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ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

ブログで自分らしさや面白さを捨象する時、「徳」まで投げ捨ててはいないか

 にゃお~ん、親指シフトの訓練中につきこの文章も頑張っていそいそちんたらと親指シフトで書いてるんですが、そうなると普段がドラマの番宣でバラエティ番組にゲストとしてやってきた唐沢寿明くらいノリノリで喋れてるとすると今日はせいぜい堀北真希くらいしか喋れないかもしれないのですがかわいいので許してください。みなさん、どうかここは堀北真希のかわいさに免じて僕を許して下さい。遅れてしまいましたが堀北真希ちゃん、結婚おめでとう! 以下本文です。

 読みました~。のでなんか思いついたことを書きます。

 まず初めにみんな紋切り型の同じようなブログばっか書いててつまんねえな、お前は紋切り・D・ルフィかっつうの、「ブログ王に俺はなる!」じゃねえよこの野郎、もっと「自分にしか書けないこと」を目指してみんなブログ書いてこうよ、だってそういうものが読みたいじゃんねえ、You wanna be my friendじゃんねえ、という話題がひとつありまして、それに対して「いやでも、誰にでも書けるような内容でPV稼ぎたい人が誰でもPV稼げてお小遣い稼ぎができる昨今のブログ運営技術というのはそれはそれで大したものだよね、ポケットにコインの部分は達成できてるわけでそれに救われてる人も実際いるわけだよね、そうは思わんかね」という反論が面白半分に提出されてるのが二つ目の引用エントリで、まぁ内容だけ読むと両方言ってることはわかるんだけどねって感じなんですけど。

 とりあえず思ったのは「当事者である彼らはこのような反論を提出できないように思われるのだけどそれってどうなの?」ってことなんですよね。

 これは別に彼らにはそんなもの書けっこないなんてことを言いたいわけではなくてですね、書こうとしないだろうなって話で、書こうとすれば書けるだろうけど書こうとしないだろうって話で、むしろ僕はどっちかと言えばやればできる、頑張ればできないはずがないと考えちゃう方のタイプですから、松岡修造タイプですから、元気ですかっ!?元気があればなんでもできるっ!!ミキティーーーーーーーっ!!恥の多い人生を送ってきました!!気合だっ気合だっ気合だっ気合だっ気合だっ!!なんつってね、まぁ松岡修造の言うやつ一つも出てこないどころか完全に一人熱血系じゃないやつまで紛れてましたけどね。問題なのは、こういう問題が当事者不在の外野にて語られる際にも*1、実際に彼らがブログを運営していくうえでも、いわゆる「おもしろさ・自分らしさを目指したブログを書こうとすること」と「マネタイズを目的としたブログ運営を実践すること」がほとんどトレードオフであるかのような前提で考えられがちな点にあるように僕には思われるんですよね。

 馬鹿になれ、とことん馬鹿になれ、と僕自身予想だにしていなかった形で本日2回目の登場となったアントニオ猪木でしたけれどもここで寛至が言ってるのは別に知性を捨てろってことではないはずなんですよね。自分なりに考えたいこと考えるべきことは考えぬいたうえでそのうえで馬鹿になるってことは全然本来両立できることだと思うんですけど、「カ~ンジ、セックスしよ!」って言われた時に避妊をしないのが馬鹿になるってことではないはずでシッカリとゴムはつけたうえで猿のようにボンバイエするのがあるべき馬鹿の姿だと思うんですけど、ある信念に基づいて遮二無二邁進することそれが「PVのため・マネタイズのため」という信念であってもそれ自体は別に咎められるようなことではない、ただ遮二無二邁進を続けるためにそのために必要な何かを持ち続けるために、その他のあまりに多くを過剰に安易に捨象していってしまうのだとしたら、それは褒められたものではない馬鹿かもしれないし何より本人にとっても中長期的に見た時に自分の首を締めることになる厄介な馬鹿になってしまうのではないか、僕が懸念するのはそこらへんなのです。

