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俺の居場所なんざどこにもない、

inujin.hatenablog.com

 

録画したまま溜まってたダーウィンが来た!を暇な時にとりあえずひとつ見てみたらスッポンの特集回がやっていて面白かった。スッポンと言えばうそかまことか精力増強といえばスッポンエキスと言われるくらいチンポとゆかりの深い亀っぽい生き物であるが、その生態に関する俺の知識はというとスッポンは一度噛み付いたら雷が鳴っても離さないくらいしか知らなくて、どこに棲んでるのかも知らないし、何を食べてるのかも知らないし、つまり俺はスッポンのことを何も知らなかったのでめちゃめちゃ面白かった。

まず一番面白かったのは、スッポンの噛む力が強いのは本当らしくて、カミツキガメよりワニガメより噛む力が強いらしい。噛む力が強いことをそのまま名が体を表しているカミツキガメワニガメよりもスッポンの方が噛む力が強いということがまず面白くて爆笑してしまった。じゃあなんでスッポンはカミツキガメよりワニガメより噛む力が強い癖にスッポンなんて名前なんだよという話になるわけだが、番組内でギャグっぽく言ってただけなので本当にそうなのかはよくわからないのだが、スッポンは亀のなかでいうとスッポンポンと言ってもいいくらい甲羅があってないようなもんらしい。甲羅自体がめちゃめちゃ柔らかいし、甲羅で守れる身体の部位は他の亀に比べて少ないし、そもそも身体全体を甲羅の中に引っ込める完全防御体勢はできないらしく、とにかく亀の癖に隙だらけらしい。なんかでかい鳥に嘴で甲羅を一突きに貫かれて捕食されてる映像には腹を抱えて笑ってしまった。それならもう亀やめたらええですやん、と思った。

それでもスッポンは生きている。スッポンは亀そのもののストロングポイントとも言える圧倒的防御力を捨てて、攻撃力と機動力に全振りしてるらしい。柔らかい甲羅は手足の運動を難なくこなせるようになっていて、全力で手ビレ足ビレを動かして水中ではわけわからんくらいの高速移動をするし、とんでもない噛む力で蟹も貝もバリバリ殻ごといくらしい。じゃあもう甲羅要らなくない!?お前そんな亀っぽいフォルムで生まれてくる必要ないじゃん!?なんでチーターに生まれなかったの!?なんでおまえチーターに生まれなかったのさ!?

しかしそんな問いには何の意味もないのである。スッポンがなぜそんな風に生きているのかというと、スッポンに生まれてしまったからである。スッポンのオスとメスがお互いに噛み付き合う求愛行動を取った後に(全部噛みつきでやるじゃん)やがてメスのスッポンは陸に上がって土をほじって産卵して、やがて次の世代のなんでチーターじゃなくてスッポンに生まれてしまったスッポンが生まれてくる。そいつらは必死に水辺を目指してよちよち歩き、川の浅瀬に飛び込み、今はまだザリガニとかにも食われる弱い立場なのを重々承知してるからちっちぇえ虫とか食べながら英気を養い、ザリガニを逆に食ってやれるデカさと顎の強さを備えるべく虎視眈々と川底に身を潜めるのである。

動物のこういうドキュメンタリーみたいなやつを見るのがいつも好きなんだが、見ているといつも「まーやっていくしかねえな」という気持ちになる。好きで生まれたわけでもないし生まれた限りは生まれた環境でやっていくしかねえしうまくいく保証は誰も約束してくれないし神様も仏様もいないし渡されてる武器も限られていて理不尽も飛行機も蛙もいつ空から降ってきてもおかしくない。そんな世の中にポンと俺を産み落とした親の動機が思いつきなのか使命感なのか成り行きなのかもどうでもいいし、親が俺を愛していようが愛しているまいがどうせ俺は俺で親は俺じゃない他人なので俺のことなんかわかりゃしねえんだから大した問題じゃねえし、つまり世界という大きな入れ物に放り投げられた俺という存在はハッキリと世界にとっての異物だ。俺が生まれたその瞬間の世界は、俺をかわいがるために用意された世界ではなかったし、俺が生まれてからしばらく経っても世界の方が「お、あいつ生まれてきたじゃん」と俺のことに気づいて俺が生きやすいように自身をチューニングするような素振りはいっさい見せない世界だったし、それはこれからもずっとそうなのだ。

