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恋愛タイプ診断心理テストやってみた結果

恋愛タイプ診断 性格診断×恋愛心理テスト 無料

なんかツイッターで恋愛うんたらの話で盛り上がっててその流れで愛にはなんか六種類くらいあって人によってそのバランスが違うんですよーみたいな話になってへーとか言ってググってたら上記のサイトにぶち当たった。ほんでよく見たらそのバランスがどうなってるかわかるテストみたいなのがあったからやった。その結果です。以下コピペです。

【ルダス】・・・快楽的恋愛タイプ(9項目):22点 普通 


【解説】:浮気・不倫・複数の人お付き合いをするなどの快楽志向。恋愛に対して多数の人との異性関係について意識・態度の傾向があるかを判定する心理尺度。別名:エッチ度数 

【高い人】:実際に、複数人と恋愛感情になったり、エッチ、SEXを楽しむ傾向があります。恋愛を「遊び」と考え、とにかく恋愛を楽しむことを大切にしています。浮気や不倫など、男女の駆け引きを楽しむことができる人です。エッチの経験が豊富で、エッチに対するテクニックも上手なようです。

【普通】 :基本的なエッチや快楽的な恋愛について、関心・興味をもっており、恋愛の駆け引きを楽しむことができます。ある程度、浮気や不倫に対する許容性も持っている人です。

【低い人】:恋愛に関して、不倫や浮気はしない人です。。一人の異性を大切にする人。恋愛には、安心感を求めており、ハラハラ・ドキドキする恋愛は苦手。ハードなSEXや恋愛テクニックには興味が持てない人。恋愛にはとても誠実な人です。今後、恋愛経験によって、変わってくる場合もあります。



【マニア】・・・熱狂的恋愛タイプ(9項目):32点 普通 


【解説】:恋愛において、独占欲求が強い。つまり、好きな人を独り占めしたい気持ちが強く束縛的な態度や、浮気などは許さない傾向があるかを判定する心理尺度。恋愛感情において、情熱的な恋愛感情を持っているかなども判定できます。

【高い人】:好きな人のことを常に意識している。独占欲求が高く、好きな人を独り占めしたい傾向が強い。嫉妬深い傾向があります。相手が他の異性と話すぐらいでも「やきもき」してしまう。恋愛に関しては情熱的であり、好きな人と離れたくないなど、いう気持ちになることが多いようです。恋愛の初期段階でおきるケースが多いようです。

【普通】 :ある程度、熱狂的な恋愛感情を持っています。時として、情熱的な恋愛もでき、嫉妬心や束縛的な感情などバランスよく対応できています。また、恋愛が安定している可能性があります。基本的な、大人の恋愛ができる人です。   

【低い人】:相手を束縛するようなことはなく、自由奔放に扱います。強烈な恋愛感情がなく、冷静に対応する。できれば、恋人から束縛されたくないと考えています。。また、恋愛に興味があまりない人である人は、低くなる場合もあります。かなり低い人は、恋愛感情にさめている可能性があります。   



【プラグマ】・・・実利的恋愛タイプ(9項目):13点 少し低い


【解説】:恋愛を「実利的」なものに直結させるタイプ。恋愛を何か目的を達成するために「道具」「手段」と考えている打算的なタイプかを判定する心理尺度 別名:やまとなでしこタイプ

【高い人】:恋愛・結婚について、相手の社会的地位、経済力、生活力、学歴等ステータスを求めます。まさしく、玉の輿を狙うタイプです。自分自身と天秤に掛けて、釣り合うかどうか考えてます。女性に多い傾向ですが、「出産」や「家庭」を築く上で安定した「生活力」を築きたい気持ちや、優秀な「遺伝子」を求める本能ともいえます。かなり高い人は、正直に、「愛情」よりも「お金」を重視します。 

【普通】 :「お金」と「恋愛」の価値観のバランスがよいです。生活に愛情を大切にしていることと同時に、経済力を求め、生活を豊かにしていこうとする気持ちがあります。現実感や経済感覚を持っており、「愛情」との調和ができる人です。  

