにJ-POPとかそういう一番ハードル低そうな音楽にも全然慣れ親しみがないんですよねー。そこに逃げ込むなよって話ではあるんですが、長男坊だった影響とかもあるんじゃねぇかなとか勝手に思うんすよ。上の兄ちゃん姉ちゃんが一般的な流行ってる音楽なんかを聴いてたりすると、下の兄弟というやつはそれを強制的に耳にするはめになるわけで、中学生とか背伸びしてそこらへんの流行とかちゃんと押さえたいなーってなった時に押さえ方とか楽しみ方とかが色々身体に染みついてるとかそういうアドバンテージがあったりすると思うんですけど、長男はそういうの無いですからね。中学ちょっと色気づこうかなと思ってもどうすればいいかわかんねぇ。ハードルがすごい高いわけです。ましてや僕の父親はそこらへんすごく厳格な人で、J.A.シーザー以外を聞いてるのがバレたらグーで殴られますからね。なんでそんな思いしてまでGLAYとかLUNA SEA聴かなきゃならねぇんだよ、ってなるのは当然のことです。そんな殴られるかもと思いながら隠れて聴くもんじゃねぇだろ。あと、ちょっと思ったんですけど、これボケとしてパンチ弱すぎて文脈上ほんとっぽい。J.A.シーザー以外聴いたら殴る親父。他の音楽聴いてるのがバレるとしこたま殴られたうえ手にシンバルを無理やり括りつけられて延々いいタイミングで鳴らせみたいな折檻を受けます。紫っぽい光を当ててきます。

まぁ、そんなことを言っても音楽劣等生の兄を抱えた僕の妹はなんかゆずのコンサート行ってるんでそんなん関係なく勝手にみんな好きな音楽見つけろよ、て話で。よく考えたら僕もTHE BLUE HEARTSから始まるヒロトとマーシー二人の歩みを今でも追いかけていますし、奥田民生聴いたり、チバユウスケが大好きだったり、ZAZEN BOYSが好きだったりするのでいいっちゃいいんですけど、Amazonに「お前こんなんも聴くんちゃうのん?」て補足されすぎてうっせ馬鹿ってなりますけど。Amazon倉庫のだだっぴろい天井までの空間を一人用のヘリで飛んでやろうかってなりますけど。ドット絵の倉庫番にりんごを投げ返されそうな、そんな爆弾の投げ方をしてやろうかって。そんな、ギリギリiPodを持っている理由を併せ持っている程度の音楽難民の僕です。

つまり、これはそんな「音楽を自然に楽しむ才能」が非常に欠落している、もうまじでそういうギフトを神様に目の前で燃やされたくらい才能がない僕が、けれども流石にそれくらいのことでいちいちすっぱいブドウの論理を振りかざすことも出来ない年齢になった私こと僕がなんか非常に楽しむことを求められそうな音楽ライブに行ってきた話なんですけど。

で、お聴き頂けているでしょうか、なんかこういうの、なんだっけアイリッシュなんとかとか言うらしいです。北欧?の、民族音楽?を?ベース?にした?あの、わかんないんですけど、まぁ何かわかるでしょ、わかって、って感じなんですけど。これをね、シャレオツなカフェでね、椅子に座って聴くんですけど、わかんないんすよ。これを聴いてどう楽しんだらいいのかわからない。歌詞とか、背景的な物語とか、文脈がない状況で、あるいは「カフェで生で演奏してる」という文脈上で、眼前で奏でられるこの音楽を俺はどうすればいいのかがよくわからんのですな。「うまいなぁ」とか「賑やかだなぁ」とかは思うんですけど、それは外部で鳴り起こっているそれについての感想であって、俺がそれを聴いてどうすれば良いのかが全然わからん。映画を観たり、芝居を観たり、とかはするので、こういう音楽?インスト?インストゥルメンタル?インスタントちろちろ文学?あれ文学なってもうた。何それ。めっちゃ読みたい。インスタントちろちろ文学めっちゃ読みたいじゃん。インスタントちろちろ文学の金字塔「一度にたくさんナメると死ぬ桃みたいな甘い味のやつ」待望の文庫化。インスト?BGM?的なものが映画や芝居その他映像なり何なりと結びついた時爆発的なパワーを発揮するということはいやそんなもん馬鹿でも小学生でも分かるって話なんですけど、それは分かるんですけど、単体で聴いても、ねぇ、てなっちゃう。

でもなんかね、お客さんの感じ観てるとそんなん思ってんの俺だけなんじゃねぇかなってなるの。なんかみんなめっちゃ笑顔で聴いてんの。で、拍手がガチなの。本当に心から楽しんでるやつの気合入ってる拍手って音でわかるじゃないですか。ガチの拍手が演奏後バシャーっと沸き起こるんです。僕としては「え、マジで?」みたいな相当に「いい」と思わなかったらそんな拍手の音鳴らないよって拍手で、お前らそんな「いい」を思えるのか、お前ら全員糸井重里かみたいな。囚人全員糸井重里の慰問ライブか、みたいな。どんだけいいんだよ。あと色んな糸井重里の罪状が気になる。

