←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

若い女引っ掛けるおっさんの話題雑感

本文全部書いて戻ってきてタイトルどうしようかなってちょっと考えたけど要約することを放棄しましたー。駄文です。


僕はあんまり詳しくないのでこの前やってたドラマ『アオイホノオ』で手塚治虫役を演じてベレー帽被ってたけどどちらかというと漫☆画太郎の自画像に似ていてその割りにはなかなかメガネが唐突に割れたりとかしないので見ていてヤキモキする人というイメージが強い岡田斗司夫さんという人が、いい歳して結構若い女の子を引っ掛けて遊んでるらしいみたいな話が盛り上がっててそれってどうなのみたいなことを色んな人が色んな言い方で言っている。そもそもあの人メガネなんてかけてたっけと思ってきたけどそこらへんは曖昧なんですけど、まぁそれは置いておくとして色んな人が色んなことを言っているのを見かけて俺も何か言いたいなと思ったので、上にそのまま載せといた各エントリとはあんまり関係ない感じでなんか書きたいことを書きます。あと、これ全然余談なんですけど、この冬が終わるまでに牡蠣の酒蒸しをガッツリ食いたいな、と思っています。

思いついた順にテキトーに書いていきますけど、とりあえず僕が何なのかというとアラサーの既婚男性です。アラサーの既婚男性として、この話題を見て最初に思うのは「俺もこんなおっさんにならんよう気をつけよう」ということです。いやこれほんと素直な気持ちで、どうも男性ってやつは今後もこの調子で向こうしばらくは当面恐ろしく男性のまんまであるらしくて、そのことは今朝朝立ちを分度器で測ってみた感じでみても間違いないわけで、スミノフアイスのテレビCMにそのまま使えるんじゃないかっていうくらい見事なチンポ分度器当てだったんですけども、どうもこれからも俺はこの聞き分けの悪いチンポと二人三脚で三本の足で歩いていかなくてはならないようなんですね(ややこしいな)。いや、日頃僕が既婚男性として問題がある悪さをしてるのかというと全くそんなことないんですけど、それを以って「俺のチンポは大変聞き分けがよろしくて無問題なんだ」と公言してしまうのもどうなんだと思うところが僕にはありまして、そういう聞き分けが良いフリをして裏でトンでもないことやってるのが悪い子の定石でありそれはチンポであっても同じこと、そうやって甘やかしているとすぐに問題が頭をもたげるぞ、亀頭だけに。そう思ってたほうがよっぽどいいだろうと僕なんかは思うわけですね。油断するとお前のチンポはすぐに暴れて奥さんを泣かし、何も知らない無垢な若い子を泣かしかねないぞ、それを避けるために今お前にできる「そなえよつねに」はなんだ、教えてくれ、あの旗に!お前の「そなえよつねに」を教えておくれよ!半分楽しい妄想ならそれはそれで差し支えないのでそれくらいの気持ちを常に持っておきながらお子様ランチを食べても別にバチは当たらないと思うんですよね。それくらいチンポというものは男性の判断に影響をもたらしますし、おっさんになってから見かける若い女の子というのは悲しいほどに如何にもヤれそうです。年齢を年輪に喩えると、こっちの方が1.5倍くらい幹が太いのでどうとでもヤれそうなのは当たり前っちゃ当たり前だと思います。アラサーのいいおっさんが「ヤろうと思えばヤれそう」とか言ってるのはヤバいっちゃヤバいのかもしれませんが、「ヤろうと思えばヤれそう」って自覚がない人の方が俺はヤバいなと思ってて、こういう流れで引き合いに出すのはフェアじゃないのであんまり好きじゃないんですけど例えば学校の先生とかのセクハラなり淫行なりの問題があるわけですけど加害者の先生は「普通の恋愛だと思って」問題ないだろうと生徒に手を出したりとかあるらしくて、それはそのほうがよっぽどヤバいだろとか思うわけですね。社会における役割が違うほどの年下はヤろうと思えばたぶんヤれます、だってガキだからです、かつて僕らがそうだったようにガキは大人を大人だと信じてるからです。そんなことちょっと考えりゃわかるんだから、どういうケースであろうと大人は「相手の人格を認めたうえでのいち男女の恋愛で問題があるとは思いませんでした」みたいなナメた言い訳はするべきではないと思う。別に相手が未成年に限らず、男女問わず、年齢差がある時点でそこらへんのことは踏まえろよ、とかはちょっと思います。

