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子どもが謝るのは一番最後でいいっすよ

子どもに「謝りなさい!」と言っていませんか? - スズコ、考える。

読んでたらそういえば今思い出した話があるのでします。もちろんこういう話題ってそれはそれはキレイなケースバイケースの神様がいるんやでってところあるのでまぁ参考程度に聞いてください。

去年だったかな、嫁と二人でピクニック行きまして、河原で飯食ってたんすね。川だねーとか言って。川を見ながらだとパンうまいねーつって。パン食ってたんすけど。すいません、何せ一年くらい前の話なので、ほんとすいません何パンかは忘れちゃってほんと申し訳ない。そしたら僕らからちょっと離れてたところ、5mとかそれくらい離れた横のところでね、ボーイスカウトの少年たぶん小学校中学年から高学年くらいの小僧どもが川に向かって石投げて遊んでたんですね、いわゆる水切りですわ。こ、このガキども川原といえばパンだろうが!何をパンも食わずに石なんか投げてるんだこの野郎!って俺それ見た瞬間頭にきちゃって。間違えた、頭にきたのはもうちょっと後だったわ。この時点で怒ってたらそれ俺が頭おかしいやつだ。この時点では普通に小僧ども石投げとんなーくらいに思ってただけなんですけど、すいません何せ一年も前のことなので記憶が曖昧でして。

まぁ、僕も昔ボーイスカウトやってたもんで「今もボーイスカウトとかやってんのなー当たり前だけど」とか思いながらパン食ってて。何味だったかなぁ、ケチャップは乗ってたような気がする。見える、目をつむると赤い、赤い何かが……。と瞼ピクピク言わせながらパン食ってたら、僕らの真ん前の水面がポチャンと撥ねたんですね。最初、なんなのかよくわかんなかったんでキョトンとしてたら、今度はしっかりと天から石が降ってきて、ポチャンと川に波紋を作ったのが見えた。なるほどと思って横を見たら、件のボーイスカウトの小僧どもが水切りに飽きて「如何に宙高く石を投げて滞空時間を延ばすかゲーム」に移行してやがったんですね。これはそのうち僕らの頭上にも降ってくるかもわからんやつですね。さて、ボーイスカウトの全国共通ルールなのか僕の入ってたところ限定ルールなのかはわからないんですけれども、ボーイスカウトには「怪我する可能性がある行為は問答無用で怒鳴りつけてOK」というルールがあります。なので僕はとりあえず次の瞬間MAXで小僧たちを怒鳴りつけました。「こらー!」つって。めんどくさいから「こらー!」て書きましたけど、正確には「こらー!」とは全然言ってない割とガチの怒気がこもった大人がめっちゃ怒ってる感じのやつでした。

そしたらとりあえず小僧たち僕の方見て固まったんですけど、すぐに近くにいたっぽい指導者(ボーイスカウトの面倒を見る保護者ポジションの大人です)の人が飛んできましてとりあえず僕の方にきて「すいません、何か迷惑かけてしまいましたか?」みたいなことを言うので僕もザザーっと何があったか説明しまして、それを聞いた指導者はそれはもう丁寧に頭を下げて謝りますので僕は「ああ、この人ならきっと大丈夫だな」と尾田栄一郎の漫画を読んだ鳥山明の顔になって「まぁ、怪我とかないんでいいですけど、危ないんで言うといてくださいねー」言うて。指導者は再度丁寧に謝罪の言葉を述べた後、「お前ら、向こう行くぞ!」みたいな感じで小僧たちを引き連れて僕らの前を去っていきました。

で、まぁ、とりあえず事なきを得ましたので引き続きパン食って、パンもすっかり食べ終わって。何個食ったかなー何せ一年も前のことなんで記憶が曖昧なんですけどせいぜい三個か四個ですわ。食べ終わりまして、「やっぱ川見ながら食べるパンうまかったねー」とか言って、「川はパンに限るね」つってね。そろそろ出発しようかーなんつってたらさっきの小僧どもが僕らに「あのー」つって話しかけてきて。「さっきはすいませんでしたー」とか言って。完全に指導者にしぼられた感じで、「すいませんでした」つって。「あーいいよいいよ、石当たると危ないから、気をつけなよ」とか言ったら帰ってたんですけど。で、なんかその後もっかい指導者がきて、もっかい謝りにきてくれて、「あーいえいえ、まぁ何もなかったんで。はい。」くらいの感じで僕らはハイキングを再開しました。後で嫁に聞いたら、僕がその日着てた卸したてのTシャツがまじでダサくて全然似合ってなかったらしくて、あとで鏡で確認したらたしかにダサくて、俺こんな格好で怒鳴ってたんだってちょっと落ち込みました。エピソード終わり。