【低い人】:相手を純粋に恋愛対象と考えています。相手を利用することは、あまり考えていません。お金よりも「愛情」を大切する。相手が貧乏であっても、社会的地位についても許容力をもっており、お金などについては不平不満はありません。ただ、現実問題、お金は必要であり、愛情だけでは、生活できない現実を知る必要もあります。愛情と金銭のバランスを考え、生活を活気に満ちたものにしていければよいです。   



【エロス】・・・美意識的恋愛タイプ (8項目):29点 普通 


【解説】:相手の外見やファッションについて関心・興味が強く、正直に「面食い」であるかを判定する心理尺度。相手の美しさ、スタイルに惚れる。自分が共感できる美的感覚を持つ人。そして、演出、美人やハンサムであることを重視するタイプ。パートナーに求める外見的理想が高い。素敵な人

【高い人】:恋愛対象となる人は、外見的に魅力的な人。かなりの「面食い」タイプ。自分と美的感覚が釣り合わない人には、共感が持てないようです。異性に人気が高く、評判の人を恋愛対象にするため、競争率が高くなり、お高く見えてしまう場合があります。かなり高い人は、徹底的に相手のスタイルにこだわっており、妥協しない可能性があり、恋愛に障害になることも。素敵な人とおつきあをしたい気持ちは、優秀な遺伝子を求める本能でもある。  

【普通】 :ある程度、パートナーに外見的な美しさを求める傾向があります。ただ、ある程度、許容があり、恋愛対象の相手がスタイル、性格など様々でも、柔軟に対応ができ、気軽におつきあいをすることができます。

【低い人】:相手の顔やスタイルをあまり重視しない心の広いタイプ。自分自身が「惚れた相手」が理想のタイプといえそうです。外見よりも「内面」を大切にするタイプ。派手な演出はあまり好みません。性格や相性が合えば、OKという人なので、恋愛のターゲットは広い。   



【ストーゲイ】・・・友情的恋愛タイプ(8項目):32点 少し高い 


【解説】:「共通」の「価値観」や「趣味」を大切にして、「友情」や「仲間意識」が強い感情をもつタイプかを判定する心理尺度。穏やかで、ほのぼのした恋愛をするかを判定する尺度

【高い人】:比較的ほのぼのとして、長くお付き合いできる可能性がある。同じグループや趣味の仲間から、恋愛に発展しやすい。異性を「友人」として気軽に対応できる能力がある。このタイプのカップルは、結婚後も息が長く続く。恋愛は、自然にお付き合いをしているような関係になる場合が多い。 

【普通】 :一般的に普通です。「恋愛感情」と「友情」のバランスが良い人です。ただし、友情から恋愛感情に移り変わったとき、変化する場合がする場合があります。長くおつきあいをしたいのであれば、今の友情的なパートナーシップを大切にしていくとよいと思います。

【低い人】:「友情」よりも「愛情」が強くなるタイプ。ほのぼのとした恋愛よりも、「ドキドキ」とした情熱的なおつきあいを求めます。同じ学校や会社での恋愛をせず、別世界に求めます。  



【アガペ】・・・愛他的恋愛タイプ(10項目):32点 普通 


【解説】:「奉仕」する愛。自己犠牲的な愛をするタイプかを判定する心理尺度。自分より相手を大切にする優しい人。相手に喜んでもらいたいと思い、好きな人のために一生懸命になれるタイプであるかを判定。


【高い人】:自分を犠牲にしても、好きな人を大切にする人。相手が喜んでくれることが楽しみで、努力を惜しまない。相手の幸せを何よりも望む。好きは人の希望は叶えることが生きがい。かなり高い人は、好きな人のためなら死すら恐れないほど。ただし、相手の都合の良いふうに扱われたり、利用されてしまうなど、いわゆる「パシリ」扱いされる場合があるので注意。 


