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で、結局カネ臭いブロガーってのはカネで幸せになれると思ってるの?

「金で幸せは買えないが、金で回避できる不幸はある」って言葉をどこだかで耳にしたことがあって、今ググってみたらたぶん村上龍の言葉なのかな? 村上龍さんは『限りなく風の歌を聴け』で鮮烈なデビューを果たした小説家で、プロレスラーの藤波辰爾とあわせて二人で「ダブルドラゴン」なんて並べて呼ばれたりすることもありますね。

なんだか、いわゆる「カネ臭いブログ」に関して自分の思ったことを好きに言っていいみたいなブームがここ数日起きてたみたいで、それなんかよくわからんけどブームっていうかフィーバータイムじゃんと思って、おれも混ざりたいじゃんと思ったのでとりあえず経緯を説明するためにそういう言及記事を並べたわけですけれども、図らずもはてなではそこそこ顔の知れた御仁が4つも並んでしまって、なんかロックマンのステージ選択画面みたいになってしまいました。ロックマンはまず一番最初に一番弱いボスを倒して、そのボスから手に入れた武器が弱点のボスを次に倒してみたいなのがセオリーなわけですけど、じゃあ僕がロックマンとしてこの四人を倒すならどういう順番で倒すのかというと、まあ言いませんけど。めちゃ面白い順番は頭の中に出来上がってますけど、怒られるのイヤなんで言いませんけども。「各自自由に想像してご覧?」と、ジョン・レノンみたいなメガネで各自に促すに僕は留めますけれども。

で、まぁいわゆる、「カネ臭いブログ」、PVや収益をコンテンツとして公開することに躊躇いがないブログ、お金が欲しいという執着を表に出すことに抵抗がないブログ、というものがありましてそれってどうなのみたいなことをみんな言ってるわけですね。たぶん、先に挙げたいずれもで、みんな大前提にしてるのは、「別に金を稼ぎてえってこと自体は別に悪いこっちゃねえんですよ」ってところだと思うんですよ。みんな良い年齢ですよ知らねえけど。「金なんて糞喰らえだ」なんて臆面なくのたまってるようじゃみんなとっくの昔におっ死んでるだろみたいなそこそこの年齢のはずですよ知らねえけど。そこの金を稼ぐことの是非はまあ肯定しつつも、「なんだかな」とか「私とは違うな」とかみんな好き勝手言っている。僕も同じように、「なんだかな」とか「私とは違うな」とか思うんだ。

ブログは思ってることを表に出す仕事なので、ちょっと特殊で、まずその特殊さを取っ払って考えてみたい。別に日本一おかき処播磨屋本店みたいな店があるのは全然いいいんですけど、基本的に店はモノを売りますよね。パン屋は、誰にもにパンを売る。花屋は誰にもに花を売る。桶屋は誰にもに桶を売る。基本、右翼にも左翼にも売れるモノを売る。それが大前提だと思うわけですけれども、売る以外に何かしたっていいわけで、日本一おかき処播磨屋本店みたいにしたっていい。それは好きにしたらいい。で、まぁ例えば近所に行くパン屋が、動員数だとかパンの売れた数だとか、そういうの公表してても別に「へ~」と思う。ただ、売上げとか粗利を公表されてたらちょっと困る。ぶっちゃけこのエントリで俺が言いたいことはそれだけだ。どういうつもりかわからなくて困るぞ俺は。俺はそんなパン屋ちょっと気持ち悪くて行きたくない。俺は、パン屋の経営状況とか考えながらパンを食いたくはないのだ。どんだけその店のパンがうまかろうと(或いはまずかろうと)、そのパン屋がどんだけ儲かってるだとかどんだけ赤字だとかということを考えながらパンを食いたくない。そんなパンって糞まずい。このパンの生産者のこととか知ったこっちゃねえ。そんなパンなら、いつまでもずっと食えるつもりでいるけど実のところよくわからないし大してうまくもないランチパックを頬張ってたほうがよっぽどマシだ。わかるか、パンってのは、そういうもんなんだよ。パンに限らず、なんだって、そうです。

