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女性が一人称に「俺」とか「僕」を使うと咎められるのは、全ての女性は全ての男性の恋愛対象にならなくてはならないから。

読みました。

で、この書いてる人の「なんでだめなの?」に対する回答は、きっと掲題がすべてだろう、という文章です。つまり、中指が何本あっても足りないぜ、という本題です。

ここでアンビバレンツなことを言い出しますけど、僕も普通の女性が超好きな男性ですけど、一人称が「僕」とか「俺」の女性ってのはそりゃあちょっと敬遠しますよ。よくわからんけど「めんどくさそう」って思いますよね。それはだって、僕にとっての「普通」とは違うんですから。僕の「普通」古いですよ~~~~~!!!!

男は重い荷物を持ってやるべきだ。女は弱いので、男が守ってやるべきだ。そっから間違えて飛躍すると女は男の言うことを聞くべきだ。当然そうなってきます。それが僕が植え付けられた「普通」です。当然、これらの植え付けられた「普通」が全くふつうじゃないことくらいわかっているわけですけど、僕だってそういう価値観をどうしたって32歳おっさんは、幼少期に押し付けられてるわけです。

そんな僕が、自分のことを「僕」とか「俺」とか呼ぶ女性を目の前にした時に、身構えないわけがありません。「あ、この人は、僕の旧いジェンダー観を良くは思っていない人かもしれない」と僕は素直に思います。「この人は、そういう束縛的なジェンダー観とは相容れない人なのかもしれない」と僕は素直に思います。その延長にあるのは「ということはつまり、僕はこの人とパートナーとしてお付き合いすることは、ハードルが高いかもしれない」ということです。

ここまで思うのは別に僕、セーフでしょう。

俺がどういう人とお付き合いしたいかを僕の価値観で決めるのは、そんなもん全然セーフでしょう。

これを聞いて、幻滅する人もいるかもわかりません。

「ああ、ズイショさん、一人称で付き合う相手を選ぶんだ」って思われるかもしれません。でも、そんなん僕が気にする必要ないでしょう。なんで、僕が付き合う相手はこんな人がいいなぁ、というのに文句を言われなくちゃならないんですか。初手でキムチラーメンを食べる自由があるはずです。僕は、初めて行ったラーメン屋で鉄板でもない変化球のキムチラーメンを食べる人間にドン引きします。ドン引きしますけど、そのキムチラーメンを頼む人を社会的に排除する権利はありません。それと同じですよ。

僕は、一人称を「僕」とか「俺」とか使う女性に身構えますよ。そんなもんだって、俺の勝手でしょ!!もちろん、そんな一人称を使ってなお、どうしようもなく魅力的でウマがあったら、付き合いたいかもわかりません。すごい花束を渡したいかもしれないし、結婚するかもわかりません。一緒に子供を育てるかもわかりません。ただ、第一印象、「こいつとパートナーとしてやっていくのはめんどくさい感じがするなぁ」と思うのは、別に俺の勝手でしょう。そこまでは俺の勝手でしょう。

そのうえで、そのうえでですよ。「それはやめろ」って女に対して一人称を指定してくる人間ってのが、どうも世の中にはいるらしいんですよね。

なんでそんなバカが世の中に存在するんだ、ってのが掲題なんですよね。

 

女性が一人称に「俺」とか「僕」を使うと咎められるのは、全ての女性は全ての男性の恋愛対象にならなくてはならないから。

 

結局ここに尽きると思うんですよ。

 

僕もそうです!!

「俺」とか「僕」とか自分のことを呼ぶ女と付き合ったりするのめんどくさそうだなと思って敬遠はします。ただし、「ごめん今言ったのなしで」ってめっちゃ好きになる可能性もあります。一人称の呼称は重要な問題でもあり、些細な問題でもあります。しかし、第一印象、「あ、こいつは恋愛対象としてはナシだな」って判断になることは全然ありえますし、それはもう僕が向こうの恋愛対象にならないってことと全く同じ話ですよね。なんでだよ~~~~~!!!わりと人の話とかも聞くのに~~~~~~~!!!!惚れられたいんだよ、俺は~~~~~~~!!!!