【普通】 :ある程度、相手の幸福を望み、愛するものへの奉仕する気持ちを持っています。好きな人のために努力ができ、自分も幸せに出来る人。


【低い人】:相手よりも自分自身を大切にする。恋愛においては、「自己中心的」。自分が幸せになるために恋愛をする。役割などはきっちり分担する。   

結論から言うとまぁまぁ真人間でした。いいか、今お前の目の前に立っているのは真人間だ。俺は真人間だ。わかったか。この真人間の言ってることがちゃんとお前はわかっているのか。俺は真人間だ。いいか、俺は真人間だ。俺は真人間だ。わかったな。真人間のことがわかったか。俺は真人間だ。以上です。

魚の死骸をはめ込んだスケートリンクの話雑感

もうたぶん一段落ついて旬も過ぎてるしね、この話題に対してそこまで興味あってオピニオンあるかっていうとそんなになくて、魚をそこまでかわいそがる情緒も育ってないですから、僕はパラメーターそこには振って無くて主にすばやさ上げてたから水の上を走れるんですけど。みんながみんなすばやさを重点的に上げててね水の上を走れてさえいれば、普通にスケートリンクとかじゃなくて生きた魚が生活してる水の上を走るテーマパークとか作れたんですけどね、世の中にはすばやさより優先して情緒にパラメーターを振る人ってのも少なからずいるようでして、魚の死骸の上を滑るなんでとんでもないって意見が出まして、炎上と相成りました。

だから感覚としては本件について「こうあるべきだ!」みたいなのはあんまないんですけど、まぁ僕もやっぱとどまること知らない時間の中でいくつもの移りゆく街並みを眺めたりなんかしながら生きてるわけで、そのスピードって僕らが想像してる以上に目まぐるしいじゃないですか、だからまぁ定期的に「炎上」の話をリアルタイムに生の感覚でしといた方がいいんだろうなみたいなそういう動機でこの話題に触れるわけですけどね。

まず、毎度毎度炎上して撤収みたいな話が多くてね、「最近はなんでも中止に追い込みやがる、息苦しい」みたいなカウンター意見が昔より体感的には増えたなって思うんですけど、それはちょっと違うんじゃねえかなと僕は思ってて。めんどくせえ奴が増えたなうるせえなってのは全然同意できるんですけど、色んなものが中止になってるのはそいつらのせいなのかって話で考えると、「そいつらがいなかったら中止にはならなかった」が真だとしても「そいつらのせいで中止になった」ってのは果たして真とは限らないんじゃないかとは思うわけです。そいつらが本当に難癖つけるだけの馬鹿で、相手したって仕方ねえ連中だとするなら、中止しなきゃいいじゃん、と思うんですよね。ずるっこい例を出すとね、会田誠とかろくでなし子とか、ネット民どころか国だの法だのに怒られたって全然悪びれないじゃないですか。ずるっこい例の二人を僕が好きか嫌いかはまぁ置いとくとして、置いとくのがまたずるっこいんですけど、中止しないことって全然できるはずなんですよ、「何が悪いんだ馬鹿野郎」と思ってさえいれば。そうは思ってないからやめたんでしょ?じゃあやめて良かったんじゃない?ってのが炎上で何かが中止になった時に僕が思うことなんですよね。いやぁ、そんな会田誠とかろくでなし子みたいにはできないっすよ、こっちはアートじゃなくて商売だし、みたいなのもあるかもしれないけど、じゃあなおさら最初から黙っとけってなると思うんですよね。なんか僕のなかですごい明確にあるのが「誰にも頼まれてないのにわざわざ勝手にやる」ものって、すごい自己責任というか、そこでやらかしたら同情の余地ないぞ、ってのはあるんですよね。どこからそういう感覚を抱くかってのも勿論個人差あるのでややこしいんですけど、あのスケートリンクとかもね、頼まれてないのに勝手にやってるじゃないですか。「面白い変なスケートリンク作れ」なんて誰も頼んでないし、勝手にやって勝手に反感買ってるわけですから、そこは勝手にアートをやってる人たちと同様に見做していいと思うんですよね。なんか中止に追い込んだ方がおかしいみたいな擁護してる人もようけいますけど、本人らがケツ捲くっちゃったんだから。「ああ、この程度でケツ捲くるような思いつきだったんなら、大した信念だの意図はないんだな」って話にしかならないと思うんですよね、擁護側の意見に一定の理があったとしても、運営が中止にしちゃったんならどうも運営はそういう理を掲げたいわけでもないらしいよという話にしかならないわけです。もちろんこの「勝手にやってるだけ」のグラデーションも難しくて、ジャポニカ学習帳の昆虫表紙の話なんかは同情しちゃうんですよ僕。それは、「表紙には何か載せなくてはならないから」で、それは勝手にやってるわけじゃなくて何かはしなくちゃならない中で選んだ決断がちょっと揉めた、って構図になるので同情したいんですよ僕は。ただこれももっと大枠で見ると「頼んでないのにノート売ってる」って話になっちゃうので難しい。そこらへんのグラデーションははっきり言って僕の主観なので曖昧なんですけど。でもまー、やっぱ今回のは別に擁護する気も起きないな、怒られたらやめるんなら最初からやるなよってのはやっぱ思うし。