で、まぁそんなことがあってから今まではこれ単に俺が変なTシャツで怒声をあげてしまった面白エピソードだったんですけど、冒頭紹介しましたスズコさんのエントリとあわせて考えると、なるほどあの指導者はなかなかスマートで合理的な手順をとっていたんだなと思いまして。スズコさんの記事では「子どもがすぐに謝罪するのは難しい」ってところにフォーカスしてるんですけど、「とりあえず子どもに謝罪させて相手に許してもらう」やり方の一番危険なパターンってもっと違うところにあるような気がするんですよね。例えばこの小僧ども、たまたま石投げの近くにいたのがとりあえず謝ったら許してくれる変なTシャツのおっさんだったから良かったものの、世の中そんな「いい人」ばかりじゃないじゃないですかぶっちゃけ(自分でいい人言っちゃったよこの変なTシャツのおっさん)。実際、変なTシャツのおっさんだってこれ僕か嫁の頭に当たってたりしたらどんなテンションになるかはちょっとその状況になってみないとわからないからね。つまるところ、謝罪しても謝罪しても許してくれない人に出くわした時が一番子ども的にはきついんじゃないかなと思うんですよね。で、こっちの味方っていうとおかしいけど保護者も「お前が謝って許してもらうんだ」のテンションで怒ってたら、もう子ども的にはわけもわからず頭を下げ続けなくちゃならんなんて事態にもなりかねないわけじゃないですか。謝っても謝っても許してくれない、本当に申し訳ないと思ってても許してくれない、そうなった時にそれでも悪いのこっちだったらそれこそ頭擦り付けるくらいしかもうないじゃないですか。たぶんそれってキツい。たとえ自分が悪かったとしてもキツい。意味がない、というかインセンティブがないことって大人でもキツいじゃないですか。誠心誠意心の底から謝っても許してもらえない状態でも謝り続ける事態って俺だって何とか避けたいからそんなことしないで済むように気を付けて生きてるわけですよたぶん大人みんな。

なので指導者はとりあえず、最悪許してもらえない可能性があるタイミングでの謝罪を一旦自分が引き受けたわけですね。まず保護者である自分が、俺に対して謝る。許してもらえないかもしれないけど、許してもらえるまで謝る。大変でもそうする。で、それでこっちがある程度溜飲下がったのを確認したら、今度は直接の被害者(?)である俺の代わりに子どもを怒る。これも保護者はちゃんとした保護者なわけなので、子どもはちゃんと自分がやった悪いことを理解してちゃんと反省できればちゃんとそれを分かってくれる。ちゃんと反省すればちゃんと「反省したとわかってもらえる」というインセンティブがあるから、ちゃんと自分のしたことと向き合える。もちろんこれは日頃の保護者との関係性ありきですけど、まぁさっき会ったばかりの変なTシャツに直接説教されるよりは信頼関係あるでしょ。たぶん。で、そこまで全部整った段階で「迷惑をかけてしまったアカの他人に、きちんと頭を下げて、許してもらう」っていう社交辞令をすればいいわけで。本人の蒔いた種とは言え、理不尽で不毛な謝罪にならないようお膳立てしてあげて「悪いことをしたらしっかり反省してちゃんと謝って許してもらう」という経験をさせてあげるのも保護者の役割なのかもなぁ、なんてことをあの指導者思い出しながら思ったわけです。

つーか、一つの場に登場人物がいっぱい登場すると単純にごちゃごちゃするからね。俺が保護者にむかついてるのと小僧にむかついてるのと、指導者が俺に謝るのと小僧に怒ってるのと更に俺に謝らせようとするのと、小僧は俺に謝らなくてはならいし指導者の怒りも沈めたいのとって、ややこしくて要点がぼやけるんですよ。というか、こんなん登場人物全員大人だったとしても空気読むのむずいわ。そんな中で「とりあえず他の登場人物が全員納得するまで謝り続けなくちゃならない」っていうのは子どもにとっちゃしんどいし、後々にもあんまり良くないと思うんすよね。あと、細かいことを言えば指導者にそう来られたら俺も「こいつ、俺に『まぁまぁ子どものしたことですから』って言わせようとしてないか?」と思って、むしろ矛を収める気は薄れる気がする。いや、それで矛収めるのやめて事態が好転することもねえから思うだけで、どうという話でもないけど感じは悪いよね。なに、俺が許したらお前は「許してもらえてよかったね」で終わらす気なの?ってなるじゃないすか*1

とか考えるとここらへんの話って単純に、電車で子どもが騒いでる時に「あんまり騒いでたらおじさんに怒られちゃうよ!」「いや、てめえが怒っとけよこの馬鹿が!」って話題の亜種だと思うんすよね。「悪いことは悪いことだからやめましょう」って教えることと「悪いことをして怒られないようにしましょう」「悪いことをして怒られたら謝りましょう」って教えることは分けて考えなくちゃならない、それをめんどくさがって一緒くたにしていると、「なぜ悪いことをしちゃダメなのか」が子どももわからんくなりますよ。みたいな、そういう話なんじゃないすかね。いや、言ってることの方向性は元記事と全然同じなんですけどね。Tシャツは嫁が部屋着にしています。以上です。

*1:でも実際この方法使いでもしないと相手が矛を収めてくれないケースも世の中あるんだろうな、と思うし、そういう経験が過去にあって「謝りなさい!」戦法を使うのに馴れちゃう人もいるんだろうなと考えると難しい。