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【読み物】祭りおじさんと浩介

「祭りおじさ~ん!」

 両の拳を夜空に突き立ててガニ股で叫ぶひょっとこのお面をつけたこのおじさん、只今ご本人からもお名乗り頂きました通り、祭りおじさんであーる。自称も通称もまるっと祭りおじさん。地元の人以外は日本中誰も名前も知らないだろう小さなお山の足下に位置するこの小さな町で、実際のところはすこぶるささやかにそれでいて町民感覚では随分おおげさに催されるこの祭りの日、その日に限って言えば祭りおじさんは自他共に認める完全無欠の祭りおじさんなのだ。スラックスのズボンにカッターシャツの上から水色のはっぴを着込み真っ赤な「祭」の文字を背負い、トレードマークであるひょっとこのお面の向こう側からくぐもった声で、祭りおじさんは行き交う人々におどけて見せる。

「祭りおじさ~ん!」

 大鳥居へと続くその通りは左右に出店が並んでいて、だからみんな何かしらを食べながら飲みながら歩いてる。だから祭りおじさんに道を阻まれて名乗りを聞かされた誰しもは食べ物だか飲み物だかを持っていない方の手で窮屈そうに口元を押さえ、戸惑い半分に笑うのだ。祭りおじさんはひょっとこのお面で顔は見えないけれどそれでも明らか満足そうに、自分に投げかけられた苦笑混じりの目配せに頷いては、通せんぼしていた道を譲る。そして今度は一方の手を腰に当て、もう一方の手はやはり拳を握り天に突き上げ、神社へとまた歩きだす彼らを見送りながらもう一度叫ぶのだ。

「祭りおじさ~ん!」

 人々はみな祭りのメイン会場でもある神社、例の山のちょうど麓に佇む神社へと向かい歩いてく。その山の名前は町の人間なら誰もが知っている。小中高の校歌に漏れなく登場するからだ。祭りおじさんは祭りおじさんで、祭りの日に神社へ赴くその道すがらきっと祭りおじさんに出くわすことを町の人間なら誰しもが知っている。祭りの季節が近づくと祭りおじさんはそこかしこで話題に上がるから。学校で、会社で、夕飯を囲う食卓で。だから祭りおじさんのことを知らない人間はこの町にはいない。だから祭りおじさんは祭りの日、こんなにもはしゃいでいる。そんな祭りおじさんを見てみんな笑っている。祭りおじさんの正体は、知ってる人は知っている。知らない人はもちろん知らない。だけど祭りおじさんのことは誰もが知っている。こうして祭りおじさんはこの町で、祭りおじさんでいることができるのだ。

「祭りおじさ~ん!」

 夏休みが明けた二学期からはこの町にあるたった一つの中学校に通うことになっていた浩介は、一人みなとは逆方向に、大鳥居を背に縁日の灯りに照らされてできた影を引き摺りながら一人とぼとぼと歩いていた。夏休みに入ってすぐ、この町で暮らす祖母の家へと母と二人、身を寄せた。父は仕事が忙しいらしく家を空けることは昔からいつものことだったが、それでも浩介に物心がついて以降、二人が声を荒げて言い争うところなどは見たことがなかった。それでも、ともあれ、こうなった。この夏から浩介は母と二人、この町で生きていく。浩介は考える。父のことも、母のことも、きっと人並み程度には好きだ。だけどそれ以上に好きかと考えようとすると浩介自身にもよくわからなくって、言い換えれば「人並みに好き」以上のことをおいそれとは言いにくいような気持ちが自分の中にあるのを浩介は感じている。それがいつ始まったのか、ずっと昔からそうだったのか、この町に母と二人で来ることが決まってからのことなのか、それすら浩介にはわからない。ただ、この町にやってきてからこっち側、毎日やたらに明るい母がどうにも鼻につく浩介だった。

 その日、浩介が祭りに足を運んだのもまったくそんな理由で、祭り自体にはもともと何の興味もなかった。父が家にいないのは別に今までだって同じことだったはずなのに、今まで見たこともないような笑顔で鼻歌混じりに一日を過ごす母がどうにも目障りでずいぶん慣れない。そんな時に祖母がこの祭りのことを何度も繰り返し言うものだから、家で母を視界の端に置いておくよりもよっぽどましなような気がして浩介は思い立ったのだ。そうして浩介はいかにもけだるそうに歩みを進め、そして一応の目的地である神社に一度は到着したもののその数分後、予想外の出来事に出くわし一気に憔悴したため今こうして早くも神社を後にして家路につこうとしている。