俺は怒ってないんだほんとに、なんならちょっと面白いんだけど、それは不謹慎が面白いってことなので駄目なんだけど「そんなことやったら怒られるに決まってるじゃん」みたいな面白さで、スケートリンクに魚の死骸を埋め込むっていうのは葬式に来てくれたお坊さんが武藤敬司そっくり(しかも声もガスガス)ってのと同じタイプの面白さで、笑っちゃいけないんだけどイヤイヤイヤみたいな性質のやつなんですよ。そういう意味で、ごめん、これは燃えるべきだし、中止で良かったと思うんんだけど、おもしれえなと思っちゃってるんで、同じ批判する立場でも本当に怒ってる人とは全然違う人種でごめんって感じなんですけどもね。

結局、この話って個人の感覚の問題だからどうあるべきが正しいかって話し合いにはどうしたってならないのね、個々人のアウトセーフのラインがグラデーションの中でとりあえず落とし所としてどうしましょっかって話だから論理で押さえつけて「これが駄目ならアレも駄目ですよね?」なんて言ったって仕方ないし、せめてそのスタンスを取るなら中止も撤回もしないって態度を取ったうえで「あれがセーフなんだからこのスケートリンクもセーフですよ、だからこのイベントは続けます」って感じじゃないと正直しんどいよ。「じゃあアレも駄目ですよね?」って交渉は「じゃあそれも駄目です」が飛んでくるかもしれないわけで、息苦しさに立ち向かうために息苦しさを増やしてどうすんだ的な。

これはもう信心の話なのか霊魂の話なのかケガレの話なのか罪悪感の話なのか全然わからないんですけど、たぶん全部を含むんですけど、もうだって公式が「供養もします」とか言い出してる時点でだいぶややこしくなってるんですよね。この「供養ってなんだ」って感覚がもうすごい面白いんですけど、「我々にとって供養とは何か」みたいな、やっぱ少なくとも供養はいることなんだってなるわけですよね。お芝居で四谷怪談とかやる時は絶対事前に墓参りするとか言うじゃないですか、それしないと祟りで事故とかが怖いからって。そのレベルのやつなんだ、ってのがもうちょっと面白いですしね、やっぱ相当なんじゃねえか5000匹の魚の死骸を氷漬けにするのって、みたいな。擁護の意見として「死んだ状態で水揚げした魚を使ってるだけで殺してない」とかあるじゃないですか、でも公式が供養を考えてる時点で「結局うしろめたいんじゃねえか」ってなっちゃうんで微妙なんですよね。ポーズで言っただけだとしても「供養します」ってのはそういうことだから。死体はかつて生を宿してたものなわけで、その感覚がないと供養って発想は出ないよなって感じで、だからむしろ供養しますって話を試しに真に受けて考えてみると運営は批判する側よりよっぽど生命を大事に思ってるかもわからんですよ。そんな生き死にとか霊魂とか考えてなくてなんとなく単に死体気持ち悪いって理由の人も少なくないでしょうし、逆にそういう人からすると「供養するんで」っていうエクスキューズは汲むに値するのかってのもわからなくて面白いんですけど。批判する側が「供養とかそういう話じゃねえ」って言い出すとそれはそれで「そういう話じゃねえんだ!?」ってなって面白い。