 いわゆる「書く」という行為が「考える」という我々人間の営みと密接な関わりを持つことはブログ界隈で今更語るまでもない大前提でありますが、もし人間の「書く」という行為が例えば「PVを稼ぐ」だとか「儲けを出す」だとか他の目的のために最適化された結果、「書く」という行為から「考えを深める」という機能が奪われることになったとしたら、もっと言えば「書く」という行為が「考えない」という振る舞いとニアリイコールになってしまったとしたら、そのうえで「書く」という行為をやめられない状態になってしまったとしたら、それっておしっこちびった後に一回水飲んでもう一回おしっこちびるくらい恐ろしいことではないでしょうか。ちょっと前に世にも奇妙な物語で自分の記憶を切り売りしてお金に替えていって最終的には一切の記憶を失って廃人になる男の話をやってたんですが、僕がブログ界隈眺めてて感じる薄ら寒さっていうのはたぶんコレと大体同じ性質のものなんですよね。

 大袈裟な言い方をしている自覚はあるし、もちろん僕は彼らの様子をブログを通してしか窺い知ることはできないわけでそのうえブログはしょせんはブログですから、ブログ以外のところでは彼らもうまいことよろしくやっていてこんなこと全くの杞憂なのかもしれない。それでもこいつだいじょぶかと思う瞬間はあるし今喋ったような内容で説明できるような炎上や揉め事は枚挙に暇がない。お前らつまんねえよとかは些細な問題でさ、お前らほんと大丈夫?っていう、面白さや自分らしさよりもっと別のものを大事にするのは別にいいんだけどさ、そこで儲けにならねえからっつって積極的になんでもかんでもぽいぽい捨象してるうちにさ、なんか取り返しのつかないものまで捨てちゃってたりはしないかい。

 と、書いてて思いついたのは「徳」っていう割と残念な言葉のチョイスだったんですけど、でもやっぱ考えると徳って言葉が一番しっくり来る気がする。ブログで徳を高めよう!なんておもしろいことはさすがに俺も真顔じゃ言えないんだけどさ、徳なんか油断してると簡単に捨てちゃえることはなんとなく知ってるからさぁ。繰り返すにそこって本来別にトレードオフじゃないと僕は思ってるんで、徳だけ捨てないようにしながらあとは好きにすりゃいいんじゃねえのって思うんですけど。彼らが何をやってるか何を書いているかよりも、彼らが何をやらないか何を書かないか、ひいては何をどうでもいいと思っていてそれは果たして本当にどうでもいいことなのか。それを見て我がふり直せってつもりでもないんだけれども、そういうところが僕の気にかかる。

 つまり僕が言いたいのはね、心にダムはあるのかい?っていう、ただそれだけのことですよ!! はいっ、以上、元新撰組三番隊組長・斎藤一でした。また見てね!!

*1:これはちょっと言い過ぎというか、全体的にそういう空気あるよねとは思うものの、少なくともリンク貼ってる2記事はたぶんここらへん踏まえて書いてるから微妙だなぁと思ったけど、他にちょうどいい言い方があんま思いつかなかった

親指シフト訓練してたら逆にローマ字入力の合理性に気付いてビビった

 親指シフトの習得を決意してから十日あまりが経ちまして今でだいたい分速80~100打鍵、親指シフトは1打鍵で1文字入力できますのでそのまま分速80文字~100文字くらいのペースで文字を打てるようになりました。これを遅いとするか速いとするかは人それぞれとは思いますが僕は一般的なローマ字タイピングで分速240~270打鍵、毎分120~150文字くらい打つのでせいぜい普段の三分の二くらいのスピードしか出てない勘定になりますのでどうしようもなくただただかったりいなアクビが出るぜと思いながら仕方なくペチペチとキーボードを叩いています。

 それで、親指シフトで分速80~100打鍵というと少なくとも1秒に1打鍵以上はできてるかなくらいのスピード感なわけですけど、程度でいうとこれはキーの配置つまりどこのキーを打ったらどの文字がディスプレイに新たに表示されるかくらいはなんとなく頭に入ってるのかなくらいなんですけど、じゃあここから1秒間に打てる打鍵数をどう伸ばしていけばいいかと考えた時に大事なのは指同士の連携とでも言いますか、「Aのキーを押して次にBのキーを押す」そして「A'のキー(さっき打ったBのキー)を押して次にB'のキーを押す」という一塊の動作を如何に間断なく繰り返すことができるかが焦点になってくるわけであります。もちろんその間隔というのは一定ではなくAのキーとBのキーが何であるかによってばらつきがあり例えば親指シフトわからん人は「そうなんだ」くらいの感じで流してもらっていいんですけど「カタカタ」という文字列なら親指シフトでコンマ5秒くらいで打てそうですが「レーレー」と打つには1秒以上かかりそうです。他にも使用頻度が低いキーだとそもそも「どこにあったっけあのキー」と一瞬フリーズしたり、僕は「ょ」と「ゅ」の位置がまだ一瞬ごっちゃになりそうな癖があるのでまたそこで一瞬固まる時があったりとかまぁそういうのひっくるめて平均すると1秒間に1.3~1.7打鍵は打ててんじゃねえのという認識になります。

