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ブログ飽きた理由

俺は日記とか一切書かない人間で基本的に他の人に読まれることがない文章なんぞ書く必要が俺にはないと思っている。なので、ブログという他人に読まれる可能性があるから書く理由が存在する場所というのはもともと居心地のいい場所だった。俺はヘンリー・ダーガーのような人間に憧れはするものの決してそうはなれない性根であることをいい加減自分でわかりきってるから、恥ずかしげもなく言う。俺は俺が読んでほしい人、俺みたいなやつの文章を読んでくれる人がいないと何も書かん。書く以外のこと全般に関してもそうだ、俺は他人が介在しないと無限になんもしない自信がある。

話をブログに戻そう、どうせ書くなら目的や理想や希望は持っておきたい。読んでくれる人がいるから初めて書く俺みたいなやつの場合その目的設定は案外簡単だった。それは読んだ人が「あ、このままでいいんだ」と思ってくれたらそれでいいや、ということだ。なんとなく言ってはいけないこと、周りのみんなの当たり前に合わせなくてはならないこと、つまんないけど念のため笑っとくこと、なんだか納得できない日常会話の様式、他人を軽んじてる他人から容易くぶつけられる理不尽、そういうの全部めんどくせえってブチギレたりクダ巻いたりの牛の小便みたいな文章を垂れ流して、それを読んだどっかの誰かが「やっぱそうだよな、私間違ってないよな、だってこの人もこんなわーわー言ってるし、このままでいいんだ」って思ってくれるなら、それでいいやと思って書いてた。

んだけど、いつくらいからかな、なんか世の中の空気だかネットの空気が変わってきて飽きた。飽きたな。今でもやろうと思えば、打率はわからんけど、たぶんゴリゴリにキャッチーなパンチラインでみんなが喜ぶ物申す、やろうと思えば別にまだできるんだと思う。でももうなんか嫌だなと思って。俺は誰かに御守りを配れたらいいかな、配るは烏滸がましいか、誰かの御守りになったらいいかなくらいの感じで、その誰かに届く過程で批判に晒されてボコボコにされるのはもう慣れてるし別に全然いいんだけど、それは慣れてるけどもう飽きちゃってそういうことやるのめんどくさいなーとなったのは、俺がどんだけ「こういうふうに考えれば俺たちまだまだやっていけるぜ」の気持ちでなにか言ったところでそれが運良く広く読まれたときに届く先としては御守りにしてくれるやつより他人を殴る棍棒として活用するやつの方がネットで可視化される量としては多いでしょどうせ。「いや、サイレントマジョリティがね」みたいな綺麗事もどうでもいいレベルで、なんか誰かの溜飲が下がることを言ってどこぞの馬鹿が自分を正当化する道具だとか他人を否定する道具だとかに使って、そういう今のインターネットっぽいものに加担するのがだるい。だからまぁ、たまに今みたいな感じでテキトーにブログ書いたりはするんだけど、飽きたというか期待してないな。これはとても悲しいことだ、期待してない。期待はしたかったけどもうできない。

 

俺がブログ書き始めたのがだいたい10年前くらいかな、その頃はたくさんいたんだよ、世の中のいろんな人達がその場では言い返せなかったし家に持ち帰ってもどう言い返せばよかったかうまく考えがまとまらないって悩んでるモヤモヤしたことを言語化して、そんでちょっと感謝されてみたいな芸風の人たちたくさんいたんだ、まぁだいたいみんな色々なそれぞれのポリシーと複合的だからわかりにくかったけど、優しい人とまでは言わないけど悪い人たちではなかったなと思う、概ね。で、今もうなんも書いてない人もいれば書いてる人たちもいる。みんな好きにすりゃいいんだけどさ、そういう芸風はもうそんなピュアにできる世の中じゃなくなってるんだって、今のインターネット。とかは思ってて。俺はもう、ちょっとできないな嫌だなと思ってて、なにかを言語化して一般化するような書き方が誰かの慰めになるよりどうせ殴り合いの道具にしかならないことなんて、ずっとそういうこと書いてきてたんだから気づいてないわけないでしょと俺以外の人たちに対しても思ってるし、そこは見て見ぬふりして素朴ないちブロガーの素朴のいち意見ですのていでなんか書くのちょっと俺はもう嫌だなと思っているんだなということが最近わかった。全部のことに全部気づくことなんてできっこないけど、少なくとも確実に気づいているなにかを透明にしているのをわかってるくせに透明にしたまま文章垂れ流してやっぱりいい人ですねなんて思われたかない。

