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ブログで自分らしさや面白さを捨象する時、「徳」まで投げ捨ててはいないか

 にゃお~ん、親指シフトの訓練中につきこの文章も頑張っていそいそちんたらと親指シフトで書いてるんですが、そうなると普段がドラマの番宣でバラエティ番組にゲストとしてやってきた唐沢寿明くらいノリノリで喋れてるとすると今日はせいぜい堀北真希くらいしか喋れないかもしれないのですがかわいいので許してください。みなさん、どうかここは堀北真希のかわいさに免じて僕を許して下さい。遅れてしまいましたが堀北真希ちゃん、結婚おめでとう! 以下本文です。

 読みました~。のでなんか思いついたことを書きます。

 まず初めにみんな紋切り型の同じようなブログばっか書いててつまんねえな、お前は紋切り・D・ルフィかっつうの、「ブログ王に俺はなる!」じゃねえよこの野郎、もっと「自分にしか書けないこと」を目指してみんなブログ書いてこうよ、だってそういうものが読みたいじゃんねえ、You wanna be my friendじゃんねえ、という話題がひとつありまして、それに対して「いやでも、誰にでも書けるような内容でPV稼ぎたい人が誰でもPV稼げてお小遣い稼ぎができる昨今のブログ運営技術というのはそれはそれで大したものだよね、ポケットにコインの部分は達成できてるわけでそれに救われてる人も実際いるわけだよね、そうは思わんかね」という反論が面白半分に提出されてるのが二つ目の引用エントリで、まぁ内容だけ読むと両方言ってることはわかるんだけどねって感じなんですけど。

 とりあえず思ったのは「当事者である彼らはこのような反論を提出できないように思われるのだけどそれってどうなの?」ってことなんですよね。

 これは別に彼らにはそんなもの書けっこないなんてことを言いたいわけではなくてですね、書こうとしないだろうなって話で、書こうとすれば書けるだろうけど書こうとしないだろうって話で、むしろ僕はどっちかと言えばやればできる、頑張ればできないはずがないと考えちゃう方のタイプですから、松岡修造タイプですから、元気ですかっ!?元気があればなんでもできるっ!!ミキティーーーーーーーっ!!恥の多い人生を送ってきました!!気合だっ気合だっ気合だっ気合だっ気合だっ!!なんつってね、まぁ松岡修造の言うやつ一つも出てこないどころか完全に一人熱血系じゃないやつまで紛れてましたけどね。問題なのは、こういう問題が当事者不在の外野にて語られる際にも*1、実際に彼らがブログを運営していくうえでも、いわゆる「おもしろさ・自分らしさを目指したブログを書こうとすること」と「マネタイズを目的としたブログ運営を実践すること」がほとんどトレードオフであるかのような前提で考えられがちな点にあるように僕には思われるんですよね。

 馬鹿になれ、とことん馬鹿になれ、と僕自身予想だにしていなかった形で本日2回目の登場となったアントニオ猪木でしたけれどもここで寛至が言ってるのは別に知性を捨てろってことではないはずなんですよね。自分なりに考えたいこと考えるべきことは考えぬいたうえでそのうえで馬鹿になるってことは全然本来両立できることだと思うんですけど、「カ~ンジ、セックスしよ!」って言われた時に避妊をしないのが馬鹿になるってことではないはずでシッカリとゴムはつけたうえで猿のようにボンバイエするのがあるべき馬鹿の姿だと思うんですけど、ある信念に基づいて遮二無二邁進することそれが「PVのため・マネタイズのため」という信念であってもそれ自体は別に咎められるようなことではない、ただ遮二無二邁進を続けるためにそのために必要な何かを持ち続けるために、その他のあまりに多くを過剰に安易に捨象していってしまうのだとしたら、それは褒められたものではない馬鹿かもしれないし何より本人にとっても中長期的に見た時に自分の首を締めることになる厄介な馬鹿になってしまうのではないか、僕が懸念するのはそこらへんなのです。

 いわゆる「書く」という行為が「考える」という我々人間の営みと密接な関わりを持つことはブログ界隈で今更語るまでもない大前提でありますが、もし人間の「書く」という行為が例えば「PVを稼ぐ」だとか「儲けを出す」だとか他の目的のために最適化された結果、「書く」という行為から「考えを深める」という機能が奪われることになったとしたら、もっと言えば「書く」という行為が「考えない」という振る舞いとニアリイコールになってしまったとしたら、そのうえで「書く」という行為をやめられない状態になってしまったとしたら、それっておしっこちびった後に一回水飲んでもう一回おしっこちびるくらい恐ろしいことではないでしょうか。ちょっと前に世にも奇妙な物語で自分の記憶を切り売りしてお金に替えていって最終的には一切の記憶を失って廃人になる男の話をやってたんですが、僕がブログ界隈眺めてて感じる薄ら寒さっていうのはたぶんコレと大体同じ性質のものなんですよね。

 大袈裟な言い方をしている自覚はあるし、もちろん僕は彼らの様子をブログを通してしか窺い知ることはできないわけでそのうえブログはしょせんはブログですから、ブログ以外のところでは彼らもうまいことよろしくやっていてこんなこと全くの杞憂なのかもしれない。それでもこいつだいじょぶかと思う瞬間はあるし今喋ったような内容で説明できるような炎上や揉め事は枚挙に暇がない。お前らつまんねえよとかは些細な問題でさ、お前らほんと大丈夫?っていう、面白さや自分らしさよりもっと別のものを大事にするのは別にいいんだけどさ、そこで儲けにならねえからっつって積極的になんでもかんでもぽいぽい捨象してるうちにさ、なんか取り返しのつかないものまで捨てちゃってたりはしないかい。

 と、書いてて思いついたのは「徳」っていう割と残念な言葉のチョイスだったんですけど、でもやっぱ考えると徳って言葉が一番しっくり来る気がする。ブログで徳を高めよう!なんておもしろいことはさすがに俺も真顔じゃ言えないんだけどさ、徳なんか油断してると簡単に捨てちゃえることはなんとなく知ってるからさぁ。繰り返すにそこって本来別にトレードオフじゃないと僕は思ってるんで、徳だけ捨てないようにしながらあとは好きにすりゃいいんじゃねえのって思うんですけど。彼らが何をやってるか何を書いているかよりも、彼らが何をやらないか何を書かないか、ひいては何をどうでもいいと思っていてそれは果たして本当にどうでもいいことなのか。それを見て我がふり直せってつもりでもないんだけれども、そういうところが僕の気にかかる。

 つまり僕が言いたいのはね、心にダムはあるのかい?っていう、ただそれだけのことですよ!! はいっ、以上、元新撰組三番隊組長・斎藤一でした。また見てね!!

*1:これはちょっと言い過ぎというか、全体的にそういう空気あるよねとは思うものの、少なくともリンク貼ってる2記事はたぶんここらへん踏まえて書いてるから微妙だなぁと思ったけど、他にちょうどいい言い方があんま思いつかなかった

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