ロックンローラー甲本ヒロトの書く詞に助けられることもあれば単に「そうそう!」と膝を打つことが僕の生活の日常茶飯事で、今思い出したのはこんな一節だ。

 

世界は誰のものでもないし誰も世界のものではない

 

つまりはそういうことなのだ。世界のほんの一部でも自分の居場所にしようとしたその瞬間、自分自身もその居場所に隷属する存在になってしまう。そもそもが世界の異物として産まれ落ちてしまった分際で、一丁前に居場所なんかを拵えようと欲を出してしまったら、異物としての俺を失ってしまい、世界という背景の一部になってしまう。

俺は貴方と出会いたい。このわけのわからん世界に産まれ落ちた異物と異物として、ピストルから闇雲に撃ち出された弾丸と弾丸として、正面衝突したい。俺を勝手に世界の背景として目配せされることもなくすれ違うだなんてまっぴらごめんなのだ。そうなってしまっては、この世にわざわざ生まれた甲斐がない。だから俺は、居場所なんざいらないかな。ちょっと違うな、「俺は今自分の居場所にいるんだ」って感覚が欲しくない遠ざけたい。どこにいたって、毎日同じところで立って座って寝て起きていたって、別にそこは俺の居場所じゃない。俺は常にこの世界の取るに足らない異物で、俺は常に世界に忍び込んでいる存在で、忍び込んでいるやつは気づかれてはいけない存在だからこそいつだって誰かとうっかり見つかって鉢合わせてしまい喧嘩をしたり仲良くなったりしたり感動を共有できたりする。逆説的ではあるが、誰にも気づかれないように忍び込むように世界を生きることこそが、誰かと出会う唯一の手段なのである。

我々は誰しもが世界の一部ではなく、世界の異物で、居場所がなくって、世界の背景にもなれないから、だからなんか面白いことが起こる。俺はそれでいいと思う。

 

あと、そうだな、本編が思いのほか簡潔にまとまったのでスッポンの感想文の方が割合多いっぽい仕上がりになったのが自分でもびっくりなのと、チーターはチーターでいろいろ大変。チーター、スタミナないからガゼルに逃げ切られる動画とかめっちゃ面白い。

 

以上です。

2022夏ドラマメモ

初恋の悪魔

坂元裕二なので信頼して見るけど全体的に不安。題材的に野田亜紀子とかと比べてしまうのでハードル上がってしまう分が悪い題材に突っ込んでいったなって感じ。6話くらいで切るか切らないか判断するのだろう。

 

競争の番人

ベタだけどそれでいい。縦軸見せつつ1話完結のお仕事ものだと思ってたらガッツリ何話もかけて敵と戦う半沢パターンだったのでむしろこっちの方が見やすい題材だと思うので安心して見れる。杏がかわいい。

 

魔法のリノベ

リノベって題材が割と面白いのでよっぽど脚本ひどくなければたぶん最後まで観れる。典型的な1話完結お仕事ものになる。波瑠はバラエティの振る舞いを見るに完全に性格悪い元ヤンだろうと思ってるのでこういう明らかに性格悪い役をやってるのを見るとニコニコしてしまう。加齢で役の幅が広がるのは良いことだ。

 

家庭教師のトラコ

信頼している脚本家ではあるのだが、大丈夫か!?て出だしの1話だった。そういえば家政婦のミタは見てないんだよな俺。過保護のカホコ、同期のサクラ、となりのチカラしか見てない。説教くさい主人公の周りにバラバラな悩みを持つキャラを配置してーっていうワンパターンではあるんだけどシチュエーションと主人公の「正しいけど弱い」っていう味付けがうまくて、ここをうまくやってしまえばキャラに共感するんじゃなくてこんなドラマが生まれる現代社会だよなって部分に共感させるのがうまいってイメージなんだけど、家庭教師のトラコはそこのバランス感覚ミスってて普通にキショい説教くさいドラマになる可能性もあるんじゃないかと心配になる。うまくやってくれるのかもしれんがとりあえず最後まで見る。

 

純愛ディソナンス

割り切れるので意外と見れる。「はいはい、令和の高校教師ねー」みたいな。と思ったら3話でいきなり5年後に舞台が移るらしくてやっぱ17歳の女子高生と高校教師が恋愛するのはポリコレ的にダメなんだなーと思った。5年後なら問題ないのでどれくらいイチャイチャするのか気になる。