これからも餓鬼道から来たんか言うくらいみみっちい人間なりに「隣人を愛せよ」を無理からでも目指して生きたいなと思ってるけど、それを実践する場としてのインターネットがかつてあって俺はそれにずいぶん勉強させてもらったが、もう今のインターネットはそうではないから、他の場で「隣人を愛せよ」を実践する。そこは変わらない。変わらないんだ。なんか良い場があったら教えてください。

 

メリークリスマス!!(あかん、こいつ最悪や)

犯罪組織もDX化で生産性高めるんだなぁ

今日息子とゲームしてたらなんか知らん番号やし日本の市外局番でも090でも080でも050でもない見たことない始まり方の番号で、絶対怪しいやつだなと思いつつとりあえず出てみたら自動音声で「NTTファイナンスです、未払金があるので法的措置を実行します。担当者と直接お話したい方は1を押してください」みたいな内容が再生されて、まぁちょっと弱みとして告白するとね、僕ちょっとここ一ヶ月二ヶ月で生活の変化があって、まぁ転職とかなんですけど、そのせいでクレカ用の口座に入ってくるお金と引き落とされて出ていくお金の金額差みたいなのをズボラなのであんま把握してなくて、実際読み違えてクレカが引き落とし出来てなくて他の口座からお金移すみたいな処理を今月やってたから、絶対違うけどそういうのがまだあったパターンだったら不安だなというか、詐欺でも別に引っかかりゃせんので、詐欺であることを確認する方が安心できるなと思って1押したんすよ。ほんだら、コール音が鳴り出したんですけど出なくて、まぁ切って。で、また息子とゲームしてたら30分後くらいに似たような番号から着信があって、出たらなんか今度は肉声というか受話器の向こうにいる男が「NTTファイナンスですけど先程1押されましたよね?まず最初に本人確認のためにお名前と住所をおうかがいできますか?」って言ってきたのでとりあえず「なめてるやろお前?」て聞いたら「なめてないです」と返すので本来やったら僕こういうの、なんか不動産投資のカス営業とかも面白がって10分15分平気で付き合うんですけど今は横で息子が「お父さん!ワドルディで助けて!ワドルディで助けて!」って騒いでて、お父さんカービィやるのスーファミのスーパーデラックス以来なんだけど、ディスカバリーのコピー能力使えない2人プレイのワドルディで息子のカービィのお供させられるのいい加減飽きたんだけど、と思いつつ電話切ってゲームに戻ったんですけど。

 

で、付き添うだけで基本道中もボス戦もウロウロしてるだけで実は一切戦闘は助けず息子一人でやらせてギミックの攻略とか詰まったら声かけるくらいでプレイ中暇なんで考えたわけですけど、なるほど最近の詐欺電話はどっかから入手した電話番号リストに片っ端に電話かけてくんじゃなくて一回自動音声ガイダンスを挟むんですね。今までそんなんかかってきたことなかったから知らんかった。で、この自動音声を挟むことによって、なにか後ろめたい事情があったり、ちょっと自分にとって都合が悪そうな話を聞くと不安になって真に受けちゃったりとか、そういうよりCV見込みが高そうな母集団形成を機械に自動で行わせてるんですね。そして、そこに有限な架電チームのリソースを突っ込むことでより効率的に詐欺に弱い市民にだけ狙い撃ちでアプローチすることが可能となりCV数の最大化を見込めるというわけですね。そういう自動音声でとにかく架電しまくるシステムがどれくらいかかるかは俺知らないよ、わかんないけど月100万かかるとするじゃん。でも今30人いる架電チームを10人に減らしてでも導入した方が結果的に売上(詐欺でだまし取れる額)が200%成長になるとかも全然ありえるなーと思ったし、犯罪組織もそれくらいちゃんと投資してやってるんだからカスみたいな不動産投資の電話営業してくるあいつらもそれくらいちゃんとやれよとも思う。ああいう営業、電話出たときの気分によっては「そんな仕事やめた方がいいよ」とか言いたくなるけど「それができたらとっくにやめてるよ」って向こうの事情もあるかもしれないし、自分のやってることを信じてやってるとは限らないし微妙な気持ちになる。

