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神ゲー『ワンダと巨像』の思い出

ファンが待ち続けたっていう『人喰いの大鷲トリコ』がついに発売ってことでレビューとか視界に入ったら見てるんだけど、なんかやっぱすげーのな。ゲームの話をしてこんなこっ恥ずかしい酔っ払った文章になることって人間なかなかないよ。そんなとんでもないもん読んでるとやっぱすげーなー俺もやりたいなーとは思うんだけど如何せん我が家にあるのは10年以上前に実家出る時に持って来た今はずっと埃をかぶってるPS2と先日発売したところのファミコンミニしかないわけで、つまり今の自分の生活におけるゲームのプライオリティってその程度なのでいいなーって言ってるだけでじゃあ『トリコ』実際にプレイするかって言われたら限りなく怪しいんだけど、やりたいことやったもん勝ちなのはわかってるけどつまり俺の青春は終わっちまったってことなのかいって言い方をするならば人間やりたいことはたくさんあるので仕方がない。それで今、なんとなくYahooリアルタイム検索で「死ぬまで青春」と言ってる人について調べたんですけど過去一ヶ月で11月8日と11月25日だけ「死ぬまで青春」ってつぶやいてる人が一人もいなくてそれ以外の日は最低で一人、多い日で五人が「死ぬまで青春」ってつぶやいています。みなさんは「死ぬまで青春」の方はいかがですか?

で、そういう酔っ払ったみたいな文章を読んで「そんなにすごいの?」じゃなくて「やっぱすごいのかー」って素直に思えるのは掲題の通りでやっぱ前作の『ワンダと巨像』をやってたからなわけですよね。いや、前作と言っても同じ人が作ってるだけでストーリー的につながってるかとかは知らないですけど。『ワンダと巨像』をやって「これとんでもないゲーム体験じゃねえか」ってなった経験があるから「今回もすげえぞ」って言われたら素直に「ああ、今回もすげえんだ」って思えるわけですよ。それで、未プレイの人がこれからやるきっかけにするんでも大丈夫くらいのそんなネタバレしない感じで語ろうと思うんですけど、『ワンダと巨像』ってストーリーらしいストーリって全く入り組んでないんですよ。なんか主人公のワンダがね、よくわかんないけど死んじゃったヒロインの女の子を生き返したいってことで、遺体持って古えの地っていう立入禁止区域に入って、なんかわかんないけど村の偉い人達には絶対やったらあかんでって言われてる巨像殺しを敢行することで少女を生き返らせようとするって話なんですけど、これだけ聞いたら「あーなんかそういう中世ファンタジーRPGっぽい世界観なのねー」って感じかもしれませんけど全然そんなんじゃないんですよ、まず雑魚キャラとかいう概念がないですから、巨像と戦うボス戦しか存在しないですから。糞だだっ広い人っ子ひとりモンスター一匹いない大地を馬に乗って孤独に延々駆けて巨像を見つけたら挑むっていうただそれだけの繰り返しなんですよ。その過程で誰かと出会ったり誰かと協力したりみたいなストーリーも一切なし、巨像を倒して倒して倒し続ける。登場するキャラクターらしいキャラクターはプレイヤーのワンダと、相棒の馬と、各地で見つける巨像と、あとは拠点にしている神殿で眠り続ける少女のみ。これで面白いとかすごくないですか?