「祭りおじさ~ん!」

 それまで俯き加減で石畳をぼんやり眺めながら歩いていた浩介は、自分の前に突如立ち塞がったひょっとこ面の男を目にすると、そのまま目にした目を剥いて、踵を返し駆け出した。また神社へ戻るわけにも行かないので大鳥居まで連なる屋台と屋台の隙間を抜けて左の路地に抜けた。振り返るとそこには浩介を追う祭りおじさん。追いながら叫ぶ祭りおじさんが追いながら叫んだ。叫び追い祭りおじさん。

「待ってくれ~! 俺は、逃げられれば追ってしまう祭りおじさん! そして逃げられても追う資格のない、祭りおじさん! 驚かせてごめんよ~、俺は祭りおじさん! 頼むから逃げないでくれよ~!」

 面を外したおじさんは顔をクシャクシャにして泣いていた。いい大人がこんなに泣いてるのをそれまで見たことがなかった浩介はびっくりして思わず足を止めた。浩介が足を止めたのを確認して速度を緩めた祭りおじさんがなんだか気に食わなかったので浩介はふたたび駆け出すと、祭りおじさんは「待ってくれ~」ともう一度叫びアスファルトの上に前のめりに崩れ落ちた。

 

 「そうか、浩介くん、こっちに来たばっかりか。おじさんは祭りおじさんと言ってね、言ってねって言った手前、おじさんの説明がここから始まるのかなって思うじゃん? どっこいこれで説明はぜんぶ終わりだよ。おじさんは祭りおじさん。それだけなんだ。それだけでみんな分かってくれるはずだったんだけど、そうか、浩介くんこっち来たばっかりじゃ分からないもんな。おじさん驚かせちゃって本当にごめんな」

 祭りおじさんを名乗るおじさんに自販機でコーラを奢ってもらった浩介は、祭りが始まるのに合わせて早々に営業を終了したパチンコ屋の駐車場でタイヤ止めに腰を下ろしていた。祭りおじさんも隣のタイヤ止めに座り込んでいる。好きでやっていたはずの祭りおじさんなのに、まるで祭りおじさんの呪縛からやっと解放されたかのようにおじさんは饒舌だった。

「そうか、わからんもんなぁ、初めてこの町に来て初めて祭りの日を歩いたんだったらそりゃ祭りおじさんのことわからんよなぁ。逃げるよなぁ。いやぁ合点がいった。祭りおじさん今日一番の合点だ。たまげたたまげた。いやでもおじさんもな、祭りおじさんをやろうか今年は迷ったんだ。おじさんは祭りおじさんをもうかれこれ十五年くらいやってるんだけど、みんな喜んでくれてなぁ、浩介くんはびっくりさせちゃったけど、きっと来年は浩介くんも楽しんでくれるよな、そういう風に祭りおじさんはみんなを喜ばせたくてずっと今までやってきてたんだけど、今年はなぁ、随分迷ってなぁ」

 なんだか喋りたくて仕方がない様子の祭りおじさんの言葉は浩介の耳を右から左へ抜けていく。祭りおじさんがただの変わり者のおじさんであることが分かり、コーラも飲んで一息ついた浩介は神社で見かけたあの少女を、そしてあの少女を一目見るなり居ても立ってもいられなくなって逃げ出した自分を思い出していた。

 一目惚れだった。

「一ヶ月くらい前かな、祭りおじさんが家に帰ったら何もなくなっちゃっててさ、何もっていうのはえーと、おじさんの物は全部そのまま置いてあるんだけど、カミさんと、娘の持ち物はぜーんぶ無くなっててね。おじさん、祭りおじさんなんかやってるけど、別にちゃんと働いてるんだぞ。働いてるだけじゃなくて、まあちゃんとしてるんだおじさんだって。ちゃんとしてるはずだったんだけどなぁ、家に帰ったら何もなくなっちゃってたんだ、あれはびっくりしたなぁ」

