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6歳の息子とフィクション見る難しさ 南極ゴジラ宇宙旅行の記録「宇宙船『らんど』号の栄光と挫折 展」を見る前日文

natalie.mu

 

こういう面白いやつをやってるらしいんですよ、今。

で、これ観に行こうかなと思ってて、で、せっかくなら6歳の幼稚園児の息子と行こうかなと思ってて。

というのも、この手のイベントって結構未就学児は来ないでくださいみたいなの普通にあって、なかなか行けなかったりするんですけど、俺はこういうのもあるんだよを教えたいんですよね。衝動として。なので、明日は6歳の息子と二人で行こうかなーと思ってて。

しかし、この展示、身も蓋もない言い方をすると大嘘なんですよ。全然存在してないもんをでっちあげて本当にあったっぽい感じにして展示してる内容なんだろうなと概要を見る限り想像する。それを6歳くらいのガキに見せるのってどうなんだ?数日後にサンタからプレゼントもらうガキにですよ。そこに葛藤はありつつも僕はその俺の葛藤もおかしいだろうと思ってて、なんでこの展示は信じちゃダメで、サンタクロースの嘘は絶対にバレないようにしなくちゃならないんだよみたいなそういうことは考えちゃいますよね。

何が悪いわけでもなく、人間のワクワクはいつも嘘っぱちで出来ていて、本当のデカシタはいつもワクワクの先にしかないから、仕方がないんだろうなと思う。

 

息子には「これは事実だぞ」と言うつもりはなく「嘘っぱちだぞ」と言うつもりもなく、「みんなには内緒にしとこうね」というつもりだ。

展示場に到着する前にそこらへんの話は全部済ませてから到着するつもりでいるが、なんか、展示場でそういうやりとりが発生してなんやかや喋ってるあたりで我々親子も展示の一部になってるみたいになってしまったら、まじごめん。

 

サンタクロースはたぶん嘘って気づいたとき俺はどんな気持ちだったっけな。全く覚えてないけど、覚えてないってことは大したことじゃなかったんだろう。年の離れた妹や弟はどう思っていただろう。年上の俺は騙す方に加担してサンタクロースを信じていると信じたフリをしていただろうか。何も覚えていない。でも、覚えてないってことは大したことじゃなかったんだろう。そんなことを考えながら僕だってなんの準備もないので楽しみな、現実の眼の前にあるフィクションを息子と一緒に観に行こうと思う。

 

我々親子も展示の一部になってるみたいになってしまったら、まじごめん。

悪い芝居 第一幕ふぁイナル公演『スーパーふぃクションふぉーエヴァー』感想文

あのー、「悪い芝居」という名前の劇団がありまして。「悪いけど芝居させてください」の略らしくて、とっても謙虚です。

旗揚げしてもう19年くらいなのかな、僕ズイショはもうずいぶん長いこと偏愛しています。最初に観たのは2008年とかだから15年前か、15年前か?だいたい15年前。数え年とか関係なくシンプルに何年前とか計算するのめちゃめちゃめんどくさいよね。全然関係ないけど初対面の時に早生まれに厳密な学年トークしてくるやつちょっと怖いよね、出身大学で派閥作る偉そうなサラリーマンの下位互換っぽい。ほら俺3月生まれじゃん?だから余計にそこらへん気になっちゃうんだよね。あと、こう言うふうに俺3月生まれじゃん?て初対面で知らんのに言ってくるやつもちょっと警戒するよね。仲良くなれない予感って、あるよね。そう思いながらみんなで箸をつつく唐揚げの山にレモンを絞ってる自分も猛省してください。良かれと思ってなのはわかるけどね〜!!!!