 ローマ字入力だと毎秒4~4.5打鍵くらい打ってるわけなのでまだまだ先は長い気もしてますが、親指シフトは1打鍵1文字なわけですから2打鍵毎秒でローマ字打ちと遜色ない120文字毎分、これは全然想像できるレベルです。そしてローマ字打ちでできてるんだからできないはずはない3打鍵毎秒を達成すると既にローマ字入力では俺には絶対に出せない180文字毎分、4打鍵で240文字毎分、そして何より僕のローマ字打ちは完全我流のホームポジションガン無視・左手は人差し指一本で右手は人差し指と中指の合計3本しか使っていませんでしたので4.5打鍵毎秒はかなり極限の数字これ以上はどうしたって出るわけねえという限界なわけですけど親指シフト入力は完全ホームポジション(というかホームポジションじゃないと無理)なので打鍵数的にも全俺未踏の5打鍵毎秒で一般的な人間の喋る速度と同じ300文字毎分となるわけでここらへんで俗に言われている「親指シフトはキーボードが消えて指が勝手に喋り出して思考が勝手に文字として出力される」とかいうヤバイ草でも吸ってんのかとしか思えない状態に突入するのかなと睨んでいて、まぁどうせ覚えるならそれくらいは目指したいよねと思っています。

 で、ここからが本題というか俺の中で大ニュース!大ニュース!ってなってみんなに教えなきゃってなった話なんですけど、このように現状の熟練具合についての理解と今後の課題と以降の習練を進めるにあたって意識しなくてはいけないこととかを整理してて気付いたのがローマ字入力の習得の簡易さは異常ってことです。

 先述したとおり僕はタイピングという作業を「Aのキーを押して次にBのキーを押す」そして「A'のキー(さっき打ったBのキー)を押して次にB'のキーを押す」という動作の繰り返しでありこの一連の動作一回一回にかける時間を如何に短くしていくかが問題であると考えたわけですけどそうなると次に問題になってくるのはAとBの組み合わせの数になってくるわけですね。まずは親指シフト含むかな入力について考えてみると親指シフトは1打鍵1文字ですので細かいことは抜きにざっくり考えて濁音半濁音拗音も合わせてひらがなの文字数は大体80種類前後、そのいずれかがAとBに入るわけですから覚えなくてはならない指の動きの数は単純計算で80*80の6400通り。もちろん使用頻度のばらつきは激しいしそんな並び日本語で出現することあるんかいなみたいなのもあると思うんで実際にはもっと少ないんでしょうけどまぁ6400がどこまで減るか、半分で考えても3200、ちょっとここの部分の数字はどれくらいに見積もるのが固いのかなんか国語学の人とかいたら教えてください。で、それに対してローマ字での日本語入力を考えるとこの指使いのパターン数が恐ろしく少ないということに気づきます。ローマ字は子音+母音あるいは母音単独で表されますので使用すくキーの数は母音のaiueo5種と子音KSTNHMYRWGZDBPの14種でぜんぶあわせてもわずか19種のみ、本当は拗音や促音などの一部の例外を除き子音が連続することはないんですけどめんどくさいのでざっくり19*19で計算しても、たった361パターン!どうですか、この圧倒的な差は!

 かな入力で3200通りの指使いをすべて2秒でこなせるようになった時に発揮される入力スピードを、ローマ字入力であれば361通りの指使いを1秒で打てるようになればそれだけで同じスピードに達することができるわけです。もちろん同じ速度で打てるようになった時は1打鍵1文字のかな入力のほうが速いに決まってるわけですけど、それを習得するための難易度の高さは数字を見たまんまの通りです。いや、今練習してて思うけど、こんな特殊技能身に付けるのは一部の変わり者だけでいいよ、ローマ字入力で全く問題ないし、何よりかな入力に比べてこんなに覚えることが少ないローマ字入力すげえよ、これがなかったらパソコン普及するの絶対もっと時間かかってたって。みたいなことを思ってて、これはすごい発見をしてしまった!!と思ってブログ書き始めたんですけど、書き進めれば書き進めるほどに「うわ、俺なんかめっちゃ普通のこと書いてる」と思って落ち込んできたのが今です。

