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永遠に終わらない大きなカブ

今さっき頑なに寝ない生後2ヶ月とかの息子が俺に聞かされた俺の童話『永遠に終わらない大きなカブ』が今後息子のお守りをするたびに永遠に続きそうなのでその冒頭をお裾分けします。

昔々あるところにおじいさんとおばあさんのかたわらにそれはそれは大きなカブと誰の目にも人目でわかるカブを所有するそんなおじいさんとおばあさんはそれはそれは仲良く暮らしておりましたところうんとこしょどっこいしょそうすればカブは抜けると言ってはばからない大きな大きなカブに関する有識者がそれはそれはおじいさんの家におしかけうんとこしょどっこいしょと言ってカブを抜くべきだとそれはそれはたいそう主張するのを聞いたおじいさんは、それからというものうんとこしょどっこいしょと言うにあたいするそのカブをそれはそれは大事に育て大きな大きなカブはうんとこしょどっこいしょといくらおじいさんとおばあさんがそれでもカブは抜けませんと言った形となりよりいっそう大きく主役格のカブとなる姿をおじいさんはとてもとても嬉しそうにながめネズミの入り込む余地が生まれるのはまだ先のお話であるにも関わらず、有識者たちはそれはそれは大きな声でうんとこしょどっこいしょと言うに留まらずより現実的な未来志向の方法で大きな大きなそのカブをそれはそれは鮮やかに抜いてやろうと画策しているのを知ったおじいさんとおばあさんは有志を募り抜こうという意思を見せようとしてうんとこしょどっこいしょの会と呼ぶことにしました。それからというものおじいさんとおばあさんはカブのことをそれはそれは大きなカブと呼ぶと呼ぶようになりそう呼んでみるとなかなかほんとうに大きなカブだと思えてきて試合の前日に相手のビデオを見ると怖くなる中学生バスケッターのようにはならないのがそれはそれは立派なおじいさんである証明であるかのようにおじいさんはうんとこしょどっこいしょと明くる朝うんとこしょどっこいしょとカブを抜こうとしたもののそれでもカブは抜けませんと言ったおばあさん、そんなおばあさんを見たおじいさん、どちらもそれはそれは誇らしげな顔をしていたということをほかならぬカブも感じたがゆえカブはびくともしませんでしたがそれを見た有識者

今日はここらへんまででした。この後、永遠に続きますし、冒頭も語るたびに可変します。以上です。

 

最期は底が抜けちゃってさ

いつだったか何気なく買ったグラスが何でもない時に何気なくこんなふうに壊れちゃって、グラスとしての機能を失って、それはいわゆる俺らでいうところのさよならだった。

僕はあんまり家で何で水を飲むかなんて考えない人間だからさ、グラスを買うって行為は水を飲むのとおんなじくらい大事にしていないんだ。

俺がこのグラスを買ったのはいつだったかな。

きっとグラスが家に足りなくなった時だ。

壊しちゃって失くなっちゃって、失くなっちゃったぶんを補充して、そしてこいつがきっとやってきて。

こいつには何の思い入れもないけど逆算するとそうなるんだよな。

壊しちゃって失くなっちゃって。

たぶんグラスってのはそういうもんなんだよな、と思う。

俺の手から滑り落ちて、なぜかというと

なぜかというと俺の手から滑り落ちたから

グラスは叩きつけられて砕け散っちゃってさ。

そういえばグラスってそういうもんだったって思ったら

もしかして初めてグラスの寿命を見届けたのかもなとか思って。

俺の手は滑らなくて、俺とグラスの間に間違いは偶然にひとつも起こらなくて。

間違って壊れることないグラスの最期がこれなのかって思ったんだよな。

よくできてるよ。

手が滑って落っこちちゃって、砕け散っちゃって、もう二度とは元には戻らなくて、

そんなのヤダなってみんなビクビクしてるけど

そうならないようにそうならないようにそう思ってそうなるならそんな苦労はないけれど

 

最期は底が抜けちゃってさ

 

壊したくないなーって大事にして落っこしたくなくて大事に抱えてたもんは

最期は底が抜けちゃってさ。

抜けちゃって何も注げなくなるんだなぁ、何も受け止めてくれなくなるんだなぁって思って

なるほどってな。

最期は底が抜けちゃってさぁ。

それをこぼしちゃったとは言いたくないんだな。

 

最期は底が抜けちゃってさ