 

石子と羽男

20代前半の若い女優がずっとつまんなくて、やっぱ30前後で脂が乗ってくる(若い時はただの飾りみたいなヒロインやらされてしまう構造の問題)。コントが始まるで初めて有村架純の演技に「ええやん」となってこいつもそろそろ役者として成熟してきたぜ!!となったので、ドラマとしては全然面白くなかったけど有村架純を見るために最後まで見ると思う。

 

雪女と蟹を食う

これは実写化無理でしょ〜と思ってたら意外とやりおる。原作の作画のお耽美で幻想的な雰囲気をほぼ全部捨てたのは英断。汗臭さと生々しさ庶民臭さを全面に押し出した演出(そういう演出意図じゃなかったらごめんな)。北海道入りからラストまでを絶妙に肉肉しく貧乏臭く人間らしく我々の生活と地続きな感じで描き切ってくれたらブラボーな換骨奪胎と絶賛しまくるかもしれない。

 

他なんか面白いのあったら教えて。

 

以上です。

フェイクニュース(デマ)が起こりにくい報道を望む

安倍晋三銃殺事件の流れを見て思ったこと。

まず、当日の事件発生後まもなくして、犯人が元海上自衛隊所属であったことが報道されて、凶器は手弁当で犯人が自ら作った銃であるらしいという報道が流れた。ネットでは、たかだか数年の自衛隊経験で発砲訓練を受けれるか受けれないかとか、凶器を作れるか作れないかなどが話題になっていた。

その翌日土曜日には「犯人は特定の団体への恨みがあったらしい」という報道があり、ネットではなんらかのカルト宗教が関与してるのではないかと侃侃諤諤だった。

参議院選を明けた今日月曜日には統一教会という名前がマスメディアからも名指しで出てくるようになり、この先どうなるかは明日以降の話なのでよくわからない。

 

この数日のあいだでよく見かけたのは、元海上自衛隊所属であるということは真っ先に取り上げられて喧伝されたのに対して、「特定の団体」が何なのか濁されたままに報道されていたその非対称性はなんなんだろうみたいな意見だ。「特定の団体」を明記しないところに情報統制を邪推しているような意見も散見された。

 

市井の人の一人である俺にはもちろん何も真相はわからんのだが、報道する側の裏にある言い分を汲めば「ファクトは報道する、ファクトかわからないものは報道しない」ってことなんだろうなというのは分かる。元海上自衛隊所属であることは調べたら分かったファクトで、警察発表が「とある団体」に留まるのであればそれを現時点のファクトとして流す。別にそこに嘘偽りはないんだろう。

つまり、それは断片的なファクトを無作為にファクトと確定できたものから順に垂れ流すという態度に他ならず、それがファクトであるということが確かでさえあれば、どれだけその先に憶測の余地があろうとも速報性に価値を見出して号外を垂れ流しても全く問題がないという、そういう態度に見受けられる。

 

昔はそれで良かったのかもしれない、とも簡単には言い難いが、少なくともSNSでみんながピーチクパーチク簡単に騒げる現代においてはいい加減やめた方がいいんじゃないかなーと一連の流れを見て思った。

他の競合する報道機関が裏取りまで終わらせて報道している速報を同じタイミングで報道できていなかった場合にそれがものすごい失点になるというマスコミの文化はなんとなく知っている。昭和から続くそういう文化のまま今の報道機関が存在しているんだろうなってのは別に想像するに容易い。

 

でも、今はもう、SNSでみんながピーチクパーチク言える現代ではらそういうの本当害悪でしかないんだよなーってのを今回改めて痛感した。

 

少なくとも俺が知りたいのは全体だし、少なくとも断片的なファクトから憶測をばら撒き合うゲームを望んではいない。ましてや断片的なファクトを投げるのが報道機関の役割で、その先の憶測は市井の人が勝手にやってるだけで知ったこっちゃないなんて態度は、変な言い方だが主従が逆転していると思う(マスコミが主従の主であるべきだ、と言うことは勿論できないので言い方が難しいぜ)。

 

俺は、速報性は要らない、考える材料だけが欲しい。速報性の価値を盾にして、市井の人の考えを混乱させることを仕方ないとするのは時代にそぐわないよ。何とかしてくれ。

 

何とかならないんだろうけど、思うのはそんなところ。

 

以上です。