 もうひとつ言うと、それでいうと日本語はローマ字打ちで結構打てるけど英文打つってなるとからっきしダメって人たくさんいますけど、俺ですけど、それも当たり前の話で、アルファベット26種をフルに活用する英語では覚えるべきパターンは26*26で676通り、そのうちローマ字入力覚える過程で指が覚えてるのはたった361通り(実際はもっと少ない)なんだから、うまく指が動かないのは当たり前なんだよね。

 そういうわけで、今後ローマ字入力でもかな入力でもなんでもいいですけどタイピングの速度を鍛えたいなぁと思う人は、指の連携とかパターンの2打鍵の時間間隔を意識するといいんじゃないですかね。では今日のところはこのへんで、最後はタイピング・オブ・ザ・デッドあるあるでお別れしましょう。ズイショさんが爆速変態タイパーになれる日をみなさんどうぞお楽しみに。「q」の斧が撃ち落とせない。以上です。

僕が嫁がBLの受け攻めの話をしてくる時に考えてること及びヤオイ穴について

まず最初に確認しておきたいのはこれ書いてる俺自身は別に二次元三次元問わずキャラにやたらと傾倒したりとかそういう人ではないんですよ、「そういう奴と一緒にしてくれるな」とかじゃなくてただただ「事実、そうではない」っていう前提を共有したいんですけど、そりゃまぁアニメとか人並みくらいには見るけどそれは小説呼んだり映画見たりテレビ見たりと同じでただただ物語をコンテンツとして享受するのが好きってだけであって物語虚構世界のキャラクターに恋に恋い焦がれて自分の好きなキャラが公式のストーリーのなかで幸せになれるかどうかが心配で心配で次週が気になって気になって胸がいっぱいで目の前で炭火でカルビ焼かれても一向に手をつけないみたいなそういう人が世の中にはどうもいるらしいと聞くんですけど焼き上がった牛タンに刻みネギを乗せられたとしても最愛のキャラの行く末を案じながら拳のなかのレモンをギュッと握るだけで一向に箸をつけないみたいな、せっかくレモンまで握ったのに!?もう箸つけなくていいから手でいけよ、レモン汁ついてるんだから!!レモン汁ついてる手でちょいってつまんで頬張っちゃえよ牛タン!!それでもなおキャラのことを思案するばかりに喉が通らないものが多すぎて物思いにふけってしまう人種というのが世の中には少なからずいるらしいということは僕も聞き及んでいるんですけれども、僕は別にそういう類の人間ではないんですけどというところだけまずは共有して欲しいんですけど、残念ながら僕には嫁さんがいまして、残念ながらっていうと語弊があるというか「残念ながら」という言葉がかかるところがおかしかったんですけど、嫁さんがいることは全くもってずばっと残念じゃないどころか素晴らしいことなんですけれども、この嫁さんがいわゆる腐女子って呼ぶのにちょうどいい、「と呼ぶのにちょうどいい」って言うとすごく英訳しやすのにちょうどいいイディオム感がすごいですけど英語で何ていうか知りませんけど、まー腐女子だと。両手レモン汁でびしゃびしゃの腐女子なんですけど。僕が常々言ってるのはね、いいよいいよ君はありのままでいいよ、ってことなんです。腐女子だとしてそれがなんだ。別に構わないよ。君はこんなこと言ったら嫌われるんじゃないかとか、そんなつまらないこと考えなくていいよ、思ったこと言ってくれよ。そう常々言ってるわけですけど、それはあくまで「別に構わないよ」ってだけの話であって「そんな君が好きだ」ってわけでは別にないわけですよね。腐女子の君が大好きだ!とは別に思わない、そりゃ君が楽しそうに笑ってるのは見ていて嬉しいけれどもまぁそれ別に腐女子の話題じゃなくてもいいんだけどなぁ。まぁでもともあれ君が笑ってるからいいやくらいの感じなんですけど、そんな調子なので僕は大して興味はないんですけどそういう話を聞かされる機会が多いわけ。それも僕がなまじっかスポンジのように吸収する男だから、ふむふむへそへそと聞いちゃうわけですよ。