ちょっと話が逸れたので話を戻すと、僕はその2008年に悪い芝居に出会ったその瞬間から心を鷲掴みにされてしまって、以来15年偏愛しながら、別に鷲鼻じゃなくても鷲掴みってできるんだーといつも感心しております。悪い芝居と出会って以降、人の心を鷲掴みにするために鷲鼻への整形手術を考えてる人と出会うたびに「なんか鷲掴みにするってそういう鼻にシリコン入れるとかそういうことじゃないらしいよ」とアドバイスしています。ここで鼻の大きさとちんぽの大きさ比例するという古来の都市伝説をいじり始めると2000字は書けるんですけど割愛します。ちんぽだけに。おい!馬鹿!だめだこいつ、犬!咬め!嚙めじゃなくて咬め!本気でいけ!なんのための本能だ!なんのための野生だ!この馬鹿にちゃんと喋らすために本気で咬め!でも死なれると困るから、ぶっとい動脈があるところは避けて、そのうえで全力で咬め!お前の顎は俺が拾ってやる!二の腕とかを咬め!いや二の腕にも太い血管あるくない?ないはずなくくない?

犬「わん!!!!!!!!!!」

 

はい、ここからドラムロール入りまーす。今鳴ってまーす。ドゥるるるるるー!パナソニックでございまーす。あ、違うわ、ここは先にサザエでございまーすを挟まないと、いきなりパナソニックじゃ伝わりにくいんだ、間違えた。あ、今はもう一社提供じゃなくなってるんだっけ、いつからだっけ?わからないね、昨日のようなことだね、よその子の成長は早いね、これなんのドラムロールだったっけ?そうだ、この犬の犬種はなんでしょうかーだね、そうね、そうね。土佐犬やったら咬まれる部位関係ないからね、もうバッキバキよ、どんだけ太い骨もバッキバキよ、やばいよやばいよどうするどうするリアルガチどうする?あー出川ー、ドゥるるるるるードン!チワワでしたー!セーフ!俺の腕、セーフ!出川のことあ〜白木みたいに言うな!THE Wめちゃおもろかった。全然関係ないけど、土佐犬は骨髄めっちゃおいしそうに舐めてすするけどチワワは口すらつけなさそうだよね。いや、直近の話題とは若干関係あることだけど、これ悪い芝居の感想文だからー!そういう意味ではマジで全然関係ないからー!始まらないよー!全然感想文始まらないよー!だって始まったら終わっちゃうから。悪い芝居、第一幕ふぁイナル公演『スーパーふぃクションふぉーエヴァー』感想文ないしみんな是非観に行って欲しいと叫ぶ推薦文です。じゃあこの入りおかしいだろ。ここまで1300字です。すいません

 

劇団の歴史とか、僕の悪い芝居という劇団への思い入れとかは最早語る必要もない、どうでもいい、今回のこの作品、超面白かった。どれくらい面白かったかというと、子供の頃にインフルエンザにかかって高熱を出した記憶の頃の記憶くらい面白かった。僕が覚えてるのは、たしか小学1年生くらいの時かな、インフルエンザで高熱出して寝込んでて、パッて起きた時にお母さんが横にいて、「今何時?」て聞いたら「2時だよ」言うて、おかんが。そんな夜遅くまで俺のことずっと寝ないで見ててくれたんや思って涙が出たんすけど、記憶を振り返るとカーテンから日差し差し込んでて完全に昼の2時だったんすよ。もうこっちも高熱で頭バグってるからしゃあないし、そのうえで、俺のあの涙も本物なんですよ。間違った母の愛をインプットしてるんよ。でも、俺はそんな母の愛を信じてるし、人生も演劇も何もかも、そういうもんなんだなーと思っている。