他にもまぁ色々な批判への批判ありまさあわな、やっぱ多いのは「もう死んでるんだからどうしたっていいだろ」みたいなやつで、ただこれは繰り返しになりますけどグラデーションの問題なんで、極端なこと言って相手の理を潰しにいこうとすると自分の理も潰されるぞと思うんですけど、もう死んでるならどうしたっていいならじゃあお前、親が死んだら「ファブリーズVS腐乱死体」で使うから親が死んだら遺体は絶対に寄越せよって思いますし、じゃあこのファブリーズと戦わせる腐乱死体を親・肉親・他人・犬・鳥・魚ので考えるとどっからのラインがセーフなんだっていうのは、もうそれはどうしたって個人の主観じゃんって思うしね。主観的に魚くらいどうしたっていいだろって言い切っちゃう感覚は、他人から同じ主観のノリで「お前という人間なんかどうでもいいんだよ」を向けられても構わない覚悟で持つべきなのかなと思うし、個人的に魚をナメきるのは構わないにしたってそれを魚をナメない人より合理的で賢いみたいな態度でいるのはどうなんだみたいなね。

食用にはなれない弾かれた死骸ってことらしいので「もったいないことは何もない」みたいな言い分もあるみたいですけど、それもなんだかなぁ。かつて生命を宿していた器にあたるそれをゴミだからどう扱っていいって感じも微妙だよなっていう、スケートリンクに無数の廃感電池が埋まってたらちょっと面白いと思うんですけど、最後のお勤め感なんかもあると思うんですけど、魚では何故あかんのかと問われるとちょっとわかんないですけどね、生命を宿す器が肉体であると仮定した時に、生命がなくなった死骸はなんなのか、死骸をどうこうすることは生命の冒涜なのか、ここらへんはちょっとこれからも考えたいところですね。それでも死骸に対してどうこう言っちゃうと価値のある死と価値のない死を分けることになるし、それは価値のある生と価値のない生を分けることにもつながる。そのことを疑問に思う人と思わない人にもまた分かれることになるだろうし、だから死体で遊ぶ是非というのはめちゃめちゃしちめんどくさいわけですよね。

眠くなってきたんで話はまとまりませんが日本語文法的にはまとめてる風に見えなくもない感じのことを言おうとしますと、まぁ結局、今回の一件で個々人が独立した物語を見出すのもそれはそれで大事ですけど、足元に普段食ってる肉塊が無残に非食料としてただ遺骸として転がってるということを想像した人がたくさんいまして、そこに物語を見出すわけで、それで怒る人がいたりまたそれに怒る人がいたりってことだと思うんですけど、そういう各々の物語がもっと溶けて欲しいなとは思いますよね。赤勝て白勝てのテンションでどっちかの感じ方が棄却されることなく、相反する肉塊への感覚をお互いに察してまたそれが合わさって別の一つの物語になればいいなと思うんですけど。一応、その一助になればみたいな感じで書き始めたはずなんですけど、この文章が果たしてそのように機能するのかは読み返してないのでわかりません。眠いので明日朝起きたら読み直します。以上です。