いや、スポンジのように吸収する男っていうと語弊があるんですけど、たとえば英語とか全然わかんないしね、「と呼ぶのにちょうどいい」って英語のイディオムでなんていうかもわからないし、北海道の片田舎から出てきた俺が大阪で在学生何千人の大学に入って彼女を作って結婚してその嫁さんがどうも腐女子だったさて全国にいる腐女子は何人かみたいなフェルミ推定もわかんないし、生きてて役に立ちそうなことは全然わかんないままなんだけどね、嫁さんいわく俺はBLの話に相槌打つのは上手らしくて、だから変なところだけスポンジのように吸収できるらしいんだけどそんなこと吸収してどうすんだよみたいな汚泥専門のスポンジみたいな教室の一番後ろでひっそり、いつもトレーナーの袖が鼻水でガビガビのやつが一人で一生懸命面倒見てるアメリカザリガニの水槽の水、その手のそういう水ならガンガン吸収するよみたいなそういう魔王の忘れ形見みたいなノリのスポンジで日々嫁のBL話を楽しく聞いてる僕なんですけど、それで家帰ってきて、一日の仕事を終えてですね、僕は普段リアカーを引いてアイスクリンを売る仕事に従事してるんですけど、ランニングシャツに麦わら帽子で、麦わら帽子のツバは実は丸鋸になってていつでも戦う準備はできてるんでゾンビこないかなーゾンビこないかなー動きが素早いとやられるかもしれないからクラシックな動きの遅いゾンビこないかなー思って一日中アイスクリンのリアカーを引いてるのでみなさん町で見かけた時はどうぞよろしくお願いします、一日の仕事を終えてですね、嫁の方が帰りが早くて先に飯は済ましてるんですけど僕が飯食ってる時は一緒に食卓囲んでくれるもんですから僕が家に帰って飯なんか食ってるとたまにBLの話が始まったりするわけですよ。「私あのキャラが受けなのはダメなんだよねー」とか言うてくるわけです。それで僕はすごいスポンジですから、タガメくらいなら水分もろとも飲み込むぞ!くらいのすごく吸収するスポンジなので、その嫁があのキャラが受けはダメって感覚を理解しようと想像するんですね。そんなこと自分で想像するのは悲しくなってくるので、直接想像するんじゃなくて俺の頭の中にいるジョン・レノンに「想像してごらん」って言ってもらうんですけど、そのキャラが受けのところを想像して「あーなるほど、受けは微妙だな」って思ったりとか「いや、受けも意外とアリじゃない?」とか思ったりするわけですね。はい、ここが俺の偉いこと。ただ嫁さんの言うことにテキトーに肯定的に頷くわけじゃなくてちゃんと自分の頭で考えるんですね。これはもう、服なりカバンなり嫁のショッピングに付き合わされた時もそうだから。「もうそれでいいから早く帰ろう」みたいな態度はおくびにも出さず、こういう時に着ることを考えたらもっとこうした方がいいんじゃないか、とてもよく似合ってるけれどもこういうシチュエーションを想定した場合ちょっと使いにくいんじゃないか、常にとても真摯にコメントします。嫁が試着中に店員さんにそこらへん褒められる確率はほぼ100%、他人が旦那褒めてるのを見かけると嫁さんは大体「そうなんだ、褒められるようなことしてたんだこの人」となるのでとても嬉しいし、僕はいつも店員さんって会話つながなくちゃならなくて大変そうだな、手品とか覚えたらいいんじゃない?と思います。そんな僕なものですから、想像してみるわけですよ、そのキャラは受けにふさわしいか攻めにふさわしいか考える考える考えるこれが結構キツいんだよね、それで今日別にいいんだけど言ったんですよ、飯食ってる時に攻めと受けどっちが考えるのちょっとめんどくさいぞつって。というのもね、僕にとって「誰と誰がホモセックスするならどっちが攻めでどっちが受けか」ということを考えた時に想起する映像というのはですね、受けの方がベッドの上に全裸でほぼ地面に平行にピタっとうつ伏せで寝そべっていて、攻めがそこに覆いかぶさる格好ですよね、で、受けの方はケツのえくぼキュッて締まってんの?あ、ごめんな、悪りぃ、今、俺、他人に通じるか通じねーかわかんねー単語、勝手に使っちまったよな、そんな怖え顔すんなよ、今からちゃんと説明すっからよ、ケツのえくぼってのはさ、芸人がパンツに割り箸挟んで、ケツをさ、こう、ググーって力んで、それで割り箸折る時にできる窪み。