悪い芝居の芝居を観たら、悪い芝居を観た俺の感情をテキストでアウトプットする。好きだから始めたそのライフワークは、まあぶっちゃけこれ絶対劇団の人ら読んでるだろうし、義務感にもなってくる。重荷とまでは言わんけど書かなくちゃならんやんけ、となってくる。なんならタスク増えてるやんけと思いつつ、絶対に、馬鹿みたいな語り口で、作品と関係ないテキトーなことを書き散らして、大好きだよと伝え続けたい。その義務が終わるふぁイナル公演だったんですけど、最後にめちゃめちゃビーンボール投げてきたなぁ。いや、今までもビーンボールはたくさん投げてきてたのを知ってるけど、今回のはちょっと俺の鼻にぶつけようとしてきてた。王道じゃないやつのど真ん中、それが鼻。お前、俺の鼻血を見たいんか、俺の鮮血をよ〜!!あ、脳に近いところの血は酸素を含んでるのでめっちゃ赤いらしいです。俺の真っ赤な花火をよ〜!!出なかったけど、俺の脳内では嵩張ってたよ!!あーいや今の、なんかすごい俺の脳内で花火みたいに弾けてたよみたいなことを言いたかったんだけど、嵩張ってたは違うか。うん、ごめんな、でもそれはそれとして嵩張ってたのも事実だよ。俺は、本当に引越しするのが億劫になるくらい、悪い芝居からたくさんたくさんのことを貰ってきたよ。悪い芝居から受け取ったものが嵩張っている。

『スーパーふぃクションふぉーエヴァー』は、集大成でもなんでもなくいつもどおりそのままの悪い芝居で、たくさんのものがぎゅうぎゅう詰めで、そして僕の座る席がひっそりと用意されていた。俺がそこに座れるのが本当に嬉しかった。

「夢のような時間」とか手垢のついた言葉がありますが、時間と質量を伴ったつまり現実に存在する夢を僕は初めて見ました。

俺はあれを観たんだ目撃したんだ絶対に観たんだ俺はあそこにいたんだと信じ込んで声高じゃなくてもいいけど自分のためにそう思わない限り、夢だったんじゃないかなと思えるような曖昧に消えてしまうような、そんな絶対に忘れられないような芝居でした。絶対に忘れることなんかできない。

全員見ろ。

 

以上です。

 

追記2023年12月18日:ふぉーエバーじゃなくてふぉーエヴァーだったらしいので修正しました。ただし、この世界の全ては等価交換なので代償として俺は死ぬまでビッセル神戸、ベルディ川崎と呼びます。大阪公演お疲れ様でした。東京公演も大阪より楽しみにワクワクしています。

ハロウィンの朝の謎解きゲームはいいぞ!息子6歳編

俺が子どもの頃はなかったやつなのでたぶん最近出てきた偉いやつが作ったやつだと思うんですけど、たぶん前澤さん?もしくは竹中平蔵?たぶんあそこらへんが作ったやつだと思うんですけど、ハロウィンってあるじゃないですか。何かしらの偉い人が経済を活性化させるために定着させたと思うんですけど、恵方巻との2本柱で定着させたと思うんですけど、俺が子どもの頃にはなかったから親になった今でも何したらいいかよくわからないんですよ。なんか、欧米の元ネタ的にはお菓子くれって子どもが近所の家を渡り歩くらしいんですけどそれで撃たれたり変な毒が入ったお菓子を渡されてたりするんでしょ?ウケる。そんな危ないことさせるわけにもいかないし、かといって道頓堀とかUSJに仮装して連れて行くのもめんどくさいからねぇ。

 

というわけで、我が家では2年前からハロウィン(に近接する日曜日)の朝は、起きると息子の大切なともだちである家中のぬいぐるみが息子を驚かそうといたずらでみんなどこかに隠れていなくなってしまうというイベントを催しています。こういうのやってみようと企画を言い出したのどっちかは忘れたけど、演出アイデア出し主に俺、そしてそれを具現化する部分はもちろん嫁さんに手伝ってもらってます。あと、嫁が「今年もハロウィンがやってくるよ」と言い出さない限り俺は忘れています。じゃあ企画嫁だな。

4歳の時は、シンプルにぬいぐるみたちがどこに隠れているかのヒントになる写真が時間を追うごとに息子のSIMなしスマホ(親のお下がり)に届くというもので、たとえば人間がとても入れない大きさのおもちゃ箱の中の持ち手部分の穴から外を覗く角度の写真、食器棚の上から見下ろす角度の写真など、息子本人は絶対に見たことのない視点からの写真を中心に仕掛けて、それでも写ってるのは見覚えのある自分の暮らす家の風景なので、「こんな写真が撮れるのはどの場所からだろう?」から推理してぬいぐるみの居場所を探り当てて、ぬいぐるみがみんなお菓子も一緒に持っているという構成でした。