とか言ってて気付いたんですけど、僕この岡田さんの事の顛末自体は全く追っかけてないので、そういうの関係なく、年齢差のある男女の恋愛についてのなんたらうんたらの一般論だと思ってくれたほうがラクな気がしてきましたー。

無駄に大前提になっているおっさんが若い女の子をコロッとやれちゃうのはなぜなのかについては、冒頭で紹介したそれぞれのエントリがそれなりに解説できてるんじゃねーかなと思います。付け加えて何か言おうかなと思えば、まぁだいたいブコメで軽く触ったことなんですけど、一つは「先生」って立場ヤバいよってことで。合コンとかわかりやすいと思うんですけど、本来的な男女関係ってお互いに優劣つけあって他の同性と比較されて品定めされ合うのが当たり前じゃないですか、これは恋愛的な意味でのパートナー候補である限りにおいてはどこまでいってもある程度当たり前であると思うんですけど「先生」とかっていう上下関係のあるポジションっていうのが非常に厄介で、いつもの男女関係と同じノリで「ああこの子の穴にチンポ突っ込みたいな、3月だし予算調整もあるし一回ほじくり返してそのうえでもう一度舗装したいな」って思っただけなのに「生徒」の側からすると、「まぁ本来みんなを一律に平等に扱う先生であるあの方に私だけ特別に見ていただいたわ」ってなり兼ねないだろって思うんですよね。僕がなんか悪の心的な奴に支配されて月に代わっておしおきされるような存在になった時はたぶん、そういうこと思いそうな女の子を狙うだろうなーとか思いますもんね。一方で、おばさんと若い男の子の場合はどうなるんだろうかみたいな話をしてる人もいるわけですけれども、それも結局おばさんが若い男の子に振り回されるんじゃないのとか俺は思っちゃうわけで、それは単純に僕が「お前、24時間以内におばさんとセックスしないと死ぬから」って言われたら「それならなんとかなるかもしれないから頑張ろう」と思えちゃうからなんですけど、いやほんとに出来るかは知らないですけど、とりあえず頑張れるラインですよね。そんなん言われたらもうどうしようもねえや24時間後に死ぬわもう知らねえわつってせめてQOLを少しでも高めるために残り僅かな余暇に観るミッションインポッシイブルシリーズをレンタルしにいくほど絶望的ではないってことですよね。ここに並べた僕の感覚は、非常に糞な感覚かもしれませんし、実際に現実世界で行使するには躊躇いのある感覚でもありますし(何よりそんなことすると嫁との日々の交流に支障が出る)、しかしその一方でこういう話をしないと実際に行動に起こす奴が結果として得をするぞみたいな感覚が僕の中にはあって、自分が実際に行使しないにしろフランクにばんばん「ヤれそうだった」とか言うのは放課後ハンニバルレクター的な有意義さがあるような気はするんすよね。ほんと、恋愛関係の話でいえば、男ってやらかそうと思えばなんぼでもやらかせるところあるんで、「こういうやり口で被害者出せますよ」ってのは自分が実行に移さないうちにどんどん提供して、自分がやらかす余地を削っていくみたいな、そういうのみんなで出来たら割と世の中くだらないイザコザ減るんじゃないのって割と本気で思っています。

