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NHKの貧困女子校生の話って「なんだかおかしい」のは間違いないと思うんですけど

あまり得意じゃないところに首から少なくとも肩くらいまでは突っ込むのでなんか違ってたら言って下さい。

あのー、しんざきさんっていうこの不倒城ってブログを書いてる人、僕なんかすごい好きで、あんまり間違えないところが好きなんですけど。間違えないやり方をしてるから間違えないんですけど、そのうえで自分を殺さない感じが割にずっとすげーって思ってて。まぁ、俺はそんなのできないからいいやと思って、自分を殺さない代わりにすごくよく頻繁にドヒューンと間違えるやり方でいつもブログを書いています。

それで、なんかこの記事読んで、間違えてるとまで言えるかはわからんけど、なんかこれは変だなーと思って、何が変なのかわかってないけどとりあえずテキストエディタ開きました。

なんか、概要としては、NHKで「貧困に悩まされる女子高生」みたいなのをやってたらしくて、でもそいつの部屋に結構金目のものあるぞ、そいつのツイッター特定したら結構な散財してるぞみたいな話らしくて、「全然貧困じゃねぇじゃねぇか!!」って話になってて。で、それに対して先に引いたブログは「いや、貧困の可能性全然消えてませんけど?」と、言ってて、それになんか僕は変だと思ったのでテキストエディタとりあえず開いたんですけど。

まぁ、前提としては僕は、このNHKの放送観てないんで。もっと言えば、吉田沙保里が金メダル逃す瞬間も観てないし、ロンバケの最終回の生放送も観てない。なんも観てないんですごい想像で喋ります。キムタクは、そんな簡単にほかのメンバーを裏切らないと思う。さんまさんも、そういうようなことを言ってたもん。

で、最初に引いた記事を見ると「絶対的貧困」とか「相対的貧困」とかって言葉を持ちだして、貧困ってのは色々あるんですよ、散財する貧困もあるわけですよつって、NHKないし貧困女子を擁護して、おまいらおちつけと言われるわけなんですけど。それで僕のツイッターのTLとか見ててもね、貧困の定義ラインを下へ下へと追いやるのは結局救われない人を増やすだけだぞみたいな話が多くってね。憎しみあっても仕方がないよね、清(きよ)っていこうぜバッチコイみたいな、そういうのが多いんですけども。

え、これってそういう話をしてるの?と、僕は不思議に思うわけですね。

放送内容は直接見てないんですけどね、パソコンを買えなかったって話を貧困エピソードの一つとして語ってるんですよね。【それくらい】貧困だった、ていう一例としてそんなエピソードを交えてるんですよね。

しかし、なんか出てきた情報を見ると、色んなものを買っている。パソコンが買えるくらいのお金を色んなところで使ってる。それを散財だ、無駄な浪費だ、というつもりもありません。人が何に金を使おうとそんなのは人の勝手です。しかし、パソコンも買えない【それくらい】貧困だ、と言われていた手前「なんだかおかしい」と感じるのも実に自然なことではないかと思うのです。

1万円とかするコピック買える時点で全然貧困じゃない、って話はおかしいですよ、そりゃおかしい。ただ、コピック我慢したらパソコンは買えたわけじゃないですか。これはコピック買うなよって話じゃありませんよ? NHKが「コピックとパソコン、どちらを買うか。彼女はコピックを選んだ」と言ってくれたら、全く問題がなかったんじゃないかなって話です。

貧困の定義を考えて下さいよ、落ち着いてくださいよみなさん。ってのは正論なのか知らんけども、NHKの方がですね、「みなさん、これが貧困ですよ」と言ってパソコン【すら】買えない女子高生をテレビに流したわけです。で、NHKがこっちの情に訴えようと作り出したその女子高生は、実際にはそれを我慢すれば、パソコン【くらいは】買えそうな趣味への投資をしていた、と。

これに「なんだかおかしいぞ?」って思うのはすごく人間自然なことだと思うんですよね。

彼女が貧困であるかどうかは、実のところ僕にはどうでもいい。その人が実は大金持ちでした!ってなった時に僕がいきなりステーキをごちそうしてもらえるとかなら全然どうでもよくないけど、そうでもないので、僕にとってはすげえどうでもいい。それでも、そのうえで、今出揃っている事実っぽいものを見た感じ、「彼女は貧困か否か」はよくわからないし興味もないけど、「NHKのあの番組は、なんだかおかしい」ってのは、僕だって思います。思いませんか? 疑わしきは罰せず、は大いに結構ですが、疑わしくない、というのは嘘ではないですか?

なんだかおかしくないですか?

