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「自然と共に生きる派」が山を降りてきた時大体ちょっとうっとうしい

この前なんか嫁がなんか子宮ホットホットババアの元気が出るテレビみたいなタイトルの本を買ってその内容がいやだとかなんとかで怒かってました。「いかってた」と「おこってた」って結構ニュアンス違うはずなんすけど漢字にすると一緒じゃないですか。でもひらがなで書くのもなんか違うじゃないですか。なので本来要らない送り仮名足したりとかよくやるんですけど、如何でしたでしょうか。いや、これはね、僕も書いて今こうして見て違うなと思いましたね。「どかった」なら「どかった」でそれはそれでいい感じじゃないかなと思いますけど。「どかった」はなんか、こう、気に食わないからロケット花火打ち込んでやったみたいな、短絡的で稚拙な感じがしてそれはそれで悪くないですね。

子宮を温める健康法

子宮を温める健康法

ググったんですけど確かこれっぽいです。PCの前から立ち上がって隣の部屋に行ってちょっとごそごそしたら現物出てくると思うんすけどそれもう超めんどくせぇからたぶんこれですわ。

内容としては「自然最高!」みたいな話らしいです。いや、読んでないんで、嫁から聞いただけでよく知らないんすけど。自給自足の生活でちゃんと育てた野菜を、もぎたての、もぎたての野菜を、あなたに、あなたに食べて欲しい、食べて欲しいわけですよっていうあまり何も浮かばなかったときサンボマスター出しとけみたいなんがある僕です。で、嫁が言ってるだけで読んでないんで、席を30秒離れたら読めるけど読んでないんで知らないっすけど、結構きつい言い方するんですって。現代の食生活はおかしいみたいな、そういう言い方して。しかもそれをババアが言うんだ、と。昔は出来たかもしれんけど今は時代が違うんだよ!温故知新はそれはそれで大事だけど、現代人を否定にかかるっていうのはどうなのよ!と、激おこぷんぷんワイフが申しておりました。

さて、コンクリートジャングルとインターネット大好き、家から一歩も出たくないし肴は炙ったイカでいいでお馴染みの僕ですが、自然はいいよって感じは近年だいぶ分かるようになりました。わかるよ、俺たちはそこからやってきたんだ、って思いますし、そういう在り方に触れると元気が出るということも実際に自然に触れてみた直後の尿の色を見てぼんやりとわかってきました。のどごし。それでもなんかこうちょっと鼻につくのは、そういう在り方にコミットして生きてる人たちってどうしてもコンクリートジャングルのイリオモテヤマネコ的存在である僕らをうっかり否定しちゃったりするよね、てことです。

例えば、日ごろ面白く拝見してるブログで、なんか開眼して自分で狩って自分で捌いて食す!みたいなちはるさんという人とかを見かけたりします。下記ですが。

http://chiharuh.jp

読んでて、あーおもしれーなー、すげーなー、とか思うんですけど、たまに刺されるんですよね。大なり小なりさまざまな味のオブラートに包んではいるんですけど僕はアンパンマングミの食べれるフィルムのコーラ味が出たら箱買いしますけど、たまになんかこう「あれちょっと今disられた?」みたいなん思ってしまう瞬間があったりしちゃうんですよね。「現代人おかしいよ」的な。

これは下手に攻撃を仕掛けるとすっぱいブドウ理論を適用されてこっちが火達磨になるのでアレなんですけれども、特にそういう「生き方」を求めた結果としてそういうことやってる人たちに「物に溺れた現代人悲しいね」みたいなことを言われるとちょっと「あ、こら?」て思うのって少数派なんでしょうか?世界に俺だけなのでしょうか?となる。「自給自足的なものを尊べよ」の論拠が環境問題とかだったら他人をdisりにかかるの意味わかるんすけどね。お前がそういう生き方のほうが生きやすくてお前が勝手にお前の気持ち良いように生きられてるんだったらそれでいいじゃねぇか何故いちいち他人を刺すんだ、食糧難がきてもポテトチップスとかぜってー分けてやんねーかんなとか思ってしまう。

この現代が生きやすいか生きにくいかなんてみんな勝手にやればいいんだよ、と思うし、「生きにくい」という解釈を下すことはめちゃ容易いこともみんな知っている。その中でさぁどうしましょうか、というのはそりゃもう個人が生きやすいように選択していくほかねぇんだろうなと思う。で、そこで選択したあれやこれやが自分の生活を豊かにするならそれはそれで素晴らしいことだけれども、それがあくまで個人ベースでの取り組みであった時に自分とは違う生き方と対立せずにはいられないんだったらやっぱそれは現代の枠組みから全然逃げ切れてないじゃんと思うし、うっとうしいなと思うところがあるなぁという話です。

人に布教したくて堪らないお前の掛替えのないものってたぶん大したことないよそんな変わらないよ、ってことをたぶん俺は今思ってるんですけど、突入角度を間違えて燃え尽きそうなんですけど書き直すのがめんどくさくて困っておる。たぶん失敗した瞬間はちはるさんという人のブログを引いたことですね。「なんかちょっと刺された気になってしまう」くらいのを引かんと、もう露骨に刺しまくって布教したがってるイカレポンチのブログを引けばよかったんだ。そして、そういうものってこの世に腐るほどある。

回収を諦めたのでもうちょっと書き散らして、テキトーに切り上げることにしましたが、今俺が怒って燃え尽きそうなこの問題ってまぁいわゆるところに通じるんだろうなと思います。例えば命の授業とか、糞嫌いなんですけど、まぁ食品加工関係の学校の生徒なら分からんではないけどね、もありつつ、基本的にはめっちゃ糞だと思いますね。「命の大切さを現代人は忘れがち」は別に間違っちゃいないんですけど「それは、うん、そういう現代に作ったからね」としか言いようがないですよ。「お前ら現代っ子は肉はスーパーで買えばいいと思ってやがる。ちょっと豚殺せや」と言われても「いや、貨幣経済でお金を稼いで働いてそのお金で食料買いなさいって教えたのお前らですやん、話がちゃいますやん」ってなってくるだろ、て思うんですね。そういった現代社会にノー!とか言って自分で鳥を締めたい人はそうすりゃよろしい、それに興味がある人相手に相談に乗ってやったり場を提供したりとかも別によろしい、ただそうじゃない人にどうのこうの言いたい時はもっとでかい大義名分がないとダサいし迷惑だよなぁ、とかそういう事例は世の中にたくさんあるよなぁ。

運動そのものが愚かに見えて無駄に見えても、その運動すること自体がエネルギーを生み出して世の中ぶん回してる部分もあるからさぁ、それを全部ないものとして自分と違う運動物や運動人を引き合いに自分の好きなものの価値を高めたがるってのはなぁ、それはテーゼとアンチテーゼの適切な関係じゃねぇよなぁ、みたいな。

じゃあ、タイ行きで足りないもの買ってくるんでまとまってないけど切り上げます。以上です。

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