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いなり寿司が食べたかったんですよ

あのー今日の昼はですね、用事があって出先に出てまして、用事の方は幸いにも幸運なことに頭痛が痛くなったり腹痛が腹に来ることもなく無事に事なきを得たんですけどその頃はすっかり午後3時も近い時間になってたもんですから空腹を覚えた私は何か食べようかなと見知らぬ町の駅前をぶらぶらと歩いていたわたしの視界に飛び込んできたのは何やらチラシを配る人の陰を視界の端に捉えるやいなや私は飛び込み勇んで受け取ったそのチラシはなんとここから徒歩1分にも満たない場所でおなかを満たしてくれるうどん屋さんの言うことにはなんとそのチラシの効果は午後2時以降に来店つまりそれはまさに午後3時現在の私のことではありませんかおいなりさん一個か海老天がサービスでついてくるとのことですので僥倖というやつはこんなところにあるものですねとすごい量の笑顔で破顔する私のことを忘れないでねみんなにも見せたかったよ浪人時代の話を遡ってすると私は昼毎日オロナミンCとおいなりさんを同じコンビニで買っていたのであだ名がきっとあったね私のいなり寿司好きが少しはおわかりだろうか??時は巻き戻って現代、というかさっきの話の続きをしますからよく聞いてくださいね結論から言いますと券売機にはいなり寿司が売っていましたがチラシの効果頼みの私は買いませんでしたつまり海老天うどんの食券を買ったというところまではご理解大丈夫だと思いますがわたしはいなり寿司の食券を買うこともできたけど買わなかったということから言わなくてはダメですか海老天うどんを買ってチラシの効果でいなり寿司も食べることといなり寿司とかけうどんを買ってチラシの効果で海老天をつけてもらうのではどちらがよりおいなりさんのご褒美感が高まるかは火を見るより明らかではないでしょうか。それが私が海老天うどんを券売機で買った真相なんですね。それで私はそのうどん屋のうどんを作る方々の一人に券とチラシを差し出して「いなり寿司つけてください」と物申したところ「いなり寿司もう終わっちゃったんですよー」と私が話しかけたうどんを作る方々の一人は言うではありませんか、立て続けにそのうどんを作る方は私へと言いました「いなりないんで海老天になっちゃうけどいいですか?」と。懸命な読者の方々の一人であるあなたはすでにおわかり頂いている前提で話を進めますが私が買った食券を覚えていますか?そう海老天うどんです。海老天を二本も食べる傍若無人な人間がこの世にいるでしょうか?少なくともわたしはそういう人ではありません、お父さん海老だけでなくお母さん海老まで食べてしまっては明日から子ども海老たちはどのようにしてこの海で生きていけばよいのでしょうか?それだけが私が海老を二本も食べない理由というわけでは決してありませんし子ども海老たちへの提案もいくつかあります。しかし私は話を一本道にしたいのでここでペンを置きます。私はそのうどんで生計を立てる方に「いなりないんで海老天になっちゃうけどいいですか?」と言われたところまでは前回お話したとおりですねそれに私はなんと答えたか「いや海老天頼んでるんで」と言いましたよねそこから言うことがとてもひどいうどんの方の言い分はこうです「じゃあクーポン使わないってことでいいですね」と言うからさあ大変わたしは咄嗟に「ではかけうどんに海老天をつけるという形で差額を返金してもらうことはできますか?」と尋ねるとここは普通に言うけどその店員めちゃめちゃ嫌そうな顔したからね、え、まじで?そんな嫌な顔されんの?ってくらいそいつめちゃめちゃ嫌そうな顔をして「あーちょっと、あ、いや、まあ、じゃあいいですよそれで」って言ったからね、あと普通に喋ってるパートで言っとくけど券売機で普通にいなり寿司買える状態になってたからね、入れ違いでまさに今いなり寿司終わったところに俺がきたなら全然それはそれでいいんだけどそのうえで聞いていただこう、そうしてわたしは無事に事なきを得て海老天うどんを食べて差額を返金してもらいましたがわたしの勇気が振り絞れるものであったからこそよかったよかったと言えるのは間違いないわけで私はいなり寿司を食べられない悲しみに打ちひしがれるだけでよかったもののもし勇気を振り絞れない人だったらご褒美感の無味乾燥な値段で正しい値段の海老天うどんを食べていなり寿司を食べられない気持ちと共に海に沈む気持ちになったものでしょう。私が言いたいことはつまりこうです。いなり寿司はどこにもありませんということは誰だってわかるわたしだってわかる。この世に存在しないいなり寿司を食べたいだなんて途方のない夢を夢見るほどわたしは夢見がちな子どもではないのですからその話はもうよしておくれでいいんですただし食券でいなり寿司を買わなかったのはいなり寿司のご褒美感を高めたかったことから考えてください。少し厳しくはありませんか。もしわたしが差額の勇気で立ち向かっていなければもう一人の私である弱気な元気ハツラツキツネ野郎は、いなり寿司を食べられないままお得感のない正規料金の海老天うどんを口にしていたということなのでしょうか。いなりとかけうどんを頼んだ人なら嫌な顔せずに向こうから返金しようと言ったはずだと想像する私は狂っているのでしょうか?うどんの人はもっといなり寿司の人に優しくしてください。いなり寿司が食べたかったんですよ。