じいちゃんが言ってたんだ、ケツのえくぼが笑ってるやつに悪いやつはいねえって。なんでだろうな、じいちゃんの話なんか他人にしたの、お前が初めてだ。月が赤けぇ。みたいなBLあるじゃねえですか、いや俺BLのこと一つも知らねえけど。たぶん月が赤けぇ方がかぶさるほうで、たぶんケツのえくぼの話聞かされた方がケツのえくぼキュッてすると思うんですけど、俺の中で「あのキャラは攻めかな、受けかな?」て言われた時に想起するのはそういう映像なのね。ケツのえくぼゆるめねえと入らねえだろとか言って、こうガッといってさ、それで攻めの方が顎をクイってやってえくぼの上体を捻らせてさ、強引に唇を奪うと思うんだよね。そういうシチュエーションの時、どっちがどっち役だったらしっくりくるかって考えるのが、俺がいつも「○○は攻めだと思うんだよね」とか嫁に言われてた時にいちいち頭の中で想像して考えてたことなんだよね。これちょっと生々しくてしんどいんだよなーいっつも、って嫁に言ったら「ごめんそういうのはちょっと」みたいなノリなわけ。えーーーーーっ!?つって、違うのそれ、っていう。俺も実際そういう本読んだことなんてほとんどないんだけどほとんどないなりに頑張って想像してたんだけど、そういうことじゃなかったのみたいな、確かにそれで言えばチョロ松が受けなのはなんかむかつくなー、攻めがしっくり来るってわけでもないけど受けの映像はちょっと想像したらすげーむかつくなーって思いながらチキン南蛮食ってた俺はどうしたらいいのみたいな、そういうのすげえあってさ、でも別に向こうからするとそんな話してたわけじゃないんだって。いわゆるアレだよね、こう、何かに大して「それエロいぞ!!」って抗議するじゃん、なんか村おこしの一環でやってる「ひからびた巨大アワビ展withジャコ」とかに「それエロくないですか!?特にジャコがやばくないですか!?」ってクレーム入れたら「何がエロいんですか?エロいと思う人がエロいんじゃないですか?ジャコ送りますけど何尾いりますか!?」みたいな、ジャコの数え方わかんないですけどそういうカウンターを喰らいかねないわけじゃないですか、俺はそれを食らったってことですよね。今まで俺は攻めだとか受けだとか馴染みのない話に頑張って対応しようとあの丸い丸いメガネを信じてさ、ピストル一発で死ぬごく普通のメガネを信じて想像してごらんの言葉に従って想像してきたわけじゃん。いやだって男の身からしたらそれが一番自然だよ、だって自分が受けだとしたらさ、面と向かってっていうのも恥ずかしいじゃん、絶対それが自然だと思うんだよね。けどほら、「この男なら抱かれてもいい」みたいな言葉があるようにこっちも相手を選びたいわけじゃん、それは逆に言えば「そういう許せる相手じゃないと絶対やだ」っていう乙女心なわけだから最後まで顔見れないのは不安じゃん。だから、ガッといった後に顎をグイっと引き寄せて確認させて欲しいよね、みたいなそういうことを俺はチキン南蛮食いながら考えてるわけ。「え、このタルタルソース買ったんじゃなくて、作ったんだ!すごい!おいしい!」とか言いながらそういうこと考えてるわけ、そんな俺を責めますか?咎めますか?だからもう俺の中では完全にそんな感じなってるから、BL城があるとするじゃん、一回なくなっちゃったんだけど復元されて今も観光名所になってるんですけどBL城。そこに置いてある記念写真用のパネル、それは間違いなくケツのエクボがキュッとしてるやつの上に攻めのやつが覆いかぶさってる絵だよ。その二人の顔のところだけ穴になってて記念写真撮れるようになってんの。しょーもないカップルがまたこれ、攻めの方から彼女が顔出して、受けの方から男が顔出すんだ。とっとと別れちまえ!馬鹿! 俺のイメージではそういう寝バックの絵は頭が右なのね、 ふつう人間は四足動物の絵を書くと頭は左に来るんだけど男同士の寝バックだと逆なの、男女の場合は頭が左でも全然自然なんだけど男同士だとあんましっくりこないんだよな、俺のなかでの話なだけでよくわからんのだけど。みたいなことを嫁に話したらね、話したんだ!?話しましたとも。オープンな我が家ですから。