  どうしたって一目惚れだった。あんなことは初めてだったがあれが一目惚れじゃなかったら一体何が一目惚れだっていうんだ。年はたぶん自分と同じくらいだったと思う。もしかしたら来週学校に行ってみたらクラスメイトだったりするかもしれない。それは出来すぎかもしれないけど少なくともきっと同じ中学だ。この町に中学は一つだけだ。でも、浴衣で髪まで上げられてしまうと実際分からないもんだ。きっと同じくらいだと思ったんだけれど。と、そこまで考えて浩介ははたと気付く。

「でも、それでずいぶん落ち込んだんだけど、まぁ今も落ち込んでるんだけど、っていうか今もまだ現在進行形でどうしようって感じだから祭りおじさんやってる場合じゃないんだけど、それでも今年祭りおじさんやらなかったらもうおじさん一生祭りおじさんできないんじゃないかなって気がしてね」

 僕は、もし学校に行ったとして、あの子ともう一度会った時、今日神社で目にしたあの時のようにドキドキすることができるだろうか。そもそも会ったって気付かないことだってありえるぞ。能天気な祭りの陽気に浮かされていたつもりはないけれど、本当にそうじゃないと言い切れるだろうか。もしもう一度出会ったとして、気付いたとして、それでどうするんだ。どうにかしてその後どうするんだ。そんなことを考え始めるとあの時がピークだったような気がしてきて浩介は背中の汗がうすら冷たく感じられた。祖母の家のキッチンで鼻歌混じりに皿を洗う母の背中を思い浮かべた。

「それで、結局さ腹を括ってさ、祭りおじさんやってみたらさ、例年通りウケるのよ。なーんにも変わらない。なんだ大丈夫じゃん、変わらないんだよ、よかったよかったと思っておじさん気持ち良くなっちゃってちょっとテンション上がってたんだけどさー、変わってないわけないんだよ。おじさん家帰ったって誰もいないんだから。変わらないって思いたかったんだよな、だから浩介くんに逃げられた時びっくりしちゃって。ああ、やっぱダメなんだ、自分では普通に祭りおじさんできてるつもりでいたんだけど、俺はもう変わっちゃったんだ。自分では変わらないつもりでいても、やっぱそれは相手にはわかっちゃうから、だから逃げられるんだって思ったら、おじさん追いかけずにはいられなくてな」

 祭りおじさんはまたグズグズと涙を流し始めた。泣きたいのはこっちだ。結局全部気のせいなんだ。そりゃああの時はドキドキした。今だってドキドキしてる。でもそれが続かないってことをすっかり僕は了解してしまっている。

「あーもうだめだな、おじさん、なんかあれだな、毎年祭りおじさんをやり遂げるとさぁまた来年も祭りおじさんになりたいなって思うんだけど、今年はとてもあれだな、無理な気がしてきたな。まぁおじさんそれどころじゃないしね、おじさんちゃんとしてたつもりだったんだけどな。ずっと一緒にいたかったんだけどな」

 あれ、そうなの? そこで浩介は初めて祭りおじさんの顔を見た。おじさんはずっと一緒にいたかったんだ。そういう人もいるのか。自分はどっちの側だろう。もう一度母の背中が浮かんだ。続けて父の顔も思い出そうとしたがどんな表情の父の顔を思い出せばいいのかわからなくてぼやけた。祭りおじさんは洟を啜りながら笑い顔で泣いている。

「いいよ、おじさん、祭りおじさんやれば来年も。僕も来年は逃げないで笑ってあげるから」

 すくと立ち上がった浩介の言葉に、おじさんは何か大袈裟に表情を作って見せようとしたが、何も言う前からおじさんの顔はとっくにクシャクシャだった。

「そうかい、じゃあ来年は、浩介くんも一人じゃなくて友達と来れるといいね」

「わからないよそれは。おじさんも来年は、祭りおじさんの後に帰ったら誰かいるといいね」

「来年どうなってるかなんてわからんよ。なるほど、言われてみるとわからんもんだ」

「コーラありがと。もう行くね」

 浩介は軽く会釈すると、意味もなく走り出した。神社の方角で太鼓の音の響くのが聴こえた。と思ったら今度は背中の方で、おじさんが何か叫ぶのが聴こえた。浩介は振り返ることなく走り続けた。もう一度おじさんが大きく叫ぶのが今度ははっきりと聴こえた。

「祭りおじさ~ん!」