で、どうにかしてもうちょっと楽しまなくてはと思って辿りついたのが、そうだ音楽単体だからどうすればいいかわかんねぇんだ、て思って、俺の頭の中にYoutubeチャンネルを開設しよう、てなって、勝手に映像なり文脈なりなんなりを足すわけです。こう音楽が流れますよね、そこに無理やり何かを結びつけるんです。あー今日は休みかー何しよっかな散歩しよっかなーつって、なんかギンガムチェックのシャツに綿パン履いてなんかオシャレくせー帽子の忍者が、夜勤明けにちょっと寝て13時くらいに起きた忍者が、オシャレくせーオフの格好で森を歩いててー、なんか音楽盛り上がってきた。これはゴリラだ。ゴリラが出たぞ。私服の忍者どっひゃーって驚く。驚いて大木を走って登る。地面に垂直に立って樹を駆け上がる。で。枝の上から手裏剣を、斜め掛けのリュックから手裏剣を取り出してゴリラめがけて投げる、ゴリラはウエストポーチから半畳くらいのサイズの畳を取り出してその手裏剣を受ける。みたいなそういうイメージ映像を頭の中で足す、足す、足す、音楽から感じるイメージを無理に捻じ曲げることはせず、そんなに面白くなくてもいいので調和を主として頭の中でストーリーを展開させる、それでやっとちょっと楽しくなってくる、なってくるけどこれがすげー疲れる。やってられるか、と。やってられねぇよ、となるんですけど。なんかこの話を後で嫁にしたら「たぶんみんなやってる、私もやってる」と言われてマジかってなったんすけど。マジかよ。

そんな疲れることやってんのかよマジかよ、と同時にもう一つ、やってどうすんだよとも思います。いやそりゃ忍者とかゴリラとか無理から出したらそりゃ疲れるよ、もっとこう自然に感じろよ、って話なんですけど、例えばなんか演者の方が言ってたのは「これは海外で満天の星空を見た時に作った曲です」つって星空っぽい曲をやるわけですよ。じゃあお前演奏できんのかよって言われたら出来ないですし、そりゃ俺が音楽やれよって言われたら両手をカスタネットに改造するほかないんで、それ言われると辛いんですけど、それを置いて言ってしまうと「いや、そりゃそういうメロディだったらみんな星空浮かぶよ!」みたいな、今度はそういうことを言いたくなるわけです。それはなんか音楽によって想起されるとかそういうやつなのか?パブロフの犬みたいな感じで、そういう音が鳴ったらそういうイメージみたいな風に俺らの身体はもう出来上がってるに過ぎないんちゃうんか、と思ってしまって、それが楽しいとかどうだとかって感情に結びつかない。音楽を聴いて星空を感じようと草原を感じようと海を感じようと、それってちょっとした犬棒カルタちゃうんかとなってしまう。

とか、延々愚痴は続くわけですが、だからこんな音楽は糞だとかじゃなくて、ただただ俺に音楽を楽しむということがホトホトできないっていうあくまで「ヘルプミー」みたいなそういう話なんですけど。ちょっとお前らどう楽しんでるんだよっていうのを深刻に知りたいですね。なんとなく楽しんでる人の概要は分かるんですけど。特に今回聞いた民族伝統音楽、みたいなものは延々と現場で奏でられ続けた音楽ですからね。どう言ったらええのかわからんですけど消費に強い、というかすっげ磨耗しにくいんだろうな、みたいなのは分かります。僕が「どうしたらええねん」言うてる背景には「どう消費してやろうか」みたいなんが完全に見えますし、むしろそういう消費したがる人間には天敵みたいな音楽なのかもしれません。そう考えたら楽しそうに聴いてるほかのお客さんも演奏してる皆さんもなんかエコとかロハスとか好きそうだった。木製雑貨とかめちゃめちゃ有難がりそうだった。消費に耐えうる、ずっと長持ちする音楽、ってのもそれだけで有難いのかもしれない。あとは、単純にこんなウダウダ考えながら聴くってのが間違ってる。勝手にリセットして、フラットなところから聴き始めて「文脈がない」とかふざけんなって話で、日常やその日の気分を持ち込んでそれを「文脈」としてしまい、音楽が気分の媒介であり気分が音楽の媒介であるような、そのような態度も望ましいのかもしれません。これもなんかとても民族伝統音楽?っぽいね。まぁそれならそれで他のめちゃめちゃ楽しんでた糸井重里ども、みんな日常がめちゃめちゃ楽しいかもう死ぬほど楽しくないかのどっちかなの?て思いますけど。模範囚いいな~、早寝早起きいいな~、労働いいな~みたいな。

まーそんなこと考えながらもテキトーに酒はうまかったし、手拍子する曲とか楽しかったんだけどさ。あと今こうやって書きながら聴く分にはすごくいい。どないやねん。あと最後に1コだけ、こんな音楽エンジョイ弱者の僕ですが一つだけハッキリと言える信念があって、これはガチなんですけど、ボリュームっていうのかな、音はでかければでかいほどいいですね。以上です。