恋愛守破離の「守」を恋愛と呼ぶ人と、「破離」を恋愛と呼ぶ人

アパートに住んでるんですけど、隣がたぶんアラフォーくらいの中年夫婦なのかな、こいつらがふたりともなかなかにヒステリックな性格の人みたいで結構な喧嘩しよるんですよ。旦那さんも奥さんもこれがアニメだったら家全体を引きで撮って家が揺れる演出入るだろくらいの声量で揉めよるんですね。内容はそんなはっきりわからんけど、二人が交互に喋るテンポとテンションの上がってくペースだけ聞いててももう教科書どおりの売り言葉に買い言葉だなって感じで、日々うるせえなと思ってるんですけど。一回すげえ笑ったのが、俺その時はベランダに出て洗濯物干してたから喋ってる内容がはっきり聞こえたんですけどね、いつものようにフリースタイルダンジョンばりに交互に旦那さんがわめいて奥さんが喚いてってやってるんですけど、「交互に」の形容にフリースタイルダンジョンばりも何もないだろって話なんですけど、奥さんの方がね、「あんた、あたしのこと幸せにしてくれるって言うたやないの!!」って叫んだんですよ。そしたら旦那さんがね「言うてへんわそんなもん!!」って怒鳴り返して。僕は、いや、それは言うたんちゃうかなと思って。言うてるところ僕が見たわけじゃないですけどね、奥さんがそう言うってことは恐らくだけど旦那さんあんたたぶん言うたか言うてないかでいうとたぶん「幸せにしてやるよ」みたいなこと言ったんだよきっと。たぶん言ってるから「そんな昔の約束は無効じゃ!」とかならわかるけど「言うてへんわ!」は違うんじゃねえかなと思って俺なんかすげえ笑ったんですけど。

さて、この「幸せにしてやるよ」というセリフから、隣の夫婦が恋愛結婚かお見合い結婚かを判断することはできるでしょうか? 俺はたぶんできないんじゃないかなと思います。人によっては「そんな甘い言葉を言ったってことは恋愛結婚なんじゃないの?」と思うかもしれませんが別にそうとも限りません。旧来的なお見合い結婚というのは大抵の場合「男が女を幸せにしてやるもん」という価値観の上に成り立っていたわけですから、別にお見合い結婚だって男の側が女に対してまたは女側の親族に対してそういうことを言うのは全然自然なわけですから、やっぱりそんなセリフを言ったからと言って恋愛結婚かお見合い結婚かを断定することなんざできないわけです(そもそも旦那さんは言ってないと主張している)。

それで、「恋愛はめんどくさいので恋愛は経ないで結婚したい」みたいな主張が最近見かけられますねって話がなんか話題になってまして、色々見物してたんですけど、いまいちよくわかんねーなーって俺は思っちゃってて。俺はすげえ普通に「え、でもどっちみちお互いのことを知り合って理解するのは結婚した後でもしなくちゃならないんだから、じゃあ前哨戦がてらに恋愛やっておいた方が効率よくない?」って思うんですけど、たぶんこれに対して飛んでくる反論は「理解し合うのは恋愛じゃなくてもできる」とかだと思うんですね。で、そこで僕は僕がイメージしている「恋愛」って言葉と、恋愛をめんどくさがって何なら恋愛を憎んですらいるような人たちのイメージしている「恋愛」って言葉に、すごい乖離があるんだろうなってことに気づくわけです。たぶん向こうの言うそっちの「恋愛」ならね、僕だってしたことないですよ。なんかわかんねえけど、相手の女性の誕生日の夜18時に待ち合わせして、待ち合わせ場所に男が車で迎えに行って、そのまま女を助手席なんかに乗せちゃってカーステレオで流行りのJ-POP流して、曲がるたんびにウインカー上げながらホテルに行って、コースのディナーなんか食べちゃってそのまま宿泊して夜景見ながらセックスするみたいなやつでしょ?そんなんは俺だってやったことないですよ。今、揶揄っぽい言い回しでやってましたけど一部ちょっと全然皮肉言うところじゃないの混ざってましたけどね。タクシーじゃねえんだから助手席に乗せるのはいいし、曲がるたびにウインカー上げるのも普通だろ。むしろ上げなきゃダメなんだよ。まぁこんなのは言い過ぎにしてもね、なんか「恋愛めんどくさい」って言ってる人の中には妙に凝り固まったすごく狭い意味合いでの「恋愛」があってそれを忌避したいばっかりに全部をめんどくさがってるように僕には見えて。まぁわかるけどね、酢豚にパイナップルが入っててパイナップルだけ避けて食える人もいれば、パイナップルの味が他の具材にも移っちゃっててダメなんだつって酢豚自体に手をつけない人もいるし、だから「恋愛めんどくせえ」って言う人の感じは別にわかるんだけどね。それでもやっぱ僕も分類でいうと明らかに恋愛結婚なわけだからさ、恋愛結婚なんですけど、恋愛めんどくさい派の人に「よくパイナップルなんか好き好んで食うね」みたいに言われるとイラッとするわけですよ。いや、俺がいつパイナップル好きって言ったかね? 俺はパイナップル避けて食いたいところだけ食っただけだっつーのみたいなんは思いますけどね。