すでにボロクソ言うてる風ですけど、別に僕は、件の記事を書いた佐々木かえでさん、という人を排除したいわけではないんです。

ここまでさんざ書いた通り、僕が、佐々木かえでさんの「僕」とか「俺」とかいう一人称を使っているのを見たところで、僕がおもうのはせいぜい「恋人にするとめんどくさそうだな、そりが合わないかもな」くらいで、そんなことはとても些細なことなのです。だって、僕は佐々木かえでさんと恋人以外の関係性をいくらでも作れるわけじゃないですか。例えば、ブロガー仲間とか。馬鹿友とか。なんか、そういうのなんぼでもあるじゃないですか。そういう関係性で一人称が「僕」とか「俺」とかって人がいても、別に「俺にとって変だけど、いろいろな人がいるんだなぁ」で終わりですよ。

これができないのが世の中おかしいよねって話だと僕は思うんですよね。

女性が一人称に「俺」とか「僕」を使うと咎められるのは、全ての女性は全ての男性の恋愛対象にならなくてはならないから。

ここで、変な一人称を使う女性に「改めろ」」って文句を言う人は、結局、女はすべて恋愛対象になってないと納得がいかない人なんやと想いますよ。馴染みのない一人称を使う人、それは僕にとってもなにかしら違和感はありますが、別に俺がその人と付き合うわけでもなし、他人事だから知らないですよ。

すべての女を、あわよくば恋愛対象におきたい人間、そういう奴らが「俺」とか「僕」はやめろと言うんです、なぜならば、そうしてくれないと、恋愛対象におけないからです。

クソですね。本当にクソだと想います。誰しもが自由に生きろと思いますし、誰も縛られるなと思いますし、そういう感じで、僕はハラワタが煮えくり返っているのです。

以上です。

歯のないおっさん、日雇いの棚卸しバイト、10年の月日

仕事の出先の町で昼飯を食おうとそば屋に入った。カウンターで値段相応の安っぽいほとんど衣で海老はオマケみたいな天そばを口の中にかきこんでいると隣の席に前歯のない小柄なおっさんがどかっと座って、かけそばとカレーライスを頼んだ。一目見て思い出した。俺はこのおっさんを知っている。そうともこの町は、かつて俺が日雇いの棚卸しのバイトをしていた、その事務所が立つ町だった。

棚卸し代行、店舗の閉店と共に店に入り翌日の営業時間までに売場とバックヤードとにあるすべての商品の個数を数え切る、そんな途方も無い作業をクライアントに代わってやってのける、そんな仕事だ。企業がわざわざ棚卸しをしたい時期というのはゴールデンウィークがどこも混むのと同じ理屈である一定期間に集中するので閑散期と繁忙期が極端に分かれる。だいたいは夏と冬だ。

繁忙期はまさに猫の手を借りたいので人海戦術で日雇いの条件で労働者を雇いまくる。「ものを数える」なんてのは小学校を出てりゃ誰でもできる。だから、人は問わない。とにかく応募してきた奴はほぼほぼ全員雇う。本当に使い物にならないやつはシフトに入れなきゃいいだけだ。だから色々な人間がどかっとその事務所に集結する。

自分がシフトで割り当てられた今日棚卸しにかかる店の閉店時間にも寄るが、日雇いの連中は19時とか21時とか22時30分とかに事務所にやってきてはユニフォームに着替え、ハイエースに詰め込まれ、現場に向かう。蛍の光が流れる店内に入店するところから彼らの仕事は始まる。チーム単位で担当するエリアを分担して、とにかく客がいなくなったら端から端まで片っ端に陳列されている商品の数を数え始める。空調は無情にもオフにされるので、夏は暑く、冬は寒い。商品は棚卸し代行の連中より大事にされているので、当然冷凍食品はキンキンに冷凍されており、軍手を装着してかじかむ手を押さえつけながら数える。バックヤードの冷凍倉庫で歯を鳴らしながら在庫を数える。ユニフォームは半袖と長袖があって、夏でも長袖は持って歩けと言われる。必要な時があるからだ。その言いつけを守らなかった奴がホームセンターで自分の身長と同じくらいの高さのトタンの束に半袖のまま頭を突っ込んでトタンの枚数を数えていたら腕をトタンで切って鮮やかに出血するなんてイベントが夏の繁忙期には必ず一度は発生する。繁忙期だと会社は一晩にいくつもの案件を引き受けている。人は常に足りていない。タイムリミットは翌日の開店時間によって決まる。何はともあれ夜明けまでに全てを数え切らなくてはならない。常に極限状態で現場は当たり前のようにいつもピリピリしており、鈍臭いやつは容赦なく怒鳴りつけられる。進捗に余裕がある店舗は、その中の一部の人間が別の同じその晩に仕事を受けている厳しい店舗へ運ばれるべく再びハイエースに詰め込まれる。そうやってその日の案件を、すべて開店前に数え切って、在庫の数をまとめた報告書を納品できたら棚卸し代行業者の勝ち。できなかったり数字にズレがある報告書を納品してしまったら負け。そんなミッションに山のような日雇い労働者を従えて立ち向かう、そんな仕事だ。