5歳の時は基本は4歳の時と同じ構成ながらそこに謎解き要素を少し付け加えて、去年と同じようにぬいぐるみを見つけ出すとそいつらが何やら折り紙を持っていて、そこには五線譜が引いてあって一小節ぶんの音符が並んでいる。折り紙は色が分かれていて色はそれぞれ白、赤、青。3枚の折り紙を見つけたもののどうしたものか考えてみると、家に置いてある電子キーボードの前に不自然に地球儀が置いてあって、フランスのところにシールが貼ってある。それでフランスの国旗に思い至って左から青、白、赤の順に並べてできあがった楽譜を弾いてみるとちゃんとした曲になりました、そのメロディを奏でることがゴールでお菓子を抱えたぬいぐるみたちが隠れてる場所に案内してもらえましたー、みたいなやつをやりました。

それでは来年から小学生、6歳になる息子向けの今年の謎解きを見ていきましょう。

 

 

旅行用の大きなスーツケースがあるが、そのスーツケースの鍵は透明な箱の中に入っていて取り出すことができない。

紙が一枚置いてあって「みんながこの中に閉じ込められているよ!5桁の数字を解読してみんなを助けてあげて!」的な内容が書いています。

 

 

家の中のわかりにくいところに、こいつらを散りばめます。

こいつらの名称を息子が正しく理解していれば索引からページ数特定して、5つの数字をゲットすることができます。しかし、5桁の数字をどのような順番に並べるのが正解かはわかりません。

 

そのうえで、先日購入した電子ピアノの中にこんな紙を仕込んでおきます。分かりにくすぎるとよくないので、一応ピアノの上にぬいぐるみはなんか置いておきます。

 

そうすると、それぞれの数字のヒントの紙に割り振られていたアルファベットを並び替えると「PIANO」になることがわかり、5桁の数字の正しい並び順が解読できるというわけです。

 

 

無事に5桁の数字で解錠してトランクバッグの鍵を入手したらあとは開けるだけです、たくさんのぬいぐるみとお菓子と共にハッピーハロウィンの手紙を受け取ってゲームは終了です。ちなみにこの5桁の数字はある日付を表してまして(5桁の鍵しか手元になかったので一番上の桁は0なんですが)次のお楽しみイベント・来年の春から使うランドセルの作成工程見学の日程を告知するサプライズも兼ねており、その旨も手紙で伝える感じです。

 

まだ3回目ですが、毎年10月に入ってから「なんとなくこんな感じかな」とぼんやり構成を考え始めて、お菓子とかは嫁さんに事前にお願いして、前の前の日くらいに全体と具体を決めて、前の日の夜に嫁さんと二人で仕込むみたいなんでなんとかここまでやり過ごしてますが、いい加減その程度じゃ来年の息子は満足せんやろなーというので今後も続けるつもりであれば長期的な計画の必要を感じています。

でも僕、子供とか別に好きじゃないし、自分の息子をことさらにかわいいとも思わないし、なんか家にいる他人がたまたまえらい年の差離れてるくらいにしか思ってないんですが、これをやるとね、「いや、これはもうあいつには簡単すぎるな」「もう一捻りしないとあいつの苦戦が見れないな」みたいなことを考えなくてはならなくなるので、割と子供の成長を実感して向き合う良い機会になってるなーと感じてて、あと数年は頑張ろうかなと思います。まぁ、テキトーなタイミングでギブアップ太刀打ちできないってなって全然いいですし、向こうもこんな茶番に付き合ってくれるのなんてあと何年もないからいいんですけど。でもまぁ、しょせん、父親と息子という男同士はこういうもんで、そうやって互いに挑み戦って競い合い続けるしかないんすよ。いや、令和の子育てブログの結論がそれ!?

 

以上です。