僕がこの件について思うのは、「なんだかおかしい」をなぜおかしいかを指摘するのは結構難しい、ということです。実際にしんざきさんが指摘するとおり、みんな落ち着け、と思います。変な感じになってしまっています。みんなが的外れなことを言って、不毛な議論が多いように見えます。今、ネット上に飛び交ってる「なんだかおかしいのはなぜか?」という問いへのアンサーは、結構間違ってるように見受けられます。どこからが貧困かだとか、貧困にどう接するべきか、とかそんな話、今回のコレに関しては糞どうでもいいですって。NHKの「なんだかおかしい」点は、そこじゃない。そんな広い話じゃなくて、NHKの取材の仕方と編集の仕方が、「なんだかおかしい」ってだけの話なんですよ。

「なんだかおかしい」と思う理由を的確に言語化するのは難しいです。それで間違ったことを言って、誰かに迷惑をかけるのは良くないです。注意するべきです。しかし、そこで注意する時の言い方は、「そのやり方と結論は間違っている」であるべきだと思います。少なくとも「何も間違っていないだろ」ではないはずです。

今回の騒動は、どうもここらへんで大きく躓いているような気がします。

それだけ、みなさん「貧困」という言葉にセンシティブで、優しかったり必死だったりしてるってことなのでしょう。

でも、この話ってやっぱそういう話に俺には思えないんだよなぁ。NHKが「なんだかおかしい」。どうも変なことを、おかしなことを言っている。けど、何がどうおかしいか、みんなどうにもうまく言えない。それだけのことなのに、みんな貧困がどうとか、日本がどうとか、全然関係ない話をしちゃってさ。そこが変だなと思うんですよ、僕は。

とりあえず、この一件を捏造かどうかというところで話をするのって、これを書いてる今この瞬間の僕こと俺ことズイショさんが服を着てるか着てないかくらいどうでもいいことだと思うんですけど。膝には鳩が乗っていて、仮に全裸だとしたらすごいフランクにフレンチに局所を突つかれてしまう僕だけど、そんな僕は果たして全裸でしょうか?ってことにみんな興味ないでしょ?それくらいだと思うんだけどなぁ。以上です。

「速攻で人を不快にさせるツイートの書き方」で遊んでみた

 

これが面白かったのでさっそく使って遊ぼうと思ったけど、実際にツイッターに流すのは行儀が悪いので以下にまとめます。あくまですべてテンプレートを使ってみて遊んでみたというだけのネタであって、僕が本気でdisっているわけではありません。本当は全部僕も大好きなものばっかりなのでファンの方は怒らないでください。このようなネタを楽しめずに普通に怒ってしまう可能性がある方はそっとじお願いします。

 

 

サザエさん、国民的アニメとか言って持ち上げられてるけど正直何が面白いのか全くわからん。そもそも三本立てにしてる時点で脚本に構成力がないし、タマの声優が「?」なのも面白いと思ってやってるなら最悪すぎる。まぁ日曜の夕方6時にテレビの前にいるやつらなんて全員友達いない根暗なんだろうなw

 

藤原紀香、バスロマンのCMでまた話題になってるらしいけど全然ロマン感じないわ。明らかにGTOの二番煎じだったナオミは佐藤藍子に完全に食われてたし、難民に会いに行く時に頭に巻いてる布が値段高そう。まぁ藤原紀香推しの奴なんてみんな熊切あさ美に嫉妬してるやつばっかなんだろうけどなw

 

ネコ、かわいいかわいいってみんな言ってるけど俺に言わせたらかわいくもなんともない。そもそも哺乳類という時点で飯を食わせなくちゃならんわけでコスパ悪すぎるし、肉球くらいイタチにだってあるわ。せめて犬飼えよとか思うけどどうせ散歩も満足にできない怠け者ばっかなんだろうな、ネコ好きはw

 

ワッシャー、ボルトとナットを締める際に必須みたいな風潮あるけどぶっちゃけ必要なくね?ボルトが緩むのを防ぐとか言うけどじゃあ最初から溶接しろよって感じだし座金(ざがね)という和名がダサすぎ。ワッシャーの肩持つ奴見ると少しでも金属の需要を高めたいマンホール泥棒なのかと疑っちゃうねw

 

豆腐、原材料が大豆で畑の肉とか言われてるけど、はっきり言ってこの世からなくなっても全然困らん。要するに肉を持ち出さないとアピールするところがないなら最初から肉食えばいいし、醤油かけて食うとか大豆に大豆じゃん。もともと馬鹿の食べ物だと思ってたけどラッパ吹いて売るとか本物の馬鹿だなw

 