想像の通りめちゃめちゃにキツイ仕事だが、それでも深夜手当はつくしなんだかんだ時給で見れば割にはいいので色々な人間が集まってくる。10年前の俺もそんな人間の一人である。10年前である。ハイエースのなかでモバゲーやってる奴の割合も喫煙者の割合も共に7割はあったんじゃないかと思う。10年前と言えどもやで!

僕もあなたも、もちろん話の筋など忘れてはいない。件の歯のないおっさんも勿論、僕と時を同じくして、そこで日雇いのバイトをしていて、時たま同じ現場に入り一緒に並んでホームセンターでバラ売りのネジやワッシャーを数えた、そんな間柄でございます。

ハイエースは当然誰かが運転しなくてはならない。歯のないおっさんはドライバー役に名乗りを上げていたのでほかの日雇いが移動時間は時給が4分の1になるなか、おっさんは移動時間も正規の時給が発生する。おっさんはそのことをえぐいくらいいつも自慢していた。

ある時、俺がおっさんの運転するハイエースの助手席に乗った時、おっさんは僕にセブンスターを吹かしながら語りかけた。俺もその時はセブンスターを吸っていた。

「ズイショくん、今、何歳や?22?ええなー、若いってええなー、俺なんかもう32や。大阪に出てきたらなんかあるやろ思って岡山から出てきたけどなんもないわ。なんもないまま32になって、この仕事や。ええな、若いってええなー、なんでもできるやん。彼女とかおるの?おんねや、ええな〜〜。俺なんか風俗でしか女抱いたことないよ。そのまま俺はもう32や。もうなんも、でけへんわ。若いってええな。大事にしいや、ほんま羨ましいで、ほんま。」

歯のないおっさんは、ニヤニヤしながらぶつぶつとつぶやいていた。運転はめちゃめちゃ荒かった。

そのおっさんが、10年の月日を経て、俺の横に、今、いるのである。ユニフォームを着て。

時間は間もなく12時というところ、仕事上がりだろうか。社員が采配をゴリゴリにミスった場合、これくらいの時間に事務所に戻ってやっと退勤なんてことはザラにある。残業手当もついて、美味いと捉えることもできるが、この時間までかかるような案件は大抵地獄である。おっさんはうまそうに値段相応のカレーと、値段相応の蕎麦を交互に頬張っている。俺に気づいているような素振りは一切ない。

繁忙期は一年のうちごく僅かだ。閑散期は当然、優秀な人間が、つまり要領よくミスなく数えられる人間が優先してシフトを割り当てられる。閑散期にそのおっさんを見たことはない。そしてまた猫の手も借りたい繁忙期がやってくるとそのおっさんはニヤニヤしながら俺の前に現れた。

「おー、ズイショ、久しぶりやな、俺久しぶりすぎて分からへんわ、このマシーンの使い方教えろや。間違ったデータの削除ってどうすんねやっけ?」

当時、何度も何度も定期的に繰り返したやり取りだ。

それはそうだろう、おっさんが俺のことを覚えていないのも当然だ。彼はこの10年、あの場所で多くの人とすれ違い続けているのだろう。ましてや俺は、その中のごくごく一人で、そのうえ俺は10年の歳月を経ておっさんになってふつうの会社勤めでジャケパンスタイルでオフィスのカードキーを首からぶら下げていて、当時の現場にいた頃の面影などそりゃあまあ全然ない。結婚してからは10kgは太った。かたやおっさんはあの頃のまま、歯がないまんま、あの頃のまんまのユニフォームを着て、あの頃のまんまニヤニヤしていた。ヒントにあまりに差がありすぎる。おっさんが俺に気づかないのは100%当たり前のことで、俺はおっさんにとって思い出されるに値する人間でも全くないのだろう。

