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20150402

先日エントリにも書いた月9『デート』を観終わって二人で話していたのだけれども嫁は割りにスピリチュアルなところがあって、「運命の相手」なんてものも案外マジメに信じているようだ。それに対して僕はそういうものまるで信じていなくて、特にそのなんだ人生の伴侶とかそういう範疇の話で言えばかなり極端にやってやれないこともないと思っていて10人中9人とは生涯を共にしようとしてできないこともないだろうと本気で思っている。まぁ、僕の方がそう思っているだけで向こうの都合は10人いれば10人にそれぞれ都度都度聞いていくほかないので「僕は惚れっぽくて愛想を尽かされるまではなかなか愛想を尽かしませんよ」ってだけの話とも言えるのだけど、まぁそんな風に考えて憚らないので彼女はやっぱり良い気がしないようだ。私じゃなくても良かったのねみたいな口を利かれるわけだ。そうだね、きっと君じゃなくてもよかったのだろうけど。お母さんの股からオギャーっと出てきたその瞬間、僕は世界中の誰とだって愛し合える可能性を孕んでいた。しかしやがて君と出会い、君と一緒にいるために僕はそういう形の僕になった。人は誰もどう控えめに言ったって10人中9人とはうまくやれるほどの可能性を秘めているというのに、誰かと出会い、恋をして、その人をもっと愛するためにその人を愛するための形を探して自分の可能性を狭めていって、すっかりあなた以外考えられない僕になる。「運命の相手」なんかより僕はそっちの方がよっぽどロマンチックだと思うんだけど。話してみてもリアクションはあまり芳しくない。

最近、なんだか誰かと誰かが一緒になるだとかなんだとかの話が多くて、みんなそれぞれにピッタリ愛し合う形が見つかるといいね、と思っている。以上です。

『グレート・ギャッツビー』感想文

読みましたー。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

特に2015年に生きる29歳の僕からして目新しいことというのは何一つなかったのだけれど、どのように書かれるのかこそが問題であるように思われた。歯を食いしばっていては歯を食いしばったままで言えることしか言えない。僕の営みも誰の営みも、すべては極めて個人的な営みに過ぎず、もちろんそれらが相互に作用して僕と貴方の、僕と世界の関係が形作られていくそんな決まりきった当たり前の真理にどのような態度で相対したいのか。この本が示す問題はそこらへんであるように思われた。言葉は、振る舞いは、僕の確かな個人的な意思によって世界へ投げ出されるけれどそれがどのような結果を引き起こすのかはどうにもわからない。僕は僕の望む結果を手に入れるために、例えば「愛してる」ということを僕だけではなく貴方にとっても自明なことにしようと、最善を尽くさんと躍起になる。僕は僕のために最善を尽くさなくてはならない、躍起にならなくてはならない、他ならぬ僕のために、貴方がどうあれ僕が続いていく以上、どうしたって僕は僕のためにどのみち頑張らなくっちゃ仕方ない。そこんとこ僕は必死だ。けれどそういう態度って、ある意味ではやっぱり捨て鉢なんじゃないだろうか。歯を食いしばっていては歯を食いしばったままで言えることしか言えない。そういう態度は、いつ殴られてもいいように歯を食いしばっているのとそうは変わらないんじゃないだろうか。人はこの物語をどのように読むのか僕は知らない。僕が感じたのはギャッツビーへの後ろめたさだった。僕はいつからか殴られない工夫を身につけるのに熱心だった。殴られてもへこたれない気概を身につけるのに熱心だった。それらは生きるのに必要なことだったろうと思うので特にそれで損をした失敗をした回り道をしたとも思わないのだけれど、最初からそのつもりで予定通りに身につけたわけでは決してなかった。最初の予定では、もっと、もっと違う何かを探して、そうして駆けずり回る予定でいたのだけれど。もちろん僕にはまだ随分時間が残されているし、知恵だって昔よりかはあるし、話せる見知った顔だってわずかながらあるわけだから、今後またゆっくりと時間をかけてそいつを探し回るつもりではいるのだけれど、だからこそ、何だかギャッツビーに申し訳が立たないようなそういう気分になってしまうのだ。歯を食いしばっていては歯を食いしばったままで言えることしか言えない。それだけじゃあどうにも足りないらしいことを知った僕は、これから、歯を食いしばって痛みに備えることをやめてそうしなくっちゃ言えないことをもう一度確認しながら探し物を続けていく。けれどそうして、食いしばった歯を緩めようとする時は、笑えるくらいに臆病にキョロキョロと周りを眺めて目の前に立つ誰かの瞳に映る自分の顔をじっくりと覗きこんでから、やっとこ口を開くのだろう。そしてまたその時も、なんだかギャッツビーに申し訳ないような気持ちになるのだろう。