なか卯のざるそばが美味かった夏の調

 

 

 

 

 

 

 

二八そばのことを終始八二そばと書いていて最高にダサかったですね。実際に酔ってようと「酔ってた」と言い訳するのは最悪だ、というのが僕のインターネットお作法のなかでも最も良くないとしているものですが、一番「酔ってた」と言い訳したいのはこの言い間違いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後、骨折により入院。自宅での療養生活も含め二ヶ月あまりの外食できない生活を送ることとなる(あとその間に第一子も産まれた*1)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たしてこのままなか卯のざるそばは終わってしまうのか!!??

続きを待て!!!!

*1:元気な男の子ですよ

そんなノートなら取らない方がマシ

掲題の通りなんですけど、陳腐な言い方をすれば、僕のツボ。見たら絶対笑ってまうもの、それがそんなノートなら取らないほうがマシだろ、としか言い様がないノート。

なんかこの前ね、嫁と保育園見学行ったんですよ、0歳の息子連れて3人で。ほんで行ったら他にも3組くらいの親子がおって、土曜なのもあっていずれも父母揃ってて、「時代だな」ってちょっと思う。両親でくるんだー、って。まぁ俺もそうなんだけど。10年前はこんな保育園見学なんて女が行っとけみたいなものだったのかもしれないけど今は違うんだな、いや俺10年前親やってなかったから知らんけどね、実際。でもなんか、やっぱ育児は夫婦でやるもんなんだよみたいなここ10年の空気ってやっぱちゃんと浸透してるところにはしてるんだー、とか思ってたんだけど、よく見ると一組だけなんか違うな、と思って見たら。赤ちゃん抱っこせなあかんのですけど、他のところはみんなお父さんが子供を抱っこひもで面倒見てるのに対し、一組だけお母さんが子供抱いてるところがあって、それでちょっと「あ、お母さんが抱くんだ」とは思ったんだけどまぁいいやと思って見学したのね。で、一通り終わって、じゃあ最後に何か質問ありませんか?ってなって、そこで俺の横にいた、1人だけ子供抱いてないお父さんが「はい」って手ぇ挙げて「課外授業はどんな種類がどれだけあるんですか?」って質問したんですね。なんか課外授業ってのがあるんですよ、保育園によっては。それの種類と数が気になったんですって、そのお父さん。それで保母さんが「英語と、ピアノと、水泳です」って言って。そしたらそのお父さん、「あ、ありがとうございます」って言ってなんかカバンごそごそしたと思ったら一冊のノートを取り出してそれを開いたんですよ。で、僕、すぐ横にいたんでね、ちらって目に入ってしまったんですけどね、横書きのノートなんで表紙を右から左に開いて、左側は表紙の裏で厚紙なってるんで実質右側が最初のページ、1ページ目ですよね。で、その次の一番最初の左側も右側も書けるページ、2,3ページ目、彼が開いたのがこのページだったんですけど、左側のページの裏側、つまり1ページ目は10行くらいなんか書いてるのが見える。で、表側、2ページ目は一番上の1行目に「授乳左右10分づつ2セット」って書いてるだけなんですよ。で、そのお父さん、その隣の右側の白紙の3ページ目の一行目に「英語、ピアノ、水泳」って書いたんですよ。