俺は最後に残ったそばつゆを啜りながら逡巡していたが、結局おっさんに話しかけることもなく、足早に店を後にした。えいやと話しかけたところで、何を喋ればいいものやら全くわからなかったのだし。

そうしてオフィスに戻るべく歩き出した俺の脳髄に、この10年という月日が一気に去来した。俺のこの10年は、おっさんが言うような、なんでもできる10年ではなかった。もっと何かできるんじゃないかと思っていた夢は夢のままで、結局はふつうの会社員に落ち着いて、10年前は特に望んでもいなかった妻と子供にも恵まれて、今はそれなりに満ち足りていると思いつつも、ひとり酒を飲みながら顎膝を立てたくなる夜もある。それはいい。それはいいが、俺がこのように変わっていった10年という歳月を、俺はあの歯のないおっさんの目撃によって、秒速五センチメートルで、瞬く間に思いを馳せるに至ったのである。

おっさんにはおっさんの10年があったのだろう。その10年は俺には想像することもできない。別に10年ずっと、あそこで働き続けていたとも限らない。あの時おっさんは「俺なんかもうなんもでけへんわ」とニヤニヤしながら言っていた。本当にそうだったのだろうか。おっさんの10年にはおっさんなりの10年が色々あって、なんやかんやあって、戻り着いてしまった今だったのかもしれないし。聞けばわかる話だった。でも俺にそれを聞くことはできなかった。

蛍の光に始まる棚卸し代行は調子が良ければ早く終わりすぎる。事務所に戻る時間が3時30分とか。そんな時、始発が動き出すまでの時間を事務所の近所の朝までやってる居酒屋で時間を潰そうなんてこともままあった。日雇いには本当に色々な人がいた。話せる奴も往々にいた。

身体を壊して店長を退くしかなく、身体を治したものの、次の満足できる仕事はなかなか見つからず、つなぎで日雇いをやっていた30代後半のシェフ。

ええとこのボンボンで有名大学に通っていながらも、幼馴染の彼女を孕ませてしまい20で親に勘当されて結婚して、昼も夜も働く子持ちの同い年。

薄給ながらうっかり双子を授かり、将来に備えてダブルワークする30歳。

自営業で50までやってきたが、不景気で経営が傾きそれでも娘を大学に通わせるために夜は日雇いで働くおっさん。

彼らと始発が動き始めるまで酒を飲み今日の稼ぎが無に帰るなと笑っていたそういう時代が、俺にはあったんだということが忽ちに思い出された。

あれから10年の歳月が流れ、俺はあの時とはそこそこに違う感じの人生を歩んでおり、そして俺は、じゃああいつらは今何してるんだろうそれを知りたい、と強く強く思った。彼らが生きるということにうんざりまではせずに、笑いながら生きていることを強く強く願った。それを確認する術はもうどこにもない。とある歯の抜けたおっさんを見かけて唐突に芽生えた、俺の感傷だ。

今、彼らは何をしてるのだろう、と知りたがる欲望は、つまりは彼らに会いたいという欲望だ。

歯のないおっさんと飲みに行ったことはなかった。なんなら何度か断った。そうして俺が10年越しに出会ったのは、他の誰でもなく、この歯のないおっさんだった。これがいいことなのか悪いことなのかはよくわからない。いや、いいことでも悪いことでもないのだろう。それでもおっさんに出会ってかつてを今のように我がごとになった今、おっさんをキッカケに思い出した当時俺が尊敬できた色々な事情を抱えた色々な人々、この日この場所で出会った相手がユニフォームを着た彼らじゃなくて良かったとは思ってしまう。

僕が今しているこの話は、すごく底意地の悪い、人を馬鹿にしているような話なのかもしれないことは重々承知している。それでも、この10年を、僕のじゃない、僕だけのじゃない、ただただ10年というこの日本とか地球とかの10年という月日を、俺は今日強く強く抱きしめたんだと思って、俺はまた眠りにつくのだ。抱きしめさせられたのだ、あの前歯がないおっさんに、と思いながら。

始発前の一瞬パグかと思うくらいでかいネズミが壁際を駆け抜ける居酒屋で、みんなで酒を飲んで、お会計を頼んでレジに行くと足元に千円札が落ちていて、「落ちてたで」とおばちゃんにその千円を拾って手渡すと、「にいちゃん得したな」と会計が千円安くなって、それをまたみんなで笑って店を後にして、みんなが家に帰って行った。その家路の果ての途中が今なんだと思って、僕はまだ最果てに向かう道半ばなのだと思った。