で、なんだっけ。そうだ。若い女の子をおっさんが引っ掛けるのはたぶん恐ろしく簡単だよ、体感的にはそれに本気出せばマジで余裕だよってのがここまでしてた話で(それしかしてなかったんだ)、それでどうしましょうか、想定するやり口潰していきましょう、そのやり口使うと若い女性に馬鹿にされるようにしていきましょうって話なんですけど、それプラスで言いたいこと何かあるかなと思ったら、以下のフレーズがありました。

責任の所在はどこにあるのか、と言えば、全てにある。女を自分のお遊びとしてしか考えていないオッさんたちにも、それについていってしまう女の子たちにも、そして彼女たちを救えない若い男性たちにも。

これは冒頭で引いてた中の誰かのなんとかっていう若い女性の方の書いてたことの引用なんですけれども、なるほどまーと思って、なるほどまーって、まーってなんだよって話なんですけど、なるほどまーと思って、黒目が上瞼の裏に隠れそうな勢いでまーって思ってたんですけれども、「救えない」ってフレーズがそりゃみんなまーってなるよなーとか思ってて、僕もまーって白目剥いてたんですけど。どうしたもんかなぁ。

この「救えない」ってフレーズなんですけど、これ言われちゃうと男の側としてはキツいよなーと思って。なんか、同年代が頼りないからおっさんに優しくされたらコロッといっちゃったんです、結論から言えばクズみたいなおっさんでしたテヘペロみたいな話は全然意味わかるんですよね。たしかに頼りなくてごめん、せめて頼りがいでてきた頃にそういう食い散らかし方しないように気をつけるわってアラサーとして誓うのは簡単なんですけど、そこで「救えない」って言われるとちょっと待てよ感があって、「どうせコロッとやられるなら、わけわからんおっさんじゃなくてちゃんと銃をズキュン向けて射殺してしまった以上責任を持って優しくして大事にしてくれて見捨てないような若い同年代にコロッとやられたい」って話にしか感じられなかった。もしそうであるならば、それは女性としての貴方を卑下しすぎで男に甘えすぎだよ、と思った。結局、女性は男性にコロッとやられて、その男性がどういう男性であるのか当たるも八卦当たらぬも八卦みたいなそういう考え方のうえから出た言葉なのかなぁと思えて、なんとも微妙な気分になりました。既婚アラサー男子の身分からすると、こういう形で若い女の子に言及するのもなんだか申し訳ないなぁ気持ち悪くてすいませんと思いつつ、まぁどう受け取られるかはさておき言っておこうかなぁとなりました。

「救う」主体としての男性として、何か言おうかなぁと考えると、たぶん「救う」ってすごく主観的で、どれくらい主観的かというとその対象がどこまでも誰かと代替可能な程度に救えりゃなんでもいい気持ちが「救う」って行為だと思うんすよね。なので、例えば「愛し愛される」を「救う」とするならば、意識的に貴方という誰かを救うのってたぶんめちゃめちゃむずいよとかは思うんすけど、俺は救いたいだけで救う誰かは貴方じゃなくても全く差し支えないわけで、たぶんそういうところでお互いに苦しくなるなと思うわけで。結局、もし僕が誰かを救ったのならば(それは嫁さん以外にない(しかし救ったかどうかは未だにわからない))、それは僕が救おうと思ってやったわけではないということで、「愛し愛される」ことが救うことの本質であるのであれば、私たちは誰も一人しか救えないということで、それは私たちが未熟なのだなということです。僕という既婚男性は、しばしばもっとたくさんの人を救いたいなぁと思っていますが、それって要はチンポが暴走したがってるだけなので、諦めて、家に帰り、カレーとか食いながら語らいます。きっとその時、お互いに救ってやってる気もなく、お互いに救われてるのかなぁ。ここらへんちょっとわからん。構造的にそうなってても全然いいと思うんだけど、救うとか救われるとか、それ渋いなと思いつつ喋ってるけど、あ、今眠い。今。今眠い。以上です。

広告を非表示にする