全然違うっちゃ全然違うんだけど、ザ・ハイロウズの『不死身のエレキマン』って曲を思い出したりなどした。「子供の頃から憧れてたものになれなかったんなら大人のフリすんな」とは言われたものの、だからって子供じみた大人をやっていたんじゃみっともない、大人のフリだけはしないように大人をやっていくしかないんだけれども、それだけのことがなかなかどうして難しい。相手に大人のフリをされては一巻の終わりだ。ましてや子供じみた大人の前で大人のフリをやめるだなんてもっての他だ。なんてことを考えているとギャッツビーの微笑みがまたも思い出される。それは勿論まったく僕の想像上の微笑みなのだけれど。以上です。

ズイショさんと友達になれそうな貴方はきっと僕の友達になれるでしょう

なんかやってる!混ぜろ!愛を取り戻せ!(クリスタルキング関係ないやろ)

上記は、なんか何人かが集まって「インターネットとリアルの境界線」ってお題で書いてるんですって。俺はな、そういうお題はな、全部俺のものでもあるって発想でいくから。昔、子どもの頃、川で溺れて、オカッパみたいな髪型の大柄な男に助けられてな、そいつが言ってたんだ「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」って言ってたんだ。俺を川岸まで引き上げてそれだけ一つポツリと言い残すと、そいつは前髪がシュッとした短パンの男を引き連れて去って行った。その時俺は決めたんだ、あいつみたいに生きてやるってな。この段階ではまだそいつが和田アキ子だった可能性が全然残っていて、パッと聞いた感じスネ夫に思われた短パンの男が実は勝俣州和である可能性を全然排除しきれてない。そういうイキサツがありますので、何か面白そうなお題だったので僕も勝手に考えます。

つってもネットとリアルの境界線ね、あんまよくわからんのですよね。このブログは、というかtwitterの方の話になってくるのかな、このブログが更新されるたびにtwitterでアナウンスはするようになってるから、このブログはってことでいいと思うんだけど、twitterアカウントは結構リアルの色んな人にフォローされてたりあいつのアカウントだと認識されていたりする。それは古い友人だったり最近の友人だったり会社の同僚だったり会社の元同僚だったり、あと嫁も知ってるし、妹も知ってる。親父が節分に「鬼来るぞ!」ってキレてたって話を書いた時は、妹経由で親父までリーチして「そんなキレてない、話を盛りすぎ」というクレームの電話までありました。いや、めちゃめちゃキレてたって。まぁそんなこともたまにはあるけどじゃあ日頃そのうち実際のところ誰がどれくらい読んでるかっていうのはもう全然知らん、読めよとも思わないし読むなとも思わないし、まぁ好きにしてくれって感じ。たまに顔を会わせた時に向こうが思いのほか熱心にブログを読んでてこっちは最近の向こうの調子を全然知らないけど向こうは俺の最近のトピックをめちゃくちゃ把握してるみたいな非対称性がたまに出現するけど、記憶喪失の俺vs俺を追う謎の組織くらいの情報格差にビビるけど、まぁそういう近況報告的な機能があればそれはそれでいいんじゃねえのと思うけど別にそれが俺がブログに何か書いてるメインの動機じゃないから、まぁ本当に好きに読むなり読まないなりしてください。それでもじゃあ誰彼かまわずリアルの人に教えて差し支えないかっていうと流石にそこまででもなくて、すごいザックリの教えたくないタイプの定義として「こいつがそういうブログ書いてるんだという情報には関心を示すけど、何を書いてるかには関心を示さないやつ」、こういうタイプにはめんどくせえんで教えたくないですね。ほら、よくいるじゃないですか、例えば僕が休憩室で本なんか読んでたりするとニヤニヤしながら声をかけてきて「何読んでんの?」って訊ねてくる奴いるじゃないですか、お前それほんまに興味あるんかっていう。そこで俺が「はらぺこあおむしです」って言ったところで、「へえ、おもしろいん?」くらいしか言えへんのやったら聞くなよ。で、そういう奴に限って全然関係ない意味わからんタイミングで「確かはらぺこあおむし好きなんだよね」とか言ってくるでしょ、何なのお前のその解像度、そういう俺についての情報を一つゲットしたことで親密度上がったとでも思ってんのか世の中ときめきメモリアルじゃねえんだよバカヤローとなりますので、そういうタイプの人間からするとブログをやってるだなんて意外な一面を教えてくれるとは親密度めちゃめちゃ上がってるんじゃないのと誤解されかねないので休みの日に水族館デートに誘われかねませんので、そういう奴にはあまり教えたくありませんね。そういう副次的なダルさがあってそれに見合うほどのメリットがないなじゃあ教えたくないなということで、知られて支障があるってほどでもないですけど、人の悪口も意外とこの程度の一般論レベルでしか書きませんしね。あとは、はらぺこあおむしとかあんなもん僕にはさっぱり面白くないから読みませんよとか、せいぜいそんなもんです。読むかよ。