フケに立ち向かえない人間、とりあえずオクト試せ

読んだ。

で、何を隠そう私もフケに長年悩まされてきた人間だ。これ全部砂金だったらいいのにくらいのフケを排出しながらここまで生きてきた。

言いたいことは掲題の通りだが、この元増田は無論「それくらい試したわこの糞が」と思うであろうし、フケという問題に立ち向かってきた人間はみな同様の感想を持つだろう。しかしブコメを読んだ感じ、そして俺の実体験を踏まえても、そういうふうに色々を試すこともせず自分同様に「仕方のないことだ」と諦めているような人間も世の中にいるような気がしたので珍しく善意で筆を取る次第だ。フケは辛いが、仕方ないというほどではない。一回なんとかしてみてもいいのではないかと思うのだ。

フケが出るようになったのはいつからだろうか、なんか小学校高学年から中学生なるくらいだったと思う。フケとの記憶の一番初めは、ぼくの学習机である。学習机にはスーパーマリオワールドの下敷き?中敷き?保護カバー?が敷かれていた。ぼくは毎晩その机に座り頭を掻き毟りフケというフケを落としてやろうとしていた。スーパーマリオワールドのマップをあしらったその机を俺のフケで一面冬景色にすることを日課としていた。とりあえず今あるフケを全部振り落としたら、明日一日学校ではフケは目立たずに済むだろう。そういうノリでやっていた。あと、その頃なんだか放っておくと生えるようになってきていた髭をピンケットで一本一本抜いていたりもしたけど、これは本件とは関係ないので割愛する。32になって改めて文字に起こしてみると俺は一体なにをやっていたんだと思うけど、当時の俺にとっては本当に一大事だったので仕方ない。今そうしている人がいてもそれは何も恥ずかしいことじゃない。そんなやつ、世の中になんぼでもいる、と俺が主観的に言い切ろう。

フケが出ないようにするための努力は俺なりにした。つっても大して何もしていないが、例えば俺はズボラなので朝に頭を洗ってドライヤーで髪を乾かしもせず通学したりしていたがそういうのがよくないんじゃないかと親に言われればちゃんとドライヤーをかけたりもしたがフケは全く改善しなかった。このまま反復法でもう何個か努力エピソードを書いたほうが収まりがいいなと思ってたけど、特に他にさしたる努力はしてなかったな。なんか親もいわゆる「不潔」みたいな感覚でフケを扱ってた気もする。「フケあるよ!頭洗いなさい!」みたいな。確かに俺だって2時間に一回頭を洗えていたら「フケがある人」にはならずに済んだのかもしれないけどさ、実際問題それって可能なの?みたいなことは今になっていれば思う。皮膚科っていう選択肢はなかったな。なんでだろうな、まぁなんでだろうかってのはなんとなくわかりながら「なんでだろう」って言ってる気がする。例えば精神科に行ったほうがいい人が精神科に行きたくないように、歯医者に行ったほうがいい人が歯医者に行きたくないように、カードキー返しに行ったほうがいい人がカードキー持ったまんまバイトをバックレするように、人間ってやつぁ結局自分の問題に向き合うには相応の勇気が必要なのだろう。

フケが出ることを受け入れる人生は、まぁアドバンテージを取られていたな。そこを揶揄されると辛いからな。言い返すにもずいぶん骨が折れた。フケが出ることは確実に俺の弱点の一つであり、俺はその中でやっていかなくてはならないと思っていた。

俺だって、譲れないことはそりゃあるからな、人と相いれなくて険悪になるときもそりゃあたくさんあったさ、そのタイミングで向こうにフケをいじられ始めるとまーそりゃ分が悪い。俺は弱点を丸出しの、ロックマンXシリーズの一番最初の8ボスの前に戦うチュートリアルのでかいボスくらい、弱点が丸見えだった。とりあえずフケをいじっときゃ優勢に持ち込めるくらいの雑魚だったのだ、俺は。その中でもなんとか負けないようにやりくりしてたけどね、頑張って。