2月、最近は恵方巻きがどうとか言って盛り上がってるらしいけど、一年の中でぶっちゃけ一番要らない。だいたい偶数の月は8月とか12月とかもっとイケてる月が他にあるし、うるう年とかも構ってちゃん丸出しでわざとらしい。2月好きとか言うやつら全員28日で満足できる時点で小者感がすごいよなw

 

水、人体の60%とか言ってるけどぶっちゃけ俺は1%も興味ないわ。そもそも砂漠にない時点で雑魚すぎるしケルビンを差し置いて摂氏とか言って自分の凝固点と沸点をわかりやすくしようとするとか図々しすぎ。水をことさら持ち上げる奴ってどうせそれしか自慢するところがない滋賀県民ばっかだろw

 

サライ、哀しいほど青く澄んで胸が震えたって言うけど、俺は震えない。まぶたとじた時に愛の故郷が浮かぶかは人それぞれだし、いつか帰るいつか帰るって結局いつ帰るのかちゃんと日付で言ってくれなきゃ晩ごはんの準備とかもあるだろ。谷村新司ファンはほんと時間にルーズなやつらばっかなんだなw

 

以上です。

野球観戦してると「俺はこんなに当たり前のことばかり言ってていいのか」と不安になる

去年に引き続き「せっかく関西に住んでるんだから」というゆるい理由で甲子園の応援に行って来た。

僕自身は野球のルールとかは普通に知ってるけれど基本的にはスポーツ観戦にはあんまり興味がない方で、たとえば普段プロ野球の試合なんて全く見ないし、なんだったら12球団全部言えるかも怪しい。それでもこうして年に一回くらい、花火を見に行くくらいのゆるいノリで白球を追いかける高校球児を観てるのはそれなりに楽しいし、バカスカ点が入るシーソーゲームも一点が明暗を分かつ手に汗握る投手戦も見ていてテンション上がる。

それでもしかしさすがにずっと黙って見ているのもつまらないので、幸いなことに僕は年齢的にも例えば父親とか親戚のおっちゃんとかみんな野球が大好きな世代だったりするので、脳の奥底でうっすらと記憶に残っている熱心にテレビで野球観戦をしていた彼らの背中をロールモデルにいちいち騒ぎながら見守るのがベターなのだろうとうだうだ言いながら観戦していた。すると、途中から「俺は本当にこんなことばかり言っていていいのか?」と不安になってきたのだ。

あまりに当たり前のことばかり言い過ぎている。

気付けば観戦している間中延々、本当に当たり前のことしか言っていない。気の利いたことも言わず一味違った視点の提示をすることもなく、ただ只管に見れば誰でもわかることしか言っていない。いい大人がこれでいいのかと不安になってくるのである。

以下、僕が観戦中につぶやいていたセリフを思い出した順に列挙していく。

「ここでもう一点取れるとラクに守れるんだけどなぁ」

「ここで簡単にアウトをあげたくはなかった」

「ここで同点にされるのは辛い」

「取られたら取り返すしかない」

「泣いても笑っても最後の攻撃だ」

「前に転がしていきたい」

「ピンチを乗り切った勢いにこのまま乗りたい」

「一点ずつ追い上げていくしかない」

「ここで打てばヒーローだ」

「これで負けたら悔しい」

「このチャンスを大事にしたい」

「この一点差を守り抜きたい」

「ここで逆転したらすごい」

「ここは打つしかない」

「これ以上の点はやりたくないところ」

「なんとか三塁ランナーを返してやりたい」

「ここでゲッツーは勘弁だ」

「運もあるからなぁ」

「負けたくないのは向こうも同じだ」

「この回を0点に抑えられたのはでかい」

「あの回の大量得点が勝負を決めた」

見ていただくとわかるとおり、全部、すごく当たり前のことである。

野球はたくさん点を取った方が勝つので、全部すごく当たり前である。

見ればわかる。そりゃそうだとしか言えない。点は取りたいし取られたくない。

すごく当たり前である。

情報の質的にはずっと「犬はかわいい」レベルのことしか言っていない。こんなに当たり前のことばかり言っていて俺は大丈夫なのだろうか。

しかし同時に、当たり前のことばかり言っているのはすごく快感でもあったりする。

生き馬の目を抜く娑婆世界においては常に駆け引きが重要視され、誰もが本音を隠して、言葉で相手を出し抜こうと躍起になっている。

しかし、我々は本当はそんなこと、全くしたくはないのだ。当たり前のことしか言いたくない。見たままのことをそのままに、なんの装飾もされていない思ったままのことをつぶやいていたい。

野球観戦には、そういう現代人の隠された欲求を満たす効果があるのではなかろうか。

ゲームセットとなり整列する両チームに拍手を送りつつ、僕はそんなことを考え、そして「両方ともよく頑張った」と言った。