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どこかの誰かを口説いてる

今日、「讃歌」という言葉を学校で習いました。「讃歌」とはお礼の歌だと、先生はおっしゃいました。幸せにしてもらったお礼に歌う歌が「讃歌」だと、先生はおっしゃいました。僕は先生の話を聞くうちに、嬉しくて悲しくて涙が出そうになりました。嬉しかったのはいっぱいいっぱい「讃歌」を歌う相手がいたからです。悲しかったのは「讃歌」を歌う相手が多すぎて、僕が死ぬまでに歌い終われるか不安になったからです。青空を見るだけで僕は幸せになります。だから僕は青空にお礼の気持ちを込めて、「青空讃歌」を歌います。雨が降っても、僕はワクワクします。だから「雨讃歌」を歌います。冷蔵庫を開けるだけで、僕はドキドキします。だから「冷蔵庫讃歌」を歌います。讃歌を歌う相手が多すぎて、僕はクラクラします。花に「花讃歌」、テレビに「テレビ讃歌」、新しい小学校に「新しい小学校讃歌」、そして遠くまで響け、第5小学校へ「第5小学校讃歌」、街を越えて響け、第5小学校の校庭へ「校庭讃歌」、空を渡って響け、懐かしい鉄棒へ「鉄棒讃歌」、ビルを抜けて響け、かつてのクラスメイトへ「クラスメイト讃歌」。そして、届け! 遠くまで届け! 空を渡って届け! ビルを抜けて届け! いつもいじめられていたあいつへ「あいつ讃歌」! 街を越えて届け! 僕が今、一番歌いたい……「讃歌」……。

 

――『ビーヒアナウ』鴻上尚史

誰も覚えていないと思いますが僕は今年の上半期のいつだったかにメル友を募集しますというようなことをブログで言って、そしたらメールがちらほらと来て、そしてメールをしている人というのが今もまだいます。だから、前の一文の冒頭にあった「誰も覚えていないと思いますが」というのは明確な嘘で、今もメールをしているだとか或いはメールがどこかで途切れた人だとかがこのブログを読んでいる可能性は十二分に想定するべきであり、誰か覚えてる奴はいるに決まってることを僕は誰も覚えていないでしょうがと言っている。貴方がいることを知っている癖に、まるで貴方なんかいないみたいに喋ってる。それはきっといつだってそうで、貴方がいたからこそ貴方と共にいた僕はあるわけで貴方と共にいなかった僕はもうどこにもいない。海馬に貴方の記憶を携えた僕の口からこぼれる言葉はどうしたって貴方への讃歌なのだ。そんなことおくびにも出さず、僕はいつだって誰かへの何かへの讃歌をでっちあげるけど、それが歌えるのなんてまるっきり貴方のお陰なんだ。少なくとも貴方が僕の口から出るそれをそのように受け取ったとき、それは紛れもなく僕から貴方への讃歌だ。讃歌なんて言えば聞こえはいいが、要するに僕はいつだって、どこかの誰かを口説いてる。僕は一人では何も喋れなかった。たった一人の僕はただ俯いてるばかりで、まなざすまなこがなければいつまでもそうしていただろう。そんな僕の前に現れた貴方のまなこをまなざした時、僕は少しだけ雄弁になった。その彼方に今の僕がある。つまり、今これを読んでいるあなた、あなたのことなんか関係なく、僕は今あなたにこうして語りかける僕を形作った貴方に、雄弁に感謝の意を示している。或いは口説いている。それを讃歌と呼んだっていい。貴方の話なんかしていない。それでも僕がどこそこで語るのは、貴方と出会った後の、貴方と出会ったからこそ僕の口から出てくる言葉だけで、それは貴方と二人っきりのところでは言いそびれてしまった言葉なのかもしれない。

僕は今、目の前の貴方と話しているようで、実はいつだって、どこかの誰かを口説いてる。歌い切れない讃歌にクラクラしている。

 

なんか間違えたんですけど、普通のメル友作った雑感とかは気が向いたらまた別にしますね。最初そういう話をするつもりでテキストエディタを開いたんですが間違えました。あと、最初は一応期間限定みたいなの言ってたんですけど、普通に知らん人とメールするのは習慣化してますんで返事するかはわからんけど、希望者は引き続きメール送ってみてもいいんじゃないのみたいな心構えではいます。以上です。

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