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俺はたぶん彼女に「渋谷なんか行くな」って普通に言うけど

殴られた際に殴り返す権利だとか罪には相応のペナルティが発生する仕組みだとかはそりゃあ絶対なきゃ駄目なのは当たり前なんですけど、僕がいつも思ってるのは、そういうの勿論必須なうえで別にこっちは殴りたいわけじゃあないんですよ。ただ只管に殴られたくないっていうそれだけなんですよ。殴られたら殴り返さなきゃいくらなんでも割りに合わんなとは思いますけど、殴り返せたからトントンだよね、いってこいだよねとはならんわけで、最初から殴られないのが理想的な状態だなと僕は思うんですよね。

【W杯】痴漢に遭うのは渋谷に行く女が悪い【自業自得】 - Togetterまとめ

ワールドカップの狂騒のドサクサに紛れて痴漢する馬鹿がいるって話題なんですけれども、「そんなところに行く女が悪い」はどう考えても間違ってるんですけど「渋谷に行かないで家で観戦してりゃあ痴漢に合う確率はグッと下がる」は間違ってないじゃないですか。もちろん「渋谷に行くと痴漢に合う確率が上がる」という状況がそもそもよろしくないわけですけど、現状どうもそんな感じらしいじゃないですか。

既に現在痴漢被害にあった女性に責任があるなんて言うのは絶対に間違ってるとは思うんですけど、未来は? 未来はどうなの? これから渋谷に行く人たちに「渋谷なんか行くもんじゃない」って言うのはあかんことなの? 「渋谷に行くと痴漢に合う確率が上がるなんて現状は異常だ、これは痴漢をする男が悪い、だから渋谷に行くと痴漢に合う確率が上がろうとも女性は悪くないのだから今後も女性はどんどん渋谷に行くべきだ」ってなるとそれはそれでなんか変な話じゃないですか? そもそもこっちは悪くないのに向こうから否応ナシにやってくるのが暴力だっていうのは別に今に始まった話じゃなくて、それに対して「悪くない人が殴られた際に全力で殴り返す準備は整っている、だから万が一殴られても大丈夫だ」というアンサーしか提示されないのって微妙じゃないですかね。

色んな「悪」が話題になるにつけてその悪を憎んで怒って、ついでにその「悪」を擁護するやつもぶっ叩いて、みんな満足してるわけですけど、それ自体は別に悪いことでも何でもない自然なことですけど、それじゃあ今後また殴る馬鹿が出てきて誰かが殴られる確率が全然下がってないよなぁってことをいっつも思うんですよね。いや、このやり方だけで殴られる確率がガクンと下がるイベントが発生することもたぶん無くは無いですよ、でもそれたぶん社会的になんかこの殴られるパターンいい加減なんとかせなあかんな、ってなった時だけですよ。このイベントの発生確率を少しでも上げるために被害が発生した場合は声を発し続けるべきはべきです、それは間違いない。けど一方で、このイベントは被害の規模がある程度大きく分かりやすくならないことには発生しにくいという性質も持ってるわけです。なので単純に被害者が増えるのイヤだなぁ、少なくとも俺や俺の周りの人が被害者になる確率は可能な限り下げたいなぁと思う僕なので、「よし、馬鹿はやっつけたから今日は解散、また馬鹿が湧いたら集合な」ってノリに違和感を覚えるんですよ。えーっ、解散!?つって。馬鹿の存在が確認される時は被害者もセットで発生する時なわけですけど、そのうえで次の馬鹿が湧くまで一時解散で各自自由行動なの!?みたいなね。じゃあ僕は自由に、被害者になって欲しくない僕の大事な人くらいには「渋谷なんか行くな」ってことは勝手に言いますよって話なんですけど。

「悪いのは痴漢であって、痴漢なんかのためにスポーツ観戦をエンジョイするという当たり前のことが出来なくなるなんておかしい」、これは別にその通りの話で、「だから今後も堂々と渋谷に行ってよい、何かあっても貴女は悪くないのだから」って言うのも正論っちゃ正論なんですけどなーんかそこはかとなく「骨は拾ってやる」的なニュアンスが漂ってやしないですか。スポーツをエンジョイする自由を勝ち取るためにも痴漢なんかに負けるな、たとい犠牲を払ってでもいつかきっと誰でも何の不安もなく参加できる渋谷のお祭り騒ぎを実現してやるんだ、みたいな。そういうノリに対して「ちょっと俺はごめんやけどあの渋谷のお祭りの礎として骨になるのはちょっとパスだわ」って言うのくらいは別にいいでしょ。以上です。