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彼女は湘北ではなく魚住にこそ涙した

僕と嫁さんは大学時代からの付き合いでして今ではかれこれ9年目とかになってるんじゃないかと思うんですけど、最近もたびたび考え方の食い違いがあって話し合いの機会が必要になることはままありながらもえっちらおっちら二人仲良く慎ましく暮らしております。昔はやっぱりそんな諍い事も今なんかよりもよっぽど多くて、これはもう九割八分がた僕が今以上に人間が出来ていなくて他人への配慮に欠けていたからという理由にほかならないわけなんですが、その中でこんなエピソードがありました。

とある日、僕がいつものように鼻歌混じりに竹馬でスキップして彼女の家まで出向きインターホンを鳴らすわけですけど、吹いたら音を出しながら伸びるアレで鳴らすんですけど、彼女が受話器をとって「今開けるね」って言うんですけどその声が完全に泣いてるんですよ、グズグズ聞こえるしなんだか声も震えてる、完全に泣いてる。僕は動揺します。当時の僕は、あー今もだ、そこは卑屈にしといた方が今後何かやらかした時心証が良くなるから、当時も今も変わらず僕は自分では本当に何の自覚もなしに彼女を傷つかせてしまうことが多々ありそのうえ彼女は彼女で瞬間飲み込むけど後々思い出したらやっぱ許せへんみたいな怒りや悲しみを一度燻製にするタイプなので時差があるんで、彼女がそんな泣いてたりすると「俺何したっけ?」ってすげぇなるわけですよ。俺は浮かれてる場合じゃなかったと思ってすぐに竹馬を降りて咥えてた吹くと音を出しながら伸びるアレもカバンにしまい、鼻メガネも外し、当たり前じゃないですか。竹馬に吹くと伸びるアレときたらそりゃ鼻メガネもしてるに決まってるじゃないですか。それで三角帽も投げ捨ててですね、彼女がガチャッとドアを開けるわけです。やべぇすげぇ泣いてる。鼻真っ赤。俺なんかしたっけ俺なんかしたっけ俺なんかしたっけ。鼻メガネ握りつぶしながら僕はグルグルグルグルと脳をひっくり返して僕の罪を探すわけなんですけども。

とまぁ、ここまででもう嘘がすごい。誰が食い倒れ人形のコスプレして彼女に会いにいくんですか。こんなもん真実なわけがない。それでも混ぜちゃうんですよ。普通に喋ってたら飽きちゃうかなと思ってサービス精神で足しちゃうわけですよ。そもそも食い倒れ人形は竹馬乗ってないしもうめちゃくちゃですよ。だからそんな小細工はやめて、僕はありのままにその日のことを記述しますよ。

僕は普段から彼女を知らず知らずのうちに傷つけてしまうことがあって、悪いな直さなくちゃなと思いつつ日々を過ごしてたんですけど、ある日彼女の家に出向いてインターホンを鳴らすと彼女の涙声の返事が返ってきたわけですね。あれ、なんだ涙声だぞ、なんでだ、俺また何かしたっけ何かしたっけと僕の思考は空転するも全然心当たりが見つからなくてそうなると頭が痛くなってくるんですね、脳をひっくり返して彼女に何か非道いことを言ってやいないか思い返そうとするも全然わからない、でも何もないはずはないんだだって彼女は泣いているきっと俺は何かやらかしてるんだ考えろ考えろ考えろコメカミがズキズキズキズキと痛んでくる。それは僕の左耳に脚を引っ掛けて羽根を休めてるキツツキが僕のコメカミをガンガン突いてるからなんですけど、あ~出た~悪い癖~、また盛った~盛っても~た~と罪悪感から胃がひっくり返ってさっき食べたお好み焼きをげーげー吐いてたら、お前それ食い倒れてるやないかーい、赤と白のストライプやないかーい、おーい!