さてさて、そういうわけでズイショさんのベクトルは別にリアルには向いちゃいません、ほぼほぼ大部分は顔も知らぬ貴方、貴方、貴方の方を向いております。じゃあそこでズイショさんは何を目的に、何を言っているのかという話になるんですけど、たぶんズイショさんというキャラクターは僕という人間のスターターキットみたいなもんだと思うんですよね。ワールドワイドウェブを通じて万人の目に触れるところに出現するズイショさんは、ある意味で、こう見えて意外と、個人的で感傷的な部分というのは割りとひた隠しにしていて余所行きの蝶ネクタイをつけているようなところがあります。無理はしていませんが、ありのままでは決してない。インターネットにはインターネットだからこそ素直に本音をぶちまけられるみたいな方もいるようですが、僕に限った話で言えばきっとリアルで顔を会わせた時の方がよっぽど生々しい本音を吐き出す可能性が高いです。あと駄々を捏ねたりとか、猫語を使ったりとか、驚かせようとどこかに隠れたりだとか、そういうしょーもないことをおっ始める可能性なんかもズイショさんよりリアルの僕の方が高いですよね。もちろんリアルで顔を会わせた時に僕が貴方が互いに何を話しどこまで話すのかどこまでそんな稚気に溢れた遊びができるかなんてことは、僕と貴方が形作った関係性が勝手に決定していくことなんですが、しかしそこでどんな言葉が飛び出すにしたって、それは恐らくズイショさんが言いそうなことの延長線にしかないのだろうなと思います。そういう意味で、ズイショさんという奴は僕と貴方が関係性を作る一番最初の取っ掛かりの、原型の、スターターキットなわけです。ズイショさんというインターネット人格自体はしょせんインターネット人格に過ぎないので何者でもありません、ズイショさんの書いてる何かを見て何かを思うのは勝手にしてくれて構いませんが、僕は厳密にはズイショさんじゃありませんのであんまり何かを期待されては困ります、もし僕と貴方が出会うのならその時は二人でゼロから顔を突き合わせて二人の関係性というものを構築していかねばならないのです。最初は大変かもしれないけど、一緒に頑張っていこうな! それでもまぁ、関係性に揉まれてみた結果どんな僕が貴方の前に出現したところで、それはズイショさんの面影を幾ばくかは残した僕だと思うので、ズイショさんとうまくやれそうだなと思った貴方ならばきっと僕ともうまくやれるのではないでしょうか。少なくとも僕は、そういう範疇に収まるようなズイショさんにしておかねばなと心がけておりますし、インターネット上で言葉を酌み交わす誰かかれかもそういうもんなんだろうと思っておりますし、ましてや実際にお会いする時なぞはそういう風に相手のインターネット上のキャラをスターターキットとして今からゼロから作るんだというつもりで臨んでおります。引き続き皆様、いざという機会があれば是非とも酒でも酌み交わしましょうぞ。

なんか最初書き始めた時もっと愛で空が落ちてくるとか指先ひとつでダウンさとか言う予定だったんだけど忘れちゃってたな。まぁいいや。以上です。