で、そしたら寝バックはあんま考えたことなかったというかそうも生々しくは考えてなかったからびっくりしたみたいなこと言われて、それで俺ちょっとふざけんなよみたいな感じになって、いやだって実際男同士でどうしよっかってなったら寝バックじゃない?ちょっとこれ今読んでる男性の貴方、自分がガッとやられるとして想像してみてよ?寝バックでしょ?「いや、ちょっと」じゃねえよ、想像してごらんよ。想像することを放棄するんじゃないよ、ジョン・レノンの丸メガネを外してお前に掛け直させたうえでぶん殴って丸メガネ割るぞこの野郎、で、「ソーリー」はジョン・レノンに言うぞこの野郎。メガネはジョンのものだから。最悪、福山使っていいから、なんだっけコンシェルジュが怖くなった福山がお前に泣きながら迫ってきてみたいなのでもいいから、そう考えた時絶対寝バックじゃん、それが一番ラクだと俺は思うんだけど(でも顔が見えないと不安だから顎をクイっとやってのキスはして欲しい)、嫁はでもそういうのじゃないものの方が多いとか言うのね。もうちょっとこうマイルドな、なんとなく向かい合って抱きしめあってるとか、背後からギュッと抱きしめてるとか、そういうイメージから攻めとか受けとかを想像してたとか言うのね、しかも服着てるイメージらしいのそれ。いや、そうなの!?っていう。着てたとしてもあんまり下半身蔑ろにされちゃうと、俺も一回想像で福山に抱かれた甲斐がないって話なんですよね(キスされた時に逆に恥ずかしくて目を開けたらこいつの目の下のホクロ、本当にくっきりしてるなってビックリしちゃった)。で、嫁が言うような姿勢でガッといってるってどういうことなんだって考えたらたぶん言い方としては対面座位・背面座位みたいな言い方になると思うんですけど、お前それはちょっと角度的に無理やろと思ってなんやちょっとむかついてきて。これがいわゆるヤオイ穴なのかみたいな話に俺の中でなってきて。確かにこう、上半身だけのカットを見るといい感じやと思うんですけど、お前セックス前提やったら無理あるやろと俺は思ってしまって、そこんところ俺はできるやり方で考えたもんだから福山雅治に耳元でこっち向けよって言われたわけですけど、福山雅治とか、大スターってこんなこと言われてほんま大変やな思いますけども、できない角度を演出的にアリとするってのはなんか釈然としないし、それをそういうもんやと思ってたっていうノリもあんま変だなと思ってほとんどwikipediaのコピペを課題として提出してきた学生を睨みつける教授みたいな感じになってきてたんですけど。いや、わかるよ、ヤオイ穴みたいな存在、対面座位でも背面座位でも良い角度でガッといって抱きしめあえるんでしょ、フィクションと考えれば目くじら立てるほどのものでもないのかもしれないけども、その穴どんだけでかいのって思うし、だってその両角度から入る穴ってすごいよ、星新一のゴミ捨て用のすごいでかい穴思い出して今ちょっと怖くなったもん、それじゃなければ良い感じの大きさの穴が皮膚の上を移動してるみたいな話にしかならないしそれも怖いよね。俺はこうしてヤオイ穴という言葉は知っていたものの、それのなんたるかについて初めて身を以って触れることとなった。それで俺思ったんだけど、ヤオイ穴の概念考えるより、チンコ外せるようにしたほうがよくない? つまり、ガッと入ってるは入ってる。そのうえでチンコ入ってたらできないような構図で抱き合う。これを両立するには穴の定義を考えるよりも、チンコ外しちゃえばいいと思うんですよ。深く押し込んで回せばカチッといったところで回せばチンコ外れるんすよ。そうすればどんな体位だろうと入れ放題、そのうえで抱き合い放題。その方が万事平和だし、実はチャオズが自爆する時に天津飯のチンコ入ってたとか、ポップがメガンテ唱えた時ダイのチンコ入ってたとか、キン肉マンのなかにはみんなのチンコが入ってるとか色々応用可能だと思うんですよね。僕はヤオイ穴というファンタジーの存在に触れてそんなことを考えたんですけど、なんかオチつけて終わらなきゃなと思ってここまで書いてきたことを思い返してみたところ、ケツのえくぼがものすごくキュッとなりました。以上です。