また一回仕切りなおすんですけど最後もうワンチャンください。

……世は平成、後のズイショ嫁の家を訪れたズイショであったがそこに待っていたのは長州を脱藩した前のめり食い倒れ太郎

もうワンチャンください。

いやーなんつっても、呼び鈴押したら彼女がすすり泣いてるわけですよ。何かしたっけなと思ってビクビクしながら待ってたら玄関が開きまして、彼女第一声なんて言ったと思いますか。「湘北インターハイ行けた」。そういえば彼女その時ちょうどスラムダンクを友達から借りて読み込んでる最中だったんですね。彼女は単純に漫画の世界に没頭して感極まって泣いてただけなのでした。はー、うちの彼女は何て感受性が豊かでいとおしい女性なのだろう、これからも大事にしなくちゃいけないにゃん。そうしてその数年後、二人は念願のゴールイン。その後もえっちらおっちら二人仲良く慎ましく暮らしてゆくのでした。

っていう、そういう普通の面白誤解話を友達にしたらみんな笑ってたよ、と彼女に話した当時大学生の僕だったのですが、彼女は僕のその報告に遺憾の意を示したのです。

というのも、僕は一つだけこの話に嘘を混ぜていました。それは竹馬でも食い倒れ人形でもキツツキでもなく。彼女が実際にその時に言ったセリフは「湘北インターハイ行けた」ではなく「魚住負けた」なのでした。

そうなんです、彼女はスラムダンクの中でぶっちぎり魚住が好きだったのです。せっかく貸してくれたし名作との誉れも高いし良い機会だとスラムダンクを読み始めた彼女だったのですが、彼女の感性からするとお気に召すキャラがあんまりいなかったので結構きつかったとのことでした。湘北とか全員DQNやないか、花道も流川もリョーチンも三井も全然好きになれへんぞ、どないすんねんこれどないすんねんこれと苛立ちながら読み進める彼女の前に現れた王子様。それこそがビッグ・ジュンこと魚住でした。魚住はマジメで優しい、ちょっとコンプレックスもあるけどそれに打ち勝つガッツもある、キャプテンとしても頑張ってて親を安心させようという責任感もある。もう彼女には魚住しかいなかった。彼女がスラムダンクを読み進めるには魚住をストーリーの軸に沿えるほかなかったのです。なんかさっき魚住となら結婚して女将になってもいいとか言ってました。

いや、そんなん知らんやんって話じゃないですか。僕は「また俺が泣かせたかなと思ったら漫画で泣いてるだけだった」話をしたいだけだったんですよ。魚住とかわかりにくいじゃないですか。結構オチまで引っ張ってますよ、長いですよ、こっちとしてもそこで外すわけにはいかないわけですよ、そのラストパスを魚住に託す。そんな博打僕にはとてもできないわけです、伝わらない可能性がすごいじゃないですか、「え、魚住?」ってなったら終わりじゃないですか。そりゃあ僕も改変しますよ、「湘北インターハイ行けた」でいいじゃないですか。そうすれば「彼女はスラムダンクを読んでただけだった」という事実はそのままに、より分かりやすく面白をお届けできるはずじゃないですか。しかし彼女にとってはそこは大した話ではなかった、彼女にとっては魚住が、魚住こそがスラムダンクを読み進める原動力であった、そこを偽られては堪らない、彼女はそう怒ったのです。

つまり何が言いたかったかというとですね、悪気もなく人を楽しませるための嘘であるならば嘘自体は誰も傷つけない限りにそこまで咎められるものでもないのかもしれない。しかし、自分以外の他人はどのような嘘を許せないのか、それはもうまるで全然わからない。俺にとってはキツツキを肩に乗せているという嘘も、彼女が湘北のインターハイ出場決定に感動していたという嘘も、どちらも特に問題にはならない枝葉の嘘だったわけですが彼女にとってはそうではなかった。大事なものは人それぞれ。許せる嘘も人それぞれ。許せない嘘も人それぞれ。

そういう当たり前のバランスの中で、僕も貴方も嘘をついても良いし、つかなくても良い。話を盛るのも、嘘をつくのも、計画的に。

なお、その後僕は「湘北インターハイ行けた」はあかんのかということでオチは「魚住の青春が終わった」って言うことにしています。それでもまだちょっとセリフ改変して盛ってやがる。以上です。