それで、ブログだよ。ブログの話だよ。ブログで収益を公開してる奴らがいる。そりゃあ好きにすりゃいい。「そういうブログの収益情報を知りたい人もいる」、そりゃもっともだ。でもそいつらって要するに「パン屋になりたい人」とか「パン屋の内側を知りたい人」ってことだよね? それって糞ごく一部でしょ、その糞ごく一部だけを相手にしてるようじゃダメだとまでは言わないけれども、お前らのブログはそのごく一部以外の目にも触れてるからなってことをまず言いたいですよね。お前らワールドワイドウェブで、そういうただパンが食べたいだけの大多数に背を向けてやってるんだぞということを言いたい。お前が株式会社じゃない以上、この世にお前の株主はいねえから、お前の売上げなんかに誰も興味ねえんだよ。気分よくパン食わせろよ糞が。

で、戻りますけどなんだっけ、ダブル浅野?『世界の終わりと101回目のプロポーズ』とかでお馴染みの浅野龍とか言う人が言ってた「金で幸せは買えないが、金で回避できる不幸はある」って言葉ですよね。これで言うと、結局カネ臭いブロガーってのはどういう立ち位置なつもりのわけ?ってことを思うんですよね。だってあの人たちって、カネの話が大好きじゃないですか。カネを追い求めてるわけです。僕にはこういう不安の種が、こういう不幸への懸念があって、って話を彼らはしないわけです。一応形式的にすることもありますけど、完全に恵俊彰のテンションでまったく深刻に感じられないわけです。閑話休題に不幸の存在に触れるに留めます。真に迫ったような、ホンジャマカ以上の調子で、彼らが不幸の存在に目を向けてるところは全然見かけないわけです。その一方で、カネで何を買って幸せですって話はしょっちゅうするわけです。それもだいたい超小さい買い物ですよ、はした金で小さな幸せ見つけましたジャンケンポンうふふふふみたいなエントリは、もうそれ以上の最小単位はないだろって勢いで書きたがるわけです。つまり、これらの感じを総合すると、彼らっていうやつは、「金で幸せを買える」と思ってるようにしか僕には見えない。だって、「カネが欲しいです」って話と「カネでこんなモノを買って幸せになりました」って話しかしないんですから。「こんな不幸が怖いです」とか、「こんなカネのかからない幸せがあります」って話を彼らはしないんですから。僕には彼らが、不幸を回避するために少しでもお金を貯める人ではなく、金で幸せが買えると思ってる人にしか見えないんです。

だとしたら、それでブログやってる奴どうかしてるでしょ。カネがそんなに大事なら、ブログみたいな糞効率悪いことやってる場合じゃないでしょ。「カネ目的で何が悪い?」って言いたいんなら、せめて唸るほどのカネを稼ごうとしろよ、札束ビンタを目指せよ、収益報告を見かける限りでも傍から見たって唸りようがないじゃないか。だから、「金が欲しくて何が悪いんですか?」って言われたって、本当にそう思うならブログじゃないだろって思うわけです。カネ臭さを隠そうともせず、「カネがすべてじゃない」と言いますか? ならば、そのすべてじゃない部分を書けよ、カネとか関係ない値千金の楽しかったこと、幸せだったこと、大事に思ってることを書けよ。それが見えねえ以上は、俺はあいつら胡散臭えなと思うし、「別に書かないだけで勝手に幸せにやってるし」と向こうが思ったところで、こっちにはどうにもそう見えない限り、俺はそう見えないと看做すし。書かないようにしてまでやってることが、唸るほどのカネを稼げない小遣い稼ぎでしかない限り、馬小屋で黙々と草鞋を編んでるようにしか僕には見えないわけで、そんなつまんないことしてないでもっと月夜の下で踊ろうぜとしか思わないわけです。以上です。