 

みたいなことをうらうらーっと考えてたところで「あ、ちゃうわ、クソ営業ちゃうわ、詐欺やわ」思ってとりあえず110番通報したらお巡りさんが話を聞きにやってきて、一通り話して終わったところで「とりあえず着拒して、今後また同じような変な番号からかかってきても出ないでください、ダイヤル押さないでください、あと通報もしなくて大丈夫です」みたいなことを言われて終わって、まぁ要するに「よくある話だけど通報されたら報告書出さなくちゃならなくてこういう聞き取りにくるリソースが取られて俺も暇じゃないんだよ、こんなことでいちいち通報するのは勘弁してくれよ」ということだと思うんですが、仕方ないけどそれでいいんか、とも思うし組織的に・計画的に犯罪を企てる連中は自分らの効率やコスパだけ考えて動けば他人の都合や手間なんかもちろんお構いなしだし、それに対して警察は手続きに則ってコスパ度外視の手続きを踏まなくちゃならないしで大変だよなーみたいな非対称を感じて、ていうかまんまこのような話をMIU404でやってたなーと思って、現実もドラマと変わらんのねと思いました。

 

任天堂さん、DLCワドルディに槍以外の武器も持たせてやってください。

 

以上です。

6歳の息子とフィクション見る難しさ 南極ゴジラ宇宙旅行の記録「宇宙船『らんど』号の栄光と挫折 展」を見る前日文

natalie.mu

 

こういう面白いやつをやってるらしいんですよ、今。

で、これ観に行こうかなと思ってて、で、せっかくなら6歳の幼稚園児の息子と行こうかなと思ってて。

というのも、この手のイベントって結構未就学児は来ないでくださいみたいなの普通にあって、なかなか行けなかったりするんですけど、俺はこういうのもあるんだよを教えたいんですよね。衝動として。なので、明日は6歳の息子と二人で行こうかなーと思ってて。

しかし、この展示、身も蓋もない言い方をすると大嘘なんですよ。全然存在してないもんをでっちあげて本当にあったっぽい感じにして展示してる内容なんだろうなと概要を見る限り想像する。それを6歳くらいのガキに見せるのってどうなんだ?数日後にサンタからプレゼントもらうガキにですよ。そこに葛藤はありつつも僕はその俺の葛藤もおかしいだろうと思ってて、なんでこの展示は信じちゃダメで、サンタクロースの嘘は絶対にバレないようにしなくちゃならないんだよみたいなそういうことは考えちゃいますよね。

何が悪いわけでもなく、人間のワクワクはいつも嘘っぱちで出来ていて、本当のデカシタはいつもワクワクの先にしかないから、仕方がないんだろうなと思う。

 

息子には「これは事実だぞ」と言うつもりはなく「嘘っぱちだぞ」と言うつもりもなく、「みんなには内緒にしとこうね」というつもりだ。

展示場に到着する前にそこらへんの話は全部済ませてから到着するつもりでいるが、なんか、展示場でそういうやりとりが発生してなんやかや喋ってるあたりで我々親子も展示の一部になってるみたいになってしまったら、まじごめん。

 

サンタクロースはたぶん嘘って気づいたとき俺はどんな気持ちだったっけな。全く覚えてないけど、覚えてないってことは大したことじゃなかったんだろう。年の離れた妹や弟はどう思っていただろう。年上の俺は騙す方に加担してサンタクロースを信じていると信じたフリをしていただろうか。何も覚えていない。でも、覚えてないってことは大したことじゃなかったんだろう。そんなことを考えながら僕だってなんの準備もないので楽しみな、現実の眼の前にあるフィクションを息子と一緒に観に行こうと思う。

 

我々親子も展示の一部になってるみたいになってしまったら、まじごめん。