あと、そうだ。今気づいたわ。俺は帽子をよく好んでかぶってるんだけど、それってそもそもフケを隠したいからだったんだわ。帽子かぶってりゃ、頭ごと、フケごと隠せるから。だから俺ずっと帽子好んでかぶってたんだ。あー、これ嫁に明日言うわ。嫁によく怒られてたんだ、室内で帽子被るなみっともないハゲるぞとか。でもそうか、俺はこのコンプレックスに起因して帽子をかぶってたんだな、明日嫁に言うわ、「わかってほしかっただわよー!」って言うわ。ピノコの口調これで合ってるかわからんけど言うわ。

しかし嫁には感謝しかない。そんなフケまみれの、紙吹雪に祝福された谷村新司ばりにフケを全身にまとった俺を見ても、「大変だねー」くらいの感じで接してくれた。嫁には感謝しかない。水を使わないでもそのまま餃子を包めるくらい手汗をかく俺と気兼ねなく手をつないでくれたし、夏の朝に目を覚ましたら池に落ちたのかと思うくらい汗をかいてる俺と一緒に寝てくれている。誠に感謝しかない。

つまりなんだ、清潔感の問題と自己肯定感の問題はまた別個であり、私が世間的な清潔感を獲得できないながらも自己肯定感を維持できたのは嫁やその他の存在は非常に大きい。たとえば私の肩についたフケを「フケついてんで」と声をかけ手で払ってくれていた先輩を、当時は疎ましく感じることもあったが、今こうして文章を書いていて考えるに、それはただただ善意だったのだろうと思う。私はそうすることで「フケをすごく気にしている人」と思われるのが嫌で自分の肩を払うこともできず身動きが取れない部分があって、そのフケに言及する先輩を快く思えなかったが、あのひとは間違いなく僕が自分でできないことをやってくれている良い人だったのだろう。他の人もいるところでそれをやるのはやめてほしかった気持ちはありつつ。

これは自分のフケについての嫌な思い出とかを語るのが目的で書き始めた文章だ。

そして終わりとしてはあっけなく、子供が生まれたタイミングとかだっただろうか、「どうにもならねえものは知ったこっちゃねえ、俺の人生だ文句あるか」でやってきたところをもう少し頑張ろうかと思って、フケをなんとかしようとオクトを買ったのだった。オクト、超しょうもないよ。俺の近所のドラッグストアではプリキュアシャンプーとかの横に置いてるよ。一体どういう扱いなの?

で、オクトがこれすごい効いたんだ。今までのなんだったのってくらいフケが改善された。それで俺は今ではフケが別にそんなに出ない人間として生きてるんだけど、俺が話したいのは何も「オクトすごいよ」とか「努力でフケはなんとかなるよ」って話では全然ないんだけど。

なんだろな、フケで悩んでる話ってなかなかインターネットでも見かけなかったから、俺も今回一連のやつを読んで「俺も俺も」って思ったんだよね。っていうことは、俺以外にもいるんだろ。フケに悩んでる人間。そういう人たちに向けて「フケがあった人類が今こうして生きてる」ってのを伝えたかったみたいな、なんかそういうのな。そういうの。

こういう問題ってすごく個人的な。世界にそんな悩み抱えてるの自分一人だけなんじゃないかみたいな錯覚に陥るじゃん。それ自体がすごくしんどいしさ。そうじゃないんだよ、っていう。あるあるなんだよ、っていう。

こんなに出るフケが、砂金じゃないのはなんでだろ~~~~~~

ってみんな思ってるよ、ってことを俺は言いたいんですよね。一緒になんでだろう踊ろうよ。赤でも青でも好きなジャージを着なよ。俺はじゃない方を着るから!っていう気持ちですよね。

そういう気持ちで、僕はフケが引くほどあっさり治ってしまった人間なので、そういう意味では若干忍びないんですけど、なんか普段話さない、自分の矮小な話をいろいろ書きました。

 

そういえば数年前、まぁまぁ豪快な骨折をしてしまい入院する羽目になって、風呂にずっと入れない生活を強いられて病院のベッドでフケに悩まされてたとき、掃除にきたババアに「ベッドの周りフケだらけやわごめんな」って言うたら「みんな出る出る、生きてたら出る、謝らんでいい」と言われ、「死んだら出ないんやな」と返したら「わからんから私が死んだときに見ぃ」と言われ、良いババア見を感じました。あのババア死んだら唇を水を多分に含んだコットンで撫でる前に頭ガシガシしたるねん。葬式呼ばれるわけあるかよ。

以上です。

 

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