繰り返すに大地ウロウロして、敵を見つけたら倒す、ただそれだけの繰り返しなんですけど、これだけでなんか堪らないんだ。敵が、巨像なんですけど、でかいんですよ。山みたいにでかいんですよ。だからワンダは、ある時は足元からよじ登って、ある時は高さのあるところから飛びかかって、這うように、両の手で、必死にしがみついて、一歩一歩進んで、そうして登っていくんです。登ったところで巨像の身体のどこかには光る弱点があってその弱点ももともとが超巨大な巨像ですから、マンホールの蓋くらいの大きさはあるんですけど、そこに渾身の力を込めてワンダは剣を突き立てるんです。当然巨像は痛みに苦しみ暴れます。そこでワンダはまた振り落とされてたまるもんかって懸命に歯を食いしばって四つん這いになって巨像にへばりついて、そうして何度も振り落とされながら何度もよじ登ってボロボロになりながらなんとかかんとか一体一体馬鹿でかい巨像を倒していくんですよ。それをプレイする俺も、ひいては操作されてるワンダも、毎度毎度倒した後は疲労困憊・満身創痍ですよ。この操作感覚だけでごちゃごちゃしたストーリーなんか全然いらないぐらいにただただ雄弁なんですよ。巨像からすると豆みたいな大きさのワンダが、掟を破りただ一人少女の亡骸を連れて村を飛び出したワンダが、必死にしがみついて這いつくばって泥にまみれて少女を生き返したいただその一心でとんでもない無茶をしてるんだってことが巨像と戦う中で心の底から実感できるわけですよ。ワンダの望みが、ワンダのやろうとしていることが、どれだけ愚直で、どれだけ無謀で、どれだけ途方も無くて、そしてワンダがどれだけかの少女のことを想っているかということが、ただ巨人と対峙し続けるだけで僕は理解するし、僕もワンダと同じ気分になってくるわけです。それの感情っていうのはたぶん美しいと言うこともできればどうしようもなく馬鹿だと言うこともできるんでしょうけど、ただそう思ってしまったら、そこに望みがあってしまったのなら、もうそれはどうしようもない。自分の意思で理性的に止まることなんてできやしない。倒れるまで希望に縋り続けるしかないんだっていう孤独と痛みがですね、巨像との連戦のなかで絶えずリフレインされるわけです。

この感覚はねー、ちょっと今までやってきたゲームの中では全く味わったことのないやつだったもんで、たぶん一番近かった感覚は『俺の屍を越えていけ』とかかなー、かたやアクションでかたやRPGなんで全然違うんですけどねー、映画や小説や舞台なんかでは味わえない没入感というか、没入ってのもちょっと違うんだよなー、もっとなんか、シンクロするっていうか、一体感ともちょっと違うんだよな、ワンダと僕が一つになったって感じではなくて、憑依とかに近いのかな、それもなんかワンダが僕に憑依してるのか僕がワンダに憑依してるのかよくわからないみたいな、まるっきり他人事じゃなくなってるっていうか、かといって当事者感覚でもなくて、つまり当事者感覚って言っちゃうと僕がワンダとすごい近いみたいな感覚を意味することになっちゃうと思うんだけど、もっと自分が消えちゃうっていうか、なんかほんとそんな感じ。

それくらいヤバイ感覚を与えちゃうゲームを10年前に作った人が満を持しして引っさげてきた新作なんだからそりゃヤバイんだろうなーと思うんだけど、いやーハードから買うのはハードル高いなー、とりあえずせっかくだし『ワンダと巨像』もう一回引っ張り出してきてプレイしてみようかなー、いやでも一回クリアしちゃって巨像倒すのが慣れたもんになっちゃうとそれはもう全然ゲーム体験が変わってきちゃうわけですよ、遊園地のヒーローショーで悪の組織に襲われたらガキは泣くじゃないですか、我々大人は泣かないじゃないですか、それくらい『ワンダの巨像』の初回プレイと二回目以降のプレイは全然違うんです。逆に言えば、どんだけ歳を取った大人であろうと雑魚キャラに担ぎ上げられてギャン泣きして腹の底からヒーローに来てくれと叫ぶことができるガキの頃に戻れるのが『ワンダと巨像』ってゲームなんですよ。あー、まだ『ワンダと巨像』をプレイしたことない奴が羨ましいー、あの体験を今からできるなんて羨ましいとしか言いようがない。未プレイのやつ全員プレイしてくれ。そしてクリアしたら熱っぽい感想をブログかなんかに書いて読ませてくれ。なんならプレステ2ごと宅急便で送るから。一度クリアしてしまった俺にはもうそういう歳とって量を食えなくなったおっさんがいっぱい食べる若者を見て癒されるようになるのと同じ構造のやつで満足するしか方法がないんだ。記憶を消去する装置があれば何度でも『ワンダと巨像』を初めての気分で楽しむことができると言うのに、記憶を消去する装置5万円くらいで売ってくれねえかな。いや5万あるならそれはもうプレステ4買って『人喰いの大鷲トリコ』やれや。そうは言っても人間には忘れたいことがきっとたくさんある。以上です。

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