いわゆる社会とかが同調圧力的に押し付けてくる、恋愛できて一人前っていう空気だとか、恋愛とはこういうもののことを言うんだみたいな固定観念とか、なんかそういうの全部ひっくるめた曇天みたいに空を覆い尽くす「恋愛」と呼ばれている何かが鬱陶しいって話は全然よくわかる。そういうのがかったりい感覚、従わなくてはならないのではないかという感覚は僕の中にもすごくたくさんあったし(今でも多少あるだろうし)それには随分苦しめられたというのも事実だ。無意識に内面化されていてしんどいみたいな部分はもちろんあったけれども、それでもごめんなさいね僕の場合は、人は人、オイラは俺様、犬は犬って感覚がけっこう強い人間だったから、みんなそうすればいいと思ってるし、お前もそう思うよな、犬!!

犬「わん!!!!!!」

よ~しよしよしわしゃわしゃわしゃわしゃ!!!!

だから、まぁ、いわゆるなんかめんどくさいと言われてる世間一般の「恋愛」を僕が経たとは全く思わないけど、人に説明するなら一応は「恋愛結婚です」と言うことになるのだろう。いや、間違いなくそうだろう。しかし、そういう俺がやったやつまで恋愛と呼んでいいのなら、実際に恋愛結婚している人たちの大半ってそんな感じじゃねえのとも思ってしまう。そりゃあなんだか押し付けられているような気がするいわゆる「恋愛」というフォーマットを一応の参考にはしてるんだろうけど、みんなそれをそのまんまやってるわけないじゃねえかと思っていて、大なり小なりそのロールモデルを実践して使い勝手が悪いところは修正してやがてお互いにとって心地が良いオンリーワンな関係性とか距離感を探っていくみたいな守破離を経て、それぞれのカップルなりのパートナーシップを構築していってるんだろうと思うわけなんですけど。実際に恋愛結婚をした人たちが言う「恋愛ってなんだかんだいいもんだよ」って言ってる時の恋愛ってたぶんどっちかっていうと後半の「破離」を指して「恋愛」と呼んでると思うんですよね。で、ここでの「守」にあたる「恋愛」ってやつは事実として人によっちゃけったくそ悪りぃものであるというのは間違いないわけで、そこにうまく馴染めなくて「なんでこんなことしなくちゃなんねえんだめんどくせえ」って思う人がいるのは全然普通のことだと思う。ただそれで恋愛なんかよくやるねって言われると、その人は「守」の部分を指して「恋愛」と呼んでるんろうけど、こっちとしてはそこはどうでもよくてその後の「破離」が面白いって話なんだけどな、みたいな、そういう乖離がそこにはあるんだろうなーと思ったわけです。