「あ、お前たぶん、ダメな奴だろ」思って。笑いそうなったの堪えて鼻水出そうなったんですけど。お前たぶんダメだろ思っておかしくてしゃあなくて。お前ちゃんとやってたらそんなノートならんやろ、て。2ページ目に「授乳左右10分づつ2セット」一行だけなのももうだいぶあかんねん、ダイイングメッセージか。嫁さんが背負ってる子供見たらそこそこ大っきなってるし、それなりの期間をお前は経てるはずで、ノートを取るスタンスでちゃんとやってたらそんなことにはなってないはずやねんて。いや、ノート取りゃいいってもんじゃないし、ノート取らずにちゃんとやってる人なんざなんぼでもいるよ。でもこいつ、ノート開いて書いてるねんて「英語、ピアノ、水泳」って。何日に行ったどこの保育園の有料のなんぼ別途費用発生する課外授業であるかは書かずに「英語、ピアノ、水泳」の3単語だけ書いてんねん。お前たぶんダメなやつだろ思ってめちゃめちゃ面白くなってしまって。

いや、僕はね、別にあるべき父親像みたいなのがあってそれを他人にも押し付けたい、そういう父親像にあたらない父親を未熟だと言いたいとかそういうのじゃないんですよ。ただ、質問してノートを取ることで自分は熱心であるとアピールしようとしている人がいて、そのノートがそいつ全然熱心じゃないことを証明していたっていうあるあるを久々に見かけて、笑ってしまって、まぁあるあるなんですよ。俺は質問しますよ、そしてその答えはちゃんと書いて残しますよ、俺はけっこうしっかりしてるやり手ですよっていうハッタリ、けど本当に情報を書いて残して活用する奴のノートはそんなことにはなってないよ、みたいなのマジで笑うんですけど。それを見てからたまに思い出し笑いで笑ってるんですけど。だからなんだろう、この話はなんなのかというと一言でいうなら「気をつけよう」という教訓なのかな。「大して興味が持ててないのにペロッとノートにチャチャッとメモして熱心なふりをしても馬鹿っぽいだけなので気をつけよう」という教訓なのかな、それはまぁ一つあるけども。ほんと、そのお父さんが嫌な奴だとは思わないんですよ全然、「お前さてはダメだろ」は思うけどね、ダメなりにやろうとしてる愛おしさもあればそれもまた笑える面白さでもあり、だって「そんなの俺には関係ない」って保育園見学一緒に行かないでどっかに遊びに行っちゃう人だって世の中にはたくさんいるんだろうから、そんなのと比べたら全然良い奴なのは間違いないわけで、ただどうしたって「そんなノートなら取らない方がマシだろ」ってことは世の中あるんだね。仕事の席でもたまにそういう人見かけたけど、保育園に行ってもやっぱいるんだなっていう。最高。みんな、ベストを目指そうと思って必死に生きてて全然ベストには足りないのは当たり前で、そんななかでたまにすごい馬鹿なことをやっちゃって、それで笑ったり笑われたり、本当に最高だと思う。ほんでそれが結局ベストにほかならないんだしね。ベストを馬鹿馬鹿しくも笑いながらも称え合いたい。いい加減仲良くなってきた部下なら注意するけどね、あんなノート他人に覗かれても馬鹿だと思われるだけだから取らない方がマシだぞって言うけどね。でも別に憎くはなくて、笑えて最高で愛おしい。以上です。