さて、いわゆる臭っせえ「恋愛」がやりたくない、という言い分はわかったんですけど、じゃあ僕がそこで「恋愛はめんどくさいので恋愛は経ないで結婚したい」と言う人たちに一つ確認しときたいのは、「守」の部分の恋愛は、そうだね、無理にする必要はないと思う。ただ、それを恋愛と呼ぶ必要はないにしてもパートナーを得て共に生きていくっていうことは「破離」の部分の努力はどうしたってしなくちゃならないわけだけど、お前らそこのところもめんどくせえと思ってないか?って部分です。そこもサボるつもりでいるのなら、それが恋愛結婚であろうと契約結婚だろうとどうせうまくいかねえぞってのをすげえ思うんですよね。「守」の部分は「恋愛」じゃなくてもいいんですよ、それこそ契約結婚なら「契約によってルールを定義する」というロールモデルを「守」とするわけですけど、そこからの「破離」はどのみち頑張らなきゃダメだからね、もしかしたら恋愛だからこそ守破離が必要になってるわけで、契約結婚はそもそも「守破離」が不要で「守」の部分だけきっちり互いに尊重し合うことができればうまくやれるんだって考えなのかもしれないけどそういう主張だとしてもそれはそれで結構怪しいもんで「会社員として業務をこなせてるんだからフリーランスでもできるだろ」と簡単に言う人が、フリーランスは受注した業務だけでなくて営業や経理や雑務やなんやらを一人で全部こなさなくてはならず且つ誰の監視の目もない中で自身の生活を律して計画的に行動する自制心が必要であることを忘れているのに似てる気がする。フリーランスをバリバリにできる人がいるように本当に契約だけを大事にして契約結婚できる人もいるのだろうが、フリーランスより会社員の方が向いている人間も多くいるように、たとえ契約結婚であろうともお互いの信頼関係を維持するための細やかで情緒的で属人的なコミュニケーションを必要とする人は少なくないだろう。それはそのままの意味で恋愛ではなくとも極めて恋愛的なしちめんどくさいものであると思うのだけど、そこをめんどくさがらない心の準備はあるのだろうか、というのがすげえ疑問なのだったんだ。

だから、なんでしょうね、まぁ「恋愛できなきゃダメだ」みたいなマウントを取りたいわけでもなくて、みんな好きにすればって思うし、むしろ既存の恋愛結婚とは全然一線を画す面白い結婚があるならそれは俺も見てみたいから頑張ってくれって感じなんだけど、とりあえず「恋愛」と呼んでみたそれから逃げ果せたとしても誰かとパートナーシップを結ぼうとする限りそれはセックスがあろうとなかろうときっとめんどくせえぞ、だって人間は人間で私は私であなたはあなたで、私はあなたじゃなくてあなたは私じゃねえことには間違いねえんだから、それの名前が恋愛だろうと契約だろうとどうしたってめんどくせえに決まってるけど、めんどくさい恋愛から逃げたい人たちは他のめんどくささには耐えられるの?ってことは考えたうえでやらねえとうまくいかなさそうだから、書いた。

あと余談なんだけど、契約結婚うんたらの話題の盛り上がりにがっつり一役買ってる『逃げ恥』だけどあれも要するに「守」としての恋愛に苦手意識を持っている二人の男女が、「雇用関係」というもっと自分たちの性格に合った別のロールモデルを「守」に設定して関係をスタートさせて、「破離」の部分の恋愛を頑張ってるっていう構図なんだよね。7話のひらまささんがセックスを拒否してこじれる感じっていうのも、みくりちゃんが二人の「守」である雇用関係のロールモデルから逸脱してかつて多少は馴染みがあった「恋愛」のロールモデルを引用してしまったことが原因なわけで、あの話って「契約結婚とか言って結局恋愛してるんじゃねえかよ」ってがっかりする人もいるとは思うんですけど、社会的な要請としての「恋愛」という呪縛から解放された二人がやっとちゃんと恋できてるって話だと思うので、やっぱそれは素晴らしい話だなと思うし、もし最終回の二人が普通にラブラブのカップルになってたとしてもそれはやはり臭っせえ「恋愛」を出発点にしなかったからこそ辿り着けた二人の関係なわけで、そういう最終回だったとしてもそれは「やっぱ恋愛最高!!」ってメッセージとして受け取るものではないんじゃないかなって気がする。以上です。